魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

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第九章 妖鬼の国にて奉公を

孤独を嫌って共依存を求めて

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赤。視界を埋め尽くす赤。
鼻をつく鉄さびのような匂い。赤茶けた大地、赤黒い空。
目の前には禍々しい十二枚の翼を揺らす堕天使、足元に転がる狼の残骸。
壊れたように高笑いを繰り返す堕天使の前に僕は座り込んで、散らばった狼の欠片を抱き締めている。
転げ落ちた赤い石が踏み砕かれるのを見て絶叫した。



誰かの声が聞こえる、名前を言わずに僕を呼んでいる。

『……起きた?』

「あ、ぁ……?  『黒』?」

『うなされてると思ったらいきなり叫び出してさ、びっくりしたよ』

「嘘……ごめん」

『変な夢でも見た? 』

夢。そう、夢だ。だが現実だ。

僕が原因で流れ続ける血も、裂かれた狼も、それをした堕天使も、砕かれた石も。なにもかもが現実だ、認めたくないけれど。
僕は夢の中でさえ夢を見ないで現実を見ていた。

『言いたくないならいいけどね。ただ……ここ防音とは正反対みたいなとこだからさ、気をつけなよ』

現状をだんだん思い出してきた、女に言われて屋敷で働くことになったのだ。今日でもう三日目だったか?  夢のせいで感覚が狂っていく。
アルの柔らかい毛を撫でたい、あの温度を体全てで感じたい、黒蛇で優しく絞められたい。

「……アルに、会いたい」

『そ、まだ無理だね』

興味なさげに『黒』は現実を叩きつける。視線にも声にも表情にも、どこにも『黒』の心は感じられない。

「いつ?  ねぇ……いつになったら会えるの?」

『さぁね、件の人を見つけたらかな。見つけたとしても賢者の石を再生出来るのかなんて分かんないし、出来たとしてもしてくれないかもしれない』

「……会いたい、会いたい……よっ」

折角の希望を霞ませるような話なんて聞きたくない。手を使わずに心で耳を塞いで、零れる涙で布団にシミを作っていく。

「『黒』があんなこと言わなかったら、アルは今でも僕の隣に居てくれたのに」

最低な発言、最悪な行動。泣きながらお前のせいだと喚き散らす。
頭や心でいくらやめろと言ってもやめられなかった、僕の何かが口から溢れた。

『ああ、そうだね、僕のせいだ。天使達が傷ついたのも、あの悪魔が大怪我したのも、合成魔獣達が死んでしまったのも。君が今とても不幸なのも、全て僕のせいだよ。嫌いたければ嫌うといい、憎みたければ憎むといい。でも君がいくら僕を責めようと罵ろうと、僕は最後まで君を手伝うよ』

「どうして……どうして僕を捨てないの?  どうして傍にいてくれるの?」

全てを受け入れるその姿勢に期待する。僕が全て曝け出したとしても離れないのなら、僕を決して捨てないのなら、アルのように僕を愛してくれなければ。それはもはや義務だろう?

『自由には責任がつきまとう、自由意志を司るモノとして君を捨てるわけにはいかないんだよ』

「…………僕が僕じゃなくてもそうするの」

身勝手な期待が裏切られる。心の拠り所にしたかった場所が崩れていく。この人は僕を愛してくれないんだ、と。

『訳の分からない事を言うね、僕にとって君が誰であろうと対応は変わらないよ。百年も存在しない人間一個体なんて気にしていたら僕が狂っちゃう』

「そう……だよね。ごめん」

期待なんてやめよう、心を寄せようとするのはやめよう。何も考えずに感じずに心を閉ざしてアルの帰りを待とう。アルだけに僕の全てを受け入れてもらおう。
……もし、アルが帰ってこなかったら、もう二度と会えないなら、僕は誰に愛してもらえばいいの?

『早く寝なよ、明日も早いんだから』

「……うん、分かってる」

『黒』に背を向けて薄っぺらな布団に横たわる。
冷たくなった心と体が動きを止めていく。

『一緒に寝ようか』

背に手が触れた。
布団が持ち上げられ、『黒』の体がねじ込まれた。
僕の上に腕が乗せられる、胸元に手が寄せられる。

『おやすみ』

優しい声が後ろから降ってくる。

「……やめてよ」

期待しないと決めたのに、心を閉ざすと決めたのに。どうして僕の心の砦を壊してしまうの、奥に入ってくる気もないくせに。ちゃんと面倒見る気がないのなら初めから拾わないでよ。

『黒』は僕の言葉や心なんて気にせずに僕を抱き締めて眠ってしまった。人でも天使でも魔物でもない『黒』に、睡眠が必要なのかは分からない。
もしかしたらずっと起きているのかもしれない。
起きていても寝ていても、どちらか分かっていたとしても僕はきっと同じ行動をとる。

体の前に回された手を握って、頭を少し後にやって『黒』の体温を拾おうとする。恐る恐る足を絡ませて、拒絶に怯えながら目を閉じた。


ガラスのない木枠だけの窓から光が差し込む。無遠慮にも僕の顔を照らして、乱暴に僕を眠りの底から引き上げる。寝ぼけまなこに目を擦りながらゆっくりと布団から這い出た。
不気味な程に静かな朝、冷たい布団、露出した肩に当たる無神経な日差し。部屋には僕しかいない。

「『黒』?  どこ?」

衣を整えて立ち上がり、顔だけで廊下を覗く。

「いないの?」

不安が胸を埋め尽くす、寂しさが呼吸を止める。

「……やだっ、やだよ、ひとりにしないで」

後ずさり、布団に躓く。酷く地味に転んで再び布団に戻ってきた。
痛いほどに目を擦って涙を拭う。『黒』の名を呼びながら静かに泣いた。

『………なにしてんの?』

「『黒』!  どこに行ってたの!?  僕、寂しくて、怖くて……勝手に離れないでよ!」

『起こしても起きないから一人で朝御飯取りに行ってたんだよ、二人分を一人で運んで来たんだよ、何か言うことは?』

「……え?  えっ?  えっと?」

『黒』の両手の御膳と『黒』の顔を交互に見る。予想と違った返答に何も言えない、寂しかったから抱き締めてなんて言える雰囲気ではない。

『寝坊してごめんなさいは?』

「……ご、ごめんなさい」

『僕の分も持ってきてくれてありがとうは?』

「……ありがとう」

言われるがままに謝罪と礼を終え、布団を押入れに放り込む。着替えを終え、御膳の前に座った。

『生魚苦手なんだよねぇ、僕』

「へぇ……美味しいのに」

『まぁ正確には僕じゃなくて僕の中の……まぁそれはいいや。はい、あーん』

『黒』は半透明の赤い刺身を箸先に刺して、僕の口に向かわせた。

「えっ?  あ、あーん」

『ん、オッケー。じゃあこれも食べてよ』

「……『黒』が食べるもの無くなるよ?」

『ごちゃごちゃ言わない。ほら、あーん』

結局そのまま『黒』の朝食を半分以上食べさせられてしまった。腹をさすりながら水汲みの為に井戸に向かう。

『……悪かったね、あんなに寂しがるなんて思わなくてさ』

「えっ?  あ、いや、別にいいよ」

僕が一人で勝手に盛り上がったのだ、今更恥ずかしさがこみ上げてきた。

『今度からちゃんと起こすよ、ごめんね』

「うんっ……!  もう絶対、ひとりにしないでね」

そんな恥ずかしさを押し殺して、大人しく頭を撫でられる。この人に期待してもいいかもしれない。
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