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第九章 妖鬼の国にて奉公を
魔性を持つモノ達
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買い物と言って出てきたはいいが、買う物が思いつかない。あの少年が気に入る物でも買って帰りたいのだが、どうにも好みが分からない。
死んでも何とも思わない、とは流石に言い過ぎた気がする。だが彼の記憶が呼び覚まされるまでは僕が彼に干渉しすぎる訳にはいかない、それは契約違反だ。
誰との? 誰……誰、だったかな。よく覚えてないや。
そう考えていながらもあの少年の機嫌を直す手土産を探している。僕もそろそろダメだな、そう思っていた頃だ。
目の前に見覚えのある鬼が現れたのは。
『……やぁ、元気そうだね』
『そう見えるか。お陰様で妖気封印されてもうてなぁ、えっらい不便しとるわ』
突然現れた角の生えた男に民衆は逃げ惑う。立ち向かうような勇気のある人間はいない、それでいい。
僕が逃げるのにも戦うのにも、民は邪魔だ。
『お前の弟んとこには茨木が行っとる、すぐに地獄で再会させたるさかい、心配しなや』
腰に下げていた瓢箪を飲み干し、地面に叩きつけるように落とした。地に着くが早いか、鬼が腕を振るう。
だがその腕は僕を捉えられない、空気よりも抵抗なくすり抜ける。僕がそれを望んでいるから。
『避けた……いや、ちゃうな。自分何したんや』
『さぁね、僕には僕が望まない限り触れられないってのは分かってるけど、どうして僕がそうなのかは知らない』
弟と言っているのはあの少年のことだろう、僕達は髪と目がよく似ている、姉弟に見えなくもない。
早く行かなければ。こんな奴を相手にしている訳にはいかない。
姿を消すと同時に翼を広げる、鬼は突然消えた僕を探し回り間抜けな顔をしている。何も本当に透明になってはいる訳ではない、僕があの鬼に認識されないようにと望んだだけだ。
僕が望めば全て叶う、僕だけで完結するものならば。
鬼が妙な直感で少年を見つけないように願いながら、見当違いの方向に腕を伸ばす鬼を嘲笑いながら、空を駆けて宿へ向かう。
刀は思っていたよりも重い、これを自由自在に振るうなど不可能だ。
茨木はきっとひ弱な僕を馬鹿にしている、そして肉付きが悪いなどと文句を言いながら僕を食べるのだ。
どこから喰われるのだろうか、どうせならば一思いにやって欲しい。生を諦め目を閉じる、だが一向に痛みはやってこない。
爪も牙も降ってこない。
『……鬼切!? 何故こんなガキが……っ!』
怯えたような、悔しそうな声に顔を上げる。茨木は顔面蒼白、後ずさりして窓枠に足をかけた。
このまま逃げようと言うのだろう。
『覚えとき! 今度会ったら八つ裂きや!』
質の悪い捨て台詞を吐き、茨木は窓から飛び降りた。すぐに窓から顔を出したが、その姿は見えない。
安堵のため息を吐いて部屋の真ん中に寝転がる。そういえば『黒』は無事だろうか、怪我を負うことなどありえないが、やはり心配だ。
『ヘル! 無事!?』
壁をすり抜けて『黒』が現れた。その体には傷一つない、やはり心配など無用だった。
だが『黒』はまだ安心していない、寝転がったままの僕にどこか怪我があるのではないかと探り始めた。
『僕の声聞こえてる? 僕が誰か分かる? 自分は誰か分かる? 怪我は……ないね?』
「えっと、『黒』? 僕は平気だけど」
僕が気を失っているとでも思っていたのだろう、僕が口をきいたことに驚いた。
『あぁ……良かった、無事なんだね』
『黒』は覆いかぶさるような体勢で僕の頭の後ろと背中に腕を差し込んだ。畳とは違う温かい感覚に安らいでいく。
『君に何かあったら…………あぁ、駄目だ。やっぱり、駄目だよ』
僕の胸に頭を押しつける。『黒』はたった今僕の名前を呼んでいた、絶対に呼ばないと言っていたのに。僕を見てすらいなかったのに。
「……泣いてるの?」
『こういう時は黙ってなよ』
「ありがとう、心配してくれて」
『本当に、君は……変わらないね。ずっとそうだ、そんなだから……』
『黒』はそれからしばらく黙っていたが、僕を抱き起こして何故無事だったのかを聞いた。僕は茨木との事を全て話した。こと細やかに、覚えている限りを全て。
『退魔の力でもあるのかな? この刀。そんな力があるようには見えないけど』
畳の上に抜き身のまま放り出された刀を拾う、『黒』にも振るうことは出来ないようだ。
『重っ、持ってきた意味なかったかな?』
「でもあの鬼はそれを恐がってたみたいだし」
『鬼切ねぇ……別名かな?』
『ちゃう、別モンや』
背後からの低い声に二人で振り向く、そこに立っていたのは赤髪の鬼だ。酒瓶を一気に飲み干して叩き割った、そしてそれを僕の目に向け、忌々しそうに睨んだ。
『茨木の腕切ったんが鬼切ゆう刀や、それはその写。なんで写と見間違えたんか知らんけどな』
呆れたように後に控えた茨木を睨む、睨まれた茨木は俯いて小さくなった。
『申し訳ありません……その、よう似てはって』
『まぁええわ、ちゃう分かったら怖ないやろ。早う捕まえ』
『ええ、お任せを』
長い黒髪を振り乱し、茨木が左腕を振り上げる。『黒』は咄嗟に刀を畳に突き立てて盾とした。真っ赤な爪と美しい鋼が擦れ、火花が散る。
先程までの美しさはどこへやら、茨木は牙をむきだして吼えた。
『さーて、じゃあ頼むよ?』
『黒』は鬼と睨み合ったまま、僕の肩を掴んだ。突き立てた刀を媒介にして張られた結界はまだ機能している、だが茨木の鋭い爪によってすぐに破られるだろう。そんな状況で『黒』は僕を前に立たせたのだ、結界にはもうヒビが入っている。
『ね、鬼ってさ、なんだと思う?』
小さな穴が空いた、赤い爪が差し込まれる。
『妖、鬼、それらは全て魔性のモノだ』
四本の爪が突き刺さり、結界が破られる。しっかりと立っていたはずの刀が音もなく倒れた。
『君は何だったかな?』
「………魔物使い」
『なら出来るよね?』
「で、でも! こんな……の……」
耳まで裂けたような口には鋭い牙が並んでいる、怒り狂った目のままに不気味な笑みを浮かべている。
こんなモノを僕なんかにどう出来るって言うんだ、魔物使いの力なんて通じないだろう。
何も言えないでただ振り下ろされる爪を見ていた、だがその爪は僕には当たらない。
目の前が赤く染まり、背後から舌打ちが聞こえた。
「あ、ぁ……『黒』、やめて」
『うるさい! やめて欲しいなら早くしろ!』
十字に組まれた白い細腕、それの丁度真ん中を貫通して鋭い爪がちらりと見えた。骨を避けて筋をちぎり、肉が裂けて鮮血が僕に降り注ぐ。
「だめ、やめてよ……だめだって、『黒』、血がいっぱい出て……!」
嫌だって言ってるじゃないか、どうしてやめてくれないんだよ。やっぱり魔物使いの力なんてこの鬼には通じないんだ、こんなに願っているのに。それ以上『黒』を傷つけないで、そうずっと願っているのに。
「やめろ! それだけは……やめて!」
茨木の手が『黒』の腕の骨を掴んでいる、次の瞬間に起こる惨劇を察して茨木の足にすがる。茨木は僕を見た、嘲るような憐れむような、楽しげな目だった。
骨が折れた、いや引きちぎられた。『黒』の両腕は肘の下から無くなっている。
『片っぽだけやったらうちとおそろいやったねぇ……頼りにならん弟さん持つと大変や』
『腕の二本や三本くれてやるよ、それ以上のモノは君には手に入れられないだろうし。憐れんで恵んであげたんだよ、感謝しなよね』
『……口の減らんお嬢さんや』
痛みも出血も気にとめず、『黒』は茨木を挑発し続ける。他者からの干渉を受けないはずの『黒』が今怪我をしているのは、僕のせいだ。僕を守ろうとしているから受けざるを得なかったんだ。
『黒』は僕にここまでしてくれているのに、僕は何をしているのだろうか。ぼうっと何もせずに眺めて、何もされていないのに腰を抜かして。
これではダメだと自分を奮い立たせる。豪奢な着物を引っ張り、何とか片手だけは茨木の頭に触れることが出来た。気分良く『黒』をいたぶっていたはずの茨木は途端に苛立ち僕を振りほどこうとする。
「僕に……従え! 服従しろ、 跪 け !」
自分の指の間から覗く赤い瞳を睨みつけた。
死んでも何とも思わない、とは流石に言い過ぎた気がする。だが彼の記憶が呼び覚まされるまでは僕が彼に干渉しすぎる訳にはいかない、それは契約違反だ。
誰との? 誰……誰、だったかな。よく覚えてないや。
そう考えていながらもあの少年の機嫌を直す手土産を探している。僕もそろそろダメだな、そう思っていた頃だ。
目の前に見覚えのある鬼が現れたのは。
『……やぁ、元気そうだね』
『そう見えるか。お陰様で妖気封印されてもうてなぁ、えっらい不便しとるわ』
突然現れた角の生えた男に民衆は逃げ惑う。立ち向かうような勇気のある人間はいない、それでいい。
僕が逃げるのにも戦うのにも、民は邪魔だ。
『お前の弟んとこには茨木が行っとる、すぐに地獄で再会させたるさかい、心配しなや』
腰に下げていた瓢箪を飲み干し、地面に叩きつけるように落とした。地に着くが早いか、鬼が腕を振るう。
だがその腕は僕を捉えられない、空気よりも抵抗なくすり抜ける。僕がそれを望んでいるから。
『避けた……いや、ちゃうな。自分何したんや』
『さぁね、僕には僕が望まない限り触れられないってのは分かってるけど、どうして僕がそうなのかは知らない』
弟と言っているのはあの少年のことだろう、僕達は髪と目がよく似ている、姉弟に見えなくもない。
早く行かなければ。こんな奴を相手にしている訳にはいかない。
姿を消すと同時に翼を広げる、鬼は突然消えた僕を探し回り間抜けな顔をしている。何も本当に透明になってはいる訳ではない、僕があの鬼に認識されないようにと望んだだけだ。
僕が望めば全て叶う、僕だけで完結するものならば。
鬼が妙な直感で少年を見つけないように願いながら、見当違いの方向に腕を伸ばす鬼を嘲笑いながら、空を駆けて宿へ向かう。
刀は思っていたよりも重い、これを自由自在に振るうなど不可能だ。
茨木はきっとひ弱な僕を馬鹿にしている、そして肉付きが悪いなどと文句を言いながら僕を食べるのだ。
どこから喰われるのだろうか、どうせならば一思いにやって欲しい。生を諦め目を閉じる、だが一向に痛みはやってこない。
爪も牙も降ってこない。
『……鬼切!? 何故こんなガキが……っ!』
怯えたような、悔しそうな声に顔を上げる。茨木は顔面蒼白、後ずさりして窓枠に足をかけた。
このまま逃げようと言うのだろう。
『覚えとき! 今度会ったら八つ裂きや!』
質の悪い捨て台詞を吐き、茨木は窓から飛び降りた。すぐに窓から顔を出したが、その姿は見えない。
安堵のため息を吐いて部屋の真ん中に寝転がる。そういえば『黒』は無事だろうか、怪我を負うことなどありえないが、やはり心配だ。
『ヘル! 無事!?』
壁をすり抜けて『黒』が現れた。その体には傷一つない、やはり心配など無用だった。
だが『黒』はまだ安心していない、寝転がったままの僕にどこか怪我があるのではないかと探り始めた。
『僕の声聞こえてる? 僕が誰か分かる? 自分は誰か分かる? 怪我は……ないね?』
「えっと、『黒』? 僕は平気だけど」
僕が気を失っているとでも思っていたのだろう、僕が口をきいたことに驚いた。
『あぁ……良かった、無事なんだね』
『黒』は覆いかぶさるような体勢で僕の頭の後ろと背中に腕を差し込んだ。畳とは違う温かい感覚に安らいでいく。
『君に何かあったら…………あぁ、駄目だ。やっぱり、駄目だよ』
僕の胸に頭を押しつける。『黒』はたった今僕の名前を呼んでいた、絶対に呼ばないと言っていたのに。僕を見てすらいなかったのに。
「……泣いてるの?」
『こういう時は黙ってなよ』
「ありがとう、心配してくれて」
『本当に、君は……変わらないね。ずっとそうだ、そんなだから……』
『黒』はそれからしばらく黙っていたが、僕を抱き起こして何故無事だったのかを聞いた。僕は茨木との事を全て話した。こと細やかに、覚えている限りを全て。
『退魔の力でもあるのかな? この刀。そんな力があるようには見えないけど』
畳の上に抜き身のまま放り出された刀を拾う、『黒』にも振るうことは出来ないようだ。
『重っ、持ってきた意味なかったかな?』
「でもあの鬼はそれを恐がってたみたいだし」
『鬼切ねぇ……別名かな?』
『ちゃう、別モンや』
背後からの低い声に二人で振り向く、そこに立っていたのは赤髪の鬼だ。酒瓶を一気に飲み干して叩き割った、そしてそれを僕の目に向け、忌々しそうに睨んだ。
『茨木の腕切ったんが鬼切ゆう刀や、それはその写。なんで写と見間違えたんか知らんけどな』
呆れたように後に控えた茨木を睨む、睨まれた茨木は俯いて小さくなった。
『申し訳ありません……その、よう似てはって』
『まぁええわ、ちゃう分かったら怖ないやろ。早う捕まえ』
『ええ、お任せを』
長い黒髪を振り乱し、茨木が左腕を振り上げる。『黒』は咄嗟に刀を畳に突き立てて盾とした。真っ赤な爪と美しい鋼が擦れ、火花が散る。
先程までの美しさはどこへやら、茨木は牙をむきだして吼えた。
『さーて、じゃあ頼むよ?』
『黒』は鬼と睨み合ったまま、僕の肩を掴んだ。突き立てた刀を媒介にして張られた結界はまだ機能している、だが茨木の鋭い爪によってすぐに破られるだろう。そんな状況で『黒』は僕を前に立たせたのだ、結界にはもうヒビが入っている。
『ね、鬼ってさ、なんだと思う?』
小さな穴が空いた、赤い爪が差し込まれる。
『妖、鬼、それらは全て魔性のモノだ』
四本の爪が突き刺さり、結界が破られる。しっかりと立っていたはずの刀が音もなく倒れた。
『君は何だったかな?』
「………魔物使い」
『なら出来るよね?』
「で、でも! こんな……の……」
耳まで裂けたような口には鋭い牙が並んでいる、怒り狂った目のままに不気味な笑みを浮かべている。
こんなモノを僕なんかにどう出来るって言うんだ、魔物使いの力なんて通じないだろう。
何も言えないでただ振り下ろされる爪を見ていた、だがその爪は僕には当たらない。
目の前が赤く染まり、背後から舌打ちが聞こえた。
「あ、ぁ……『黒』、やめて」
『うるさい! やめて欲しいなら早くしろ!』
十字に組まれた白い細腕、それの丁度真ん中を貫通して鋭い爪がちらりと見えた。骨を避けて筋をちぎり、肉が裂けて鮮血が僕に降り注ぐ。
「だめ、やめてよ……だめだって、『黒』、血がいっぱい出て……!」
嫌だって言ってるじゃないか、どうしてやめてくれないんだよ。やっぱり魔物使いの力なんてこの鬼には通じないんだ、こんなに願っているのに。それ以上『黒』を傷つけないで、そうずっと願っているのに。
「やめろ! それだけは……やめて!」
茨木の手が『黒』の腕の骨を掴んでいる、次の瞬間に起こる惨劇を察して茨木の足にすがる。茨木は僕を見た、嘲るような憐れむような、楽しげな目だった。
骨が折れた、いや引きちぎられた。『黒』の両腕は肘の下から無くなっている。
『片っぽだけやったらうちとおそろいやったねぇ……頼りにならん弟さん持つと大変や』
『腕の二本や三本くれてやるよ、それ以上のモノは君には手に入れられないだろうし。憐れんで恵んであげたんだよ、感謝しなよね』
『……口の減らんお嬢さんや』
痛みも出血も気にとめず、『黒』は茨木を挑発し続ける。他者からの干渉を受けないはずの『黒』が今怪我をしているのは、僕のせいだ。僕を守ろうとしているから受けざるを得なかったんだ。
『黒』は僕にここまでしてくれているのに、僕は何をしているのだろうか。ぼうっと何もせずに眺めて、何もされていないのに腰を抜かして。
これではダメだと自分を奮い立たせる。豪奢な着物を引っ張り、何とか片手だけは茨木の頭に触れることが出来た。気分良く『黒』をいたぶっていたはずの茨木は途端に苛立ち僕を振りほどこうとする。
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