魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

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第二十二章 鬼の義肢と襲いくる災難

蝿の舞

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無数の槍が降り注ぐ。
誰の防御も間に合わない、ザフィの傘の下に飛び込む時間すらない。

『……ここまでか』

失望したようなサタンの声。喉元に落ちる槍。
槍は僕の喉に、腕に、胸に、当たってはぶにっと跳ねて床に転がる。グミのような感触だった。当たれば痛いけれど、怪我はしない。

『天使の群れに気付かぬとは、呆れたぞ魔物使い』

陶器製の天使達が地に降り立ち、隊列を組んでザフィかカマエルの指示を待つ。

『……カマエル!  とっとと起きろ!  この呪いは……っ!』

ザフィは再生途中のカマエルの腕を掴み上げ、傘を閉じて天窓に向かって投げる。丁度天窓を突き破って現れた獣のような蝿はそれを呑み込み、雄叫びを上げる。

『『暴食の呪』……ベルゼブブだ!』

ザフィは虚空から傘を現し、それを開き、また雨を降らした。叩きつけるような雨は先程よりも粒が大きく、不純物は混じっていないようだったが先程以上に身体を痛めつけた。
雨粒に翅を濡らされ、拳ほどの大きさの蝿達が力なく落ちてくる。
ザフィの傘を喰った巨大な蝿──ベルゼブブは陶器製の天使達を崩しながらその上に降り立つ。

「ベルゼブブ!  無事だった…………良かった」

『さて、どうするか。この雨はブブも余も相性が悪い。驟雨の天使さえ片付ければ切り抜けられるが……そう上手くもいくまい』

冷たい雨に急速に体温を奪われる。四肢の末端が震え始め、呼吸が不規則になる。アルに身を寄せてもそれは解決しない。ベルゼブブの力を十分に振るわせる為だけではなく、僕の生命維持の為にもこの雨は止めなければならない。

「…………酒呑、茨木。君達は雨平気なの?」

『清浄なもんやから平気ってほどでもあれへんけど、おかげさまで妖力無しでもある程度は闘える。どないして欲しいん?』

『妖力は流れ出てまうけど……水やから術との相性はええで』

「分かった、ありがとう。じゃあ……」

鬼達に作戦を伝え、水の壁の向こう側を睨む。
二人に合図を送り、僕は新しい力の使い方を試す。濡れそぼった前髪をかき上げ、右眼を晒す。

「この場全ての魔力を我が支配下に!」

右眼に激痛が走り、視界が歪む。

「魔物使い、ヘルシャフト・ルーラーの名を持って命じる。アルギュロスの魔力を酒呑童子に転送せよ!」

足の力が抜けて座り込む。アルに背を預け、成り行きを見守った。

『……っ、来た。はぁ……効く、ええ具合に酔い回ってきたわ』

驟雨によって工場内には足首が浸かるほどの水が溜まっていた。酒呑の足元からその水溜まりが黒く濁っていく。

『恨め、呪え、障れ、祟れ、我が怨敵の生命を断て……偉大なる水神よ』

濁った水に細長い影が現れる。その影は八つに分かれて浮き上がり、降ってきている雨も取り込んで蛇を形作った。蛇が作られることによって雨は遮られ、天使達の姿が露わになる。
ザフィは傘を盾のようにして再生途中のカマエルを庇い、防御の姿勢を取った。

『……我が同胞に幸いあれ』

茨木は義肢を刀に変形させ、傘を広げたザフィの元に飛び込む。傘は呆気なく破れ、刀はザフィに浅い傷を与えた。

『茨木、跳べ!』

茨木は酒呑の指示通り床を蹴り、その身体を宙に躍らせる。
身を庇う物を失くしたザフィを一つにまとまった水流が襲う。魔力を纏った水の柱はザフィの身体を貫き、そのまま天井の穴を通って天に登った。

『やった……か?  あー、疲れた』

工場内から水気は消え失せた。酒呑は乾いた床に座り込み、傍に戻った茨木の足にもたれかかる。

『あの術は確か……口寄せ、と言ったか?』

『あー?  ぁー、せやったかな。よぅ知らんわ』

サタンが興味深そうに尋ねているというのにそんな返答ができるのは無知が故だ。

「お疲れ様、酒呑。茨木も。ありがとうね」

『おー、おつかれさん』

『うち要らんかった気ぃするわぁ』

作戦は茨木がトドメを刺す想定だった。
アルの無尽蔵の魔力を酒呑に流し、酒呑はその魔力で水を操り茨木の補助をする、というものだったのだ。
僕の想定外は術の威力、それにザフィの傘の耐久性、と言ったところだろう。やはり僕に必要なのは味方の知識と敵の力量を察する勘だ。

『油断するなよ、天使は不死身だ』

「分かってます。今のうちに逃げないと。ベルゼブブ、空間転移お願い出来る?」

巨大な蝿は少女の姿になり、僕の元へ。

『構いませんよ。全員ですか?』

「あー……えっと、リンさんどうします?」

「え?  俺?  んー……この国に留まってたら捕まりそうだし……天使様に嫌な顔の覚えられ方したみたいだし、どこか普通に暮らせそうなとこに送ってくれない?」

「どこかは後で考えてもいいですか?  じゃあ、とりあえず……どこにしよう」

天使がすぐにはやって来ず、この人数でゆっくりと相談が出来る場所。神降の国か、酒食の国か、娯楽の国か。この三つは国連の管轄外ではあるが、後者二つには天使が常駐している。

『……ブブ、魔法の国だ。そこに飛べ』

「え……?  魔法の国?  なんで……」

『貴方の命令を聞くとでも?  却下です。さ、ヘルシャフト様、どこにします?』

サタンが魔法の国を示した理由は分からないが、彼の提案には乗った方がいいだろう。

「魔法の国でお願い」

『…………了解でーす』

ベルゼブブは明らかに機嫌を悪くし、拳ほどの大きさの蝿を呼び出した。羽音に聴覚が支配され、周囲を飛び回る蝿に視界が閉ざされる。一瞬の浮遊感が終わると、僕達は草原の真ん中に立っていた。

「ここが魔法の国?」

蝿に怯えて僕の肩を掴んだままのリンが呟く。

『いえ、少し離れています。私が過去に魔法の国を訪れた時は結界が張ってあって、この辺りまでしか来れなかったんですよ』

ベルゼブブの空間転移は一度来たことのある場所しか飛べない、という制限がある。魔術の類に詳しくない僕には理屈は分からないけれど。

『……仕方ないな。少し歩くか。ブブの非力さを恨むとしよう』

『死ね嫁ボケ』

『……五月蝿いぞ羽虫』

『は?  なんですって引きこもりトカゲが』

『…………食あたりで引きこもったのは何処の誰だったか』

『浮気性の中古品に惚れ込んでいる間に魔界に結界張られたのは何処の誰でしたっけ?』

サタンの先導に従いつつ、悪魔の頂点の口喧嘩を眺める。止められないのだから観察するしかない。

『……のぉ頭領、このちっこい子とんでもない気配すんねんけど』

「あぁ……ベルゼブブは悪魔の王様だから……」

『悪魔の王は余だ』

『私は司令官ですよ。このクソトカゲは偉そうなだけで脳みそすっからかんなので、指示役は私なんです』

『ブブは王の器ではないからな。せめて花を持たせてやろうと司令の座を与えた』

『はぁ?  私だって地獄ではちゃーんと帝王やってますよ、貴方が魔界欲しい魔界欲しいって喚いたから譲って差し上げたんでしょ?』

些細な齟齬を火種に口喧嘩は加速する。僕は流れ弾がこちらに来ないように彼らから距離を取り、話題を変えるよう酒呑に目配せした。

『魔法の国って聞いたことはあんねんけどよう知らんねんな、どんなとこなん?』

「……僕の故郷だけど、僕は引きこもってたからよく分かんない。もう滅びちゃったし」

『…………さよか』

『ヘル、乗るか?』

「うぅん、大丈夫。ありがとう」

僕を気遣ってか、先頭の二人以外は黙り込む。子供っぽさの滲む罵倒文句以外は何も聞こえてこない。

『で?  なんでまた魔法の国なんです?  滅びたことを知らない訳じゃないでしょうね。悪魔の王ともあろうお方がそーんな情報弱者な訳ありませんよねぇ?』

『ほう、この地に漂う豊潤な魔力も分からんのか?  悪魔の最高指揮官も耄碌したようだな』

『……魔力がいくらあったって天使は来ますよ?』

『もはや地上に天使から逃れる場所はない。それなら障害物がなく魔力豊かな地で迎え撃とうではないか』

罵り合いが落ち着くと煽り文句の交じる会話になる。
僕はその会話の聞き逃せない言葉を追求する為、小走りで二人に追いつきサタンの腕を引いた。

「待ってよ、迎え撃つって何?  逃げるんじゃないの?」

『逃れる場所はない、と言ったろう?』

「で、でも……ここで、迎え撃つなんて……」

無関係な者が多過ぎる。
リンは当然無関係だ、今は避難の為に行動を共にしているだけだ。鬼達だって義肢を作ったらもう僕とは無関係だ、天使に目を付けられた理由は彼らだが、天使に執着されているのは僕だ。僕や悪魔達の為に彼らを戦わせる訳にはいかない。
僕は「アルに無茶をさせたくない」という個人的な理由も添えて、戦いに反対だとサタンに伝えた。
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