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第十七章 滅びた国の地下に鎮座する魔王
奈落の底
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竜の雄叫びが大気を震わす。天使は竜に向き直った。先に竜を倒そうというのだろうか? だが僕にはそれは無駄に思えた。
きっとあの竜は誰にも殺せない。だってあの竜はもう──死んでいる。
『ヘル……? ヘル、起きてくれ』
後頭部をつつくのはアルだ。震える声に頭を上げると、アルは心底嬉しそうに僕の顔を舐めた。
『良かった、傷は? 傷を見せてくれ』
上体を起こし、言われるままに服を捲り上げる。僕の腹に頭を擦り付けるアルの体は黒く濡れていた。
『……傷がない』
「治ったんだよ、多分」
『治癒魔法か? そうか……良かった。本当に…………良かった』
アルの身体から力が抜ける。僕はアルの身体を支えながら、こんなにも心配してくれていたのかと歓喜に身を震わせた。
「痛くもなかったし、痛覚も消してくれてたのかも」
暑さを感じなかったのも同じ魔法かもしれないな、なんて考えた。
「アルも無事だったんだ」
『ああ、あの竜に黒い水の中に落とされてな。不快ではあったが助かった』
「そっか……もう、やめてよ、僕ばっかり助けようとするの。自分のことも考えてよ」
『善処しよう』
言っても無駄、か。
『……ふざけるな』
あの天使の声が聞こえて、僕は反射的にアルの後ろに隠れた。アルは唸り声を上げながら濡れて重たくなった翼を広げ威嚇する。
『さっき、たしかにころしたのに……ほんっとうにしぶといなぁ!』
苛立つ天使の背後でまた竜が起き上がる。天使はそれを見てさらに機嫌を悪くした。何度倒そうと起き上がる敵、というのは鬱陶しいものだろう。
一撃で倒せるはずの弱い敵ならその苛立ちはなおさらだ。
『やっぱり、ここじゃだめなのかも……』
僕に関しては土地は関係ない。天使が手を出しづらい国とは聞いたが、何度も起き上がるなんて理由ではないだろうに。天使の言葉はまるで全てこの国のせいだと言っているように聞こえた。
天使は竜に向かって火球を飛ばす、竜は炎に包まれたが、倒れはしない。白い炎の中の黒い大きな影から、耳を劈く雄叫びが上がる。
その瞬間、影が崩れ炎の中から真っ黒い水が押し寄せる。光を反射することを忘れたその水は僕達を飲み込んで押し流していく。天使も巻き込まれているようで、幼い怒号が水中に響いた。
穴などなかったはずなのに、僕達はどこかへ落ちていく。瓦礫の感覚もなく、水に肺を侵されることもない。
遠く遠く、奈落の底へと落ちていった。
粘着質な黒い水の中に寝転がって、暗闇に目が慣れるのを待つ。
手を這わせても刺々しい岩がそこら中に転がっているだけで、瓦礫も何もない。明らかに兵器の国ではなかった。
「アル、アル起きて、ここどこ」
竜が出した黒い水の中からアルを引き上げ、揺り起こす。寝言らしい意味のない言葉を二、三言うと静かな寝息を立て始めた。
アルの無事に安堵し、次に頼りにならないアルにため息をついた。頼りたくはないが、隣に座り込んでいた天使に同じことを聞いてみた。
「ねぇ、ここどこ?」
『……そこだよ』
天使は僕を見て眉を顰める。
「そこ? どこ?」
『このよのそこ、まかい』
「魔界? ここが?」
天使は落ち着きなく辺りを見回し、剣を拾おうと手を伸ばす。だが、地上とは違って持ち上げることもできないようで、大剣はそのまま水中に沈んでいく。
『やっぱり、だめ。どうしよう……まかいじゃ、てんかいからのきょうきゅうが……どうしよう』
母親とはぐれた子供のように不安げな天使。アルを起こすために揺らしながら話を続ける。
「どうかしたの?」
『だからまかいじゃきょうきゅうがたたれる……って、なんできみにこんなことおしえなきゃならないの!』
「教えろなんて言ってないよ、聞いただけで」
そう考えていながらも返事をしてくれるのは、天使らしい善良さと言えるだろう。
『どうしよう、どうしよう、どうしよう……』
涙をポロポロと零しながら、天使は黒く濡れた翼を揺らす。飛ぼうとしているらしいが、濡れているためか魔界という環境のためか、その体は全く浮かばない。
それどころか翼の重みで水の中に倒れてしまった。
「……大丈夫?」
『うるさい! こっちくるなぁ!』
見た目にほだされて心配の声をかける。泣いている子供を放置できるほど僕は冷たくなれない。
「そんなに擦ったら目、腫れちゃうよ」
足を引っ張って、水の中から引き上げる。
服も髪も翼も真っ黒に染まった天使はもはや天使とは呼べない。アルを揺さぶりながら天使に質問を投げかける。
「ねぇ、なんで僕を狙うの? 僕なにかした?」
『……魔物使いだから』
ただ一つ、いや二つ、黒い水に穢されていない赤い瞳。その美しい瞳で僕を睨む。
「だから、って言われても。別に魔物に人を襲わせたりしてないよ」
『魔物使いはひだねになる。悪魔にけっそくりょくなんてないのに、魔物使いがいるととうそつされちゃうから、せんそうがおこるとやっかいなんだよ』
「僕、戦争なんて起こす気ないよ」
『きみになくても、悪魔にはあるかもしれない。かんじょうやじんかくをけすのなんて悪魔にはあさめしまえだよ』
「……聞いたことある気がするなぁ、それ」
アルに出会ったばかりの頃、上級悪魔に近づくなと言われた時のことを思い出した。上級悪魔といえば……アシュメダイは僕をどうこうしようとはしていなかったな、興味がない訳ではなさそうだったが、なぜ何もしてこなかったのだろうか。少し、気になるな。
『……魔物使いはこのよにたったひとりだけ、ひとつだけのたましいがなんどもうまれかわってる』
「えっと、生まれ変わりとかよく知らないんだけど」
『ふつう、人間のたましいはすうひゃくねんごとにうまれかわるんだよ』
「そうなの? でも、前に魔物使いが現れたのは一万年以上前だってアルが言ってたよ」
『いちまんねんまえにつかまえた、なんぜんねんかは天界にたましいをほかんしていたけれど、にがしてしまった』
「……それが、僕?」
『そう、いちまんねんまえのせんそうまでは、魔物使いはそうきけんなものでもなかった。やっかいではあったけど、たいおうはできたから』
「じゃあ、一万年前だけが特別だったってだけで、僕が危ないとは言い切れないよね?」
『……そとのかみがかかわってきてる、魔物使いがだれかとなんどもかわしたやくそくに、そとのかみがわりこんで、ひっかきまわしてる』
翼を絞って水を切り、天使の翼から少しずつ黒が抜けていく。
「約束?」
『たましいのやくそく、うまれわかってもずっと、ずっとおわらないやくそく』
「そんなの……してるの? 僕、今も?」
『ぼくとやくそくしてるわけじゃないから、くわしくはわからないけど』
約束……誰と? 何を?
相手も内容も思い出せない、いや、知らないと言った方が正しい。生まれ変わる前なんて、本当にあったのかすら僕には分からないのだから。
きっとあの竜は誰にも殺せない。だってあの竜はもう──死んでいる。
『ヘル……? ヘル、起きてくれ』
後頭部をつつくのはアルだ。震える声に頭を上げると、アルは心底嬉しそうに僕の顔を舐めた。
『良かった、傷は? 傷を見せてくれ』
上体を起こし、言われるままに服を捲り上げる。僕の腹に頭を擦り付けるアルの体は黒く濡れていた。
『……傷がない』
「治ったんだよ、多分」
『治癒魔法か? そうか……良かった。本当に…………良かった』
アルの身体から力が抜ける。僕はアルの身体を支えながら、こんなにも心配してくれていたのかと歓喜に身を震わせた。
「痛くもなかったし、痛覚も消してくれてたのかも」
暑さを感じなかったのも同じ魔法かもしれないな、なんて考えた。
「アルも無事だったんだ」
『ああ、あの竜に黒い水の中に落とされてな。不快ではあったが助かった』
「そっか……もう、やめてよ、僕ばっかり助けようとするの。自分のことも考えてよ」
『善処しよう』
言っても無駄、か。
『……ふざけるな』
あの天使の声が聞こえて、僕は反射的にアルの後ろに隠れた。アルは唸り声を上げながら濡れて重たくなった翼を広げ威嚇する。
『さっき、たしかにころしたのに……ほんっとうにしぶといなぁ!』
苛立つ天使の背後でまた竜が起き上がる。天使はそれを見てさらに機嫌を悪くした。何度倒そうと起き上がる敵、というのは鬱陶しいものだろう。
一撃で倒せるはずの弱い敵ならその苛立ちはなおさらだ。
『やっぱり、ここじゃだめなのかも……』
僕に関しては土地は関係ない。天使が手を出しづらい国とは聞いたが、何度も起き上がるなんて理由ではないだろうに。天使の言葉はまるで全てこの国のせいだと言っているように聞こえた。
天使は竜に向かって火球を飛ばす、竜は炎に包まれたが、倒れはしない。白い炎の中の黒い大きな影から、耳を劈く雄叫びが上がる。
その瞬間、影が崩れ炎の中から真っ黒い水が押し寄せる。光を反射することを忘れたその水は僕達を飲み込んで押し流していく。天使も巻き込まれているようで、幼い怒号が水中に響いた。
穴などなかったはずなのに、僕達はどこかへ落ちていく。瓦礫の感覚もなく、水に肺を侵されることもない。
遠く遠く、奈落の底へと落ちていった。
粘着質な黒い水の中に寝転がって、暗闇に目が慣れるのを待つ。
手を這わせても刺々しい岩がそこら中に転がっているだけで、瓦礫も何もない。明らかに兵器の国ではなかった。
「アル、アル起きて、ここどこ」
竜が出した黒い水の中からアルを引き上げ、揺り起こす。寝言らしい意味のない言葉を二、三言うと静かな寝息を立て始めた。
アルの無事に安堵し、次に頼りにならないアルにため息をついた。頼りたくはないが、隣に座り込んでいた天使に同じことを聞いてみた。
「ねぇ、ここどこ?」
『……そこだよ』
天使は僕を見て眉を顰める。
「そこ? どこ?」
『このよのそこ、まかい』
「魔界? ここが?」
天使は落ち着きなく辺りを見回し、剣を拾おうと手を伸ばす。だが、地上とは違って持ち上げることもできないようで、大剣はそのまま水中に沈んでいく。
『やっぱり、だめ。どうしよう……まかいじゃ、てんかいからのきょうきゅうが……どうしよう』
母親とはぐれた子供のように不安げな天使。アルを起こすために揺らしながら話を続ける。
「どうかしたの?」
『だからまかいじゃきょうきゅうがたたれる……って、なんできみにこんなことおしえなきゃならないの!』
「教えろなんて言ってないよ、聞いただけで」
そう考えていながらも返事をしてくれるのは、天使らしい善良さと言えるだろう。
『どうしよう、どうしよう、どうしよう……』
涙をポロポロと零しながら、天使は黒く濡れた翼を揺らす。飛ぼうとしているらしいが、濡れているためか魔界という環境のためか、その体は全く浮かばない。
それどころか翼の重みで水の中に倒れてしまった。
「……大丈夫?」
『うるさい! こっちくるなぁ!』
見た目にほだされて心配の声をかける。泣いている子供を放置できるほど僕は冷たくなれない。
「そんなに擦ったら目、腫れちゃうよ」
足を引っ張って、水の中から引き上げる。
服も髪も翼も真っ黒に染まった天使はもはや天使とは呼べない。アルを揺さぶりながら天使に質問を投げかける。
「ねぇ、なんで僕を狙うの? 僕なにかした?」
『……魔物使いだから』
ただ一つ、いや二つ、黒い水に穢されていない赤い瞳。その美しい瞳で僕を睨む。
「だから、って言われても。別に魔物に人を襲わせたりしてないよ」
『魔物使いはひだねになる。悪魔にけっそくりょくなんてないのに、魔物使いがいるととうそつされちゃうから、せんそうがおこるとやっかいなんだよ』
「僕、戦争なんて起こす気ないよ」
『きみになくても、悪魔にはあるかもしれない。かんじょうやじんかくをけすのなんて悪魔にはあさめしまえだよ』
「……聞いたことある気がするなぁ、それ」
アルに出会ったばかりの頃、上級悪魔に近づくなと言われた時のことを思い出した。上級悪魔といえば……アシュメダイは僕をどうこうしようとはしていなかったな、興味がない訳ではなさそうだったが、なぜ何もしてこなかったのだろうか。少し、気になるな。
『……魔物使いはこのよにたったひとりだけ、ひとつだけのたましいがなんどもうまれかわってる』
「えっと、生まれ変わりとかよく知らないんだけど」
『ふつう、人間のたましいはすうひゃくねんごとにうまれかわるんだよ』
「そうなの? でも、前に魔物使いが現れたのは一万年以上前だってアルが言ってたよ」
『いちまんねんまえにつかまえた、なんぜんねんかは天界にたましいをほかんしていたけれど、にがしてしまった』
「……それが、僕?」
『そう、いちまんねんまえのせんそうまでは、魔物使いはそうきけんなものでもなかった。やっかいではあったけど、たいおうはできたから』
「じゃあ、一万年前だけが特別だったってだけで、僕が危ないとは言い切れないよね?」
『……そとのかみがかかわってきてる、魔物使いがだれかとなんどもかわしたやくそくに、そとのかみがわりこんで、ひっかきまわしてる』
翼を絞って水を切り、天使の翼から少しずつ黒が抜けていく。
「約束?」
『たましいのやくそく、うまれわかってもずっと、ずっとおわらないやくそく』
「そんなの……してるの? 僕、今も?」
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