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第十七章 滅びた国の地下に鎮座する魔王
皇后
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女から逃げてしばらく、また地響きが起こった。
先程とは違う、大蛇の雄叫びではない。地が胎動し、岩肌が波打ち剥がれ、鱗が露出した。地面が持ち上がる、アルは足を止めて体勢の維持に努めた。
「……なに、これ、どういうこと」
『走っていた地面そのものが蛇、か。やってくれるな』
「なんだよそれ! そんな……こんな大きな蛇! どうしろって言うんだよ!」
アルの牙も爪も届かない。僕の力が通用するとは思えない。
『落ち着いてくれ、ヘル。最下層の地面が全て蛇など有り得ん、土もある筈だ』
「どこにあるんだよ……そんなの」
『階段も恐らくこの蛇に隠されていたのだろう、今なら見つかるかもしれない』
見渡す限りに蠢く鱗、波打つそれは人間の生理的嫌悪を最大限に引き出す。視界は酷く狭いが、それでもこの蛇の巨大さと逃げることの難しさはよく分かった。
僕はいつの間にかアルの首に回した腕を外し、体を起こして蛇を真っ直ぐに見つめていた。
「はぁ……いや、大丈夫。落ち着く、落ち着くよ、僕は落ち着いてる、大丈夫」
僕の力が通用するとは思えない? 何を考えていたのやら。僕は魔物使いだ、この蛇は魔物だ。
『……ヘル?』
「出来る、出来る、大丈夫」
逃げられないなら逃げなければいい。
追いかけられなければ逃げる必要はない。
追いかける者がいなければ追いかけられる心配はない。
至極当然のこと。
『ヘル! 待て、止めろ。貴方はまだ成長途中だ、この蛇の大きさでは魔力が足りん!』
「……集中、溜めて……大丈夫、大丈夫」
『聞いているのかヘル! 止めろと言っているんだ! いくら人間が魔力を生命の源としていないと言っても、魔力を全て放出すれば血が循環不全を起こして死んでしまう!』
アルが僕の狙いを察して止めようとしている。僕は聞こえない振りをして巨大な蛇を睨んだ。
丁度良くこちらを向いた蛇と真っ直ぐに目が合う。眼球だけで僕の体の何倍もある。また、繋がる感覚。弛んだ糸が張り詰めるような、心地良い感覚だった。
「 僕 に 降 れ 」
そう言葉を発した瞬間、右眼に激痛が走る。反射的に閉じてしまった目をすぐに開き、また蛇を睨む。
無数の針を刺されているような激痛、それは次第に瞳から頭へと広がった。頭蓋骨の裏を多脚の虫に走り回られるような不快感と痛み。
ローブに描かれた魔法陣の痛覚消しは発動してないのか? 方向違いの恨みを兄に向けた。
力を使うなと叫び続けるアルを無視して、眼前の蛇に魔力を流し込んだ。手足の感覚が薄くなっていく、視界が明滅しながら薄れていく。
舌をチロチロと動かしながら、鈍重な動きで頭をもたげ牙を近づける蛇は、まだ止まらない。
「……僕の、言うこと聞けよっ! 僕に従え、僕に服従しろ!」
理性では抑えられない本能的な苛立ち。
僕に従わないモノが、僕の元に降らないモノが、気に入らない。いや、許せない。許してはいけない。
意識が飛ぶような眼と頭への痛みと共に、その苛立ちが僕を支配した。
『ヘル、分かっただろう? 無理だ、貴方はまだ完全な魔物使いでは無い。分かったら私にしっかりと掴まれ、魔力を垂れ流すのを止めろ。これ以上は本当に死んでしまう……だから、ヘル……』
「アル……君さ、誰に口きいてんの?」
『……ヘル?』
「様を付け…………あぁ、いや、いいんだ。アルはいいんだよ。アルだけは僕の下僕じゃないから」
アルの頭を撫でるが、指先の感覚は薄く柔らかい毛の感触はない。
「僕に従わないヤツなんているわけないだろ。見てなよ、この蛇も今すぐ跪かせてやるからさ」
『ヘル、待て! 貴方は今……』
アルの言葉を遮ったのは蛇の咆哮だった。吼えたのは僕達を喰らおうという意思表示ではない。
これまでの主人を裏切ることへの謝罪と、これからの主人への畏怖と、それを強制させられたことへの憤りの意味だった。
『……従えた、のか。素晴らしいが…………ヘル、貴方は……貴方は今、力に振り回されている。私が分かるか? ヘル。早くここを出ような、早く元の貴方に戻ってくれよ』
「やっ…た、やった、はは……出来た、出来たよアル、あはははっ……」
『そんな貴方は、見たくない。私が好きなのは……そんな貴方ではないんだ』
笑いが止まらない、可笑しくて仕方ない。僕はアルが辛そうに僕を見ているのにも気が付かず、ただ笑っていた。
力を振るって乱れた呼吸をさらに乱すその笑いは傍から見れば気味の悪いものだっただろう。魔力と酸素を失って、僕はゆっくりと体を前に倒し、アルの首元に腕を垂らした。
「アル……見たぁ? 僕、やったよ? ね……ほめてよ、アル……アル? そこにいるよね、アル、返事、してよ……」
アルは何も言わずに、僕を乗せて蛇の背を歩いた。
僕は疲労と単調な揺れに眠気を誘われ、完全に意識を失うまでうわ言のようにアルの名前を繰り返し呼んだ。
地面と見まごうほど巨大な蛇はすっかり大人しくなっていた。
自らの背を走るアルを眺め、アルを上の階層へ進めようと体をよじった。そんな蛇の前に、かつての主人であった女が現れる。
『ねぇだーりん聞いてよー、ひどいのよ。ワタシが飼ってる一番大きな蛇いるでしょ? そうよ、だーりんがプレゼントしてくれた子よ。あの子ったらワタシのこと裏切ったのよ』
アルは女に気がつき、反対方向に走り出す。だが、道は無数の蛇に阻まれる。
これまでと違って大きくはない、むしろ細いと言える。戦って勝てない相手ではない。問題は量、そして背に乗せたヘルだ。落とさないよう傷つけさせないように戦うのは至難の業だ。
『ねぇだーりん、私、もうこの子いらないわ』
女がそう言った直後、蛇の体が真っ二つに裂けた。
少しの時間差もなく、仕掛けもなしに巨大な蛇を頭の天辺から尾の先まで綺麗に二等分。そんな芸当、並の悪魔に出来るものではない。
『ありがと、だーりん。今度はもっとイイコ頂戴ね。さて……ねぇ、オオカミさん? 少し取引しない?』
女は指を鳴らし、周囲の細蛇達に威嚇行動を取らせた。綺麗に整列した細蛇達は皆同時に鎌首をもたげ、牙を見せつける。
『もうあなたも着いてきていいから、その子ちょうだい。断ったらこの子みたいに割ってもらうわ。二つになりたくはないでしょう?』
『取引と言うにはこちらに得が見られないようですが……』
『得ならあるわよ? 寿命が伸びるわ』
『……それはそれは、素晴らしい。断る理由など微塵もありませんね』
アルはわざとらしく喜んでみせる。女はアルの本心を分かっていながら、いや、分かっているからこそ微笑んだ。
『賢いオオカミさん、どうすればいいか分かるわね?』
『えぇ……不服ながら』
『うふふ、最初はその子だけのつもりだったけど、なんだかあなたも欲しくなっちゃった』
『……光栄です』
アルは翼を這う女の手を穢らわしく思いながらも笑みを作る。
『ふふ、可愛い』
『…………身に余る御言葉』
『イイわね。イイわ。あなたが男の人だったら寝てあげてもいいくらいよ?』
本音と建前を使い分けつつも、その本音は態度に出ている。言葉は繕うが本心を隠さない捻くれた素直さを女は気に入っていた。
『こっちよ、おいで』
裂けた蛇の体の上を渡り、本当の最奥へと歩んでいく。蛇の体と土の隙間は血で埋まり、赤く毒々しい川となっていた。
人間ならば吐き気を催す景色にアルは食欲をそそられる。
『ここは……!』
蛇の断面ばかりに向いていた目は女が指差した建造物に釘付けになる。
『だぁーりん、開ーけーてー!』
ひとりでに開いていく城門。姿を現した豪奢な城。
アルの身長と城との距離ではその全てを目に収めるには至らない。
アルはこの城の主を察した。
『まさか、まさか、貴様は……いや、貴女様は』
アルの驚愕や畏怖の感情なんて露知らず、女はドレスを楽しげに踊らせて城の中へ消えていった。
先程とは違う、大蛇の雄叫びではない。地が胎動し、岩肌が波打ち剥がれ、鱗が露出した。地面が持ち上がる、アルは足を止めて体勢の維持に努めた。
「……なに、これ、どういうこと」
『走っていた地面そのものが蛇、か。やってくれるな』
「なんだよそれ! そんな……こんな大きな蛇! どうしろって言うんだよ!」
アルの牙も爪も届かない。僕の力が通用するとは思えない。
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「はぁ……いや、大丈夫。落ち着く、落ち着くよ、僕は落ち着いてる、大丈夫」
僕の力が通用するとは思えない? 何を考えていたのやら。僕は魔物使いだ、この蛇は魔物だ。
『……ヘル?』
「出来る、出来る、大丈夫」
逃げられないなら逃げなければいい。
追いかけられなければ逃げる必要はない。
追いかける者がいなければ追いかけられる心配はない。
至極当然のこと。
『ヘル! 待て、止めろ。貴方はまだ成長途中だ、この蛇の大きさでは魔力が足りん!』
「……集中、溜めて……大丈夫、大丈夫」
『聞いているのかヘル! 止めろと言っているんだ! いくら人間が魔力を生命の源としていないと言っても、魔力を全て放出すれば血が循環不全を起こして死んでしまう!』
アルが僕の狙いを察して止めようとしている。僕は聞こえない振りをして巨大な蛇を睨んだ。
丁度良くこちらを向いた蛇と真っ直ぐに目が合う。眼球だけで僕の体の何倍もある。また、繋がる感覚。弛んだ糸が張り詰めるような、心地良い感覚だった。
「 僕 に 降 れ 」
そう言葉を発した瞬間、右眼に激痛が走る。反射的に閉じてしまった目をすぐに開き、また蛇を睨む。
無数の針を刺されているような激痛、それは次第に瞳から頭へと広がった。頭蓋骨の裏を多脚の虫に走り回られるような不快感と痛み。
ローブに描かれた魔法陣の痛覚消しは発動してないのか? 方向違いの恨みを兄に向けた。
力を使うなと叫び続けるアルを無視して、眼前の蛇に魔力を流し込んだ。手足の感覚が薄くなっていく、視界が明滅しながら薄れていく。
舌をチロチロと動かしながら、鈍重な動きで頭をもたげ牙を近づける蛇は、まだ止まらない。
「……僕の、言うこと聞けよっ! 僕に従え、僕に服従しろ!」
理性では抑えられない本能的な苛立ち。
僕に従わないモノが、僕の元に降らないモノが、気に入らない。いや、許せない。許してはいけない。
意識が飛ぶような眼と頭への痛みと共に、その苛立ちが僕を支配した。
『ヘル、分かっただろう? 無理だ、貴方はまだ完全な魔物使いでは無い。分かったら私にしっかりと掴まれ、魔力を垂れ流すのを止めろ。これ以上は本当に死んでしまう……だから、ヘル……』
「アル……君さ、誰に口きいてんの?」
『……ヘル?』
「様を付け…………あぁ、いや、いいんだ。アルはいいんだよ。アルだけは僕の下僕じゃないから」
アルの頭を撫でるが、指先の感覚は薄く柔らかい毛の感触はない。
「僕に従わないヤツなんているわけないだろ。見てなよ、この蛇も今すぐ跪かせてやるからさ」
『ヘル、待て! 貴方は今……』
アルの言葉を遮ったのは蛇の咆哮だった。吼えたのは僕達を喰らおうという意思表示ではない。
これまでの主人を裏切ることへの謝罪と、これからの主人への畏怖と、それを強制させられたことへの憤りの意味だった。
『……従えた、のか。素晴らしいが…………ヘル、貴方は……貴方は今、力に振り回されている。私が分かるか? ヘル。早くここを出ような、早く元の貴方に戻ってくれよ』
「やっ…た、やった、はは……出来た、出来たよアル、あはははっ……」
『そんな貴方は、見たくない。私が好きなのは……そんな貴方ではないんだ』
笑いが止まらない、可笑しくて仕方ない。僕はアルが辛そうに僕を見ているのにも気が付かず、ただ笑っていた。
力を振るって乱れた呼吸をさらに乱すその笑いは傍から見れば気味の悪いものだっただろう。魔力と酸素を失って、僕はゆっくりと体を前に倒し、アルの首元に腕を垂らした。
「アル……見たぁ? 僕、やったよ? ね……ほめてよ、アル……アル? そこにいるよね、アル、返事、してよ……」
アルは何も言わずに、僕を乗せて蛇の背を歩いた。
僕は疲労と単調な揺れに眠気を誘われ、完全に意識を失うまでうわ言のようにアルの名前を繰り返し呼んだ。
地面と見まごうほど巨大な蛇はすっかり大人しくなっていた。
自らの背を走るアルを眺め、アルを上の階層へ進めようと体をよじった。そんな蛇の前に、かつての主人であった女が現れる。
『ねぇだーりん聞いてよー、ひどいのよ。ワタシが飼ってる一番大きな蛇いるでしょ? そうよ、だーりんがプレゼントしてくれた子よ。あの子ったらワタシのこと裏切ったのよ』
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これまでと違って大きくはない、むしろ細いと言える。戦って勝てない相手ではない。問題は量、そして背に乗せたヘルだ。落とさないよう傷つけさせないように戦うのは至難の業だ。
『ねぇだーりん、私、もうこの子いらないわ』
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『ありがと、だーりん。今度はもっとイイコ頂戴ね。さて……ねぇ、オオカミさん? 少し取引しない?』
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『取引と言うにはこちらに得が見られないようですが……』
『得ならあるわよ? 寿命が伸びるわ』
『……それはそれは、素晴らしい。断る理由など微塵もありませんね』
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『賢いオオカミさん、どうすればいいか分かるわね?』
『えぇ……不服ながら』
『うふふ、最初はその子だけのつもりだったけど、なんだかあなたも欲しくなっちゃった』
『……光栄です』
アルは翼を這う女の手を穢らわしく思いながらも笑みを作る。
『ふふ、可愛い』
『…………身に余る御言葉』
『イイわね。イイわ。あなたが男の人だったら寝てあげてもいいくらいよ?』
本音と建前を使い分けつつも、その本音は態度に出ている。言葉は繕うが本心を隠さない捻くれた素直さを女は気に入っていた。
『こっちよ、おいで』
裂けた蛇の体の上を渡り、本当の最奥へと歩んでいく。蛇の体と土の隙間は血で埋まり、赤く毒々しい川となっていた。
人間ならば吐き気を催す景色にアルは食欲をそそられる。
『ここは……!』
蛇の断面ばかりに向いていた目は女が指差した建造物に釘付けになる。
『だぁーりん、開ーけーてー!』
ひとりでに開いていく城門。姿を現した豪奢な城。
アルの身長と城との距離ではその全てを目に収めるには至らない。
アルはこの城の主を察した。
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