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第十八章 美食家な地獄の帝王
疑心を煽る為の部屋
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この部屋はお菓子で作られていなかった。おそらくは鉄……だろうか? 僕はそういったことにあまり詳しくない。
証明を反射する銀色に、等間隔に打たれたネジ、そして靴とぶつかるたびに響く金属音。それらは全てお菓子の国ではありえないものだ。
「……なんかやだな、この部屋。お菓子じゃないよね?」
『違うと思うよ』
「だよね、鉄なのかな……金属ってのは間違いないと思うんだけど」
正方形に思える床と壁、もちろん天井も。まさに金属の箱だ。部屋中に紫色の塗料で描かれた呪詛の模様に、部屋の中心の小さな机。全てが作為的だ。
「呪術…………難しいな、読めないや」
魔法と魔術と呪術、これらに使われる特殊文字はそれぞれ全く違う。式や陣、模様の描き方も違う。何の才能もない僕であろうとも教えられればある程度は読めるようになるが、今目の前にあるのはある程度から外れたものだ。
「メモ……それに、ナイフ?」
机の上に置かれていたのは二つ折りの羊皮紙。その横には儀礼用に思える短刀、両刃で反りもなく軽いものだ。
『なんて書いてるの?』
「待ってね、えーっと…………え?」
ナイはメモを覗こうとローブを掴んで飛び跳ねる。そんな可愛らしいナイのために読みあげようとした声が詰まった。
メモの内容はこうだ。
"お菓子の国の非常事態、犯人はだぁれ?
分からない鈍感なキミにヒントをあげよう
暴食の呪が術者の意志とは関係なく強化された! その秘密は、呪煽という呪術によるものだ! ちなみにこの呪術は術者が死ぬと解けるものさ!
キミは非常事態を解決するために、呪煽の術者を殺さなければならない! そのために武器を用意したよ! 聖なる短刀さ、活用しておくれよ!
さて、犯人が誰か分かったかな?
じゃあ答え合わせだ、犯人は……キミの隣の子供だよ
さぁ! 遠慮はいらない、犯人の心臓を貫くんだ!
そうすれば、全て解決ハッピーエンド!"
内容に反して可愛らしい文字とふざけた物言いに腹が立つ。いや、それ以前に内容だ。
犯人が……隣の子供だと? ナイ、だと?
こんなものを信じるわけにはいかない、ナイに見せるわけにも──
『ヘールー君! ボクにも見せてよ、なんて書いてあるの?』
「え、あ……読まない、方が」
『なんで?』
メモの内容を知らないナイは無邪気な笑顔のまま小首を傾げる。
「えっと……その、あ……嫌な、気分になると思う」
『大丈夫! 見せてよ、ボク平気だからさ』
平気だなどと言っていても、きっと怯えてしまうだろう。僕がメモの通りにするかもなんて疑心暗鬼になって、僕からも逃げてしまうかもしれない。
そうなったら最悪だ。メモを折りたたむ……と、裏側にも何か書かれていた。
小さな文字だ。
"その子供を殺せ、心の臓を抉り出せ"
思わずメモを握り潰した。もう見たくない、あんな言葉。ぐしゃぐしゃに丸めて机の上に投げた。
『あー、何するの。ボクも読みたかったのに』
不満そうに頬を膨らませるナイ。
こんなにも可愛らしいナイが、残酷な呪いなど使えるはずがない。人を狂わせ、共喰いさせるような呪いをナイが思いつくはずもない。
「ナイ君……」
『わ、なになに』
自然と足から力が抜け、硬い床に膝を打ち付けるようにへたり込む。そのままナイを抱き締め、深く息を吸い、長く吐く。
『どうかしたの?』
「うん……少し。でも大丈夫、大丈夫だから」
『大丈夫って言う時は、大丈夫じゃないんだよ?』
「……そう、かもね。でも、本当に大丈夫。もう少しこのままでいてくれたら、大丈夫になるから」
人を殺して、魔法陣の効果が消えて、こんなメモを見て、僕の精神は摩耗していた。アルが居れば毛並みと体温で癒してくれるのに、それも出来ない。だからナイを抱き締める。アルには劣るけれど、確かに癒されていく。
『そ? 仕方ないなー、ヘル君は。子供っぽいなー』
「うん……うん、甘やかして」
『えー、どうしようかなー。なんてね、嘘。いいよ、たくさん甘えて?』
「……うん、ありがと」
優しくしてくれる人が欲しかった。
甘やかしてくれる人が欲しかった。
愛してくれる人が……欲しかった。
「ナイ君……ねぇ、君は、僕を捨てたりしないでくれるよね?」
言葉は返ってこない。返ってきたのは頭と背への小さな感触。ぽんぽんと優しく慰められていた。こんな小さな子供に、なんて考える余裕は今の僕には無い。
「一緒にいて、ずっと、ずっと、一緒に。お願い」
僕はその時、加減を忘れていた。きっと苦しかっただろう、僕の力が弱いとはいえ、ナイはもっと弱く小さいのだから。
抱き潰してしまえたら、それを受け入れてくれたのなら、それはきっと幸福だろう。僕を最期まで拒まなかったと証明出来るのだから。
「……行こっか」
けれど、それを実行するのは許されない。
『もう平気?』
「うん、大丈夫」
『そっか、ボクは疲れたよ。ぎゅーって、ヘル君強いんだもん』
「ご、ごめんね? お願いだから嫌わないで……」
ナイに嫌われる可能性、それは今の僕には絶望と相違ない。
『んー……あ、そうだ! おんぶしてよ、そしたら許したげる』
「おんぶ? やったことないけど……えっと、背中に乗るんだよね?」
膝を曲げて屈み、後ろに手を回す。重みを感じて、首に腕が回されたら手をしっかり組んで立ち上がる。少し前に屈んでおけば落としてしまう心配は減る。
『じょーずー!』
「ほんと? よかった。って、これじゃドア開けられないよ」
『えー、ボクが手を伸ばしたら届くと思うけど』
「それ、僕かなり屈まないとだよね? 膝と腰がどうにかなっちゃうよ」
情けない話だが僕は力と体力に自信が無い。
『んー、じゃあ、ボクが頑張ってしがみつくから、少しくらいなら手を離してもいいよ?』
「いや、首締まるよね?」
『じゃあどうするのさ』
「僕が考えるの? えぇー……あ、抱っことかはダメなの? それならナイ君の手も届くし、僕だって手が前に回せるならドアくらいは開けられるよ」
『だっこ……うん、まぁいいよ』
不満そうな声に聞こえたが、僕の腕の中に収まったナイの表情は上機嫌そうに見える。小さな体をさらに小さく折りたたみ、僕の腕で作った輪にすっぽりとはまる。
庇護欲をここまで煽られることはない、可愛くて可愛くて仕方ない。小さな子供というのは見ているだけで楽しくなる。例えば爪を見ると、こんなに小さいのによく出来ている……なんて、当たり前のことが素晴らしく思えてくる。
『何? 顔ゆるゆるだよ? 大丈夫?』
「へっ!? だ、大丈夫だよ! 別に変なこと考えてないから! 僕は普通に、可愛いって思ってただけ!」
『……別にそんなこと言ってないけど』
「にいさまみたいに虐めたりしない!」
『言ってないってば』
「リンさんみたいな変態でもないから!」
『別に疑ってな……誰?』
言い訳がましく聞こえただろうか? だが、事実だ。信じてもらわなければ困る。
可愛いと、守りたいと、ただ純粋にそう思っている。泣き顔が見たいだとか、閉じ込めたいだとか、そんなことは考えていない。
僕は兄とは違うのだから。
僕にとってはナイこそが絶対的な存在なのだから。
証明を反射する銀色に、等間隔に打たれたネジ、そして靴とぶつかるたびに響く金属音。それらは全てお菓子の国ではありえないものだ。
「……なんかやだな、この部屋。お菓子じゃないよね?」
『違うと思うよ』
「だよね、鉄なのかな……金属ってのは間違いないと思うんだけど」
正方形に思える床と壁、もちろん天井も。まさに金属の箱だ。部屋中に紫色の塗料で描かれた呪詛の模様に、部屋の中心の小さな机。全てが作為的だ。
「呪術…………難しいな、読めないや」
魔法と魔術と呪術、これらに使われる特殊文字はそれぞれ全く違う。式や陣、模様の描き方も違う。何の才能もない僕であろうとも教えられればある程度は読めるようになるが、今目の前にあるのはある程度から外れたものだ。
「メモ……それに、ナイフ?」
机の上に置かれていたのは二つ折りの羊皮紙。その横には儀礼用に思える短刀、両刃で反りもなく軽いものだ。
『なんて書いてるの?』
「待ってね、えーっと…………え?」
ナイはメモを覗こうとローブを掴んで飛び跳ねる。そんな可愛らしいナイのために読みあげようとした声が詰まった。
メモの内容はこうだ。
"お菓子の国の非常事態、犯人はだぁれ?
分からない鈍感なキミにヒントをあげよう
暴食の呪が術者の意志とは関係なく強化された! その秘密は、呪煽という呪術によるものだ! ちなみにこの呪術は術者が死ぬと解けるものさ!
キミは非常事態を解決するために、呪煽の術者を殺さなければならない! そのために武器を用意したよ! 聖なる短刀さ、活用しておくれよ!
さて、犯人が誰か分かったかな?
じゃあ答え合わせだ、犯人は……キミの隣の子供だよ
さぁ! 遠慮はいらない、犯人の心臓を貫くんだ!
そうすれば、全て解決ハッピーエンド!"
内容に反して可愛らしい文字とふざけた物言いに腹が立つ。いや、それ以前に内容だ。
犯人が……隣の子供だと? ナイ、だと?
こんなものを信じるわけにはいかない、ナイに見せるわけにも──
『ヘールー君! ボクにも見せてよ、なんて書いてあるの?』
「え、あ……読まない、方が」
『なんで?』
メモの内容を知らないナイは無邪気な笑顔のまま小首を傾げる。
「えっと……その、あ……嫌な、気分になると思う」
『大丈夫! 見せてよ、ボク平気だからさ』
平気だなどと言っていても、きっと怯えてしまうだろう。僕がメモの通りにするかもなんて疑心暗鬼になって、僕からも逃げてしまうかもしれない。
そうなったら最悪だ。メモを折りたたむ……と、裏側にも何か書かれていた。
小さな文字だ。
"その子供を殺せ、心の臓を抉り出せ"
思わずメモを握り潰した。もう見たくない、あんな言葉。ぐしゃぐしゃに丸めて机の上に投げた。
『あー、何するの。ボクも読みたかったのに』
不満そうに頬を膨らませるナイ。
こんなにも可愛らしいナイが、残酷な呪いなど使えるはずがない。人を狂わせ、共喰いさせるような呪いをナイが思いつくはずもない。
「ナイ君……」
『わ、なになに』
自然と足から力が抜け、硬い床に膝を打ち付けるようにへたり込む。そのままナイを抱き締め、深く息を吸い、長く吐く。
『どうかしたの?』
「うん……少し。でも大丈夫、大丈夫だから」
『大丈夫って言う時は、大丈夫じゃないんだよ?』
「……そう、かもね。でも、本当に大丈夫。もう少しこのままでいてくれたら、大丈夫になるから」
人を殺して、魔法陣の効果が消えて、こんなメモを見て、僕の精神は摩耗していた。アルが居れば毛並みと体温で癒してくれるのに、それも出来ない。だからナイを抱き締める。アルには劣るけれど、確かに癒されていく。
『そ? 仕方ないなー、ヘル君は。子供っぽいなー』
「うん……うん、甘やかして」
『えー、どうしようかなー。なんてね、嘘。いいよ、たくさん甘えて?』
「……うん、ありがと」
優しくしてくれる人が欲しかった。
甘やかしてくれる人が欲しかった。
愛してくれる人が……欲しかった。
「ナイ君……ねぇ、君は、僕を捨てたりしないでくれるよね?」
言葉は返ってこない。返ってきたのは頭と背への小さな感触。ぽんぽんと優しく慰められていた。こんな小さな子供に、なんて考える余裕は今の僕には無い。
「一緒にいて、ずっと、ずっと、一緒に。お願い」
僕はその時、加減を忘れていた。きっと苦しかっただろう、僕の力が弱いとはいえ、ナイはもっと弱く小さいのだから。
抱き潰してしまえたら、それを受け入れてくれたのなら、それはきっと幸福だろう。僕を最期まで拒まなかったと証明出来るのだから。
「……行こっか」
けれど、それを実行するのは許されない。
『もう平気?』
「うん、大丈夫」
『そっか、ボクは疲れたよ。ぎゅーって、ヘル君強いんだもん』
「ご、ごめんね? お願いだから嫌わないで……」
ナイに嫌われる可能性、それは今の僕には絶望と相違ない。
『んー……あ、そうだ! おんぶしてよ、そしたら許したげる』
「おんぶ? やったことないけど……えっと、背中に乗るんだよね?」
膝を曲げて屈み、後ろに手を回す。重みを感じて、首に腕が回されたら手をしっかり組んで立ち上がる。少し前に屈んでおけば落としてしまう心配は減る。
『じょーずー!』
「ほんと? よかった。って、これじゃドア開けられないよ」
『えー、ボクが手を伸ばしたら届くと思うけど』
「それ、僕かなり屈まないとだよね? 膝と腰がどうにかなっちゃうよ」
情けない話だが僕は力と体力に自信が無い。
『んー、じゃあ、ボクが頑張ってしがみつくから、少しくらいなら手を離してもいいよ?』
「いや、首締まるよね?」
『じゃあどうするのさ』
「僕が考えるの? えぇー……あ、抱っことかはダメなの? それならナイ君の手も届くし、僕だって手が前に回せるならドアくらいは開けられるよ」
『だっこ……うん、まぁいいよ』
不満そうな声に聞こえたが、僕の腕の中に収まったナイの表情は上機嫌そうに見える。小さな体をさらに小さく折りたたみ、僕の腕で作った輪にすっぽりとはまる。
庇護欲をここまで煽られることはない、可愛くて可愛くて仕方ない。小さな子供というのは見ているだけで楽しくなる。例えば爪を見ると、こんなに小さいのによく出来ている……なんて、当たり前のことが素晴らしく思えてくる。
『何? 顔ゆるゆるだよ? 大丈夫?』
「へっ!? だ、大丈夫だよ! 別に変なこと考えてないから! 僕は普通に、可愛いって思ってただけ!」
『……別にそんなこと言ってないけど』
「にいさまみたいに虐めたりしない!」
『言ってないってば』
「リンさんみたいな変態でもないから!」
『別に疑ってな……誰?』
言い訳がましく聞こえただろうか? だが、事実だ。信じてもらわなければ困る。
可愛いと、守りたいと、ただ純粋にそう思っている。泣き顔が見たいだとか、閉じ込めたいだとか、そんなことは考えていない。
僕は兄とは違うのだから。
僕にとってはナイこそが絶対的な存在なのだから。
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