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第十九章 植物の国と奴隷商
名が廃る
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地面が恐ろしい速度で迫る──が、ビル二階分の高さ辺りでその速度は落ちる。
『くっ……重、もう無理』
『黒』は僕を抱きしめたまま、翼を広げたまま、ゆっくりと落下していく。綺麗な着地とはならなかったが無傷ではあった。
目の前には瓦礫の山と、瀕死の鳥があった。
「しゃっ君! 大丈夫? 痛い?」
僕は鳥に駆け寄って、馬に似た頭を撫でて、弱々しく掠れた声を聞いた。
「大丈夫だよ、大丈夫……もう、痛いのなくなるからね」
この傷ではもう助からないだろうと考えて、せめて苦しまないようにと願って、力を使う。
「ご苦労さま、ごめんね……おやすみ」
しっかりと目を合わせて死を命令する。だが、鳥は苦しそうな呼吸を止めない。
『無理だよヘル、それは魔物じゃない』
疲れたと手首を回しながら翼を畳み、そう言った。
「……どういうこと?」
『魔物ってのはね、魔力を持った生き物の事だ。悪魔や魔獣がそうだね』
「しゃっ君、魔獣じゃないの?」
『魔獣ってのは悪魔に生み出された獣、もしくは神が創った獣が魔力に汚染されたモノのことを指す言葉だ。ここでは魔獣を人間が作ってるけどね』
ぐちゃ、と鈍い音が響く。ごとり、と鳥の首が落ちる。ベルゼブブは首元の肉を齧って不味いと吐き出した。
『コレは外の奴ですからね、貴方様が操れる魔物ではないんですよ。本来この世界に存在しないはずの魔力なんて、操れるはずないでしょう?』
「…………ベルゼブブ」
『短時間で深い思い入れを作ったみたいですねぇ、こんな醜い鳥に。名前なんて付けちゃダメじゃないですか、情が湧いちゃいますよ? そこの女も、ねぇ……『黒』だなんて、貴方にはちゃーんと名前があったじゃないですかぁ』
鳥の体から飛び降り、ベルゼブブは僕の頬を細長く刺々しい舌で舐め回す。
幼さの残る少女の顔に似合わないその舌と、無数の眼が集まった赤い瞳。それらはベルゼブブが人間の知恵も力も及ばない存在だと主張している。
『……ヘル、また一時的に加護を授ける。長くは持たないからその後は自力で止めて』
「な、何する気なの?」
『対抗薬を作るんだよ。ほら……加護だよ!』
とん、と僕の背中を叩き、『黒』は崩れかけた研究所の中へ向かった。
ベルゼブブは僕の体を透過してしまう腕を恨みがましく見つめた。
腹、胸、喉、順に上がっていく小さな手。僕の体を抵抗なく貫通して進むそれは、感触こそないものの視覚へ訴える違和感は凄まじい。
『そう長くは持たないそうですし……加護が消えたらゆっくり食べましょうか、貴方様に私はまだ操れませんし』
「……ま、また腕を裂いてもいいんだよ?」
震える声での脅しなんて、逆効果だ。
『おや、気が付いてないんですか? アレは使い魔としての仮契約の契約違反の処罰が重なって大きな傷になっただけで、貴方様だけの力ではないんですよ』
「でも裂けるんだよ? 痛い……よ?」
『本気でそれで脅せてると思ってます? 裂きたいならいくらでもどうぞ』
ベルゼブブの両手に黒い霧が発生する、その霧は棒状に伸び、固体に変わる。魔力をそのまま実体化しているのだ。上級──いや、超上級悪魔にしか出来ない芸当だ。
「な、何……槍?」
『まさか、そんな』
霧が完全に実体化すると銀色の輝きが見えた。
あの美しい金属光沢──アレは、銀食器だ。
『フォークとナイフ、ですよ。お行儀よく頂きますからね』
「どう見ても武器だよ……」
『武器ですよ? 人間体の時の。ヘルシャフト様は嬲ると面倒臭くなるタイプなので、一気に決めます。私の趣味としてはじわじわいきたいのですが、仕方ありません』
先が丸くギザギザとした刃のナイフ、鋭く五又に分かれたフォーク。大きさこそ異常だが、見た目は食器そのものだ。
僕はその鋭さと金属特有の輝きに恐怖し、微かに後ずさる。足元に生えた短い草が足首を擽った……擽った? 感覚が、ある?
『……加護、そろそろ消えました?』
ベルゼブブが左手に持ったナイフを振りかぶる。
「や、や め ろ !」
僕の絶叫にベルゼブブの動きが鈍る、咄嗟に姿勢を低くしただけの僕にも躱す事が出来た。
『……その眼、その声、やはり面倒ですね』
ベルゼブブは尻餅をついた僕にフォークを向ける。その切っ先は丁度僕の眼球に刺さる寸前で止められた。
瞬きをすれば瞼が切れてしまう程の近さで、鋭い銀色が静止している。その事実は僕により強い恐怖を与えた。
「や、やめて、お願い。まだ死ねないんだよ、『黒』の名前思い出さないと。『黒』に指輪あげないと……」
『……理由はそれだけですかぁ?』
「アルともっと一緒に居たいし、ウェナトリアさん達の様子も見に行きたいし、神父様達にもお礼言いたいし、あと、リンさんにも……」
『それだけ! ですかぁ?』
「……どんな理由なら躊躇ってくれるの?」
『それ聞くんですか? 全く……相も変わらず手のかかる坊やですねぇ。前世からもその前からもその前の前からも何も変わってない!
本当に分からないんですか? 私が大して思い入れのない者の名前を並べてそいつらにしたい事があるって言っても、ムカつくだけなんですよ』
僕が僕の為だけに生きたい理由を出せと言うのか? そんなものない。
いや、ベルゼブブの為に生きなければならない事を上げればいいのか? きっとそれだ、その方がいい、ご機嫌取りは僕の得意技だ。
「…………ベルゼブブと、もっと、色んなところ行きたい」
『へぇ? 聞きましょうか』
触角がピンと跳ね上がり、笑顔に無邪気さが戻ってくる。
「君といるの楽しいんだ。頼りになるし、話も面白いし、僕に甘いってわけでも厳しいってわけでもないのが友達みたいでいいって言うか……とにかく、もう少しだけでも君と旅をしていたいんだよ。どうせなら美味しく食べてもらいたいし、成長するまで待って欲しいな。君との楽しい思い出をお土産に出来るなら、天国だろうと地獄だろうとやっていけるから」
『さっきまで散々他の女の名前上げておいて、よくもまぁそんな口を。でも、ま、そうですね。えぇ、えぇ、そこまで言われて断るのは私が廃ります』
ナイフとフォークが霧に戻り、ベルゼブブの体に吸い込まれるように消える。説得出来たのかと胸をなで下ろした。
『でも……私が食欲に抗うのは、人間が心臓を貫かれて死なない事よりも難しいんですよ』
「え……」
命令を出す暇もなく、僕の喉元に飛び込んでくる。鋭い牙が僕を切り裂──いや、違う、痛みがない。
胸周りに生温さを感じながら、恐る恐るベルゼブブの方へ顔を向ける。彼女は自分の腕に噛み付いていた。肉が裂けて溢れた血が地面にもシミを作っている。
「…………ベルゼブブ」
『名が……廃るんですよ。人工の魔獣でも主を喰うまいと匂いと反対方向に走るだけの理性を保てるのに! 死に損ないでも存在を削って助けようとしているのに! この! 私が! このベルゼブブが! この帝王が! 理性を保てないなんて! 有り得ないっ……あっては、ならないんですよぉ……』
ベルゼブブの苛立ちの原因は彼女自身だ。だからなのか、食欲を紛らわす為なのか、ベルゼブブは自分の腕を喰いちぎって丸呑みにした。
『……んっ、ぐ、不味い。あぁ……腹が、減った。食べたい、何でもいい、とにかく噛みたい、呑みたい…………全部、喰いたい』
ベルゼブブはとうとう膝を折って、その場にへたり込む。頭を抱えて地面に叩きつけ、ぶつぶつと食事を求める呪いを吐く。
『…………全部、私の……』
悪魔は基本的に自分を律するような行動は取らない、上級になればなるほどその特徴は顕著だ。ベルゼブブの欲望は食に特化している、それだけと言っても過言ではない。
そんな彼女が食欲を抑えるのはどれだけ辛い事だろう、考えなければならない事なのかもしれないが、考えたくない。
触れる事も話しかける事も邪魔になる、僕はただ見守る事しか出来なかった。
『くっ……重、もう無理』
『黒』は僕を抱きしめたまま、翼を広げたまま、ゆっくりと落下していく。綺麗な着地とはならなかったが無傷ではあった。
目の前には瓦礫の山と、瀕死の鳥があった。
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僕は鳥に駆け寄って、馬に似た頭を撫でて、弱々しく掠れた声を聞いた。
「大丈夫だよ、大丈夫……もう、痛いのなくなるからね」
この傷ではもう助からないだろうと考えて、せめて苦しまないようにと願って、力を使う。
「ご苦労さま、ごめんね……おやすみ」
しっかりと目を合わせて死を命令する。だが、鳥は苦しそうな呼吸を止めない。
『無理だよヘル、それは魔物じゃない』
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「……どういうこと?」
『魔物ってのはね、魔力を持った生き物の事だ。悪魔や魔獣がそうだね』
「しゃっ君、魔獣じゃないの?」
『魔獣ってのは悪魔に生み出された獣、もしくは神が創った獣が魔力に汚染されたモノのことを指す言葉だ。ここでは魔獣を人間が作ってるけどね』
ぐちゃ、と鈍い音が響く。ごとり、と鳥の首が落ちる。ベルゼブブは首元の肉を齧って不味いと吐き出した。
『コレは外の奴ですからね、貴方様が操れる魔物ではないんですよ。本来この世界に存在しないはずの魔力なんて、操れるはずないでしょう?』
「…………ベルゼブブ」
『短時間で深い思い入れを作ったみたいですねぇ、こんな醜い鳥に。名前なんて付けちゃダメじゃないですか、情が湧いちゃいますよ? そこの女も、ねぇ……『黒』だなんて、貴方にはちゃーんと名前があったじゃないですかぁ』
鳥の体から飛び降り、ベルゼブブは僕の頬を細長く刺々しい舌で舐め回す。
幼さの残る少女の顔に似合わないその舌と、無数の眼が集まった赤い瞳。それらはベルゼブブが人間の知恵も力も及ばない存在だと主張している。
『……ヘル、また一時的に加護を授ける。長くは持たないからその後は自力で止めて』
「な、何する気なの?」
『対抗薬を作るんだよ。ほら……加護だよ!』
とん、と僕の背中を叩き、『黒』は崩れかけた研究所の中へ向かった。
ベルゼブブは僕の体を透過してしまう腕を恨みがましく見つめた。
腹、胸、喉、順に上がっていく小さな手。僕の体を抵抗なく貫通して進むそれは、感触こそないものの視覚へ訴える違和感は凄まじい。
『そう長くは持たないそうですし……加護が消えたらゆっくり食べましょうか、貴方様に私はまだ操れませんし』
「……ま、また腕を裂いてもいいんだよ?」
震える声での脅しなんて、逆効果だ。
『おや、気が付いてないんですか? アレは使い魔としての仮契約の契約違反の処罰が重なって大きな傷になっただけで、貴方様だけの力ではないんですよ』
「でも裂けるんだよ? 痛い……よ?」
『本気でそれで脅せてると思ってます? 裂きたいならいくらでもどうぞ』
ベルゼブブの両手に黒い霧が発生する、その霧は棒状に伸び、固体に変わる。魔力をそのまま実体化しているのだ。上級──いや、超上級悪魔にしか出来ない芸当だ。
「な、何……槍?」
『まさか、そんな』
霧が完全に実体化すると銀色の輝きが見えた。
あの美しい金属光沢──アレは、銀食器だ。
『フォークとナイフ、ですよ。お行儀よく頂きますからね』
「どう見ても武器だよ……」
『武器ですよ? 人間体の時の。ヘルシャフト様は嬲ると面倒臭くなるタイプなので、一気に決めます。私の趣味としてはじわじわいきたいのですが、仕方ありません』
先が丸くギザギザとした刃のナイフ、鋭く五又に分かれたフォーク。大きさこそ異常だが、見た目は食器そのものだ。
僕はその鋭さと金属特有の輝きに恐怖し、微かに後ずさる。足元に生えた短い草が足首を擽った……擽った? 感覚が、ある?
『……加護、そろそろ消えました?』
ベルゼブブが左手に持ったナイフを振りかぶる。
「や、や め ろ !」
僕の絶叫にベルゼブブの動きが鈍る、咄嗟に姿勢を低くしただけの僕にも躱す事が出来た。
『……その眼、その声、やはり面倒ですね』
ベルゼブブは尻餅をついた僕にフォークを向ける。その切っ先は丁度僕の眼球に刺さる寸前で止められた。
瞬きをすれば瞼が切れてしまう程の近さで、鋭い銀色が静止している。その事実は僕により強い恐怖を与えた。
「や、やめて、お願い。まだ死ねないんだよ、『黒』の名前思い出さないと。『黒』に指輪あげないと……」
『……理由はそれだけですかぁ?』
「アルともっと一緒に居たいし、ウェナトリアさん達の様子も見に行きたいし、神父様達にもお礼言いたいし、あと、リンさんにも……」
『それだけ! ですかぁ?』
「……どんな理由なら躊躇ってくれるの?」
『それ聞くんですか? 全く……相も変わらず手のかかる坊やですねぇ。前世からもその前からもその前の前からも何も変わってない!
本当に分からないんですか? 私が大して思い入れのない者の名前を並べてそいつらにしたい事があるって言っても、ムカつくだけなんですよ』
僕が僕の為だけに生きたい理由を出せと言うのか? そんなものない。
いや、ベルゼブブの為に生きなければならない事を上げればいいのか? きっとそれだ、その方がいい、ご機嫌取りは僕の得意技だ。
「…………ベルゼブブと、もっと、色んなところ行きたい」
『へぇ? 聞きましょうか』
触角がピンと跳ね上がり、笑顔に無邪気さが戻ってくる。
「君といるの楽しいんだ。頼りになるし、話も面白いし、僕に甘いってわけでも厳しいってわけでもないのが友達みたいでいいって言うか……とにかく、もう少しだけでも君と旅をしていたいんだよ。どうせなら美味しく食べてもらいたいし、成長するまで待って欲しいな。君との楽しい思い出をお土産に出来るなら、天国だろうと地獄だろうとやっていけるから」
『さっきまで散々他の女の名前上げておいて、よくもまぁそんな口を。でも、ま、そうですね。えぇ、えぇ、そこまで言われて断るのは私が廃ります』
ナイフとフォークが霧に戻り、ベルゼブブの体に吸い込まれるように消える。説得出来たのかと胸をなで下ろした。
『でも……私が食欲に抗うのは、人間が心臓を貫かれて死なない事よりも難しいんですよ』
「え……」
命令を出す暇もなく、僕の喉元に飛び込んでくる。鋭い牙が僕を切り裂──いや、違う、痛みがない。
胸周りに生温さを感じながら、恐る恐るベルゼブブの方へ顔を向ける。彼女は自分の腕に噛み付いていた。肉が裂けて溢れた血が地面にもシミを作っている。
「…………ベルゼブブ」
『名が……廃るんですよ。人工の魔獣でも主を喰うまいと匂いと反対方向に走るだけの理性を保てるのに! 死に損ないでも存在を削って助けようとしているのに! この! 私が! このベルゼブブが! この帝王が! 理性を保てないなんて! 有り得ないっ……あっては、ならないんですよぉ……』
ベルゼブブの苛立ちの原因は彼女自身だ。だからなのか、食欲を紛らわす為なのか、ベルゼブブは自分の腕を喰いちぎって丸呑みにした。
『……んっ、ぐ、不味い。あぁ……腹が、減った。食べたい、何でもいい、とにかく噛みたい、呑みたい…………全部、喰いたい』
ベルゼブブはとうとう膝を折って、その場にへたり込む。頭を抱えて地面に叩きつけ、ぶつぶつと食事を求める呪いを吐く。
『…………全部、私の……』
悪魔は基本的に自分を律するような行動は取らない、上級になればなるほどその特徴は顕著だ。ベルゼブブの欲望は食に特化している、それだけと言っても過言ではない。
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