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第十九章 植物の国と奴隷商

三度目の咆哮

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何を言ってもナイはずっと笑顔のままで、僕の質問に答える素振りも見せない。

『……もしかしてもう死んでます?』

『いえ、呼吸音は微かに聞こえます』

『そうですか。ならまだ殺せますね』

普通の人間ならこれだけの傷を負っていれば話す事は出来ないだろう。だが、ナイは人間ではない。話せるはずだ。

「どうして『黒』の名前を盗ったの?」

笑みが深くなり胸が弱く跳ねる。声は聞こえないが、あの気味の悪い笑い方で僕を嘲っているのだろう。

「……『黒』に成り代わってどうしたいの?  ねぇ、答えて。『黒』とはいつ知り合ったの?」

『…………時、は……まだ…………』

金魚のように口がぱくぱくと動き、時折に声が漏れる。

『せ……しん、が…………』

「…………精神?」

唇を読むことも出来ていないが、僕の質問に答える言葉ではないということは理解出来た。

「僕は、どうして『黒』の名前を盗ったのかって聞いてるんだよ。ついでに答えのヒントでも教えてくれればいいんだけど」

『……さめ』

「慰め?  あのさ、僕にも分かるように言ってくれないかなぁ?」

『……れが、起き…………ら、全て』

「僕の質問に答えてよ!」

僕が声を荒らげるとナイは笑みを消し、僕の胸倉を掴んで勢いよく起き上がった。
折れたはずの腕を使った。無いはずの目で僕を見つめた。人間らしくなさを強調されて僕は怯んでしまった。

『…………星辰が正しく揃う時、それが終焉の時だ。その時までは頂点の座はキミのもの。せいぜい楽しめ、新たなる支配者様?』

「な、なんだよそれ。そんな意味の分かんないこと言って、僕が怖がると思ったら大間違いだからな!」

『気をつけなよ?  知らないうちに背後に這い寄られないように……』

僕が理解出来ない話を並べ立てて僕が混乱するのを見て愉しんでいる。僕はナイの言動をそう解釈していたから、この応答にも腹が立った。また怒鳴る直前、アルが僕の服の襟を噛んでナイから引き離した。
僕が離れると同時にナイの胸に巨大なフォークが突き刺さる。

『即死のはずですが……どうなりますかね』

ナイはピクリとも動かない。
それに安堵したベルゼブブはフォークを霧へと戻し、ナイの体を蹴り倒した。
ナイの胸から血が吹き出す。それに混じって黒い触手が這い出る。

『……やっぱり、ダメですか』

兵器の国で、そしてお菓子の国でも聞いたあの咆哮。顔の無い化物がその腕を、触手を振り回して無意味に吼えている。

『全速力で離脱します!』

「ま、待ってよ、リンさんとクリューソス……」

『あぁもう分かりましたよ!  連れてきゃいいんでしょ!』

ベルゼブブの号令と共に無数の虫が現れて僕の視界を塞ぐ。羽音に聴覚までもが支配されると、浮遊感が体を侵す。

『……着きましたよ』

ベルゼブブの声に目を開くと、僕が立っているのが倉庫ではなく牢獄の国の海岸沿いだと分かった。
周囲を見回すとアルとカルコスだけでなく、リンとクリューソスの姿も確認出来た。

「えっ、な、何?  ここどこ?」

クリューソスが状況を理解してため息を吐いたのとは真逆に、リンはタオルを握り締めて混乱している。

「すいません、えっと……空間転移です。危なかったので、リンさんも一緒にしてもらいました」

「あぁ理想のしょっ……いや、ヘル君」

リンは僕を見て目を輝かせる。好かれるのは嬉しいがその理由は不快だ。

「ここは牢獄の国です。ところで今なんて言おうとしたんですか?」

「気にしないで。他人の性癖に突っ込んでも後悔しかしないと思うよ」

「リンさんの趣味は分かってますから……もうずっと前から後悔してますよ」

ベルゼブブは今は夜だからか周囲には誰もいないと僕に伝えた。見回りの礼を言って、防波堤を背に相談を始めた。

『おい下等生物。あの国には帰れるのか?』

「分かんない。どうかな、ベルゼブブ」

『知りませんよ。破壊されてないなら帰れるんじゃないですか』

「は、破壊!?  ねぇ何があったの?  俺だけ情報皆無なんだけど!」

お菓子の国であの姿を見た時はそう大して暴れもせずにどこかへ消えていった。あの時のようにすんなりと消えたのなら二ブロック離れたリンの家は無事だろう。
とりあえずリンに事情を説明しなければ。

「……えっと、化物が出てきて暴れました」

「分かりやす過ぎて分からないなぁ。ホント可愛い。ホント理想。正直見た目さえ良ければ中身はクズでもいいんだけど、君は中身も純真な子供って感じでいいよ。穢した……いや、ごめん」

「リンさん前に会った時はまともな大人だったじゃないですか」

「ちょっと辛辣なとこもまた空気の読めない子供って感じでイイ。気持ち悪い奴には容赦ないもんね、子供って」

変態が悪化している。一概に悪化というのも失礼かもしれないが、リンには悪化という言葉を使わせてもらう。
警戒したアルが僕を翼の後ろに隠して唸り始めた。

「手は出さないって。子供は純真が一番だからね」

『分かります。綺麗な飴細工って食べるの勿体ないんですよね、食べますけど』

「それは違う、手は出さないってば」

自らの欲望に忠実という点では彼らは気が合うのかもしれない。

『おいガキ、とりあえず宿を確保するべきだろう』

「あ、そうだね。どうしよ……神父様の所でいいかな」

大人数だが、あの教会は部屋が四つほど余っていたはずだ。僕とアル、カルコスとクリューソス、ベルゼブブ、リン、と分ければちょうどいい。僕の部屋とリンの部屋は一番離れた場所にしよう。

「えっ、魔獣と悪魔連れて神父に泊めてくれって頼むの?  国連軍に通報されない?」

『あの神父、腹は読めませんが即座にどうこうってんじゃないんですよねぇ。ですから通報されるのは貴方だけでしょう』

「見てるだけの善良な一般人を犯罪者扱いしたよこの悪魔」

『私は教会に行くなんて嫌ですけど……ヘルシャフト様が言うなら従いますよ』

正確な時間は分からないが、星がハッキリと見える程には暗い。
牢獄の国は街灯が少ないのだ、そんな中で宿屋を探して回るような真似はしたくない。

『ヘル、私に乗れ。その薄着では教会で持たないだろう、翼で包んでやる』

「ありがと、アル」

『私も包んでください先輩』

「……そんなに寒い?」

零を知らないリンは僕達の行動を奇妙に思った。
僕は前に潜り込んだベルゼブブごとアルを抱き締めて、しっかりと暖を取る。

「なんかよく分かんないけど、じゃあ俺は……君!」

『触れるな下等生物!』

クリューソスに吼えられ、リンはカルコスの元へ。

「ご、ごめん。じゃあ君……」

『非常食にしていいなら構わんぞ』

「君非常食のビスケットをおやつに食べてたしなぁ、信用出来ない」

二人ともに断られたリンは「まぁ寒くないしいいか」と楽観的に諦めた。
ベルゼブブの口笛に応じて無数の虫が現れ、僕達を中心に旋回する。リンの悲鳴やクリューソスの愚痴が聞こえた気がしたが、きっと気のせいだ。
視覚も聴覚も虫に埋め尽くされる。僕はそっと目を閉じて浮遊感に酔った。
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