魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

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第十九章 植物の国と奴隷商

冷たいお茶会

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淹れたてのはずのコーヒーは冷たく、添えられたケーキには霜がおりている。
僕とリンは毛布を肩と膝にかけて柔らかいソファに腰掛けていた。
ソファは三人がけが二つ、僕を真ん中にベルゼブブとリン。向かいに雪華と零。アルは机とソファの間に体をねじ込んで僕の膝に頭を乗せており、カルコスとクリューソスは少し離れて寝転んでいる。

「ふふ、久しぶりだねぇ。ここでヘル君とお茶するの」

「……ここにいた時は、毎日してましたね」

今となってはもう懐かしい、灰色の日々。

「戻ってきてもいいんだよ」

「…………いえ、やらなきゃならないことがたくさんありますから」

ここに居てもいい、その言葉はこの世の何よりも甘美な誘惑だ。
実際にここに居た時に足りなかったものはアルだけで、今はアルが居る。ならここに居れば全てが満たされる。
その事実は僕に返事を考えさせるのに十分な魅力を持っていた。

「人間に化けたからって私の目を誤魔化せると思ったら大間違いですよ!   悪魔!」

もう少し浸らせてくれてもいいものを、僕の耳に雪華の大声が響く。

『煩い小娘ですねぇ……あ、ヘルシャフト様、ケーキくださいよ』

「やだよ」

「俺のあげようかヘル君。アーンさせてアーン、可愛い男の子が俺に向かって口開けるとかもう……!」

僕はリンを無視して、ケーキに伸ばされたベルゼブブの手を叩く。

『ケチー、そんなんだからモテないんです』

『ヘルはモテますよ。なぁヘル、そうだろう?』

「……いや、モテた覚えないけど」

「俺は?  俺にモテてるよヘル君!  まぁ俺としてはもう少し明るくてもっと顔色良くてガード緩くてスキンシップが多くて普段は短パン履いてる子がいいんだけど!」

『我も食料として好いているぞ』

基本的には僕は嫌われる部類の人間だ。僕を好くのなんて余程の物好きか、僕の血肉が狙いの魔物達。
マトモな感性を持っていれば僕を気持ち悪がるはずだ。

「ヘルさんがモテるモテないはどうでもいいんですよ!」

「…………傷つくんだけど」

「ご、ごめんなさい……じゃなくて、神父様!  全部説明してください!」

「まぁまぁ、ちょっと落ち着いたらね」

「またそうやってはぐらかす!」

以前僕は零のことを『掴みどころがなくほわほわとした人』と認識していた。
だが最近は『ああ見えて実は食えない人』に改められた。
それが事実かどうかは分からないが、零は実の所かなり頭が切れるというのは間違いではないはずだ。

「まずさ、雪華は何を気にしてるの?」

「そこの悪魔に決まってるじゃないですか!」

『おや、気にされてましたか。私別に女は好きじゃないんですけどね』

「んー……ベルゼブブのことじゃなくて、神父様の隠し事がどうこうってやつ」

『あ、無視ですか?  無視ですかヘルシャフト様……今ならイケますね。ケーキ貰いますよ』

ベルゼブブの手を払い、ケーキを手元に引き寄せる。僕にフォークを持たせようとしたリンの手も払う。

「アーンさせてくれないならしてよ!」

「黙って一人で食べててくれませんか。ベルゼブブもね」

『ケーキくださいよぉ……』

リンは段々と遠慮が無くなってきている、僕も同じだが。ベルゼブブは最初からああだった気もするが、おふざけが多くなったようにも思える。
雪華は両隣に邪魔される僕を困ったような目で見つめる、困っているのは僕だと言うに。

「神父様、隠し事なんてしてるんですか?」

「したつもりはないなぁ」

「……まず、ツヅラさんのことです」

雪華は僕の質問に微笑んで返した零を非難の眼差しで見つめながら言った。
ツヅラというと魚と話せる神父の事か。船の行き先を探ってくれた恩人だ、また会ったらしっかりと礼をしたい。

「りょーちゃん?  りょーちゃんは神学校時代の親友だよ」

「そういうことではなくて!  その……ツヅラさんは海に落ちてしまったでしょう?  神父様は泳ぎが得意だとか言っていましたけれど、体調が優れないようでしたし……神父様がそんな親友を気にしない訳が分からないのです。聞いても教えてくれませんし……」

海に落ちた?  それは知らない、僕達が科学の国に向かった後の出来事だろうか。

『陸にいる方がおかしいんじゃないですかねぇ、私としましてはアレが神父をしている方が疑問なんですが』

『……奴は妙に魚臭かったな』

『魚ですからねぇ。そうでしょう?  氷の加護受者』

零は顔の前で手を組み、その水煙色スプレイグリーンの髪で同じ色の瞳を隠すように俯く。口元は上品な笑みをたたえたままだ。

「魚って……どういう意味?」

「…………人魚さんなんだよぉ。りょーちゃんはね、妖鬼の国出身の妖怪なんだぁ。りょーちゃんこれ言われるの嫌がるからさ、秘密にしてたんだ。ごめんね雪華」

「い、いえ……人魚、人魚……と言うと?」

聞き覚えのない種族名……でいいのか?  僕は妖怪には詳しくない、人魚というのは聞いたこともないが、名前通りと考えていいのだろうか。

「人魚ってのはね、人間が変異した妖怪なんだ。あ、妖鬼の国では人や物の魔力が変質しやすいってのは知ってるよね?」

「あ、知ってますよ。確か……付喪神、とか言いましたよね。物が勝手に動いたり、騒いだり。獣にも起こるんですよね?」

僕が戸惑っているとリンが話に割り込んだ。

「うんうん、そうそう。えっと……君は?」

「リーイン・カーネイション。科学者です」

『……研究を成功させたことはない。と付け加えておく』

目を閉じたままカルコスが余計だけれど大事な一言を加える。リンは居心地悪そうに微笑んだ。

「ツヅラさんは人間が変異した妖怪、ってことですか?  神父が変異するなんて……」

「昔の話だけどね。奇形児を海に捨てる風習がある集落があってね。捨てられた子の寂しさや親の無念、そういうのが魔力となって海に満ちたんだ。
ある日捨てられた赤子は足が引っ付いていて、その子は海の中で変異した。それが人魚。その始まり。
その集落は今はないし、りょーちゃんは元々人じゃない。最初から人魚の子だよ」

「…………人魚は子を成せるほどに多く生まれたのですか?」

雪華がおずおずと尋ねる。

「神秘的な見た目だからね、人と結ばれることも多かったから。りょーちゃんも間の子だよ」

悲しい話、そう一言で済ませるには人間の業が詰まり過ぎた人魚の物語。
つまりはツヅラは人魚の血を引いていて、だから海に落ちた──帰った、という事だったのか。
皆納得したのだが、ベルゼブブだけは違った。呆れたようにため息をついて零を睨んだ。

『……お上手ですねぇ』

「何がかな?」

『嘘が』

「零は嘘はついてないよ、それは神の教えに背く行為だからねぇ」

ベルゼブブは大きく舌打ちをした。僕にだけ聞こえた獣のような唸り声は苛立ちに満ちている。
何がそんなに気に入らないのか、僕には分からない。だが彼女をここで暴れさせる訳にはいかない。
僕は仕方なしに、自分のケーキの残りをベルゼブブの口に押し込んだ。
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