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第二十五章 本拠地は酒色の国に
二人きり
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目は無いけれど目を覚ます。硬い床の上、グロルかアザゼルかを膝の上に乗せて僕は気絶していた。血を与え過ぎたのだったか、まぁそれはいい。
「……アザゼル? グロルちゃん? 今は安全?」
「王様、起きたな。安全だぜ。アシュメダイがあのスライムを燃やして、ダンピールも連れてった」
「…………そっか。後でお礼言っておかなきゃ。ねぇ、結局、僕達を襲ってきてたのって……」
「王様が椅子にしてたスライムだ。弟さんがそばに居ねぇと腹減りで暴走するみたいだな」
やはりと言うべきか、そうだったか。フェルが僕を陥れるとは考えたくない、フェルも分かっていなかったのだろうと思おう。
「そ、れ、よ、り、だ。王様。二人っきりだ。可愛い幼女と二人っきりだ、やることは一つだよな?」
ぺた、と頬に小さな手が触れる。その手の短い指先は僕の唇をなぞった。
「……身体は幼女でもキスは大人だ。ほら、口開けろ」
僕は口を硬く閉じ、アザゼルを膝から下ろして立ち上がった。足探りで壁を見つけ、壁に手を這わせて歩を進める。
「ウッソだろ王様! なんで!? そ、そんなに熟女好きなのか!? そんな筋金入りだったのか!?」
感触が変わる。壁ではなく扉に触れている。手を少し下ろすとドアノブに触れた。
「あ、待って待って置いてかないで」
目が見えなくとも扉を開けることは出来るし、手探り足探りでソファを見つけることも出来る。柔らかいソファに身を沈め、隣に座ったアザゼルに向かって手を突き出す。
「突っ張るなよ! 俺今日頑張ったんだぞ!? 一回くらい寝てくれてもいいだろ!」
「……血とか魔力ならいくらでもあげるから」
「何言ってんだ王様。あげるのは俺の方、この身体はまだ生娘だからな……」
「お腹空いたし喉乾いた。何か作ってきてよ」
『僕が作ってあげようか?』
ひた、と頬に誰かの手が触れる。アザゼルとは違って僕と同じくらいの大きさで、指は長く肌は滑らかで、氷のように冷たい。
「…………お前、まさかアイツか? えぇーっと、何だ、ほら、天使……えぇっと」
アザゼルは名前を思い出せないようだが、その者に見覚えはあるようだ。
『……そろそろ本格的に存在が消えてきてるね。僕を知ってても僕の名前を覚えてるのはもう少数じゃないかな』
「……『黒』なの?」
『え? あぁ、目が見えないの? 綺麗な目をしてると思ったらガラス玉だね、可愛い模様だ。えぇと、何をするんだっけ? そうそう、愛しい旦那様に手料理を振る舞うんだった』
天使に詳しいと豪語していたアザゼルが名前を忘れている事と、今の『黒』のやや不安な話し方は僕を焦らせる。彼女には一体あとどれだけの時間が残されているのだろう。
「……ねぇ、『黒』。そんなのの為に実体化して大丈夫なの?」
『ん? あぁ、平気だよ。実体化は君にとっての起きている時間みたいなもの。天使の力を使わなければ僕が能動的に消耗することは無いさ。心配しないで、僕のヘル』
唇に柔らかいものが触れる。指先や手の甲でないことは分かった。
「あーっ! 俺出来なかったのに!」
『ヘルに好かれたいならもっとお淑やかで上品になることだね、ヘルはそういうのに弱いんだ。君は特に……一人称とか言葉遣いとか、かな』
「……お前に言われたくねぇな」
『僕はどこからどう見ても完璧な淑女だろ?』
まさか、今……『黒』にキスされたのか? 前にも似たようなことがあったような──あぁ、目が無くてこんなにも後悔する事があるなんて。
「なぁ王様、王様の好みの女の子ってどんなのだ?」
『とことん甘やかしてくれる胸の大きなセミロングのお姉さんだよね? つまり僕さ』
「うわ真逆、長髪幼女だわ俺」
「勝手なこと言わないで!? 当たってるし! あと今……今、あぁもういい! えっと、ご飯! ご飯ちょうだい! お腹すいたんだよ僕は」
パンなどの常温で水気の無いものなら目が無くともそう不便なく食べられるのだが、そういったものはどこかにあっただろうか。
『あぁ……そうそう、ご飯作りに実体化しんだよ僕は』
「お、通い妻ってやつだな」
『そうそう、君がよく寝取ってたやつ』
「人のもんっていいよな……ってやってねぇよそんなこと! いや……やった、か?」
騒がしく話しながら足音が遠ざかる。元気な足音と、ヒタヒタという音。『黒』は裸足なのだろうか、痛みはともかく寒さも感じないのか?
「…………名前、か」
ベルゼブブなどに『黒』の名を聞けば、砂嵐のような音に隠される。おそらくはナイによって魂に刻み込まれたゲームルールだ。
それを解くのは不可能だし、ふっと思い出すのも有り得ない。となると──
「……ナイ君を詰める、天界の名簿を見る、くらいかな」
天界には神の創造物全てを書き留めた書があると言う。その文字すら見えなくなっているならどうしようもないけれど、僕には他に『黒』の名を知れる方法が思い付かない。
「…………オファニエルは『たぁちゃん』って呼んでた、あれは普通に聞こえてて……あれが変な付け方したあだ名じゃないなら、『黒』の名前はタ何とか。砂嵐の長さからして三から五文字、天使は大体エルが付くから……タ何とかエル。うぅん……」
もしくはこうやって推理するか。
僕が頭を悩ませていると足音が戻ってくる。この元気で軽い音はアザゼルのものだ。
「……ねぇ、アザゼル。天使って大体何とかエルじゃん。あれ全員そうなの?」
「いや付かねぇのもいっぱい居るぜ? 俺は付いてるけどよ」
「…………そっか。じゃあこの推理はダメかな……」
アザゼルはキッチンに手が届かないから戻ってきたのだと。
僕は今考えていたことをアザゼルに話し、何か抜け道がないか一緒に考えてもらう事にした。
「読唇とか筆談は試したのか?」
「……言ってる時の口じっと見た事も、ゆっくり言ってもらった事もあるけど、頭グラグラして……文字は試してない」
「ふぅん……邪神様ねぇ、知らねぇ奴だけど性格悪そうだな」
「知らないの? そっか……あ、そうそう。ナイ君たまに顔が見えないことがあるんだけど、いや、絶対見えてるんだよ? でも分からなくて……アレに似てる」
「認識阻害か処理妨害か、だろうな。なら文字も無駄だ。脳が処理出来なきゃ存在しないことになる」
認識阻害、か。兄が今この家や僕達一人一人にかけている魔法は認知湾曲だったか、知識はないが同分類と見て構わないだろう。
「タ何とかエルね。思い当たるのは…………野菜狂だな。違う気がするぜ」
「まぁそれは馬鹿な僕の馬鹿な推理だから気にしないで、あんまり言われても恥ずかしい」
「…………過去を視るとかどうだ? 認識阻害がどういう原理で組まれてるタイプかは分からねぇが、視覚からじゃなくて直接脳に情報をぶち込めば、そういうのは大抵突破出来るぜ?」
ナイが扱う術が「大抵」に入るとも思えないし、過去を視る方法なんてない、それも一万年から昔の事なんて。
「……悩み過ぎたら分かんなくなることもあるから、適度に頭休ませろよ」
「…………休むだけの頭もないけどね」
兄と違って僕は頭が悪い。ため息を吐いていると『黒』の足音が聞こえてきて、机にトンと何かが置かれた。
『クリームスープとパン、ついでにハムとレタスも。コーヒーは?』
「コルクの色になるまでミルク入れて、溶けずに底に溜まるまで砂糖入れて」
『了解、甘くて美味しそうだね』
アザゼルにパンを渡され、それを食む。軽く焼いただけのパンは味付けもなく、もちもちとした食感だけを与えてくれる。
『スープに浸して食べるものだよ?』
「見えなくて。口開けてたら食べさせてくれる?」
「口移しでなら俺がやるぜ?」
「食器で『黒』に食べさせて欲しいな」
『僕は構わないけどね、零したり舌を傷付けたりするかもだから、君も気を付けて』
レタスが巻かれたハムが口に入れられる。調味料に浸して欲しかったところだが、贅沢は言わない。視覚が失われたことによって味覚や嗅覚が鋭くなって──なんてことはなかった。
僕は相も変わらず鈍い味覚で初めて婚約者の手料理をその手で食べさせてもらった。その喜びはかなりのもので、腹が減っていたこともあり僕はいつもより多く食べた。
「……アザゼル? グロルちゃん? 今は安全?」
「王様、起きたな。安全だぜ。アシュメダイがあのスライムを燃やして、ダンピールも連れてった」
「…………そっか。後でお礼言っておかなきゃ。ねぇ、結局、僕達を襲ってきてたのって……」
「王様が椅子にしてたスライムだ。弟さんがそばに居ねぇと腹減りで暴走するみたいだな」
やはりと言うべきか、そうだったか。フェルが僕を陥れるとは考えたくない、フェルも分かっていなかったのだろうと思おう。
「そ、れ、よ、り、だ。王様。二人っきりだ。可愛い幼女と二人っきりだ、やることは一つだよな?」
ぺた、と頬に小さな手が触れる。その手の短い指先は僕の唇をなぞった。
「……身体は幼女でもキスは大人だ。ほら、口開けろ」
僕は口を硬く閉じ、アザゼルを膝から下ろして立ち上がった。足探りで壁を見つけ、壁に手を這わせて歩を進める。
「ウッソだろ王様! なんで!? そ、そんなに熟女好きなのか!? そんな筋金入りだったのか!?」
感触が変わる。壁ではなく扉に触れている。手を少し下ろすとドアノブに触れた。
「あ、待って待って置いてかないで」
目が見えなくとも扉を開けることは出来るし、手探り足探りでソファを見つけることも出来る。柔らかいソファに身を沈め、隣に座ったアザゼルに向かって手を突き出す。
「突っ張るなよ! 俺今日頑張ったんだぞ!? 一回くらい寝てくれてもいいだろ!」
「……血とか魔力ならいくらでもあげるから」
「何言ってんだ王様。あげるのは俺の方、この身体はまだ生娘だからな……」
「お腹空いたし喉乾いた。何か作ってきてよ」
『僕が作ってあげようか?』
ひた、と頬に誰かの手が触れる。アザゼルとは違って僕と同じくらいの大きさで、指は長く肌は滑らかで、氷のように冷たい。
「…………お前、まさかアイツか? えぇーっと、何だ、ほら、天使……えぇっと」
アザゼルは名前を思い出せないようだが、その者に見覚えはあるようだ。
『……そろそろ本格的に存在が消えてきてるね。僕を知ってても僕の名前を覚えてるのはもう少数じゃないかな』
「……『黒』なの?」
『え? あぁ、目が見えないの? 綺麗な目をしてると思ったらガラス玉だね、可愛い模様だ。えぇと、何をするんだっけ? そうそう、愛しい旦那様に手料理を振る舞うんだった』
天使に詳しいと豪語していたアザゼルが名前を忘れている事と、今の『黒』のやや不安な話し方は僕を焦らせる。彼女には一体あとどれだけの時間が残されているのだろう。
「……ねぇ、『黒』。そんなのの為に実体化して大丈夫なの?」
『ん? あぁ、平気だよ。実体化は君にとっての起きている時間みたいなもの。天使の力を使わなければ僕が能動的に消耗することは無いさ。心配しないで、僕のヘル』
唇に柔らかいものが触れる。指先や手の甲でないことは分かった。
「あーっ! 俺出来なかったのに!」
『ヘルに好かれたいならもっとお淑やかで上品になることだね、ヘルはそういうのに弱いんだ。君は特に……一人称とか言葉遣いとか、かな』
「……お前に言われたくねぇな」
『僕はどこからどう見ても完璧な淑女だろ?』
まさか、今……『黒』にキスされたのか? 前にも似たようなことがあったような──あぁ、目が無くてこんなにも後悔する事があるなんて。
「なぁ王様、王様の好みの女の子ってどんなのだ?」
『とことん甘やかしてくれる胸の大きなセミロングのお姉さんだよね? つまり僕さ』
「うわ真逆、長髪幼女だわ俺」
「勝手なこと言わないで!? 当たってるし! あと今……今、あぁもういい! えっと、ご飯! ご飯ちょうだい! お腹すいたんだよ僕は」
パンなどの常温で水気の無いものなら目が無くともそう不便なく食べられるのだが、そういったものはどこかにあっただろうか。
『あぁ……そうそう、ご飯作りに実体化しんだよ僕は』
「お、通い妻ってやつだな」
『そうそう、君がよく寝取ってたやつ』
「人のもんっていいよな……ってやってねぇよそんなこと! いや……やった、か?」
騒がしく話しながら足音が遠ざかる。元気な足音と、ヒタヒタという音。『黒』は裸足なのだろうか、痛みはともかく寒さも感じないのか?
「…………名前、か」
ベルゼブブなどに『黒』の名を聞けば、砂嵐のような音に隠される。おそらくはナイによって魂に刻み込まれたゲームルールだ。
それを解くのは不可能だし、ふっと思い出すのも有り得ない。となると──
「……ナイ君を詰める、天界の名簿を見る、くらいかな」
天界には神の創造物全てを書き留めた書があると言う。その文字すら見えなくなっているならどうしようもないけれど、僕には他に『黒』の名を知れる方法が思い付かない。
「…………オファニエルは『たぁちゃん』って呼んでた、あれは普通に聞こえてて……あれが変な付け方したあだ名じゃないなら、『黒』の名前はタ何とか。砂嵐の長さからして三から五文字、天使は大体エルが付くから……タ何とかエル。うぅん……」
もしくはこうやって推理するか。
僕が頭を悩ませていると足音が戻ってくる。この元気で軽い音はアザゼルのものだ。
「……ねぇ、アザゼル。天使って大体何とかエルじゃん。あれ全員そうなの?」
「いや付かねぇのもいっぱい居るぜ? 俺は付いてるけどよ」
「…………そっか。じゃあこの推理はダメかな……」
アザゼルはキッチンに手が届かないから戻ってきたのだと。
僕は今考えていたことをアザゼルに話し、何か抜け道がないか一緒に考えてもらう事にした。
「読唇とか筆談は試したのか?」
「……言ってる時の口じっと見た事も、ゆっくり言ってもらった事もあるけど、頭グラグラして……文字は試してない」
「ふぅん……邪神様ねぇ、知らねぇ奴だけど性格悪そうだな」
「知らないの? そっか……あ、そうそう。ナイ君たまに顔が見えないことがあるんだけど、いや、絶対見えてるんだよ? でも分からなくて……アレに似てる」
「認識阻害か処理妨害か、だろうな。なら文字も無駄だ。脳が処理出来なきゃ存在しないことになる」
認識阻害、か。兄が今この家や僕達一人一人にかけている魔法は認知湾曲だったか、知識はないが同分類と見て構わないだろう。
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「まぁそれは馬鹿な僕の馬鹿な推理だから気にしないで、あんまり言われても恥ずかしい」
「…………過去を視るとかどうだ? 認識阻害がどういう原理で組まれてるタイプかは分からねぇが、視覚からじゃなくて直接脳に情報をぶち込めば、そういうのは大抵突破出来るぜ?」
ナイが扱う術が「大抵」に入るとも思えないし、過去を視る方法なんてない、それも一万年から昔の事なんて。
「……悩み過ぎたら分かんなくなることもあるから、適度に頭休ませろよ」
「…………休むだけの頭もないけどね」
兄と違って僕は頭が悪い。ため息を吐いていると『黒』の足音が聞こえてきて、机にトンと何かが置かれた。
『クリームスープとパン、ついでにハムとレタスも。コーヒーは?』
「コルクの色になるまでミルク入れて、溶けずに底に溜まるまで砂糖入れて」
『了解、甘くて美味しそうだね』
アザゼルにパンを渡され、それを食む。軽く焼いただけのパンは味付けもなく、もちもちとした食感だけを与えてくれる。
『スープに浸して食べるものだよ?』
「見えなくて。口開けてたら食べさせてくれる?」
「口移しでなら俺がやるぜ?」
「食器で『黒』に食べさせて欲しいな」
『僕は構わないけどね、零したり舌を傷付けたりするかもだから、君も気を付けて』
レタスが巻かれたハムが口に入れられる。調味料に浸して欲しかったところだが、贅沢は言わない。視覚が失われたことによって味覚や嗅覚が鋭くなって──なんてことはなかった。
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