魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

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第二十章 偽の理想郷にて嘘を兄に

ゲーム終了

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皮が剥がれて肉や骨が見えているのに談笑する人々。話の内容は僕を嘲るもの。
店頭に並べられているのは、もはや人なのかも分からない肉塊。
地面は血と汚物にまみれていて、幾何学模様を描いているはずのタイルは見えない。

「ただいまー」

そんな街並みを歩いて、ライアーは明るい声を上げて扉を開く。僕達を出迎えたのは僕の両親だった。
あの日僕の目の前で殺されたはずなのに、今目の前で笑っている。
……そうだ、これは現実ではない。忘れるな、間違えるな、これは現実ではない。

「……た、ただいま。父さん、母さん」

僕の記憶に笑顔の両親はない。笑った顔を遠くから見ていたことはあるけれど、向けられた覚えはない。
無能だと知られる前の幼い頃ならあるのかもしれないが、僕は知らない。

「おかえり」
「おかえりなさい」

両親は僕の頭を撫でて、上着を脱がした。そのままダイニングに通されると、朝食以上に豪華な夕食が出迎えた。
そういえば、いつの間に夜になったのだろう。公園に居た頃が正午だったと思うのだが──おかしいな、体感では数時間まえにたらふく食べたばかりなのに、腹が空いてきた。
この疑問もゲームだからと片付けていいのだろうか。

「ヘル、そのネックレスどうしたの?」

母が僕に問いかける。
父はライアーと話している。

「兄さんが買ってくれたんだ」

「あら、そう。よかったじゃない。大事にするのよ」

「……うん」

母は僕の頭を撫で、それから僕の分のステーキを切り分けた。自分で出来ると言っても聞かなかった。
少し暇になった僕はライアーと父の会話に耳を澄ませた。

「…………ちゃったみたい」

「仕方ないな。ヘルは…………から」

「……の…………どうしようかな?」

「それは……ーに任せるよ」

小声で所々聞き取れない部分もあったけれど、きっとこうだ。
「変になっちゃったみたい」
「仕方ないな。ヘルは出来損ないだから」
「処理の仕方はどうしようかな?」
「それはライアーに任せるよ」
僕を殺す相談だ。僕は何故かそう確信した。

「……っ!  ご、ごめん、僕トイレ」

僕はトイレに行くふりをして、音を立てずに玄関から外に逃げた。街は血と汚物と焦げにまみれて、もう元の姿を失っていた。

あの日よりも酷い。
こんなの僕の理想の世界じゃない。

僕は商店街を走り抜けて、高級レストランの裏の路地に隠れた。騒ぐ鼓動を鎮めるために、痛む肺に空気を与えるために、僕はその場に座り込む。
その時にゴミ箱にぶつかってしまって、レストランで捨てられたらしい生ゴミが路地に散乱する。僕はその中に銀色の光を見つけ、手を伸ばす。

「…………ナイフ」

手に触れたのは鋭いナイフ。どう見ても料理用ではない、人を傷つけるための刃物だ。

「……持っていこ」

どうしてここにあるのかは分からないけれど、このナイフはこの状況での僕の理想なのかもしれない。
不具合だらけのゲームが正常に作動した唯一の証拠なのかもしれない。
武器が欲しいと願った覚えはないけれど、無意識下ではずっと願っていたのかもしれない。

「ヘルー?  どこー?  お兄ちゃんだよー、出ておいでー」

ライアーの間延びした声が遠くから聞こえる。
僕を殺しに来たんだ。
彼は次第に近づいてきて、僕はさらに路地の奥へと逃げた。無我夢中で逃げるうちに袋小路に迷い込んでしまった。これなら表通りを逃げていた方がよかったのかもしれない。

「……ヘル!  いた、よかったぁ。どこに行ったのかと心配してたんだよ」

「ひっ……いや、やだ、来ないで」

見つかった。ライアーは両手を広げて僕に向かってくる。

「ヘル?  どうしたの。お兄ちゃんだよ。ライアーお兄ちゃん、分からない?」

「来るなって言ってるだろ!?  それ以上近寄るなぁ!」

「……やっぱり明日のおでかけは中止にした方がいいみたいだね、仕方ないや。ほら、おいで。おうちに帰ってゆっくり休もう」

ライアーは僕の手のナイフが怖くないのか、見えていないのか、躊躇うことなく向かってくる。
僕は怖くて怖くて仕方なくて、ナイフをめちゃくちゃに振り回した。

「来るな来るな来るな来るなぁ!  嫌だ、嫌だ!  助けてよアル!」

「ヘル!?  ちょっと、危ない……っ!  ったぁ……」

僕を捕まえようとした手から赤い液体が滴り落ちる。

「……痛いよ、ヘル。どうしたの?  お兄ちゃんだよ……なにも怖くないから、おいで」

しゃがみ込んで、両手を広げて、ライアーは僕に迫る。
僕はライアーの腕にナイフを突き立てた。

「……っ、そんなにボクが気に入らないの?  やっぱりボクじゃダメなの?」

ライアーは苦痛に顔を歪めながらも、僕の手を掴んでナイフを引き抜きいた。

「…………ヘル」

「嫌……嫌だ嫌だ嫌だ、来るなぁ!  やだ、助けて……にいさま、助けてよぉ!  にいさまぁ!」

「ヘル、お兄ちゃんはここだよ。ボクがお兄ちゃんだ、そうだよね?」

僕はライアーの手を振り払い、彼の腹にナイフを突き立てた。
そのまま体当たりをするように彼を押し倒して、馬乗りになって腹や胸を何度も刺した。
何度も、何度も、動かなくなるまで。

「…………ボクじゃ、ダメ、かぁ」

「死んでよ、お願い……早く死んでよ!」

「ごめん、ね……ヘル……」

喋らなくなるまで、刺した。
辺りはライアーの血に染まって、僕も赤く染まっていて、目に入るもの全てが赤くて、それが恐ろしくて仕方なかった。
目を覆っているとブツと何かが切れる音が頭に響いて、また別の音声が流れ出す。

『──ゲーム終了』

あぁ、そうだ。これはゲームだった。
ライアーが兄だったのも、共に幸せな時間を過ごしたのも、彼を殺してしまったのも、全て現実ではなかった。現実に戻ったら、ライアーにこの結果を見られたら、僕は彼にどんな目で見られるのだろう。

『音声を再生します』

僕が起きてからのライアーと僕の会話が再生される。所々を切り取られ、早められ、両親の声も交じってくる。その時は聞き取れなかった会話もハッキリと聞こえた。

「ヘル疲れちゃったみたい」
「仕方ないな。ヘルは体が弱いから」
「明日のおでかけどうしようかな?」
「それはライアーに任せるよ」

……僕を殺す相談、じゃない?
どうして?  おでかけって何?  だってあの後、ライアーは僕を殺しに来た。

「ヘル、お兄ちゃんだよ」
「おうちに帰ってゆっくり休もう」
「……なにも怖くないから、おいで」

……殺しに来た?  本当に?  違う、ライアーは家を飛び出した僕を心配して迎えに来ただけだ。兄らしく、弟を心配して──!

「…………ボクじゃ、ダメ、かぁ」

ライアーは一度も僕に暴力を振るわなかった。ナイフを振り回す僕に優しく語りかけてくれていた。

「ごめん、ね……ヘル……」

その声を最後に、またブツという音が頭に響いた。

『音声再生終了。お疲れ様でした。ゴーグルとヘッドホンを外してください』

無機質な声に指示されるままにゴーグルとヘッドホンを外す。
僕は椅子に座っていなかった。拘束されていたはずなのにどうしてだろう。
僕が自力で抜け出せる訳がない、となると誰かが拘束を外したということになる。
この部屋に入ってくる人なんて、僕にはライアーしか思いつかない。

「……ライアーさん?」

そのライアーは僕の下にいた。
僕はライアーの上に、腹のあたりに馬乗りになっていた。
僕の手には、ナイフが握られていた。
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