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第二十六章 貪食者と界を守る魔性共
退散の呪文
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リンとフェルもアルに向かって走ってはいたが、後ろに迫る神性から逃れるには遅い。フェルは三人死ぬ未来を防ぐ為、アルに引き返すよう叫んだ。
だが、アルは止まらない。主人と同じ姿をした物を容易くは見捨てられなかった。
「……アルギュロス! お願い!」
リンはそう叫び、フェルを抱え──アルに向かって投げた。シャバハの刀を受け止めたことで壊れかけてはいたが、彼の義肢もまた高性能で、投げられたフェルはアルに届いた。頭の上に落ちたフェルにアルは立ち止まった。
『前が見えん! フェル、早く背に乗ってくれ!』
『ちょ、ちょっと待って……乗った!』
フェルが背に移動するまでの間、アルは立ち止まっていた。
立ち止まったから、フェルにもリンにも間に合わず神性に体当たりする未来は避けられた。
『──退散せよ!』
眩い光が街を包み、幾何学模様の焼け跡を残し、神性は退散した。
『やぁやぁお疲れ様、ヘクセンナハト。上手い具合に術は使えたみたいだね』
ぐったりと体を横たえたエアの顔を覗き込むのは数時間前にも現れた預言者。
『……やぁ、ニャル様。ごきげんよう』
『うん、うん。ボクはご機嫌だよ。炎の神性はどうも好みじゃなくてね。まだこの国で遊びたいし、まだ喚んで欲しくなかったんだ』
『…………喚び出し方教えたくせに、よく言うよ』
突然現れた彼に鬼達は共に構え、警戒と同時に戦闘態勢を整えた。
『ボクが嫌いな火の神様はアレじゃない。アレはその神を喚び間違えた時に出てくる外の神様さ。ま、道はもう閉じる。どっちもしばらくはこの星に来れないよ、きっとね』
彼は警戒する鬼達など歯牙にも掛けない、ぷらぷらと手を揺らし、黒い巻髪を揺らし、透け布の向こうで口を歪ませる。
『ボクにとっては良い結果だし、キミ達にとってもそうだろう? 無関係な人や教徒を除けば、キミ達の仲間だけで言えば、犠牲は一人で済んだ。おめでとう』
『……一人? 何言ってるの?』
全員無事だ。エアはそれを確かめる為、立ち上がる。鬼は二人で、あの悪魔──
『蝿女は? まさかアレが死んだなんて言わないよね?』
茨木はポケットから丸い蝿を取り出し、見せる。手のひらに転がったそれは翅を微かに揺らした。
『……冬眠かなにか? まぁいいや、それで、えっと……』
鬼達に悪魔、それからヘルのお気に入りの魔獣とヘルの複製。
『アル君もフェルも無事で……』
サクサクと子気味いい音を鳴らし、砂の上を歩いていく。フェルは神性が退散したその場にしゃがみ込み、ぼうっとしている。その隣に座っていたアルはエアの姿を認識して走り寄った。
『…………リン……だっけ? 彼は?』
あの騒がしい人間が──鬱陶しいボサボサ頭の男が居ない。
『兄君……リンが、消えた』
『はぁ? なんで? 退散の呪文は人間には効果ないよ?』
エアは心からの疑問を呟きながらフェルの肩を叩く。だが、フェルは一点を見つめたまま動かない。
『……フェル? どうしたの? お兄ちゃんだよ?』
髪を掴み、無理矢理に視線を奪う。
フェルはそれでも返事をせず、見つめていた場所を指差す。そこには幾何学模様と同じように黒く焼け焦げた砂が残っていた。
『えっと……? 何が言いたいの? ちゃんと喋ってよ、口があるんだから』
ばしばしと頭を叩きながらフェルに問い掛ける、その手を止めたのはアルの尾だった。
『乱暴過ぎる』
『……喋らない方が悪いでしょ。それとも何? 君にはフェルが何を言いたいか分かったの?』
『…………あぁ、分かった。そこの焦げと灰を調べてくれ』
エアは不愉快な思いをしながらも放心したフェルから何かを聞き出すのは不可能だと判断し、フェルが指差しアルが示した焦げた砂を摘み上げた。
『……人? それに、布。金属も…………何が燃えたの、これ。ここ何かあった? 劇場の周りの屋台は引っ込んでたはずだよね?』
『……………………リンさん』
『あぁ、ようやく喋ったねフェル。それで? 何が言いたいの?』
『……リンさん、が…………燃えちゃった』
『…………燃えた?』
フェルはよろよろと膝立ちで進み、焦げた砂に両手を埋める。
『見た。一瞬で、黒くなって、崩れて、こんなのに……なっちゃった』
黒い砂を掬い上げ、その上に涙を落とす。
エアはその仕草と言葉でようやく理解した。
『……そ。まぁ、人間だし……そんなものだよ』
『酷いねぇヘクセンナハト。キミのせいなのに』
分身の心を理解出来ず、慰めもせず立ち上がったエアの懐に預言者は忍び込む。エアは「いつの間に」なんて驚く事もなく、従順に次の言葉を待った。
『キミが退散の呪文を何度も失敗しなければ、彼は死ななかった』
『……あなたがしっかり教えなかったからですよ』
預言者は踊るように移動し、今度はアルの首に腕を絡める。
『キミが逃げる時に彼らを連れて行ってたら、こんな事にはならなかった』
『…………私は、何人も運べない。それにっ……弟君は彼を抱えて走れると……』
アルの言い訳は聞かず、肩を震わせるフェルの顔を覗き込む。
『キミがしっかり逃げていれば彼は死ななかった、キミが子供のふりをして彼の同情誘わなければ彼は死ななかった、キミが彼に甘えたいと願わなければ彼はここまで着いてくることはなかった、彼はここで死ぬ運命にはなかった、彼はここで死ぬ必要はなかった、彼を殺したのは君だ、存在価値の無い偽物が、唯一無二の、キミと違って替えのきかない人間を殺した』
早口でそう囁き、無表情のまま深淵の如き瞳を近付ける。
『無意味なキミが……無限の未来を持つ人間を殺した』
額を触れ合わせ、目を細める。嘲るように、慰めるように、憐れむように、慈しむように──どんな感情とも取れる瞳はフェルの心にトドメを刺した。
『しかも彼はキミのオリジナルであるヘルの恩人。ヘルのお気に入りの獣を作った人の子孫。ヘルにとって大切な人。ダメなコピーだねぇ、オリジナルの親愛なる恩人を殺すなんて!』
『……貴様、それ以上口を開くな。死にたくなければな』
『あっははは、いいよ? 殺してくれても! その代わりにこの大陸に住む人間全ての精神を犯してあげる!』
アルの脅しにフェルから離れ、ケラケラと笑いながら闇に紛れ、消えた。アルは人間だとしか思えなかった彼のその神出鬼没さに驚いたが、エアは眉一つ動かさなかった。
『フェル、帰るよ。空間転移するから近くに寄っておいで』
『…………蘇生、魔法……を』
『無理だよ。神の炎だ、魂ごと焼き尽くされてる』
エアはフェルに背を向け、アルの尾を腕に絡めて鬼達の所に戻った。地面に魔法陣を描くとフェルを呼んだ。
フェルは虚ろな瞳のまま、黒い砂を弛ませたローブに掬い、エアの元へ走った。
空間転移はいつも通り完璧に始まり、完璧に終わる。一行は娯楽の国のヴェーンの館に帰って来た。
時差を考慮してもヘルはまだ眠っているだろう、そう予想した鬼達とアルは風呂に走った。
エアは自室に戻り、フェルは玄関に立ち尽くしていた。
「おー、おかえりガキ……の弟、スライム。お前のせいで酷い目に遭ったぞ」
昼間に不本意ながら眠ってしまっていたヴェーンは一人キッチンでトマトジャムを作っていた。帰って来た連中を出迎えようと出てきたが、気の早い彼らはもう居らず、フェルしか残っていなかった。
『…………瓶、下さい。大切なものを入れる、瓶を……持ってますよね。目、集めるくらいなんですから』
「あ? なんだよ急に……瓶、なぁ……ま、あるにはあるけど。それより留守中の愚痴聞け」
『……瓶』
「…………はぁー……分かった分かった。ついて来い、サブコレクションルームにある。道中愚痴聞けよ」
ヴェーンはフェルが話を聞く気がないと察し、地下にある部屋に案内する。その道中にフェルの分身である『椅子』が暴走し大変な目に遭ったという話をしたが、ヴェーンは聞かせる気はなかったしフェルも聞く余裕はなかった。
だが、アルは止まらない。主人と同じ姿をした物を容易くは見捨てられなかった。
「……アルギュロス! お願い!」
リンはそう叫び、フェルを抱え──アルに向かって投げた。シャバハの刀を受け止めたことで壊れかけてはいたが、彼の義肢もまた高性能で、投げられたフェルはアルに届いた。頭の上に落ちたフェルにアルは立ち止まった。
『前が見えん! フェル、早く背に乗ってくれ!』
『ちょ、ちょっと待って……乗った!』
フェルが背に移動するまでの間、アルは立ち止まっていた。
立ち止まったから、フェルにもリンにも間に合わず神性に体当たりする未来は避けられた。
『──退散せよ!』
眩い光が街を包み、幾何学模様の焼け跡を残し、神性は退散した。
『やぁやぁお疲れ様、ヘクセンナハト。上手い具合に術は使えたみたいだね』
ぐったりと体を横たえたエアの顔を覗き込むのは数時間前にも現れた預言者。
『……やぁ、ニャル様。ごきげんよう』
『うん、うん。ボクはご機嫌だよ。炎の神性はどうも好みじゃなくてね。まだこの国で遊びたいし、まだ喚んで欲しくなかったんだ』
『…………喚び出し方教えたくせに、よく言うよ』
突然現れた彼に鬼達は共に構え、警戒と同時に戦闘態勢を整えた。
『ボクが嫌いな火の神様はアレじゃない。アレはその神を喚び間違えた時に出てくる外の神様さ。ま、道はもう閉じる。どっちもしばらくはこの星に来れないよ、きっとね』
彼は警戒する鬼達など歯牙にも掛けない、ぷらぷらと手を揺らし、黒い巻髪を揺らし、透け布の向こうで口を歪ませる。
『ボクにとっては良い結果だし、キミ達にとってもそうだろう? 無関係な人や教徒を除けば、キミ達の仲間だけで言えば、犠牲は一人で済んだ。おめでとう』
『……一人? 何言ってるの?』
全員無事だ。エアはそれを確かめる為、立ち上がる。鬼は二人で、あの悪魔──
『蝿女は? まさかアレが死んだなんて言わないよね?』
茨木はポケットから丸い蝿を取り出し、見せる。手のひらに転がったそれは翅を微かに揺らした。
『……冬眠かなにか? まぁいいや、それで、えっと……』
鬼達に悪魔、それからヘルのお気に入りの魔獣とヘルの複製。
『アル君もフェルも無事で……』
サクサクと子気味いい音を鳴らし、砂の上を歩いていく。フェルは神性が退散したその場にしゃがみ込み、ぼうっとしている。その隣に座っていたアルはエアの姿を認識して走り寄った。
『…………リン……だっけ? 彼は?』
あの騒がしい人間が──鬱陶しいボサボサ頭の男が居ない。
『兄君……リンが、消えた』
『はぁ? なんで? 退散の呪文は人間には効果ないよ?』
エアは心からの疑問を呟きながらフェルの肩を叩く。だが、フェルは一点を見つめたまま動かない。
『……フェル? どうしたの? お兄ちゃんだよ?』
髪を掴み、無理矢理に視線を奪う。
フェルはそれでも返事をせず、見つめていた場所を指差す。そこには幾何学模様と同じように黒く焼け焦げた砂が残っていた。
『えっと……? 何が言いたいの? ちゃんと喋ってよ、口があるんだから』
ばしばしと頭を叩きながらフェルに問い掛ける、その手を止めたのはアルの尾だった。
『乱暴過ぎる』
『……喋らない方が悪いでしょ。それとも何? 君にはフェルが何を言いたいか分かったの?』
『…………あぁ、分かった。そこの焦げと灰を調べてくれ』
エアは不愉快な思いをしながらも放心したフェルから何かを聞き出すのは不可能だと判断し、フェルが指差しアルが示した焦げた砂を摘み上げた。
『……人? それに、布。金属も…………何が燃えたの、これ。ここ何かあった? 劇場の周りの屋台は引っ込んでたはずだよね?』
『……………………リンさん』
『あぁ、ようやく喋ったねフェル。それで? 何が言いたいの?』
『……リンさん、が…………燃えちゃった』
『…………燃えた?』
フェルはよろよろと膝立ちで進み、焦げた砂に両手を埋める。
『見た。一瞬で、黒くなって、崩れて、こんなのに……なっちゃった』
黒い砂を掬い上げ、その上に涙を落とす。
エアはその仕草と言葉でようやく理解した。
『……そ。まぁ、人間だし……そんなものだよ』
『酷いねぇヘクセンナハト。キミのせいなのに』
分身の心を理解出来ず、慰めもせず立ち上がったエアの懐に預言者は忍び込む。エアは「いつの間に」なんて驚く事もなく、従順に次の言葉を待った。
『キミが退散の呪文を何度も失敗しなければ、彼は死ななかった』
『……あなたがしっかり教えなかったからですよ』
預言者は踊るように移動し、今度はアルの首に腕を絡める。
『キミが逃げる時に彼らを連れて行ってたら、こんな事にはならなかった』
『…………私は、何人も運べない。それにっ……弟君は彼を抱えて走れると……』
アルの言い訳は聞かず、肩を震わせるフェルの顔を覗き込む。
『キミがしっかり逃げていれば彼は死ななかった、キミが子供のふりをして彼の同情誘わなければ彼は死ななかった、キミが彼に甘えたいと願わなければ彼はここまで着いてくることはなかった、彼はここで死ぬ運命にはなかった、彼はここで死ぬ必要はなかった、彼を殺したのは君だ、存在価値の無い偽物が、唯一無二の、キミと違って替えのきかない人間を殺した』
早口でそう囁き、無表情のまま深淵の如き瞳を近付ける。
『無意味なキミが……無限の未来を持つ人間を殺した』
額を触れ合わせ、目を細める。嘲るように、慰めるように、憐れむように、慈しむように──どんな感情とも取れる瞳はフェルの心にトドメを刺した。
『しかも彼はキミのオリジナルであるヘルの恩人。ヘルのお気に入りの獣を作った人の子孫。ヘルにとって大切な人。ダメなコピーだねぇ、オリジナルの親愛なる恩人を殺すなんて!』
『……貴様、それ以上口を開くな。死にたくなければな』
『あっははは、いいよ? 殺してくれても! その代わりにこの大陸に住む人間全ての精神を犯してあげる!』
アルの脅しにフェルから離れ、ケラケラと笑いながら闇に紛れ、消えた。アルは人間だとしか思えなかった彼のその神出鬼没さに驚いたが、エアは眉一つ動かさなかった。
『フェル、帰るよ。空間転移するから近くに寄っておいで』
『…………蘇生、魔法……を』
『無理だよ。神の炎だ、魂ごと焼き尽くされてる』
エアはフェルに背を向け、アルの尾を腕に絡めて鬼達の所に戻った。地面に魔法陣を描くとフェルを呼んだ。
フェルは虚ろな瞳のまま、黒い砂を弛ませたローブに掬い、エアの元へ走った。
空間転移はいつも通り完璧に始まり、完璧に終わる。一行は娯楽の国のヴェーンの館に帰って来た。
時差を考慮してもヘルはまだ眠っているだろう、そう予想した鬼達とアルは風呂に走った。
エアは自室に戻り、フェルは玄関に立ち尽くしていた。
「おー、おかえりガキ……の弟、スライム。お前のせいで酷い目に遭ったぞ」
昼間に不本意ながら眠ってしまっていたヴェーンは一人キッチンでトマトジャムを作っていた。帰って来た連中を出迎えようと出てきたが、気の早い彼らはもう居らず、フェルしか残っていなかった。
『…………瓶、下さい。大切なものを入れる、瓶を……持ってますよね。目、集めるくらいなんですから』
「あ? なんだよ急に……瓶、なぁ……ま、あるにはあるけど。それより留守中の愚痴聞け」
『……瓶』
「…………はぁー……分かった分かった。ついて来い、サブコレクションルームにある。道中愚痴聞けよ」
ヴェーンはフェルが話を聞く気がないと察し、地下にある部屋に案内する。その道中にフェルの分身である『椅子』が暴走し大変な目に遭ったという話をしたが、ヴェーンは聞かせる気はなかったしフェルも聞く余裕はなかった。
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