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第二十七章 壊されかけた者共と契りを結べ

酔っ払い

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ヴェーンに手を引かれてダイニングに戻る。流石に他人の視界を使って一人で歩く度胸は無い、曲がるタイミングなどの微妙なズレで転ぶに決まっている。

「着いたぜ、ほら座れ」

ヴェーンは僕をソファに投げるようにして手を払う。乱暴だ、と非難の声を上げる間もなく膝の上に重い何かが乗る。

『遅かったな。待ちくたびれたぞ、私を干物にでもするつもりか?』

「アル……ごめんごめん」

呂律が回っていない、かなり飲んだな。アルはソファを占領して寝転がっているらしく、僕の膝に頭を乗せている。
手探りに頭を撫でる──と、触れたのは額ではなく顎だ。珍しくもアルは仰向けになっているようだ。

『傍に居てくれないのか?  私の唯一の願いは叶わないのか?  我儘を言えと言ったのは貴方だぞヘル……』

「ごめんって。ちょっとの間だけだろ?  許してよ」

『ヘル……貴方は酷い。甘い言葉で喜ばせては冷たく突き放して……私を弄んで楽しいのか?  楽しいだろうなぁ、こんな魔獣を言葉だけで翻弄出来るんだ、楽しいだろう』

いくら酔っていると言っても執拗だ。アルを驚かせようとアルに隠れてプレゼントを作ろうとしているのに、酷いと言われる筋合いはない。
 
『好きだのと愛しているだのと、滑稽だったか?』

「違うよ、そんなんじゃなくて……その、いや、今は言えないけどさぁ。僕はアルのこと好きだよ」

『…………そう言えば、私を誤魔化せると思っているのか?』

正直なところ思っていた。現実は違ったようだけれど。

『嘘吐き……』

「…………いい加減にしてよ。ずっと傍に居るって言ったけど、本当にずっとは無理だよ!  トイレとかどうする気なのさ……それでなくても!  僕は君以外と君抜きで話したい時もあるし、一人になりたい時もあるの!」

好きの言葉に嘘はない。嘘吐き呼ばわりは許容出来ない。
これから先、少しでも離れたらこうやって詰め寄られるのは我慢出来ない。最初にしっかりと言っておかなければならない。

「おい、喧嘩すんなよ。お前何の為に……ぁ、いや、とにかく人の家で喧嘩すんなって」

『…………そうだな、見苦しいところを見せた。続きは部屋で話そう、ヘル』

「そこも俺の部屋だぞー……」

ソファから降りたアルは僕を無理矢理背に乗せ、尾で縛り付けた。アルは足早に部屋に戻ると僕をベッドに転がし、すぐに僕を押さえ付けた。
二の腕に前足を乗せ、僕の身体の上で伏せをする。尾が僕の足をなぞるように動いている、もし逃れようと足を振れば尾に縛られるだろう。

『ヘル……私のご主人様、私の、私だけのヘル……貴方は誰にも渡さない、渡すものか、貴方は全て私のものだ……そうだな?  ヘル?』

「…………お酒臭いよ、アル……」

『貴方が私以外の者と話すのも!  私以外の者に触れられるのも!  許せないんだっ……!  ヘル、貴方は言った。我儘を言えと、我慢するなと、どうしてもと言うなら閉じ込めろと!  お言葉に甘えさせてもらおうか』

頬に生温く濡れたものが押し当てられる。アルの舌だ。翼が手や足の先に触れる──目があったなら僕用の囲いのように広がった黒翼が見えただろう。

「……にいさまみたい」

『違うな、ヘル。貴方のせいだ。貴方が私を兄君のような性格にした……貴方は他者を狂わせるんだ、きっと兄君も……』

僕のせいで歪んだと?  僕が虐待されてきたのも僕の責任だと?
分かっている、そんなこと。生まれるべきではなかったのは僕が一番よく理解している。

「アルは僕が嫌がることしないと思ってた」

そんな物言いをするなんて思っていなかった。

『嫌なのか?  閉じ込めろと言ったのは貴方だ』

「これからするんでしょ?  噛んだり、引っ掻いたり、齧ったり……痛いことするんでしょ?」

いつもより多い唾液で分かる。僕を食べたくなっているのだろうと。食べたいのなら食べてもいいけれど、痛覚の麻痺や治癒には手を抜かないで欲しい。

『……しないよ。ヘル、貴方を傷付けたりはしない』

「本当に?  なら良いよ。いくらでも閉じ込めてて」

アクセサリーを作る相談の時間は欲しいけれど、怠惰な生活は魅力的だ。
苛立つアルは恐いけれど、悋気は心地好い。

『ヘル……私のご主人様、貴方は本当に私を好いてくれてるのか?』

「もちろんだよ。僕はアルのこと大好き」

『…………分からないんだ、私には。自分の望みも、貴方の心も、何も分からない。貴方は私を傍に置こうとしたり、私を引き剥がしたり……怖がったり、抱き締めたり。矛盾する感情があるのは分かるが、貴方はその切り替わりが早過ぎる』

アルは僕の腕を押さえるのをやめ、僕の首の横に顎を置いた。僕は自由になった腕でその頭を抱き締める。

『……貴方を腹に納められたら何も悩みは無くなるのに』

「まだダメだよ。全部終わったら好きにしていいから、もう少し待ってね」

『どうしてそう自分に執着が無いんだ。全て終わっても喰いはしない、貴方に会えなくなるのは嫌だ……』

頬にまた舌が触れる。

『ヘル……私のご主人様、私の…………旦那様』

いつも以上に甘い、蕩けたような声。酒に酔ったからではない、酔ってはいるが酒だけではない、少なくとも僕はそう直感した。

『貴方には数多の魔物が必要だ。だが、私はもうその中には入らない』

頬だけではない。顎を、耳を、額を、髪を、首から上全てを舐められる。

『貴方に必要な女は……私だけ』

どうしてだろう。
誰かに愛されたかったのに、アルに愛されるのは嬉しいことのはずなのに、怖くて仕方ない。
僕はその恐怖を払拭する為、アルを黙らせる為、アルを強く抱き締めた。アルは嬉しそうに甘えた声を上げ、大人しくなる。
僕は現実逃避をするように意識を闇に落とした。



邸宅の中庭。高い塀に囲まれ、人目を気にせずスポーツや茶会を行える場所だ。そんな中庭で破裂したボールの残骸を見て時間を浪費する影が二つ。

『……君が亜音速とか出すから』

『……兄君が触手大量に生やすから』

時折にそう呟いてはまた黙る。

『馬鹿らしくなってきた』

『中、戻ります?』

『……そうだね』

『お腹空きましたね、そろそろ人食べないと餓死しちゃいます』

地獄の帝王と史上最強の魔法使いの決着は延期された。
彼らがダイニングに戻ると昼間から酒盛りをする鬼達と紙にペンを走らせる半吸血鬼が居た。

『私も飲みますー!  ストレート!』

『僕にも一杯、炭酸割りで。君何書いてんの?』

ベルゼブブは鬼達の隣に飛び、エアはヴェーンの肩越しに手元を覗く。

『…………ネックレス?』

「あぁ、お前か。何か案あるか?」

『無いけど。何それ』

『あ、面白そうな気配。見せてください見せてください』

テーブルを乗り越え、ベルゼブブがヴェーンの隣に座る。それに釣られて鬼達も絵を覗きに来た。

『これ先輩にあげるやつですか?』

「そ。何個か案考えないとな。あの狼の趣味分かるか?」

『……何であの狼にあげるの?』

エア以外の四人は顔を見合わせ、「まぁいいか」と無言で結論を出し、「本人には言うな」と前置きをして話した。

『ヘルが……?  ふぅん……』

『なんや思ったより反応せぇへんねんな』

『別に……ペットに首輪付けたいのは普通でしょ』

エアは誰にも作られなかった炭酸割りを自分で作り、一気に飲んだ。

『それが、ですよ兄君!  なんと先輩この度ペットから恋人に昇格したんです!  嫁も間近ですよー!  楽しみですねぇ』

『……はぁ?  狼だろ?  変身でも出来るようになったの?』

『無粋な事言いなや。異種婚姻譚はどこにでもありますやろ?  蛇や龍やと結ばれる娘がおんねんから、そう不思議でもありまへん』

姿形よりも強さを優先する鬼。決まった形が無いに近い悪魔。異種婚の多い吸血鬼。彼らにとってはヘルとアルの組み合わせに疑問を抱く方が異常だった。まぁ、彼らも人間の嗜好を分かっているから皮肉でもなければ敢えて口には出さないけれど。

「気にすんなよ。お前だってバケモンだろ?」

『そうですそうです、決まった形があるだけ貴方よりマシですよ』

『せやせや、あの犬は絶対浮気せぇへんやろしな』

『しそうなんは頭領はんの方やねぇ……ふふっ』

四人はエアがショックを受けただろうと適当に慰める。

『……………………妹が増える?』

それを聞いていたのかいないのか、エアはボソッと呟いた。

『あっダメですねこの人』

『妹に改めて挨拶してくる……』

『行ってらっしゃい。二人で部屋にこもってしばらく経ちますから、よろしくヤってるかもしれませんよ』

「お前その見た目でそういうこと言うのやめろよ」

『堕天使よりマシでーす。ところであの堕天使はどうして引きこもってるんです?』

「あぁ……ちょっと事件あってさ──」

ふらふらと部屋を出ていくエアを乱雑に見送り、四人の話題はヴェーンが話す留守中の出来事に移った。
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