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第二十九章 愛し仔の為の弔辞
輝き
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気温は夜より高くなったらしく、毛布にくるまっていなければ震えてしまうという程ではなくなっていた。手放せる程でもないけれど。
「…………寒い。アル、こっち来て……」
上体を起こし、部屋のどこかに居るであろうアルに声をかける。ベッドの横にでも居るのかと足を下ろすと冷たいコンクリートに触れる。
「冷たっ……アル? 乗せるか靴持ってくるかして」
足をぷらぷらと揺らしてアルの返事を待つ。耳の上にベルゼブブは居らず、視界は自前の暗闇だ。
「…………居ないの?」
来ないならまだしも、返事がないのはおかしい。僕はもう一度名を呼んで、それから不安に襲われた。
どこに行ったのか、無事なのか、誰かと話しているのか、どうして居ないのか、そんな言葉が頭を廻る。
迷っていても仕方ないと冷たいコンクリートに裸足で下り、暗闇の中そっと立ち上がる。それと同時に扉が開いた。
『ヘル、起きたか』
カチャカチャと爪の音が耳に届く。
「アル! アル? どこに行ってたのさ」
『あぁ……えぇと、貴方がそろそろ起きると思ってな、朝食を用意しようかと……』
歯切れが悪い。いつもなら鬱陶しくも疑っていたところだが、今は何より声が聞けたことが嬉しい。
『床は冷たいだろう。ほら、乗れ』
「あ、ありがと…………アルは冷たくないの?」
『大したことは無い、気にするな』
十二分に寝たはずなのに、アルの優しい声を聞いてこの揺れを感じていると眠くなってくる。全く不思議だ。
『ヘル、おはよ。パンあるよ』
「ありがと……」
兄に手渡されたパンを齧る。中に薄く切った肉が挟まっている。味はよく分からないが、食感には覚えがない。
「これ何の肉?」
『何かその辺に居たやつ』
『名前は分かりませんけど、多分哺乳類です』
用意してもらっておいて文句を言うのはよくないが、今は言わせて欲しい。
「……分かるもの食べさせてよ」
毒や菌がなければいいのだが……まさか生ではないだろうな。パンの中の肉が冷たいのは作ってから時間が経ったからだと思いたい、柔らかいのは絶妙な焼き加減と元々の肉質だと思いたい。
『体調悪くなったら治すから』
神に祈りたい気分だ。教会に居るからだろうか。
『食べ終わったら酒食の国に帰るのか?』
「ん……そう、だね。別に用事ないし……」
『王さんから報酬ふんだくらなアカンやろ』
「……程々にね?」
そういえば前のアルの遺骸はどうなったのだろう。特定ではなく、全員にそう尋ねた。
『…………焼き付けは私が呑んだ』
『肉は僕が食べたよ』
跡形も無くなったらしい。残っていて誰かの目に触れるのは嫌だけれど、消えてしまったら消えてしまったでモヤモヤと嫌な気分が残る。
「焼き付けを呑むって……何?」
『私には本来魂が存在しない、石に書き込まれたデータだけが私を私たらしめる。だが、データから放出された感情による焼き付けは魂のものと相違ない』
「…………意味分かんない」
『未練消えたら焼き付けは消える。せやけど、そこに「在った」いう事実は残る。その事実と含まれる情報を抽出して魔力体にするんや』
「………………は?」
『……焼き付けそのもんやのうて焼き付けの情報を回収して、狼に呑ませた……読み込ませたんや』
よく分からないのは僕の頭が悪いからだろうか。
『その節は助かったぞ鬼、まさか貴様が情報を魔力として扱えるとは思わなかった』
『なんの取り柄もない大酒飲みの馬鹿だと思ってたよ』
未だ理解出来ていない僕を放って、酒呑への賞賛の皮を被った嘲りに話題が変わる。
「……あのアルがアルの中に居るってこと?」
『少し違うな、あの私が持っていた記憶や感情が私の知識に変わったんだ』
「………………つまり?」
『私は貴方との思い出を全て取り戻し、貴方へ抱いた感情一つ一つを手に入れ、貴方をより一層深く愛せるようになった』
「…………アル大好き!」
『それでいい』
記憶が全て戻ったということは、僕の杞憂が完全に消え去るということ。僕がずっと気にしてきた「今のアルは本当に前のアルと同じなのか」という問題が解決するということ。
惜しむらくは科学の国でリンに作り直してもらった僕との記憶が全く無いアルとよ思い出が無いと言う点か。あのアルは独占欲が強く、自分を律する精神が薄く、素直でとても可愛らしかったのに。
『あー! もう! 目の前でイチャついてんじゃねぇよウザったい!』
『蝿さん、口調』
『……目の前で仲良くなされると私の心が乱されますやめてください!』
『よし』
ベルゼブブと兄の仲も以前よりは良くなったと見ていいだろう、流石にそろそろ打ち解けてきたか。
『自分なんでそんな恋愛事嫌いなん』
『別に嫌いじゃないですよ、男同士ならむしろ好きです』
『…………男女は?』
『どうでもいいです。そういうんじゃなくてですね、先輩とヘルシャフト様のイチャつき方あのクソトカゲ思い出してムカつくんです』
ただ話しているだけで腹を立てられては困る。僕のどこにサタン──クソトカゲとやらはサタンでいいのだろうか──彼を思い起こさせる部分があるというのか、疑問だ。
『……つまり、じゃれ合い方を考えろってことだね。考えてヘル、ほら考えろ』
「えっ……え? じゃ、じゃあ……ベルゼブブの前では黙って引っ付いてる……」
話し方が気に入らないなら話さなければいい。
『それはそれで似てますね』
「……提案ある?」
『仲良く話してるの見せつけられるのは嫌いですけど、致してるの見るのは好きですから、ヤってください』
「やる? 何を?」
『やめてくださいベルゼブブ様!』
別にベルゼブブに気を使わなくてもいいと思うが、一々絡まれるのも嫌だし怒らせたら大変だ、彼女の前ではあまり話したり引っ付いたりしないようにしようか。
「……食べ終わったし、お城行かない?」
『行く? じゃあ集まって。巻き込んじゃうから机と椅子どけて』
ガシャガシャと耳障りな音が広間に響く。見えていないので断言は出来ないが、机や椅子を引き摺って移動させるのではなく投げて移動させているのだろう。
『転移っ……と』
『便利やのぉ。羨ましいわ』
一瞬の浮遊感があって、周囲の空気が変わる。
少し暖かくなった空気を肺に入れていると、聞き覚えのある男の悲鳴が鼓膜を揺さぶった。
『……うるさい』
「わ、悪いね。急に出てきたから……驚いて」
牢獄の国の国王だ。兄に睨まれていることだろう、可哀想に。
『で、なんぼくれるん』
「この国は貧乏でね……大した額じゃないんだが」
チャリ、と貨幣が擦れる音が聞こえる。酒呑が言うには抱えられる程度の袋に半分ほど入っているのだと。
『…………蒸留酒六本分か、しけとんな』
「やっぱり……この程度じゃダメだよね」
「あ! いえいえ、別にそんな……むぐっ」
『黙り頭領、こういうんは絞れるだけ絞らなアカンねん』
骨ばった男の手に口を塞がれる……指が酒臭いとはどういう事だ。
「ってことで、これをあげようかと」
『……なんやこのボッロい本』
「以前、砂漠の国の視察に行った時行商から買ったんだ」
『お礼やのぅて廃品処理やないか』
受け取ったのは酒呑らしい。彼に説明を求める。
『……本やな。何処の何時の文字やこれ、読まれへん。だいぶ古いで。要らんわこんなもん』
そう言うなと酒呑を諌め、本とやらを受け取る。紙の感触からして状態がいいとは言えない。
『…………ヘル、貰っておきなよ』
「うん……? そのつもりだけど、何かあるの? にいさま読める?」
『……いや、別に。ただ……表紙がいいデザインだから。インテリアにでもしたら』
珍しくも兄の歯切れが悪い。デザインが良くとも今の僕には見えないが、兄が言うなら中々の物なのだろう。
『……ね、王様。君なんでこんなもの持ってるの?』
「へ? いや、だから行商から買って。安かったし、綺麗なデザインだし、勧められて断り切れなくて……」
『これが何かは分かってないってこと?』
『どうしたんです兄君、ただの本でしょう? 確かに気持ちの悪い文字してますけどね』
『君も分からないの……? あぁ、そうか……あの時の…………いや、何でもない。価値が分からない君達に壊されでもしたら困るし、僕が持っておくよ』
どうしてそう気になる種だけを撒いて話を切り上げるのか。僕は兄に説明を求めたが、兄は僕を無視して空間転移魔法を発動させた。
「…………寒い。アル、こっち来て……」
上体を起こし、部屋のどこかに居るであろうアルに声をかける。ベッドの横にでも居るのかと足を下ろすと冷たいコンクリートに触れる。
「冷たっ……アル? 乗せるか靴持ってくるかして」
足をぷらぷらと揺らしてアルの返事を待つ。耳の上にベルゼブブは居らず、視界は自前の暗闇だ。
「…………居ないの?」
来ないならまだしも、返事がないのはおかしい。僕はもう一度名を呼んで、それから不安に襲われた。
どこに行ったのか、無事なのか、誰かと話しているのか、どうして居ないのか、そんな言葉が頭を廻る。
迷っていても仕方ないと冷たいコンクリートに裸足で下り、暗闇の中そっと立ち上がる。それと同時に扉が開いた。
『ヘル、起きたか』
カチャカチャと爪の音が耳に届く。
「アル! アル? どこに行ってたのさ」
『あぁ……えぇと、貴方がそろそろ起きると思ってな、朝食を用意しようかと……』
歯切れが悪い。いつもなら鬱陶しくも疑っていたところだが、今は何より声が聞けたことが嬉しい。
『床は冷たいだろう。ほら、乗れ』
「あ、ありがと…………アルは冷たくないの?」
『大したことは無い、気にするな』
十二分に寝たはずなのに、アルの優しい声を聞いてこの揺れを感じていると眠くなってくる。全く不思議だ。
『ヘル、おはよ。パンあるよ』
「ありがと……」
兄に手渡されたパンを齧る。中に薄く切った肉が挟まっている。味はよく分からないが、食感には覚えがない。
「これ何の肉?」
『何かその辺に居たやつ』
『名前は分かりませんけど、多分哺乳類です』
用意してもらっておいて文句を言うのはよくないが、今は言わせて欲しい。
「……分かるもの食べさせてよ」
毒や菌がなければいいのだが……まさか生ではないだろうな。パンの中の肉が冷たいのは作ってから時間が経ったからだと思いたい、柔らかいのは絶妙な焼き加減と元々の肉質だと思いたい。
『体調悪くなったら治すから』
神に祈りたい気分だ。教会に居るからだろうか。
『食べ終わったら酒食の国に帰るのか?』
「ん……そう、だね。別に用事ないし……」
『王さんから報酬ふんだくらなアカンやろ』
「……程々にね?」
そういえば前のアルの遺骸はどうなったのだろう。特定ではなく、全員にそう尋ねた。
『…………焼き付けは私が呑んだ』
『肉は僕が食べたよ』
跡形も無くなったらしい。残っていて誰かの目に触れるのは嫌だけれど、消えてしまったら消えてしまったでモヤモヤと嫌な気分が残る。
「焼き付けを呑むって……何?」
『私には本来魂が存在しない、石に書き込まれたデータだけが私を私たらしめる。だが、データから放出された感情による焼き付けは魂のものと相違ない』
「…………意味分かんない」
『未練消えたら焼き付けは消える。せやけど、そこに「在った」いう事実は残る。その事実と含まれる情報を抽出して魔力体にするんや』
「………………は?」
『……焼き付けそのもんやのうて焼き付けの情報を回収して、狼に呑ませた……読み込ませたんや』
よく分からないのは僕の頭が悪いからだろうか。
『その節は助かったぞ鬼、まさか貴様が情報を魔力として扱えるとは思わなかった』
『なんの取り柄もない大酒飲みの馬鹿だと思ってたよ』
未だ理解出来ていない僕を放って、酒呑への賞賛の皮を被った嘲りに話題が変わる。
「……あのアルがアルの中に居るってこと?」
『少し違うな、あの私が持っていた記憶や感情が私の知識に変わったんだ』
「………………つまり?」
『私は貴方との思い出を全て取り戻し、貴方へ抱いた感情一つ一つを手に入れ、貴方をより一層深く愛せるようになった』
「…………アル大好き!」
『それでいい』
記憶が全て戻ったということは、僕の杞憂が完全に消え去るということ。僕がずっと気にしてきた「今のアルは本当に前のアルと同じなのか」という問題が解決するということ。
惜しむらくは科学の国でリンに作り直してもらった僕との記憶が全く無いアルとよ思い出が無いと言う点か。あのアルは独占欲が強く、自分を律する精神が薄く、素直でとても可愛らしかったのに。
『あー! もう! 目の前でイチャついてんじゃねぇよウザったい!』
『蝿さん、口調』
『……目の前で仲良くなされると私の心が乱されますやめてください!』
『よし』
ベルゼブブと兄の仲も以前よりは良くなったと見ていいだろう、流石にそろそろ打ち解けてきたか。
『自分なんでそんな恋愛事嫌いなん』
『別に嫌いじゃないですよ、男同士ならむしろ好きです』
『…………男女は?』
『どうでもいいです。そういうんじゃなくてですね、先輩とヘルシャフト様のイチャつき方あのクソトカゲ思い出してムカつくんです』
ただ話しているだけで腹を立てられては困る。僕のどこにサタン──クソトカゲとやらはサタンでいいのだろうか──彼を思い起こさせる部分があるというのか、疑問だ。
『……つまり、じゃれ合い方を考えろってことだね。考えてヘル、ほら考えろ』
「えっ……え? じゃ、じゃあ……ベルゼブブの前では黙って引っ付いてる……」
話し方が気に入らないなら話さなければいい。
『それはそれで似てますね』
「……提案ある?」
『仲良く話してるの見せつけられるのは嫌いですけど、致してるの見るのは好きですから、ヤってください』
「やる? 何を?」
『やめてくださいベルゼブブ様!』
別にベルゼブブに気を使わなくてもいいと思うが、一々絡まれるのも嫌だし怒らせたら大変だ、彼女の前ではあまり話したり引っ付いたりしないようにしようか。
「……食べ終わったし、お城行かない?」
『行く? じゃあ集まって。巻き込んじゃうから机と椅子どけて』
ガシャガシャと耳障りな音が広間に響く。見えていないので断言は出来ないが、机や椅子を引き摺って移動させるのではなく投げて移動させているのだろう。
『転移っ……と』
『便利やのぉ。羨ましいわ』
一瞬の浮遊感があって、周囲の空気が変わる。
少し暖かくなった空気を肺に入れていると、聞き覚えのある男の悲鳴が鼓膜を揺さぶった。
『……うるさい』
「わ、悪いね。急に出てきたから……驚いて」
牢獄の国の国王だ。兄に睨まれていることだろう、可哀想に。
『で、なんぼくれるん』
「この国は貧乏でね……大した額じゃないんだが」
チャリ、と貨幣が擦れる音が聞こえる。酒呑が言うには抱えられる程度の袋に半分ほど入っているのだと。
『…………蒸留酒六本分か、しけとんな』
「やっぱり……この程度じゃダメだよね」
「あ! いえいえ、別にそんな……むぐっ」
『黙り頭領、こういうんは絞れるだけ絞らなアカンねん』
骨ばった男の手に口を塞がれる……指が酒臭いとはどういう事だ。
「ってことで、これをあげようかと」
『……なんやこのボッロい本』
「以前、砂漠の国の視察に行った時行商から買ったんだ」
『お礼やのぅて廃品処理やないか』
受け取ったのは酒呑らしい。彼に説明を求める。
『……本やな。何処の何時の文字やこれ、読まれへん。だいぶ古いで。要らんわこんなもん』
そう言うなと酒呑を諌め、本とやらを受け取る。紙の感触からして状態がいいとは言えない。
『…………ヘル、貰っておきなよ』
「うん……? そのつもりだけど、何かあるの? にいさま読める?」
『……いや、別に。ただ……表紙がいいデザインだから。インテリアにでもしたら』
珍しくも兄の歯切れが悪い。デザインが良くとも今の僕には見えないが、兄が言うなら中々の物なのだろう。
『……ね、王様。君なんでこんなもの持ってるの?』
「へ? いや、だから行商から買って。安かったし、綺麗なデザインだし、勧められて断り切れなくて……」
『これが何かは分かってないってこと?』
『どうしたんです兄君、ただの本でしょう? 確かに気持ちの悪い文字してますけどね』
『君も分からないの……? あぁ、そうか……あの時の…………いや、何でもない。価値が分からない君達に壊されでもしたら困るし、僕が持っておくよ』
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