魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

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第三十章 欲望に満ち満ちた悪魔共

目には歯を

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コップの底に残ったコーヒー風味の砂糖をスプーンで掬い、舌の上で弄ぶ時がコーヒーを飲む中で一番の至福だ。
兄との喧嘩を中断したベルゼブブにヴェーンが事情を説明する様子を眺めながら、口の中でザリザリと音を鳴らす。

『……そういえばヘルシャフト君、髪染めた?』

「それ今言います? 染めてませんよ、勝手に色抜けたんです」

当事者にも関わらず記憶が無い僕は傍観者としてヴェーンの説明を聞いていた。セネカと雑談をしながらだから、しっかりとではないけれど。

「よく気付きましたよね、かなり見た目変わったと思うんですけど」

『ま、ボク悪魔だし。見た目より魔力なんだよねー』

『ちょっとそこの当事者共、何だべってんですか引きちぎりますよ』

『なっ、何をちぎるの……?』

主語のない脅しは怖いものだ。

『で、えっと……ダンピールに全部聞きましたよ。ここから居なくなった時からここに帰ってくるまでのこと、全てね』

まずい、半分以上聞き逃した。自分で覚えていない自分の事だというのに全く興味をそそられなかった。

『ダンピール、貴方…………死罪ですよクソ野郎!』

吸血されて倒れた僕をヴェーンがアシュの元に連れて行ったんだったか。その後は助けてくれたし、アシュには魅了の魔眼があるのだから──と適当に宥める。

『魅了かぁー……ボク使えないんだよねぇ、メルちゃんは使えたよね?』

『最近は弱っちゃって使えないわよ』

ベルゼブブの呪いによって変換されたお菓子を食べていたから強力だったが、メル自体はそう強くない種族のようだ──と、また逸れたな、ベルゼブブを宥めないと。

「助かったんだしいいじゃん。ほら、僕怪我してないよ」

『そういう問題じゃありませんよ!』

「じゃあどういう問題なのさ」

『私の餌が一瞬でもアシュメダイの元にあった、という事が問題です!』

僕は心配されていないどころか生き物扱いもされていなかったらしい。アルなら僕を心配していてくれただろうに、アルなら僕の無事を喜んでくれるはずなのに、アル以外の魔性共には僕への愛が無い。

『ヘルヘルヘールー、僕魅了使えるようになったんだよ、試させて』

「え……今? もぅ……」

兄に肩を掴まれ、強引に振り向かされる。

魅了チャーム……どう? お兄ちゃん好き?』

兄の瞳が一瞬淡紅色に輝いた。その後期待に満ちた瞳で僕を見つめてきたが、僕には何の変化もない。

『支配の魔眼持ちに魅了なんざ通じるわけないでしょう』

『……目を潰せばいいの?』

『違います。ヘルシャフト様の魔力属性は支配、呪いとか効かないんですよ』

バッとカーテンが翻り、赤銅色の鬣を持つ獅子が僕の前に躍り出る。

『つまり我と同じ特性を持つという事だ! 毒、呪い、その他諸々の異常が効かん!』

そう叫ぶと再びカーテンの向こうに戻って行った。日向ぼっこでもしているのだろう。

『……先輩は一切の耐性を持ちません、真逆なんですね。逆なところが多い二人は長続きすると言いますよ、おめでとうございます』

興味無さげな拍手が贈られる。

『じゃあ頑張って覚えたこの術意味無いってこと?  前に君助けた意味無かったってこと?』

『そう言わないでよお義兄さん』

『僕は君の兄じゃないんだけど?』

やけに話し込んでいると思っていたが術を習っていたのか。前にお菓子の国に行った時、兄とメルが交わしていた約束を思い返し、僕は「まだ覚えていたのか」と呆れのため息を吐いた。

「そんな術使わなくても僕はちゃんとにいさま好きだよ?」

『……そういう社交辞令今要らないから』

弟が懐いていると表明しているのに社交辞令扱いするような兄だから好かれないんだと何故分からないのだろう。

『八方塞がりだよ、どうしようもない……』

何故行動で好感度を高めようという発想がないのだろう。僕は前より兄と話せるようになってきたと思うし、兄も丸くなってきたと思う。だから大丈夫──なんて言って納得するような人ではない、更に優しくなるよう期待して待つとしよう。

『魔物使い様、謹んで御報告致します』

突然目の前に執事風の男が現れる。その顔には見覚えがあった、確かアスタロトと言ったか。

『だから私の魔力使うのやめてくださいよ!』

ベルゼブブが彼の背後で喚いているが、彼がそれを気にする様子はない。

「……な、何か見えたの?」

『合成魔獣、アルギュロス様の件で──』

「アルが何!? アルに何かあったの!?」

ネクタイを掴んだ僕を止めたのは兄だった。慣れた手つきで僕の腕を押さえ、口を塞いだ。

『報告だろ、早くしなよ』

『はい。アシュメダイ様がアルギュロス様に魅了チャームを使用、家に連れ帰りました』

『……ました、ってことはもう終わったってことだね? 未来見えるんだろ?』

『はい。最も可能性の高い未来には──ア──ス──酷い姿──孕ん──』

頭が痛い。目の奥が熱い。アスタロトの報告が聞こえない。
アルに何か良くないことが起こっている、更に良くないことも起こる。それだけは理解した。

『まずいね、早く行かないと。君達魅了チャームに耐性ある? 強力な悪魔が相手じゃ結界壊れるかも。元々ある奴だけで行こう』

『我はあるぞ!』

『私もある……けど、役には立たないと思う』

『ボクもあるよ、血も補充したばっかだし、戦力になると思う』

『よし……ヘルは留守番。虎さん、ヘル見ててね。蝿さん、行くよ』

兄の手が離れる。僕はざわざわと集まるリビングの者達を置いてそっと部屋を出た。

『ヘル! 聞いてなかったの? ヘルは留守番。アルちゃんは僕達が取り返してくるから……お兄ちゃんが信用出来ないの?』

腕に細い縄のようなものが──兄の髪、触手が絡み付く。

「…… 離 せ 」

絡み付いた黒い触手から枝葉が生える。花が咲いて蔓が伸びて、重みで僕の腕から滑り落ちると床に根を張った。

『は……? な、何これ……』

『何惚けてるんです兄君! ちょっと草が生えたからって離してどうするんです、早く捕まえなさい!』

アシュの家の場所は分かっている。兄やベルゼブブに連れて行ってもらえれば早いが、彼らは僕を置いて行こうとする。
僕を信用していないのだろう。僕を愛してはいないのだろう。ただ、僕を利用したいだけだ。

「……兄さん、アルのところに連れてって」

黒い霧が視界を埋める。骨ばった手が僕の手を掴む。霧の中に足を踏み出すと、ふっと浮遊感に包まれた。



ヴェーン邸内、廊下。リビングから玄関にかけての数メートル、その床には異常が起こっていた。
赤い絨毯の上に大量の枯れ草が落ちているのだ。

『……蝿さん、見た?』

『ええ……ヘルシャフト様の周りに植物が生えて、枯れて、また生えて、枯れて…………ダンピール、貴方言ってましたよね、草が生えたとかなんとか』

それはヘルが歩いた道、立っていた場所。エアの触手を床に縫い付けた木ももう枯れていた。

「ああ、そこの山の神が何とかって」

『……魔物使いに神性が加護を渡すなんて……何か、きな臭いですね。いえ、これは……加護でしょうか? 気配は……うぅん』

玄関の扉は開いていない。それなのにヘルの姿はない。

『ヘルシャフト様が自力で空間転移をするなんて有り得ません。これまでの魔物使いにだってそんな能力はありませんでした。魔物を操る以外はポンコツのはずです』

ベルゼブブは今までの経験にない事態が起こって焦っている。声色にも表情にも現れていないが、顔の前で寒さに耐えるように擦り合わせられる手が示していた。

『と、とにかく追っかけようよ! アルちゃんのところ行ったんでしょ? ね、ヘルシャフト君のお兄さん。早く行こうよ!』

『……あぁ、そう、だね』

エアは踵で床を叩き、魔法陣を描く。魔法陣の構築速度はいつもより遅い、過去に行った事のあるアシュの邸宅ならすぐに飛べるはずなのに。

『魔力の巡りが悪い……上手く使えない、ヘルに押さえられてるんだ』

『大勢で行かない方が良さそうですね。兄君はそのピンクコウモリを、私はライオンを連れて行きます』

ベルゼブブはカルコスの鬣を掴み、無数の蝿を呼び出し空間転移の準備を始めた。しかしこちらもエアと同様に発動が遅い。
皆が焦りを胸に──セネカだけはピンクコウモリという呼称に引っかかりながら──息を呑んだ。
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