魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

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第三十一章 月の裏側で夢を見よう

現実世界

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階段を上り終え、薄暗い場所に一人立つ。突然居なくなったアルを探して走り回り、そのうちに目の前に眩い光が溢れた。

『だーりん! だーりん、起きたのね……良かった』

「…………メル?」

メルは僕の背に腕を回し、上体を起こさせる。ぼうっと辺りを見回し、ヴェーン邸の一室だと理解し、安堵に胸を撫で下ろした。

「……戻ってきた」

部屋にはほぼ全員が集まっていた。僕が眠ってから何日経ったのか分からないが、みんな案外と気付いてくれるものだ。

『ヘル、おかえり』

とん、とベッドにアルが乗ってくる。夢の最後でアルと離れたのは何だったのだろう。

『やったねメルちゃん、成功だよ!』

『……ワタシじゃないわ。だーりん勝手に起きたのよ』

『え……? じゃあ本当に普通に寝てただけ?』

『そんな訳ないでしょ、あんな防壁のある夢なんてありえないわ』

ベッドの横ではメルとセネカが話していて、その向こうで兄が壁に背を預けて眠っている。あの街での出来事が気になってフェルを探したが、フェルは部屋には来ていない。
身体が衰弱していないことが分かったのでベッドを降り、丸めた布団の上に座った鬼達を見つける。

『頭領、どんな具合や』

「んー……別に、なんともないかな。お腹空いた」

『さよか。茨木、なんか作ったれ』

大きな舌打ちがどこからが聞こえ、それから──

『分かりました。頭領はん、行こか』

──茨木が柔らかい微笑みで返事をし、僕を先導した。

「アル、行こ」

夢の中で階段を上った時と同じように腕と尾を絡め合った。
ダイニングは酷い有様だった、ナッツの殻や酒瓶、皿が散乱している。ゴミ屋敷という言葉がこれほど似合う景色はない。

『お兄ちゃん! 起きたの? 良かった……』

「フェル、こっちに居たんだ」

『うん、僕は役に立たないし、ならお兄ちゃんが起きてきた時のためにご飯作っておこうと思って』

『起きるかどうか分からへんのに作ってはったん?』

『お兄ちゃん起きなくても誰か食べるだろうから無駄にはならないし。僕はお兄ちゃんが食べる分をずっと用意しておこうって』

フェルは話しながら机の一角を片付け、飲み物を用意した。保温してあった鍋の中身を皿に移し、僕の前に置く。

『うち来る必要あらへんかったわ』

『どうせまた飲むんだろうと思っておつまみ作っておいたよ、チーズの海藻巻き』

『頭領はんの弟やのに気ぃきくなぁ』

僕は気が利かないと言っているのだろうか。
モヤモヤとした感情を抱きつつ、具材の小さなシチューを口に運ぶ。味はあまり分からないが体は温まる。

「……美味しいよ。ありがと、フェル」

『味分かんないくせに。どういたしまして、お兄ちゃん』

机や床の片付けを進めるフェルを見ながら思う。
あの街に居たフェルはフェルそのものではなく、僕の理想から抽出されたもの。反転した後は僕の理想の逆を突き進んだ。
だが、今目の前に居るフェルと正反対とは言えない。僕の理想に反した行動は取ったが、あれは僕が自覚なくフェルが起こしそうだと思っている行動の範囲なのだろう。
僕とフェルの脳が同じなら、無意識にフェルの考えを察していたとしたら、フェルは相当のストレスを抱えている。

「ね、フェル。後で二人で話したいんだけど何か用事ある?」

『……ここの掃除かな』

「そんなの汚した人にさせるものだよ。どうせ酒呑だろ? 茨木、言っておいて、君も手伝わなくていいから」

茨木の二つ返事を聞きながら思う。彼女が掃除をやることになるのだろうと。いっその事酒呑に魔眼を使ってしまおうか。

『何を話すの?』

「その時に言うよ」

『………………分かった』

フェルの不安と緊張が手に取るように分かる。何を話すかも知らされず一人だけ呼び出されるのだ、恐ろしいに決まっている。けれど他の者にフェルへの不信感を抱かせないためにはフェル以外に話の内容が漏れてはならないのだ。

「ごちそうさま。じゃあ、フェル、今からでいい?」

『……うん』

「アル、ここで待っててね」

『ああ、早く迎えに来てくれ。寂しい』

正直に言うようになった。僕はアルの頭を撫で、フェルを連れて自室に向かった。
話し込むメルとセネカを追い出し、酒呑に掃除を言いつけ、兄をどうするか迷う。

「……なんで寝てるんだよ」

僕の非常事態だと集まってくれた訳ではないのだろうか。そもそも身体的に睡眠は必要無い、精神の休養として睡眠の真似事を行っているだけだ。それはアル達合成魔獣やフェルも同じ。

『起こす?』

「んー……」

兄を前に迷っていると視界の端で酒呑の椅子になっていた布団が蠢く。驚き、恐怖し、僕とフェルは共に手を握り合い、這い出てきたベルゼブブに面食らった。

「な、何してるの? 布団の中で……」

『あの鬼に巻かれたんですよ! しかもその後座って……全く、酷いですよね!』

「う、うん。とりあえず出てって。あと、にいさま運んでくれない?」

『はぁ? 仕方ありませんねぇ……後で何か報酬寄越しなさい』

ベルゼブブは兄の右足首を掴み、引き摺って行った。扉を越える時の僅かな段差に兄は目を覚ましたが僕は素早く扉を閉めた。おそらくはダイニングに向かい食事を始めるであろうベルゼブブがついでに兄を部屋から離してくれることを願って。

フェルをベッドに座らせ、その隣に腰を下ろす。初めの言葉が思い付かなくて長い沈黙を過ごす。自分の複製なのだから何も緊張する必要はないし、気遣いも他人よりは少なくていい。そう分かっていても言葉は出なかった。

『……お兄ちゃん? 僕、そろそろご飯作らなきゃ』

「待って! 待って、フェル……あのね、その……不満とか、無いかな」

『…………不満?』

「うん、何でも言って。解決出来るかもしれないし、出来なくても話せば少し楽になるかも」

立ち上がろうとしていたフェルはベッドに座り直し、何かを考え込むような仕草をした。不満を探しているのではなく、言っても大丈夫な不満を選んでいると言った方が正しいように思える。

「炊事とか、掃除とか、洗濯とか、フェルに任せっきりでしょ?」

『別に……その他に僕役に立つことないし』

「……本当に大丈夫? いいよ、何言っても。誰にも言わないから、ね?」

『…………僕はお兄ちゃんの付属品としか見られてない。弟だとか、偽物だとか、複製だとか、そんなのばっかり。お兄ちゃんが関係なくてもスライムとかどろどろとかそんなのだよ』

確かに、この家では兄と僕しかフェルをフェルと呼んでいない。それも兄のフェルの呼び方は乱暴で、偽物! と叫んでいるようにも思える。

『僕だってヘルなんだよ。記憶は抜けばっかりだけど、僕はヘルなんだよ! なのに、みんな僕を偽物って思ってる! そうだよ偽物だよ、でも僕はヘルだったんだ。脳は一緒なんだよ!』

彼は兄に一部の記憶を抜かれた僕。アルと旅した僕と同じ思考回路を持つ、他者の記憶が無い僕。滅びた国に閉じ込められていた僕。

「…………そうだね。君は、僕だよ」

『……思ってもないこと言わないで』

「思ってるよ。君は僕の分身、僕の片割れ、僕は君だし、君は僕だ、でも僕と君は他人だ」

『…………は?』

「……もう、かなり思考も違うでしょ、見た目もだね。双子じゃダメかな、フェル。見分けるために名前ちょっと変えてるってだけ思ってくれないかな」

こんな訳の分からない言葉で納得してくれるはずもなく、フェルは僕の胸倉を掴んで床に投げた。背中を打って咳き込みながら、呆然と立ち尽くすフェルを見上げる。

『ぁ……ご、ごめんなさい……ごめんなさい』

起き上がるとフェルは虚ろな目にようやく僕を映し、謝り出した。君を殺して僕が本物に──なんて言い出さなくて良かった、フェルはただ混乱しているだけだ。

「大丈夫、僕は平気だから。顔上げて」

『…………ヘル、僕は……僕も、ヘルなのに……みんな』

「……ねぇ、フェル。ヘルって何か知ってる?」

フェルは怪訝な顔で僕を見つめる。

「………………魔物使いって意味だよ。にいさまの弟でも、アルの大事な飼い主でも、みんなに大切にされるもののことでも、なんでもない。悪魔にとっての便利な兵器で、天使にとっての邪魔なもの。それの記号だ」

フェルの肩を押して再びベッドに座らせる。隣に座り直し、どう説得したものかと頭を捻った。
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