魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

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第三十二章 初めから失敗を繰り返して

籠の中

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目がよく見えない、頭もはっきりしない、身体も上手く動かないし、聞こえてくる言葉もよく分からない。
けれど、ただただ温かくて、ひたすらに心地良かった。ずっとこのままでいいと思えるほどに──

「ヘル!  ねぇ、お母さん、これヘルなの?」

「ええ、そう……あなたの弟、可愛がってあげてね。この子もお腹に居た時から魔力量が凄いって……あなたと同じこと言われていたから、あなたと同じで、とってもいい子になるのよ」

「うん!  可愛がる!」

「いい子ね……本当に、優秀な子、私の子……」

心地良くはあるけれど、このままでは行けないという焦りもある。僕は『黒』に──『黒』? 『黒』って誰だっけ。いや、僕は誰だっけ? 僕はなんだっけ?
何も思い出せなくなっていく、記憶が消えていく……全てが朧気になっていく。

「ヘル、起きて、おーきーて」

生まれたての頃は前世の記憶があるなんて話はたまに聞く。けれど僕が転生したのは今世で──今世に生まれ直して?  ダメだ、よく分からない。人生をやり直すことになってしまったという認識で大丈夫だろうか。
生まれて一ヶ月程度で全て忘れてしまったけれど、何とか『黒』のことや自分のこと、過去のことは三歳の誕生日に思い出せた。けれどまだまだ知能が低いのか、元々の頭の悪さか、状況は整理出来ていない。

「ヘル、起きた? 起きた? ヘル、ヘールー」

天界で『黒』の名前を取り返すつもりだったのに何故か奪ったことになってしまった。そういえば彼は──ウムルさんはずっと「奪う」と言っていた。もっと質問を繰り返して自分がやりたいことを伝えるべきだった。
それで僕が『黒』の名を──そう、タブリスの名を、自由意志の力を手に入れて、魂だけの状態になっていた前世と記録を覗いていた僕の意識が融合してしまって、再びヘルシャフト・ルーラーとして生まれた。と仮定しよう。
とりあえず整理出来た……のか? それでも全く分からない、どうして地獄と呼べる幼い日々をやり直す羽目になったのか。あの時僕は記録を見ていただけではなかったのか? それも彼に──ウムルさんに彼自身の能力を詳しく聞くべきだった。覗いていただけとは説明されたが、きっと魂を分離させて過去に飛ばすとかそういった類のものだったのだ。
失敗だ、何もかも失敗だ。

「ねぇ、ヘル、ヘルってばぁ。聞こえないの? 目は開いてるのに……まだダメなのかなぁ」

先程から目の前でシャラシャラと音を立てるカラフルな物が揺れている。子供用のおもちゃだろう。

「三歳って喋らないのかな……ヘルまだ喋ったことないよね? 僕どうだったんだろ……」

子供に抱き上げられ、柵付きのベッドで柵を背もたれに座らされる。おもちゃを振って僕の名前を呼んでいるのは、九歳程度の僕──いや、そんなに僕が何人も居てたまるか。僕と同じ、というか似た顔をしているだけだ。

「……にーた!」

そう、兄だ。

「え……? も、もう一回! もう一回言って!」

本当に僕によく似ている。いや、僕が弟なのだから僕が兄に似ているのか。初めは自分が増えたのかと驚いたものだ。
離乳食も食べない頃から隣で「にいさま」「にいさま」と教えてきて──正直鬱陶しかった。

「にぃたぁ」

まだまともに話せない。この拙い言葉が嫌で全く話さなかったのだが、兄を怒らせる訳にもいかない。

「……お母さん! お母さん! ヘルがにいさまって言ったー!」

ドタドタと走って……天才も幼い頃はただの子供か。いや、僕が三歳なら兄は九歳、もう学校を辞めて古代魔法研究家になっている頃だ。

「……ヘル! ただいま。ふふっ……ヘル、ヘール。僕のおとーと……えへへ」

兄は一日中僕の傍に居る。流石に三歳頃の記憶は無いから、以前もそうだったのかは分からない。僕だけにふにゃっとした笑顔を見せる兄には自分でもよく分からない優越感と癒しを与えられた。



すぐにでも『黒』を探したい気持ちを抑え、他の国々に飛びたい気持ちを抑え、身体と魔物使いの力が成長するまでと我慢してはや三年。僕にとって運命の時、学校を辞めさせられた日がやってきた。

「どうしようかなぁ……」

一からやり直したとはいえ魔法が使えるようになっている訳もなく、僕はまた学校を辞めさせられた。
前は泣きながら家に真っ直ぐ帰って、仕事から帰った母に刺されたんだったか。仕事場で散々な噂話を聞いて嫌味を言われたのだろうが、いきなり我が子を刺さないで欲しい。

「あーっ!  ルーラーだ!」
「魔法使えない方のルーラーだ!」

他に思い付かなかったからと公園で時間を潰したのは失敗だった。始業式と授業を終えた同級生──元同級生に見つかってしまった。
彼らには覚えがある。僕がまだ完全な引きこもりになる前に外に出た時、覚えたての火魔法をぶつけてきた。学校初日で攻撃系の魔法は習っていないとは思うが、子供には単純な暴力に加えて小石と小枝という武器がある。

「……自由意志を司る天使、タブリスの名の元に……干渉を拒絶する」

予想通り飛んできた石には思わず目を瞑ったが、石は僕の頭をすり抜けていった。以前から思っていたがこの能力は攻撃を食らわないことにだけは完璧と言っていい。

「あれ……おい、外したぞー!」
「投げたのお前だろー!」

二人は傍から見ていれば微笑ましい喧嘩をしばらくして、再び僕に向かって石を投げ始めた。公園全域を砂場にしてくれていれば彼らの武器は無かったのに。

「全然当たんないぞ下手くそー!」
「下手くそはお前だろ下手くそー!」

「……どっちもゴミには変わりないよ。目障りだ、死ね」

声を上げる暇もなく、電撃が二人の身体を貫く。

「蘇生、意識喪失、記憶削除……」

躊躇いなく幼い子供を二人殺し、生き返らせ、記憶を改竄する。その手際の良さには寒気を覚える。

「にいさま!」

「やぁ、ヘル。このゴミ砂場に首だけ出して埋めようと思うんだけど」

「それよりにいさま、僕、学校……」

「辞めたんだって? 僕より早いね、流石ヘル、僕の弟。大丈夫、無能共の教え方がおかしかったんだ、僕が教えてあげればすぐ出来るから」

辞めさせられてすぐは兄は僕をまだ自分と同じ天才だと思っていた。だが、段々と僕が無能だと理解してしまって、兄は狂った。

「……その、魔法は本当に使えないんだ。でも」

「使えない訳ないだろ?  僕の弟なんだから」

そう言って僕に色々教えてくれて、僕はそれをこなせなくて、兄はそれを自分のせいだと思い込んで狂って、壊れた。そして全て僕のせいにした、僕に関わりないことも全て。だからあの頃の兄にとって僕への暴力は正当な罰だった。それでも時々正気に戻って泣いて謝っていた。

「別の……特技が、あって。それ……にいさまに見て欲しいなって」

今度こそ、そう、今度こそ……僕も兄も幸福に。

「別……? そうか、魔力属性によっては魔法の効果を打ち消すことも……無いことは無い? かな。いいよ、見せて」

案外と柔軟な思考を持っている。流石は天才、と褒めていいだろう。

「自由意志を──。にいさま、僕に向かって魔法使ってみて、出来れば攻撃で」

「え……な、何言ってるのヘル。そんなの出来るわけないでしょ? ヘルに怪我させるなんて……そんなことになったら、お兄ちゃん一生後悔するよ」

これから散々やるんだ。人生の一部に、最高の楽しみになるんだよ──なんて言ったらまだ純粋な兄はどんな顔をするだろう。
僕は兄に抱き着くように手を広げ、兄の身体をすり抜けた。

「……え? ヘル、ヘル!? 何それ……どうなってるの!?」

往復し、もう一度「僕に魔法を……」と言ってみた。兄は片手に治癒魔法陣を用意しながら小さな火の玉を僕に投げた。火の玉は僕の身体をすり抜け、地面を焼いた。

「…………凄い」

兄は何種類かの魔法を試し、そう言った。

「ただの透過じゃない、物質としてこの世に存在してない……のかな。ヘル、光を透過……姿は消せる?」

「あ……うん、やってみる」

目を閉じて集中する──兄が慌てて僕を呼ぶ声が聞こえ、目を開けた。

「ヘルっ!  どこに……あぁ、姿も消せるんだ。空気の流れも光も……空間認識にすら引っ掛からない、どうなってるの?」

「どんなものからも干渉を受けないように出来るんだ。ただ、それだけなんだけど……魔法の代わりの特技になるかなぁ」

これを兄が認めてくれたら僕は兄に虐待されずに幼少期を過ごせる。それさえ出来たら僕と兄の人生は明るくなる。

「なるよ! なるなる、なるに決まってる! 干渉を受けない……そうか、干渉ね。それなら応用は……うん、うん、凄いよヘル、僕以外の魔法使いなんて軽く超えてる!」

自分はまだ超えられていないと認識しているのか。

「とりあえず家に帰ろう。実験結果と思い付いたことを残しておきたいんだ」

「うん……ぁ、僕のこと大学で発表したりとかは……」

「しないしない。僕のおとーとを他の奴らに見せびらかすことはあっても研究させることはないよ、君の研究は僕だけがやっていいの」

虐待はされずに済みそうだが、研究材料として酷使はされそうだ。
僕はどっちにしても暗い人生だったのかもしれないと肩を落として帰路に着いた。
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