魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

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第三十二章 初めから失敗を繰り返して

新しい過去

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これからどうするのか、僕は早く決断しなければならない。
魔術書や銀の鍵を探して、再び彼に会い、僕が過ごしていた時空に戻してもらうのか。このまま失敗を回避して幸せな人生を作り直すのか。
数々の思い出や偶然からなる幸福、人との関係を鑑みれば前者を選択するべきだ。
でも、僕は──

「ただいま、ヘル。今日は何作ってくれたの?」

──優しい兄を手放せない。
けれど、以前の世界でもようやく兄と仲良くなれたような……本当の兄弟になれたばかりだった。僕に負い目を感じるようになった兄は今目の前に居る兄よりもずっと恐る恐る触れてくる。あの慎重さがたまらなく嬉しい。あの震える手にもう一度撫でられたい。

「シチュー……だけど、にいさまの口に合うかどうか……」

「ヘルが作ってくれた物が合わないわけないよ」

僕の味覚はまともに働いている。以前よりも身長が伸びるのも早いように思える。兄からの虐待が僕にどんな影響を与えていたのか、普通に過ごす今だからこそ分かることも多い。
両親を含めて周りの人々は僕のことを無能だと思っている。けれど兄が「別の才能があるからそれを伸ばす」と言ってくれて、天才である兄が言うならとそう攻撃的ではなくなっていた。母の精神も安定していて、疎ましそうな目では見るけれど包丁を振りかざしたりはしない。それが何より素晴らしい。

「……にいさま。だっこ」

「ん? ふふ、甘えん坊だね。いい子いい子……」

手を広げれば抱き締められて、裾を引けば手を繋がれて、頭を傾ければ撫でてもらえる。
それが当たり前。そんな常識をずっと求めていた。

「ヘル……? 何、泣いてるの? どうしたの? 何かあった?」

愛されている。
兄が僕を愛してくれている。ストレス発散用の玩具でも、思い通りになる人形でも、何でもなく弟として心から愛してくれている。暴力以外の方法で愛情表現が出来るなんて知らなかった。

「嬉しいんだ。すっごく……嬉しいんだよ、にいさま……にいさま、大好き」

心の底からそう言える。

「ヘルは本当にいい子だね」

殴られた後でなくても、嫌々言う通りにした後でなくても、いい子だと褒めてもらえる。

「可愛い可愛い僕のおとーと、大事なおとーと……」

痛いやめてと泣かなくても、ごめんなさいと叫ばなくても、可愛いと言ってもらえる。

「……お兄ちゃんはずーっとヘルだけの味方だよ」

そう言って抱き締めてもらえるから、すれ違う人々に無能だと蔑まれても気にならなかった。
元の世界に戻らなくちゃいけないのに、この幸福に酔ってしまう。永遠に浸っていたい。この時を永遠にしたい。

「さ、ほら、ご飯にしよう」

「……やだ、もっと……」

「僕お腹空いてるんだよ。仕方ないね、お兄ちゃんの膝の上で食べる?」

「うん!」

ワガママを言っても殴られないなんて、なんて素晴らしい日常だろう。

「んー……美味しい、ヘルは本当に料理上手だね」

すり抜けるからと包丁も握らせてもらえて、熱さも感じないからと火も使わせてもらえて、変な物を食べさせられていないから味覚も残っていて、僕は自然と兄を喜ばせる程の料理の腕を身に付けていた。
兄も僕のために無茶な刺青をしていないから、視力も味覚も普通にあって、化物になってしまった以前の世界のように人間以外を食べられないなんてこともなくて──あぁ、どうして戻らなければなんて思ってしまうのだろう。ここからまたやり直せばいい。天使と衝突しないように、魔物を殺さず共存の道を説いて、『黒』に名前を返して──それでいいじゃないか。

「……にいさま。にいさまはずっと傍に居てくれる?」

「もちろん。って言いたいところなんだけど──」

以前の世界と同じく、兄は十八になったら国を出た。僕が十五になったら迎えに来ると言って。必死に説得してあの収穫祭の日までに来てもらえることになった。祭を一緒に見て回りたいとか言ったかな。

「……アルはこの辺を飛んでるはず……まだなのかな」

収穫祭の前日、兄が帰ってくると約束してくれた日。僕は自宅の屋根に登って空を見上げていた。薄らと結界が見えるだけで、青い空に白い雲の景色は変わらない。

「…………僕に魔物の攻撃は当たらない。魔物はにいさまに倒してもらって、結界を張り直してもらって、そうすれば魔法の国の滅亡も防げて……アルはどうしよう」

アルは僕に出会えば不幸になる。兄が居れば助けを呼ぶ事態にはならないだろうし、アルに出会わないという選択肢も取れる。
一緒に居たいという自分の都合だけでアルに辛い道を歩ませたくはない。大切に思うのなら呼んではいけない。

「……髪と目どう話すか考えるのが先だ」

考えていると未練が湧く。気をまぎらわせてアルを忘れようと髪を見つめる。毛先から白くなっていく髪に虹よりも多い色の輝きを見せる右眼。自分でも分からないというのが一番楽だけれど、困惑している演技はどうしようか──そう悩んでいると玄関の前に魔法陣が構築され始めた。
兄が空間転移魔法で帰ってきたのだ、そう察した僕は屋根から飛び下りた。

「にいさまぁ!」

「へ……? ぅわあっ! ヘル? 何してるの……もう」

兄は危なげなく僕を受け止め、僕の髪と目の異変に気が付いた。とりあえず中に……と部屋に入る。

「…………急に変わったの?」

「うん、ちょっと前に急に……にいさまとお揃いだったのに、こんな……変な色に……」

「いやいや、目隠さなくてもいいって、綺麗だよそれ。まぁ……髪はちょっと派手な気もするけど」

分からないけど急に変わったと予定通り話し、兄とお揃いだった黒い髪と目でなくなって悲しいと媚も売った。以前は兄に殴られないようにと磨いたこの媚び売りだが、今となってはただの愛情表現。自分でも気持ち悪いと思うような発言になってしまう。

「それより……にいさま、会いたかった!」

「わっ……もう、急に来ないの。ヘルもう小さくないんだから」

僕は以前より背が高い、栄養とストレスとの付き合い方が改善されたからだろう。何年もかけて成長したからか勝手の違いを感じることはないし、むしろ便利だ。

「にいさまの顔が見やすくなったけど……こうやって膝に乗るとちょっと窮屈だね」

「ヘルもうすぐ十五歳だよね? なのにこんなに甘えて……まぁ、お兄ちゃんは嬉しいけど」

確かに、十五歳にもなって兄の膝に乗るのはどうなのだろう……抱き着いて甘えたり、自分から手に頭を寄せたり……気持ち悪いのか、これは。

「ヘル? 別にお兄ちゃんはいいんだよ?」

「いや……なんか、恥ずかしくなったっていうか」

僕は兄の膝から降り、隣に座って肩に頭を預けた。兄の腕を手と足で挟んで、ふぅと息を吐く。

「膝に座るのはにいさまも重いだろうし、僕もそろそろ兄離れするよ」

「…………する気なさそうで安心だよ」

その日はそのまま密着して過ごした。明日からは収穫祭で、初日の夜に魔物が来る。そう考えると胸騒ぎがして眠れない。
兄にベッドを譲り僕は床に布団を敷いた。眠れないを言い訳に上体を起こし、寝ている兄を眺める。

「にいさま……」

背が以前より伸びたからだろうか、対等に話して来れたからだろうか、兄を身近に感じる、兄も僕と同じ人間なのだと思える。
僕はそっと薄い胸板に耳を寄せた。アルがこれを好んでいた理由がよく分かる。

「…………おやすみ」

胸騒ぎが落ち着いてきた、これなら何とか眠れる。僕は翌日の昼まで眠り続けた。

「ヘル、ヘル、お祭り行きたいって言ってたよね? 今から行く? 夜の方が色々やってるけど……」

朝食兼昼食中にそう聞かれ、僕は返答に困った。
兄を滅亡の日に魔法の国に居させることで滅亡を回避する──そのために祭を回りたいと嘘をついたんだったと思い出し、別に行きたくないなとため息をついた。
どうせ蔑みや憐れみの目が向けられるだけだ。内容も分からないほど薄らと聞こえる話に心を逆撫でされるだけだ。

「……夜に行きたいな。夜景綺麗だと思うんだ、屋根の上散歩しようよ」

「お祭りは参加しないの?」

「人混み嫌いだし……」

「……景色見たいだけ? それだけなのにお兄ちゃんと一緒がいいの?」

「一人で見てもつまんないし、早く会いたかったから」

適当に媚を売りつつ祭を回避。屋根の上に居れば結界が壊れるのも見える、魔物が入ってくる前に修復出来るかもしれない。
僕は魔法の国滅亡回避への自信を蓄え、その時を待った。
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