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第三十二章 初めから失敗を繰り返して

予想通りの犯人と予想外の悲劇

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夜、祭の灯りを楽しみながら屋根の上を歩く。
落ちても平気だという自信は僕に屋根の上の散歩を日常化させて、今では不慣れな兄の手を引くまでになっていた。

「……っと、バランス難しいなぁ」

「にいさまどんくさーい」

「ヘルが平衡感覚良過ぎるの、僕は普通」

煙突にもたれて少し休憩する。僕はそうでもないけれど兄はへとへとだ。そんな兄を見られるなんて以前の世界では考えられなかった。

「…………にいさま」

「ん? ふふ、甘えん坊だねぇヘルは」

愛情を求めるばかりだった僕が兄を愛したいと思える日が来るなんて考えられなかった。兄を抱き締め、その胸に顔を寄せて──磨りガラスを引っ掻くような不快な鳴き声を聞いた。

「……何、あれ」

結界の上に何かが──馬の顔をして蝙蝠の翼を持った不気味な鳥が乗っている。兄は困惑しながらも警戒していたが、僕にはその鳥に見覚えがあったし、その鳥の背から手を伸ばし結界に触れた者も知っていた。顔は見えなかった、けれどその正体は分かっていた。

「ナイ君、やっぱり……!」

結界が消え、鳥は飛び去る。そしてその直後魔物の群れが飛来した。蝙蝠のような羽を生やし、頭に短い角を持ち、醜悪な顔をさらに歪めて祭を楽しんでいた人々の群れに飛び込んだ。

「……ヘル! 僕から離れないで!」

兄は先程までの危うさをどこかへやって、屋根の上を走り魔物を次々に仕留めて行った。何人かの犠牲は出てしまったが、広場に避難した人は以前より多い気がした。兄は広場の結界を強化するために中心に行ったけれど、僕は広場を眺める屋根の上に残った。
エア様、エア様と居なくなったはずの天才を歓迎し讃える声──そして、一際大きい魔物の襲来を知らせる声。
あの巨大な魔物には見覚えがあった、僕の力では抑えられなかった僕の両親を殺した魔物だ。兄は素早くその魔物に向かって雷の槍を撃ち出した。

「え……? な、何で……もう一回!」

兄の魔法は魔物の皮膚に触れる直前で消えていき、強化したはずの結界も容易く破れた。

「……魔法に耐性がある敵だ! にいさま! 魔法以外で倒して!」

いつかマンモンに聞いた話、魔法の国を襲った魔物には魔法に耐性があったという話、ナイの仕業に違いない。
僕は屋根の上から飛び降り、自分の魔法が通じなかったことと人々の助けを求める声と怨嗟の断末魔に惚ける兄の腕を揺さぶる。

「にいさま! 魔法以外の……何か、あるでしょ!?」

以前の兄は兵器の国で会った時には魔術と呪術も究めていた。

「魔法以外って……言われても」

しかし、今の兄はそこまでの知的好奇心を持っていなかった。本質は変わっていないはずなのに──いや、兄の知的好奇心の旺盛さは僕が原因なのか。僕に使える術を探すために魔術や呪術にも興味を持ったのか。

「……逃げよ! にいさま、空間転移、空間転移だよ! それなら使えるでしょ、早く逃げよう!」

魔法が効かない相手と兄は戦えない。それならもう国が滅亡するかどうかより兄の安全が重要だ。

「でも……他の人」

「他人なんかゴミと一緒なんだろ!?」

「凡人を助けるのは天才の義務なんだよ、ほら……みんな僕を呼んでる……なのに、みんな……赤く、て……バラバラ、で」

血や人の死に耐性が無いのか? 当然だ、僕を虐待しなかったんだから。僕を虐める奴を懲らしめる時だって血が出ない魔法を使っていたし、すぐに治していた。軍隊に入っていたけれど兵器の国は戦争を起こさなかった。

「しっかりしてよにいさま! 他人なんかどうでもいい、死んでも食われてもどうでもいい、僕を馬鹿にしてたんだ、ざまぁみろじゃないか! 父さんも、母さんもっ……どうでもいいよ!」

こんな言葉、本心ではないはずなのに後から後から溢れてくる。
今の兄も天才として他者を見下してはいるけれど、僕を弟として可愛がっていたせいかどんどん丸くなって、天才として他者を庇護するような言動は前から見せていた。こんな時にその優しさが邪魔になるなんて!

『コノ魔力……美味ソウダ……』

「……っ!  止 ま れ !」

周囲の人がほとんど喰われてしまって、僕達に向かって来る魔物が増える。

「止まれ、止まれ止まれ、止まれぇっ!」

右眼が痛む。まだあまり成長出来ていない。応用は出来ても出力が低い。

『コノ白髪……コノ右眼、魔物使イカ。マダ弱イ、全員デカカレ!』

僕は攻撃されてもすり抜ける。兄を庇うことは出来ない。それなら兄から離れるべきか? 魔物が全て僕に引き付けられるとは限らないが──いや、全員殺せばいいのか。

「ねじ切れろぉっ!」

一番に向かって来た魔物の胴体がちぎれ飛ぶ。

「ぅっ……あ、ぁあぁああっ! 死ね! 死ねよ、早くっ……壊れろぉっ!」

パンっという破裂音と共に右眼に激痛が走り、視界が狭まると頬に生温い液体が滴る。脳を掻き混ぜられるような不快感と強い頭痛、もう限界だ。

『フ……驚カセテクレル。オイ、ヤレ』

ぐらぐらと視界が揺れる、魔物の声がぐわんぐわんと反響する。意識が朦朧としてしまって、干渉を遮断出来るかどうかも分からない。ここで殺されるのか?
目の前に爪が迫る──どんと背中を押され、魔物の股の間を抜けて地面に転がる。

「ヘル! 逃げて……」

兄の声が魔物の背の向こうから聞こえた。しかしその声はすぐに途切れ、地面に鮮血が流れてくる。

「ぁ、あ……やだ、やだ、嫌だっ、にいさま……誰か、誰かっ……」

僕を助けて? にいさまを助けて? 何を言えばいい、言えば何が起こる。
そんな思考は一瞬で消え、ほとんど無意識に叫んだ。

「コイツを殺してっ!」

視界が青黒い血で染まり、足元に醜悪な魔物の首が転がる。

『ナ、何ダ、何ガ……ァガッ』

状況を理解出来ず頭を振った魔物の腹に銀色の影が突き刺さる。背中から青黒く染まった獣が飛び出し、遠吠えを響かせた。

『キ、貴様ハ、アルギゥッ、グ、ァ……』

黒蛇の尾が喉笛を噛みちぎり、そのまま振るわれた尾が首を飛ばす。
圧倒的な強さで魔物の死体の山を築き、返り血に染まった狼はその山の上で月に吠えた。

「…………にいさま、にいさまっ!」

その鮮やかさと美しさに見惚れていた僕は魔物の死体の影に兄を見つけ、駆け寄った。

「にいさま……? にいさま、起きて……嘘でしょ、だってにいさま……再生とか、蘇生とか」

以前の兄は再生や蘇生、痛覚消失の魔法陣を全身の刺青として描いていた。しかし、今の兄は身体に刺青を一つも施していない。ローブの刺繍は魔法の出力や方向を補助するためのものばかりで、そんな前線での戦闘を予想したものは無い。

「……やだ、そんなの、やだよっ! にいさまぁっ!」

僕が国を救おうなんて思わなければ、魔法に耐性があるという情報を早く思い出していれば、魔術も呪術も使えるだろうと過信していなければ、もっと上手く力を使えたら、もっと早く逃げようと説得出来ていれば──回避する方法はいくらでもあったし、僕はその全てを失敗した。

『兄弟か』

とんっ、と軽い音を鳴らし、狼が──アルが隣に降りる。

『ふむ……死んでいるな』

「…………分かってるよ、そんなの」

腹が裂けて、首がちぎれかけているのを見てもまだ「助かるかも」と言えるほど僕は夢を見ることは出来ない。

「……にいさま」

目を閉じさせて、頭を抱き締める。
動かない、喋らない、冷たい……

「………………さよなら」

兄は純粋なままでは長くは生きられない、優しいままでは生き残れない。他者をゴミとして扱い、自分だけを信じ、僕を虐げて歪んだ愛情を膨らませたからこそ兄は兄だった。
早く元の世界に戻らなければ。歪みが修正されかけた兄に恐る恐る抱き締められて、震える手で撫でられなければ。

『……もういいのか』

「魂もない肉の塊抱いて何するの?」

銀の鍵さえあれば、あの門をもう一度到達すれば、魂を持った兄に会える。

『…………ふ、強いな。気に入った。魔物使いはそうでなくては──あぁ、魔物使いと言うのはな』

「知ってる」

『……そうか?』

僕は一寸先も見えない暗闇を歩いて行く。この先に小川があるのは分かっているし、いつも屋根の上を歩いていたから何も見えなくても辿り着くことは出来る。

『このところ世界規模での異常が起こっている』

「歪んでるんだろ。ずっと前からそうだ」

『あぁ、その謎を解きたくて……私は旅をしている。出来る限りでの世直しもな』

川のせせらぎが聞こえてきて、足裏の感触がタイルから砂利に変わって、ゆっくりと膝をつき手を伸ばした。指先に冷たい水が触れ、それで顔を洗った。

『私の名はアルギュロス、見えているかどうか分からないが狼を基礎とした合成魔獣だ。ある悪魔を模している』

知っている。

「……血は早く流さないと落ちなくなるよ」

『お気遣い感謝する』

川に大きなものが飛び込む音が聞こえて、連続して水飛沫が立つ。アルが水浴びを始めたのだ。

『魔物使いに会ったのは初めてでな……何せ前例が一万年前だ、私は千年も生きていない。貴方に相対しお恥ずかしながら緊張している』

「……そう」

『ただの子供に見えるが、その冷酷さと切り替えの早さ、決断力……魔物使いらしいと言うべきか? まさに魔物を統率する器だ』

「……どーも」

『…………その、私を従僕にしてもらえないか? これでも耐久力には自信があるし、空も飛べる』

「……喜んで」

早く元の世界に帰りたい。アルに優しく包まれたい。
僕は冷酷なリーダーなんかじゃない、ただの子供だ、それがいい。アルが呆れながらも僕の甘えに応えてくれる……あの日々を返して欲しい。兄を返して。
元の世界に戻りたい。
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