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第三十二章 初めから失敗を繰り返して
皆の理想の魔物使い
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元の世界は存在するのだろうか。
そんな考えが頭をよぎった。ゲームでも夢でもないのに、元の世界なんて──と。
僕は記録を眺めているだけのつもりで時空を遡って、『黒』から名前を奪って再びヘルシャフトとして生まれ直した。僕は魔物使いでありながら天使であり、鬼であり、精霊であり、守護神であり、その全ては未だ目覚めていない。
時空を遡って生まれ直したなら僕が元いた世界はまだ訪れていない時間で、『戻る』なんて不可能ではないのか? 再び銀の鍵を手にして門を超えたとして、あの時間に辿り着けても兄は居ないのではないか?
僕が元いた時空は僕が生まれ直した時点で──いや、僕が記録を遡った時点で消失したのではないか? いや、僕一人の都合で未来が消えるなんて……このままいけば未来から兄は消えたままだ。兄の未来は潰えた、僕のせいで。
「……っ! この、出来損ないっ……!」
魔法の国を滅亡から救うなんて他力本願でやることではなかった。アルと出会わなければアルは幸せなのでは──なんて身の安全と天秤に考えるべきではなかった。
「この、無能っ! 約立たず、ゴミクズっ!」
せっかく純粋なまま愛してくれていたのに。僕も兄を心から愛せていたのに。
「なんで生きてるんだよ、なんで生まれてきたんだよっ!」
僕が無能な出来損ないだから全て失った。
「……早く死ねよ」
『ご主人様、隣の果物屋が無事……ご主人様?』
僕は今、商店街で物を漁っていた。着替えや食事など魔法の国を出る前に持っておきたいものは山ほどある。以前は何も持たずに出てしまったから今回はその失敗を活かしたい。
「…………あぁ、アル。隣? 今行く……」
『……顔色が悪いようだが』
「ん……平気。川冷たかったからかな」
『ところで、それは……ナイフ?』
僕が入っていたのは肉屋。だが収穫はない。割れたガラス片を被っている物を食べる気にはならなかったし、何より焼く手段がない。
自己嫌悪を募らせるうちについつい刃物を手に取っていたようだ、アルが来てくれて助かった。
「ナイフほど何にでも使える物はないだろ?」
『……貴方は本当に素晴らしい人だな、魔物使いであれば魔物にやらせればいいだけだと言うに。人間を尊敬する日が来るとは思わなかった』
傷がないか、腐っていないかを確認してから店頭に並んだ果物を齧る。いくつか取ってベンチに座る──以前はこの店の奥でアルの尾に名前を刻んだ。まぁ、すぐに元の世界に戻る気でいるし、名の盟約には僕の醜い欲求を満たせるという以外に大したメリットがない。
「……味がしない」
見た目には甘そうなリンゴなのに何の味もしない。中心から蜜も染み出しているのに──以前ならともかく、今は味覚があるはずだ。
『ご主人様、食事を終えたらどうする? 何処かへ行くのか?』
アルは以前のように擦り寄ってこない。以前は出会ってすぐの頃から僕に寄り添ったり顎を置いたりしてきていたのに。
今は姿勢を正して僕を真っ直ぐに見つめている。その瞳にはやはり気後れする。
「とりあえず色んな許可証貰って、それから適当な国に…………ぁ、アルご飯食べてないね」
『数週間は食べなくても問題無い、私の事は気になさるな』
僕はナイフを手首に添え、一思いに掻っ切った。
「血でいい?」
『な、何を……』
「肉欲しいなら食べてもいいから、ほら」
アルは戸惑っている様子だったが、魔物使いの血を前に我慢が続く訳もなく、口先に押し付けられた手首に喰らいついた。
「……っ、ぅ……」
激痛に声を漏らさないよう、アルが気に病むことのないよう、リンゴを口の中に押し込んだ。
『はぁっ……何て美味さだ……この暴君的な味、堪らない──ぁ、あぁ、申し訳ない。もう……大丈夫だ、済まない、喰い過ぎた』
手首から下は血まみれで、皮と肉がまばらに削がれて骨が露出している部分もあった。グロテスクな自身の手首を見ていると何だか痛みが他人事になって、再生に集中出来た。じっと見つめたまま静かに瞬く。三度目に目を開いた時にはもう手には何の傷跡も残っていなかった。
『…………ご主人様、貴方は……一体』
「魔物使いだよ。それだけでいい、それだけで……ううん、それすら要らなかった」
この再生能力は天使の力だろう。これがあるなら魔物に喰われても平気だった。
「……にいさま、僕を守らなくたってよかったのに」
すり抜けると知っていただろうにどうして身を呈して逃がそうとしたのだろう。
「…………もう、いいや。行こ……」
『あぁ、乗るか?』
「んー……じゃあお願い。関所まで」
僕が元いた時空に戻るには銀の鍵が必要だ。色々な許可証を貰ったらすぐに書物の国に行こう。
アルの背に乗って、胴に黒蛇を巻かれて──懐かしい。泣きたくなってきた。
僕はそっとアルの首に腕を回す。
『……ご主人様? そうしがみつかなくても落としたりはしないぞ』
「…………そう?」
関所に辿り着き、魔法の国の生き残りということで色々と聞かれて──アルと契約を結んでいないからか魔獣の入国に関する様々な注意事項を聞かされて、今許可証の発行を待っている。
「君、ご家族は……」
「全員死にました」
「……他の国に頼れる人は」
「居ません」
「…………国連の保護を受ける気は」
「ありません」
待っている間、関所の兵士に色々と訊ねられる。彼らがいい人だとは分かっていても今は鬱陶しい。
「……オオカミさん、この子……ちゃんと見てあげてね」
『あぁ、見ているぞ』
アルはじっと僕の目を見つめている。
「そうじゃなくてさ、この子、何か危ないよ……」
『……何だ、ご主人様に何の文句がある』
「違うよ……何か、ふらっと消えちゃいそうって言うか」
『馬鹿を言うな、ご主人様ほど芯の強い御方は居らん』
許可証が完成した。それを受け取り、兵士と話すアルに跨る。
「芯……もう折れてるんじゃないかな」
『無礼だな、貴様』
「悪口とかじゃなくて……ねぇ君、本当に平気? 教会に行くとか、科学の国か正義の国でカウンセリング受けるとか……」
「平気です。アル、行って。じゃあ、ありがとうございました、さようなら」
再び胴に尾が巻かれて、圧迫感に安堵を覚える。
「書物の国に行って」
そう短く伝え、首元に顔を埋める。
先程の兵士への対応はかなり無礼なものではなかっただろうか。いや、最低限の礼儀は払っていた。無愛想だったことを除けば形式的な問題はない。
書物の国に着くと他の国よりも面倒な審査を受ける。本を傷付けないためなのだろうが、意味もなく急いでいる僕にはそれさえも苛立ちの種だ。
『……ヘルシャフト、と読むのか?』
持ち物検査を待つ列でアルが僕の許可証を暇潰しに覗いている。
『似合っているな、ヘルシャフト様と呼んでも?』
「ダメ」
『そ、そうか。図に乗った、反省する……』
耳を垂らして落ち込む姿は何より可愛らしいと思う。もう少し困らせてこの可愛さを堪能したいけれど、もっと可愛い顔を見る方法がある。
「ヘルって呼んで」
『……ヘル様!』
耳がピンと立ち、尾が揺れ、目に見えて元気が戻る。やはり喜んでいる顔が一番だ。
「様は無し、ヘル」
『ヘル……無礼ではないか? 従僕が、こんな……』
「ヘルって呼ばれたいの。礼なんて無い方が好きだし」
そう、礼儀なんて要らない。寝ている間に腹に乗ったり、顔を舐めたり、髪を食べたりするくらいがちょうどいい。
以前と違って僕が弱さをあまり晒していないせいかアルは僕を魔物使いとして、主人として敬っているように感じる。以前は出会った時から子供扱いで庇護対象だった、その方が僕は嬉しいけれど、今更どう子供らしさを出せばいいのか分からない。
「ナイフ没収されちゃった」
『大きい物だったからな。書物の国は特に厳しい。ナイフなんて料理人しか使わないし、彼等も持ち歩きはしない』
「……アルは牙も爪も抜かれてないのにね」
『私自身が危険物だと言いたいのか? 酷いぞ、ご主人様……』
持ち物検査を不満な結果で抜けて、懐かしい書物の国に無事入国。犠牲はナイフ一本。
このまま銀の鍵まで直行したい。僕は悪魔達に見つからないようにと祈りながら図書館に向かった。
そんな考えが頭をよぎった。ゲームでも夢でもないのに、元の世界なんて──と。
僕は記録を眺めているだけのつもりで時空を遡って、『黒』から名前を奪って再びヘルシャフトとして生まれ直した。僕は魔物使いでありながら天使であり、鬼であり、精霊であり、守護神であり、その全ては未だ目覚めていない。
時空を遡って生まれ直したなら僕が元いた世界はまだ訪れていない時間で、『戻る』なんて不可能ではないのか? 再び銀の鍵を手にして門を超えたとして、あの時間に辿り着けても兄は居ないのではないか?
僕が元いた時空は僕が生まれ直した時点で──いや、僕が記録を遡った時点で消失したのではないか? いや、僕一人の都合で未来が消えるなんて……このままいけば未来から兄は消えたままだ。兄の未来は潰えた、僕のせいで。
「……っ! この、出来損ないっ……!」
魔法の国を滅亡から救うなんて他力本願でやることではなかった。アルと出会わなければアルは幸せなのでは──なんて身の安全と天秤に考えるべきではなかった。
「この、無能っ! 約立たず、ゴミクズっ!」
せっかく純粋なまま愛してくれていたのに。僕も兄を心から愛せていたのに。
「なんで生きてるんだよ、なんで生まれてきたんだよっ!」
僕が無能な出来損ないだから全て失った。
「……早く死ねよ」
『ご主人様、隣の果物屋が無事……ご主人様?』
僕は今、商店街で物を漁っていた。着替えや食事など魔法の国を出る前に持っておきたいものは山ほどある。以前は何も持たずに出てしまったから今回はその失敗を活かしたい。
「…………あぁ、アル。隣? 今行く……」
『……顔色が悪いようだが』
「ん……平気。川冷たかったからかな」
『ところで、それは……ナイフ?』
僕が入っていたのは肉屋。だが収穫はない。割れたガラス片を被っている物を食べる気にはならなかったし、何より焼く手段がない。
自己嫌悪を募らせるうちについつい刃物を手に取っていたようだ、アルが来てくれて助かった。
「ナイフほど何にでも使える物はないだろ?」
『……貴方は本当に素晴らしい人だな、魔物使いであれば魔物にやらせればいいだけだと言うに。人間を尊敬する日が来るとは思わなかった』
傷がないか、腐っていないかを確認してから店頭に並んだ果物を齧る。いくつか取ってベンチに座る──以前はこの店の奥でアルの尾に名前を刻んだ。まぁ、すぐに元の世界に戻る気でいるし、名の盟約には僕の醜い欲求を満たせるという以外に大したメリットがない。
「……味がしない」
見た目には甘そうなリンゴなのに何の味もしない。中心から蜜も染み出しているのに──以前ならともかく、今は味覚があるはずだ。
『ご主人様、食事を終えたらどうする? 何処かへ行くのか?』
アルは以前のように擦り寄ってこない。以前は出会ってすぐの頃から僕に寄り添ったり顎を置いたりしてきていたのに。
今は姿勢を正して僕を真っ直ぐに見つめている。その瞳にはやはり気後れする。
「とりあえず色んな許可証貰って、それから適当な国に…………ぁ、アルご飯食べてないね」
『数週間は食べなくても問題無い、私の事は気になさるな』
僕はナイフを手首に添え、一思いに掻っ切った。
「血でいい?」
『な、何を……』
「肉欲しいなら食べてもいいから、ほら」
アルは戸惑っている様子だったが、魔物使いの血を前に我慢が続く訳もなく、口先に押し付けられた手首に喰らいついた。
「……っ、ぅ……」
激痛に声を漏らさないよう、アルが気に病むことのないよう、リンゴを口の中に押し込んだ。
『はぁっ……何て美味さだ……この暴君的な味、堪らない──ぁ、あぁ、申し訳ない。もう……大丈夫だ、済まない、喰い過ぎた』
手首から下は血まみれで、皮と肉がまばらに削がれて骨が露出している部分もあった。グロテスクな自身の手首を見ていると何だか痛みが他人事になって、再生に集中出来た。じっと見つめたまま静かに瞬く。三度目に目を開いた時にはもう手には何の傷跡も残っていなかった。
『…………ご主人様、貴方は……一体』
「魔物使いだよ。それだけでいい、それだけで……ううん、それすら要らなかった」
この再生能力は天使の力だろう。これがあるなら魔物に喰われても平気だった。
「……にいさま、僕を守らなくたってよかったのに」
すり抜けると知っていただろうにどうして身を呈して逃がそうとしたのだろう。
「…………もう、いいや。行こ……」
『あぁ、乗るか?』
「んー……じゃあお願い。関所まで」
僕が元いた時空に戻るには銀の鍵が必要だ。色々な許可証を貰ったらすぐに書物の国に行こう。
アルの背に乗って、胴に黒蛇を巻かれて──懐かしい。泣きたくなってきた。
僕はそっとアルの首に腕を回す。
『……ご主人様? そうしがみつかなくても落としたりはしないぞ』
「…………そう?」
関所に辿り着き、魔法の国の生き残りということで色々と聞かれて──アルと契約を結んでいないからか魔獣の入国に関する様々な注意事項を聞かされて、今許可証の発行を待っている。
「君、ご家族は……」
「全員死にました」
「……他の国に頼れる人は」
「居ません」
「…………国連の保護を受ける気は」
「ありません」
待っている間、関所の兵士に色々と訊ねられる。彼らがいい人だとは分かっていても今は鬱陶しい。
「……オオカミさん、この子……ちゃんと見てあげてね」
『あぁ、見ているぞ』
アルはじっと僕の目を見つめている。
「そうじゃなくてさ、この子、何か危ないよ……」
『……何だ、ご主人様に何の文句がある』
「違うよ……何か、ふらっと消えちゃいそうって言うか」
『馬鹿を言うな、ご主人様ほど芯の強い御方は居らん』
許可証が完成した。それを受け取り、兵士と話すアルに跨る。
「芯……もう折れてるんじゃないかな」
『無礼だな、貴様』
「悪口とかじゃなくて……ねぇ君、本当に平気? 教会に行くとか、科学の国か正義の国でカウンセリング受けるとか……」
「平気です。アル、行って。じゃあ、ありがとうございました、さようなら」
再び胴に尾が巻かれて、圧迫感に安堵を覚える。
「書物の国に行って」
そう短く伝え、首元に顔を埋める。
先程の兵士への対応はかなり無礼なものではなかっただろうか。いや、最低限の礼儀は払っていた。無愛想だったことを除けば形式的な問題はない。
書物の国に着くと他の国よりも面倒な審査を受ける。本を傷付けないためなのだろうが、意味もなく急いでいる僕にはそれさえも苛立ちの種だ。
『……ヘルシャフト、と読むのか?』
持ち物検査を待つ列でアルが僕の許可証を暇潰しに覗いている。
『似合っているな、ヘルシャフト様と呼んでも?』
「ダメ」
『そ、そうか。図に乗った、反省する……』
耳を垂らして落ち込む姿は何より可愛らしいと思う。もう少し困らせてこの可愛さを堪能したいけれど、もっと可愛い顔を見る方法がある。
「ヘルって呼んで」
『……ヘル様!』
耳がピンと立ち、尾が揺れ、目に見えて元気が戻る。やはり喜んでいる顔が一番だ。
「様は無し、ヘル」
『ヘル……無礼ではないか? 従僕が、こんな……』
「ヘルって呼ばれたいの。礼なんて無い方が好きだし」
そう、礼儀なんて要らない。寝ている間に腹に乗ったり、顔を舐めたり、髪を食べたりするくらいがちょうどいい。
以前と違って僕が弱さをあまり晒していないせいかアルは僕を魔物使いとして、主人として敬っているように感じる。以前は出会った時から子供扱いで庇護対象だった、その方が僕は嬉しいけれど、今更どう子供らしさを出せばいいのか分からない。
「ナイフ没収されちゃった」
『大きい物だったからな。書物の国は特に厳しい。ナイフなんて料理人しか使わないし、彼等も持ち歩きはしない』
「……アルは牙も爪も抜かれてないのにね」
『私自身が危険物だと言いたいのか? 酷いぞ、ご主人様……』
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