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第三十二章 初めから失敗を繰り返して

鍵の再入手

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以前は入国してしばらくでマルコシアスに声をかけられたが、今回は真っ直ぐに図書館に辿り着けた。日時のズレで外出していなかったのだろう。

『……ご主人様、何か欲しい本があるのか?』

「うん、本っていうか鍵なんだけどね。ちょっと取ってくるから待ってて」

『私は行けないのか?』

「…………ちょっと、ね」

アルは残念そうに耳を垂らし、窓の近くで本を読んでおくと言い残して寂しい後ろ姿を見せた。
僕は周りに人がいないのを確認し、そっと目を閉じた。

「……透過」

すぅ、と身体が軽くなる不思議な感覚。目の前の本棚に向かって歩くと本棚にぶつかることなくすり抜けた。
本を探している人の前に手を突き出し、無反応を確認してから僕は宝書庫に向かった。

「木の箱に入ってたはず……ぁ、あったあった」

パラシエルの隣をすり抜け、扉をすり抜け、大きめの独り言を呟く。
何の問題もなく鍵を入手した僕は本棚をすり抜けて図書館を走り、アルの隣に腰掛けた。

「…………どうやって使うんだっけ」

そもそもこの鍵はあの場所に辿り着いてから使う物だ。鍵を持っていなければ辿り着けないのは確かだが、持っているだけでは辿り着けない。
僕は以前どうやって彼の元に行ったんだったか……ライアーに頼った気がする。けれど今僕の首には何もかかっていない。

「はぁ……もふもふ」

鍵は大きくてポケットには入らない。僕は寝転がって本を読んでいるアルの腹に頭を置き、透過を解除した。

『…………っ!? ご主人様!?』

突然現れたように感じたのだろう。アルは驚いて飛び起き、僕の頭を床に落とした。

『ぁ……も、申し訳ない。大丈夫か?』

「……まぁね」

『私が接近に気が付かないなんて……貴方は、一体…………いや、詮索は止そう。目当ての物は見つかったか?』

「うん、でも目当ての使い方は出来なくてね」

僕は床に寝転がったまま鍵を弄る。アルは少し離れた位置で僕の様子を伺っている。弱さを見せていないからか、人間らしくなさを見せたせいか、アルは僕を尊敬しつつも警戒しているように思える。

「……魔術書を見るべきかな。いや、呪文は覚えてる……」

上体を起こし、呪文を呟く。魔術書の内容は全て覚えている。

「…………変化なし。兄さんに接触しないとなのかな……」

『兄弟が他にも居るのか?』

「……いや、実の兄弟じゃなくて……兄弟分みたいな」

今はそれも違うけれど。
ライアーは再び僕を弟と呼んでくれるだろうか、泣き虫にならなければ可愛がってはもらえないのだろうか。

「…………この国にもう用はない」

もしかしたら本当に元の時空には戻れないのかもしれない。だとしたら僕が行かなければ解決出来ない問題は漏らさず解決して、もう一つの失敗もせずに自分の記憶だけを頼りに旅を追って、アルとの仲も深めなければ──いや、このまま警戒されたまま、気味が悪いと離れられた方がアルにとっては……

「温泉の国に行こう」

戻る方法を考えつつ、並行してこの世界を以前の世界に近付けていこう。

『何か用があるのか?』

「……まぁね」

『…………その、急ぎでなければ温泉を楽しみたいのだが……』

アルが僕に向ける視線は母のようなものから子供のようなものに変わっている。僕は庇護対象ではなく、憧憬の対象なのだ。
しかし、その真っ直ぐな瞳が僕の魔眼に惹かれているのは変わらない。それなら──

「……いいよ」

仲を深めようか。



悪魔達に会うことなく書物の国を出て、温泉の国に辿り着く。魔法の国で他人の家や店から持ち出した高級品を換金したから旅費の心配は無い。

『宿はどうするんだ?』

「ここ」

『……何か理由が?』

「用事がある洞窟に近い」

他の国に比べてこの国の呪いは──レヴィアタンの『嫉妬の呪』は人間に大きな影響を与えていた。お菓子の国を除けば他の国は解決の必要も無いし、ベルゼブブに会うには魔物使いとして弱すぎる。

「…………指輪」

ついつい土産物屋に足が向く。そこで綺麗な指輪を見つけ、足が止まる。

『マリッジリングだな、許嫁でも?』

「……いや、居ないよ」

強いて言うなら今の僕が僕の婚約者だ。『黒』はどこに居るのだろう。以前は温泉の国で会ったが、日にちが違うし、何より名前を失った経緯が違う彼女が同じ行動を取るとは限らない。

「……温泉入ろっか」

『あぁ! 入ろう!』

土産物屋を出て部屋に荷物を置き、浴衣に着替えてそう言うとアルは途端に瞳を輝かせ、尾を揺らす。尾の黒蛇にも視界はあるはずなのに、振って酔ったりはしないのだろうか。

「毛の多い魔物用……こっちだね、温度は40~50でいいよね?」

『その通りだ、魔獣に詳しいんだな』

あまり以前の知識を使って動き過ぎると不審がられるかもしれない。レヴィアタンが来る洞窟に直行するのもおかしいか。

『ご主人様? 入らないのか?』

温泉の入口で立ち止まる僕の顔を覗き込む可愛らしい狼……っと、アルだ。本当に可愛いな……

「んー……君、女の子でしょ? 一緒に入っていいの?」

以前は知らなかった。分からなかった。もしかしたらアルが我慢していたのかもと思って今度は聞いてみた。

『……き、気にする必要は無い。私は獣だ』

「そう?」

『…………分かっていたのか?』

「何が?」

魔物用の温泉は主人が一緒に入ることが多いからかほとんどの場合混浴だ。隠すところはしっかりと隠さなければ。このタオルの巻き方には苦戦する。

『人間が獣を見て性別を判断するのは難しいだろう。私は何故か雄によく間違えられる……』

タオルを巻き、アル用の温泉を目指す道程。そっとアルの背に手を添えた。

「……とっても可愛かったから、すぐ分かったよ」

『な……か、可愛いなど、そんな……世辞は止せ』

ふいと顔を背けてしまった。仲良くなっていない今の状態でこの発言はまずかったか? いや、この反応は──

「お世辞じゃないよ、アルは可愛いし、格好良いし、綺麗だし……僕にとっては最っ高の美女だね」

『やめてくれ……そんな』

「本当のこと言っちゃダメなの?」

温泉に浸かり、縁に顎を置いたアルの耳を指先だけで撫でる。アルは擽ったそうに顔を振り、きゅうんと可愛らしい声を上げた。

『……美しい獣だと言われる事は多々あったが、美女だなんて……そんな』

珍しくも目が合わない。

『本心だとしたら貴方の趣味は少しおかしい……』

「酷いね。でも、異常者でいいよ。君の可愛さ分からなかったら生きてる意味なんてない」

あぁ、やはりアルとは仲を深めよう。僕と関われば不幸になるかもなんて思うけれど、関わらなくてもどうせ神魔戦争が始まったら巻き込まれるんだ。それなら僕の傍で庇護した方がいい。そう、僕はもうアルを守る方法も分かっている。以前のように不幸にしたりはしない、いつか元の時空に戻るとしても、ここでの経験は無駄にはならないはずだ。

「…………可愛いよ、アル。僕の生まれた意味は君に会えたことだ。僕の最悪な人生の唯一の最高……可愛いアル」

『なっ、な……な、何を……ふざけているのならやめてくれ……』

「……どうして信じてくれないの?」

目を逸らそうとするアルの顔を掴み、目を合わせる。
最初に弱さを見せていないからアルは僕にあまり触れてこない。だからといって今更弱さを見せてはアルの中での僕の印象が矛盾だらけになってしまう。
それなら可愛いと褒めるのが一番の近道だ。褒めていけばアルも気を許すはず、褒められたくて擦り寄ってくるはずだ。

『本気……の、ようだな』

アルはじっと僕を見つ返す。何かを覚悟したかのような凛々しい表情だ。

「その顔、格好良い」

そう言ったと途端に緩む。

「今度は可愛い」

アルはぎゅっと目を閉じ、また開いて更に凛々しい顔を作った。

『……そこまで言われて冷めた態度を取るのは女が廃る。それに、私も貴方に惹かれている。まずその瞳の美しさ、王としての器、素晴らし過ぎて従僕となるのも躊躇いがあったが……貴方がそう言ってくれるのなら、その……閨でも貴方に従おう』

「ん……? うん、可愛い可愛い」

やはり遠い存在に見られてしまっていた。魔物使いとして力を振るい過ぎるのも問題だ、適度にアルに頼らなければ。
まぁ、警戒されていたり嫌われていたりする訳ではなくて良かった。
僕はそう楽観的に捉え、短い毛の生えた額を撫でた。
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