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第三十二章 初めから失敗を繰り返して
当惑
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『黒』は当然のようにオファニエルの腕をすり抜け、僕の前で屈む。
『……偽の理想郷に行くといい。銀の鍵の使い方が分からないんだろう? あの顕現は他と繋がってないけど知識は無駄にあるからさ』
『…………イミタシオンのこと?』
返事はせず、ただ微笑む。僕はそれを肯定と取った。銀の鍵の使い方が分かるなら──元の時空に戻れるのなら、今すぐに向かわなければ。僕はすぐに出発しようと立ち上がる。
『たぁちゃ……ぁ、いや、偽物!』
『オファニエル……その、騙したのは悪いと思ってるけど、今君に構ってる暇はないんだよ』
元の時空に戻ればこちらでの失敗も思い出も無に還る。僕の記憶以外からは。
『違う……その、気を付けて……』
弱々しく微笑み、小さく手を振る。
『え……ぁ、あぁ、ありがと。その、怒ってないの?』
『…………君は一度も自分がたぁちゃんだって言わなかったし、否定してたし……私が無理に連れて帰っただけだ。でも、君も私を利用してただろう? それは……少し、腹が立つけど、私も悪かったからね、お互い様ってことにならないかな』
落ち込んでいるのか声は小さいし表情は暗いが、その瞳は確かに僕に対しての怒りを孕んでいる。今はもう「睨む」とは言えないけれど、それでも居心地悪さは与えてくる。
『う、うん……ごめんね。えっと、それじゃ!』
木々をすり抜け、宙に舞う。鬼の身体能力も楽しいが、一番は天使の翼だ。
『さて、たぁちゃん……たぁちゃん? あれ……?』
『黒』は僕にイミタシオンに行けと教えてオファニエルの後ろに下がってすぐ姿を消した。そうでなければ僕はすぐに行動せず『黒』の説得を試みただろう、彼女もそれが分かって逃げたのだろうか。
『レヴィアタン、神降の国とか酒色の国とかがある大陸分かる? そこの海辺に街があるんだけど……』
兵器の国がある大陸とイミタシオンがある大陸──距離程度なら分かるが方角は分からない。僕はレヴィアタンに頼ることにした。
アルの口から小さな蛇が真下に広がった海に落ち、程なくして巨大な海蛇が頭を上げる。
『……乗れ』
『ど、どうも……」
レヴィアタンの額の上に腰を下ろし、翼を消してアルを隣に誘う。昨日のようにレヴィアタンを怒らせないように、会話は最小限にしなければ。
『……なぁ、ヘル。先程の天使やその他にも、貴方について分からない事が沢山ある。教えて貰えないだろうか』
僕は会話をしないつもりだったが、アルは会話を望んでいるらしい。アルの望みなら仕方ない。
「いいよ。あんまり説明上手くないけど、何でも聞いて」
『……オファニエル、だったか。あの天使は何だ?』
「天使の名前取ったって言ったよね? その天使の知り合いで、僕と間違えて助けに来てくれたみたい」
『名前の本来の主はその隣に居た薄い者か』
薄い、か。僕の目には普通に実体化しているように見えていたが、アルの目には存在が薄まっていると分かったのか。
「まぁ、そうだね。返したいんだけど……すぐ行っちゃって」
『そうか…………なぁ、ヘル。貴方は……力をどう使いたいんだ?』
不本意に奪ってしまった力の話か? 魔物使いの力の話か? 前者なら「返したい」で今言った。後者なら──
「……魔物と人間を共存させたいなって。ほら、ちょっと人里近くに出ただけで討伐隊組まれるのは可哀想でしょ? でも悪魔の家畜にされてる人間も居て、それは同族として嫌な感じするなって。話せる魔物はまぁまぁ居るんだし、人間と仲良くしてくれる魔獣も多いし…………そういうのみんなで出来たらなって」
アルはじっと僕の目を見つめている。その真っ直ぐな視線にはやはり気後れするが、目を逸らすことは少なくなった。
『……貴方は人間の味方か?』
「多分、人間寄りだと思う。僕は人間だし。でも、中立でありたいなぁって」
『…………人間を殺す事は無いのか?』
意図が分からない。魔獣だからといって人に造られた存在であるアルが人間の虐殺を好むとは思えない、その質問の意図は僕に人を殺して欲しいから──ではないのだろう、なんて……考え過ぎか?
「……殺さないよ、絶対。魔物も……ね」
『そうか』
アルはゆっくりと身を横たわらせ、僕の膝に頭を乗せた。その大きな頭を撫で、身を包む翼にもたれかかる。
『……貴方の認識は本当に壊れていたんだな』
「…………どういう意味?」
『私は貴方のやる事に口は出さない、私は貴方に従う。私はただ事実を話すだけだ、これを覚えておいてくれ』
宣言、いや、前置きか。
『……貴方は兵器の国で十数人を殺害した』
「…………殺してないよ」
『殺した。首を切り飛ばし、鴉に喰わせ、頭を潰し、首をちぎった』
「僕がそんなこと出来るわけないだろ!? そんな酷いこと……人間にやるなんて、想像しただけでもっ……!」
アルがこんな冗談を言う訳はないと、本気で言っていると、目を見なくても性格を知っているから分かる。
しかし、僕が残虐な方法で人を殺すような度胸も狂気も持ち合わせていないのは僕が一番よく分かっている。
矛盾している。
『殺したんだ、ヘル。貴方は人間を殺した。その事について私は貴方を責めないし、寧ろその姿は美しく逞しく見えた。ただ、認識はしておいて欲しい。貴方は激情のままに他者を殺し、それを忘れられる人間だと』
「そんなっ……そんなはずないよ」
『……ヘル』
「僕が、そんなっ……」
激情のままに──そう言われては反論出来ない。我を忘れる性格なのは目を背けていても分かる。人を殺せる程に正気を失うなんて知りたくもなかったけれど。
あの刀を使ったのか、鬼の力を振るったのか、僕の手は他者の血に塗れていたのか。そんな手でアルに触れていたのか。
「…………ごめん。一人にさせて』
光輪を現し、干渉を遮断する。僕の全ては僕の自由だ。アルに触れずにレヴィアタンに乗り続けることも、アルの声を聞かずに潮騒だけを聞くことも、意識せずに実行できる。見たくないと願えば僕の視界は暗闇に落ちるし、揺れも鱗の硬さも感じない。
僕はレヴィアタンの額の上で、アルの頭を膝に乗せたまま、孤独に浸った。
人間を殺したという信じ難い事実について考えることはなく、実感のなさは罪悪感すらも消してしまい、僕はただ暗闇に蹲っていただけだった。
しかし、いつの間にか到着していた海辺の街で姿を現すと、アルは僕が深く反省し自分を責めたと勘違いし、無言で身を寄せた。
「…………レヴィアタンは?」
『ここ』
「あぁ、人型か……お疲れ様。欲しかったら好きなだけ」
この街で銀の鍵の使い方が分かるのなら、元の時空に戻れるのなら、レヴィアタンともこちらのアルともお別れだ。最後にせめて美味しいものを──と手首を差し出す。
『……いらない』
「そう……? 欲しかったらいつでも言ってね」
疲労は目に見えて分かるのにレヴィアタンはぷいと顔を背けた。まるで拗ねた子供のようだ。
「……アルは?」
『満腹だ』
もう最後なのに──と言っても仕方ない。鍵の使い方が分かってからまた聞こう。
今はとにかくライアーを訪ねるのが先だ。以前門に辿り着けたのは彼の形見の小石から顕れた彼に手を引かれたからだ。ライアー自身は何も知らなくとも、あの小石を使えばまた門に辿り着けるだろう。
「とりあえず海の中の街に……ぁ、首飾り要るんだっけ」
力を使って海水の干渉を遮断してもいいのだが、街の住民に変な目で見られるのも嫌だし、アル達にも加護を与えて同じことをするのは疲れる。
僕は首飾りを売っている店に行き、三つ買ってアル達にも着けさせた。二人は迷いのない僕の行動を不思議に思っているようだったが、何か聞いてくることはなかった。そもそもこの街に来た理由も二人には分からない、今更少し不審な動きをした程度どうでもいいのだろう。
「海の中に入って……ここを真っ直ぐ、いや、こっちを曲がって……」
首飾りの店は入口近くにあり看板も出ていたから迷わなかった。しかし、数日間通っただけのライアーの店までの道のりは分からない。以前泊まっていた宿からなら思い出せる気もするが、宿がどこかは分からない、どの道かすら分からない。
僕は首飾りの仕組みの考察に夢中になる二人を放って、ふらふらと街をさまよった。
『……偽の理想郷に行くといい。銀の鍵の使い方が分からないんだろう? あの顕現は他と繋がってないけど知識は無駄にあるからさ』
『…………イミタシオンのこと?』
返事はせず、ただ微笑む。僕はそれを肯定と取った。銀の鍵の使い方が分かるなら──元の時空に戻れるのなら、今すぐに向かわなければ。僕はすぐに出発しようと立ち上がる。
『たぁちゃ……ぁ、いや、偽物!』
『オファニエル……その、騙したのは悪いと思ってるけど、今君に構ってる暇はないんだよ』
元の時空に戻ればこちらでの失敗も思い出も無に還る。僕の記憶以外からは。
『違う……その、気を付けて……』
弱々しく微笑み、小さく手を振る。
『え……ぁ、あぁ、ありがと。その、怒ってないの?』
『…………君は一度も自分がたぁちゃんだって言わなかったし、否定してたし……私が無理に連れて帰っただけだ。でも、君も私を利用してただろう? それは……少し、腹が立つけど、私も悪かったからね、お互い様ってことにならないかな』
落ち込んでいるのか声は小さいし表情は暗いが、その瞳は確かに僕に対しての怒りを孕んでいる。今はもう「睨む」とは言えないけれど、それでも居心地悪さは与えてくる。
『う、うん……ごめんね。えっと、それじゃ!』
木々をすり抜け、宙に舞う。鬼の身体能力も楽しいが、一番は天使の翼だ。
『さて、たぁちゃん……たぁちゃん? あれ……?』
『黒』は僕にイミタシオンに行けと教えてオファニエルの後ろに下がってすぐ姿を消した。そうでなければ僕はすぐに行動せず『黒』の説得を試みただろう、彼女もそれが分かって逃げたのだろうか。
『レヴィアタン、神降の国とか酒色の国とかがある大陸分かる? そこの海辺に街があるんだけど……』
兵器の国がある大陸とイミタシオンがある大陸──距離程度なら分かるが方角は分からない。僕はレヴィアタンに頼ることにした。
アルの口から小さな蛇が真下に広がった海に落ち、程なくして巨大な海蛇が頭を上げる。
『……乗れ』
『ど、どうも……」
レヴィアタンの額の上に腰を下ろし、翼を消してアルを隣に誘う。昨日のようにレヴィアタンを怒らせないように、会話は最小限にしなければ。
『……なぁ、ヘル。先程の天使やその他にも、貴方について分からない事が沢山ある。教えて貰えないだろうか』
僕は会話をしないつもりだったが、アルは会話を望んでいるらしい。アルの望みなら仕方ない。
「いいよ。あんまり説明上手くないけど、何でも聞いて」
『……オファニエル、だったか。あの天使は何だ?』
「天使の名前取ったって言ったよね? その天使の知り合いで、僕と間違えて助けに来てくれたみたい」
『名前の本来の主はその隣に居た薄い者か』
薄い、か。僕の目には普通に実体化しているように見えていたが、アルの目には存在が薄まっていると分かったのか。
「まぁ、そうだね。返したいんだけど……すぐ行っちゃって」
『そうか…………なぁ、ヘル。貴方は……力をどう使いたいんだ?』
不本意に奪ってしまった力の話か? 魔物使いの力の話か? 前者なら「返したい」で今言った。後者なら──
「……魔物と人間を共存させたいなって。ほら、ちょっと人里近くに出ただけで討伐隊組まれるのは可哀想でしょ? でも悪魔の家畜にされてる人間も居て、それは同族として嫌な感じするなって。話せる魔物はまぁまぁ居るんだし、人間と仲良くしてくれる魔獣も多いし…………そういうのみんなで出来たらなって」
アルはじっと僕の目を見つめている。その真っ直ぐな視線にはやはり気後れするが、目を逸らすことは少なくなった。
『……貴方は人間の味方か?』
「多分、人間寄りだと思う。僕は人間だし。でも、中立でありたいなぁって」
『…………人間を殺す事は無いのか?』
意図が分からない。魔獣だからといって人に造られた存在であるアルが人間の虐殺を好むとは思えない、その質問の意図は僕に人を殺して欲しいから──ではないのだろう、なんて……考え過ぎか?
「……殺さないよ、絶対。魔物も……ね」
『そうか』
アルはゆっくりと身を横たわらせ、僕の膝に頭を乗せた。その大きな頭を撫で、身を包む翼にもたれかかる。
『……貴方の認識は本当に壊れていたんだな』
「…………どういう意味?」
『私は貴方のやる事に口は出さない、私は貴方に従う。私はただ事実を話すだけだ、これを覚えておいてくれ』
宣言、いや、前置きか。
『……貴方は兵器の国で十数人を殺害した』
「…………殺してないよ」
『殺した。首を切り飛ばし、鴉に喰わせ、頭を潰し、首をちぎった』
「僕がそんなこと出来るわけないだろ!? そんな酷いこと……人間にやるなんて、想像しただけでもっ……!」
アルがこんな冗談を言う訳はないと、本気で言っていると、目を見なくても性格を知っているから分かる。
しかし、僕が残虐な方法で人を殺すような度胸も狂気も持ち合わせていないのは僕が一番よく分かっている。
矛盾している。
『殺したんだ、ヘル。貴方は人間を殺した。その事について私は貴方を責めないし、寧ろその姿は美しく逞しく見えた。ただ、認識はしておいて欲しい。貴方は激情のままに他者を殺し、それを忘れられる人間だと』
「そんなっ……そんなはずないよ」
『……ヘル』
「僕が、そんなっ……」
激情のままに──そう言われては反論出来ない。我を忘れる性格なのは目を背けていても分かる。人を殺せる程に正気を失うなんて知りたくもなかったけれど。
あの刀を使ったのか、鬼の力を振るったのか、僕の手は他者の血に塗れていたのか。そんな手でアルに触れていたのか。
「…………ごめん。一人にさせて』
光輪を現し、干渉を遮断する。僕の全ては僕の自由だ。アルに触れずにレヴィアタンに乗り続けることも、アルの声を聞かずに潮騒だけを聞くことも、意識せずに実行できる。見たくないと願えば僕の視界は暗闇に落ちるし、揺れも鱗の硬さも感じない。
僕はレヴィアタンの額の上で、アルの頭を膝に乗せたまま、孤独に浸った。
人間を殺したという信じ難い事実について考えることはなく、実感のなさは罪悪感すらも消してしまい、僕はただ暗闇に蹲っていただけだった。
しかし、いつの間にか到着していた海辺の街で姿を現すと、アルは僕が深く反省し自分を責めたと勘違いし、無言で身を寄せた。
「…………レヴィアタンは?」
『ここ』
「あぁ、人型か……お疲れ様。欲しかったら好きなだけ」
この街で銀の鍵の使い方が分かるのなら、元の時空に戻れるのなら、レヴィアタンともこちらのアルともお別れだ。最後にせめて美味しいものを──と手首を差し出す。
『……いらない』
「そう……? 欲しかったらいつでも言ってね」
疲労は目に見えて分かるのにレヴィアタンはぷいと顔を背けた。まるで拗ねた子供のようだ。
「……アルは?」
『満腹だ』
もう最後なのに──と言っても仕方ない。鍵の使い方が分かってからまた聞こう。
今はとにかくライアーを訪ねるのが先だ。以前門に辿り着けたのは彼の形見の小石から顕れた彼に手を引かれたからだ。ライアー自身は何も知らなくとも、あの小石を使えばまた門に辿り着けるだろう。
「とりあえず海の中の街に……ぁ、首飾り要るんだっけ」
力を使って海水の干渉を遮断してもいいのだが、街の住民に変な目で見られるのも嫌だし、アル達にも加護を与えて同じことをするのは疲れる。
僕は首飾りを売っている店に行き、三つ買ってアル達にも着けさせた。二人は迷いのない僕の行動を不思議に思っているようだったが、何か聞いてくることはなかった。そもそもこの街に来た理由も二人には分からない、今更少し不審な動きをした程度どうでもいいのだろう。
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