魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

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第三十二章 初めから失敗を繰り返して

無意味な遊戯

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ルールは簡単。
扉の向こうの化け物に首輪を巻いた愛しい仔を放り込んで、その仔の助けを求める声に耐え切れなかったら首輪を引っ張る。化け物は引っ張る力を少しでも感じたら離すように躾けてある。
未来、心臓、愛情、この三つのカードのうち二枚分が赤くなればゲームクリア。つまり、二枚が赤くなれば当然クリア。一枚が真っ赤で、残り二枚が半分ずつ赤くなった──でもクリア。

「……カードは何をすれば赤くなるの?」

対応するものの喪失度で赤く染まる。
意味の分からないゲームに勝つ為に愛しい人に化け物に嬲らせられたら、当然その仔の愛情は喪失する。扉の向こうに放り込めば愛情は真っ先に赤く染まり、首輪を引けば赤も引く……かもしれない。
勝つ為に大好きな仔を差し出すのなら、当然自分の心も喪失──心臓も赤く染まる。首輪を引いてその仔を助けて、その仔に責められれば赤く、許されれば赤は引く……かもしれない。
未来を赤くする条件は銀の鍵の所有権を放棄すること。もしくは望む未来が訪れなくなること──前述と同じ? いやいや違うよ、銀の鍵を使って元の時空に戻っても、キミがこのゲームのことを思い出してぎこちなくなれば、それは望む未来とは微妙に異なるよね。

『──って感じ。どう? 説明まだ要る?』

「……首輪を引くタイミングを調整して、出来るだけ早く赤く染めればいいんだね」

『そうそう』

「…………分かった。アル」

首輪を引っ張り、扉の前に立つ。アルは僕の足に尾を巻いて、前足を僕の肩に乗せて、全身で僕に抱き着いている。こんなにも可愛いアルを化け物に喰わせるなんて──

『おっ、早速心臓のカードが赤くなってきたよ!』

そう言ってナイが見せたカードの角は微かに赤みを帯びていた。

「…………アル」

『ヘルっ……このゲームに勝って何があるんだ? 私より…………大切なものが……貴方にあったのか? それが手に入るのか?』

このゲームに勝てば元の時空に戻れる。そうすればアルにも会えるし、兄にも会える、仲間達にだって会える。

『貴方は私の為に人間を無意識に殺してしまうような人だ……ヘル、私は自分が愛されていると思っていた。自惚れだったのか?』

「……ううん、愛してるよ。この世で一番…………このゲームはアルのためでもあるんだ、うぅん、八割……九割、ほとんどアルのためなんだよ」

そう、元の時空のアルに会う為。これはアルの為なんだ、だから僕は──悪く、ない? のか?

『…………分かった。喰われれば、いいんだな』

前足が床に降り、アルは自ら扉をくぐった。首が抜けて前足が中に入ると、アルは黒い液体に引きずり込まれた。

「………………カード、見せて」

未来のカードは真っ白。心臓のカードは端が数ミリ赤い。肝心の愛情のカードは……白いままだ。

「……なんで。アルを扉の中に入れたら赤くなるんだろ!? 嘘吐きっ……!」

『違う違う、愛情が減ってないんだよ。だってキミ、彼女に納得させただろ? いいから行けって蹴り飛ばせば少しは赤くなったかもね』

ゲームの勝利の為に身を犠牲にさせているのに、アルの愛情は変わらないと?

「そんなっ……! じゃあ、どうすれば……」

『仕方ないねぇ、アドバイスあげる。あのね──』

ナイは僕の耳元でボソボソと最低な「赤く染めるコツ」を呟いた。
紐を軽く引くと血と粘液に汚れたアルがよろよろと扉から出てきた。傷や欠損を修復し、僕を見上げて擦り寄った。

『……ヘル、終わりか? 良かった……貴方の為とはいえ、酷い苦痛には変わりない』

「…………アル」

『あぁ、気にするな。私の為でもあるのだろう? 大丈夫、私は気にしない』

「…………………… 動 く な 」

そう命令し、アルを扉の中に蹴り入れた。素早く首周りの皮を掴み、頭──と言うより上半身を扉から出す。化け物は上手く勘違いして、扉に入った分の身体だけを貪っている。

「ね、アル。ごめんね、嘘吐いてた。僕、君のこと……もう、どうでもっ……いい。最後にゲームに使えるならって、さぁ?」

飛び散る血が顔にかかる。皮が裂ける子気味良い音と肉が潰れる柔らかい音、骨が砕ける硬い音が水音を混じらせて鼓膜と心を揺さぶる。

『…………嘘だ』

「……っ、他に、ね? 好きな人が……出来た。ぁ、当たり前だよね、君みたいな狼に……本気に、なるわけっ……ない、じゃん」

『嘘だ』

視線をナイに、いや、ナイの手元のカードに移す。心臓のカードは四分の一が赤く染まっていたが、愛情のカードはまだ真っ白。

「……なんで信用しないんだよっ! 早く僕を嫌いになってよ! こんなこと言うような奴嫌いだろ!? ねぇアル分かってるの? 僕のせいで無駄に苦しい思いさせられてるんだよ!? 早く僕を嫌いになれよぉっ!」

『…………泣かないで、ヘル。私は大丈夫……大丈夫、だから』

「なんでっ、なんで、なん、で……?」

アドバイスを実行したのに上手くいかない。ナイはそれはそれは愉しそうに笑っている。

『貴方が私を愛していると言ってくれたから、そう言いながら抱いてくれたから……私は貴方の愛を信じる』

「…………ぁ、あっ……ごめっ……」

今謝れば無駄になる。嘘だとバレていても言い続けなければ。愛情のカードを赤く染めなければ。僕が躊躇ったらそれだけアルの苦痛は長引く。

『ヘルくーん、心臓のカード三分の一行ったよ!』

「うるさい黙ってろ邪神がっ!」

『やぁ~んヘル君こわぁ~い、ボクはそう悪い邪神じゃないよぉ、いじめないでー?』

「お前より酷いの見たことないんだよ!」

ナイと話している暇もない。

「アルっ……僕、僕ね、君を……えっと」

『…………ヘル。何処にも行かないで。私と一緒に生きて……』

アルは分かっているのか? ルール説明を聞いて、僕が元の時空に戻ろうとしていることを──銀の鍵なんて知らなくても、僕が去ってしまうと察したのか? その上で僕に協力せず、ゲームを降りさせようとしているのか?

「アルっ! お願いっ……僕を嫌ってよ! じゃなきゃ、じゃなきゃっ……僕!」

『……嫌えと言われて嫌いになれるものか』

「僕っ、みんなの……アルのところに帰れないんだよ!」

『…………ごめんなさい、ヘル。私は貴方を嫌いになれない、貴方に傍に居て欲しい』

違う。僕にゲームを降りさせようというのは付属の狙い。ただただ僕への愛情が深いだけ──

「ナイっ……お前だけは、絶対に殺してやる……」

『……ふふっ、あはっ! ふっ、あっはははははははははっ!? イイね! イイ、イイ! そのカオ最っ高! 殺してみなよ! 好きなだけボクを殺して、人界全ての生物の精神を侵し尽くすといい! そうすればボクの実在は確立する!』

今感情に任せてナイを殺しても何の意味もない。僕が今やるべきなのは、こちらのアルとの決別。元の時空のアルに会うために、こちらのアルを手酷く捨てる。

「……魔物使い、ヘルシャフト・ルーラーの名の元に誓う。僕が今から話すことは全て真実だ」

アルの瞳が虚ろになり、僕の言葉を待つ。

「…………僕は君を弄んだ最低の男だ。ずっと君を、君の心を利用してた。君を本当に愛した時間なんて一瞬も存在しない、君に捧げた愛の言葉は全て嘘だ」

ほんの僅かな魔眼の痛み──そして、喉元への激痛。倒れながら見たナイの手元のカードは、愛情のカードは、グロテスクなまでに見事な赤に染まっていた。

「アルっ、ゃ、やめっ……痛いっ! やめて、待て、止まれっ!」

『ヘルくーん、愛情のカードコンプリート! 心臓が半分赤くてー、未来が四分の一。あと四分の一だよ! 頑張って!』

「ナイ君っ! アルを、アルを止め……っ!」

喉を食い破られ、発声と呼吸が不能になる。アルは追い縋る化け物を尾で一蹴し、扉から出て僕の上に乗った。

『やだな、キミ魔物使いでしょ? 自分でやりなよ』

そう、出来るはず……止められるはずなのに、さっきからそう念じているのに、アルは止まらない。干渉を切ることも、痛覚を消すことすら出来ない。不死身のはずの天使になっておきながら、明確に死の恐怖を感じた。

『罰を受けるのに酔わないで、ちゃーんとゲーム続けてよね』

「ばつ、に、酔う……?」

再生し始めた喉で無理に音を作って、まだ破れたままの皮膚と口から血が零れる。
ナイの言う通りだ、今僕はアルに与えられている痛みを罰として、このゲームを始めた罪を贖おうとしている。

「ぁ……る、ごめん……」

『…………死なないのか。そうか……まぁいい、その方が恨みを晴らせる。待っていろよ、そこの男を殺したら、貴方を巣に持ち帰って……世界が滅ぶその時まで、貴方を殺し続けてやる』

「ダメっ……ナイ君、殺したら……」

ナイは意地の悪い笑みをたたえたまま立ち上がり、両手を広げた。殺せとでも言わんばかりに。

「……レヴィアタンっ!」

アルがナイに飛びかかる寸前、そう叫んだ。レヴィアタンが僕の思いを汲み取ってくれたかどうか、ナイが死んでしまったのかどうか、飛び散った血が目に入って何も分からなかった。
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