魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

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第三十二章 初めから失敗を繰り返して

全ては夢だった

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あの世界を夢として追体験したのなら「僕の愛は嘘」という暗示はどうなっているのだろう。ただの夢だと考えれば悪夢で済ませるだろうが、夢と繕っても別世界の体験だと考えれば暗示はかかってしまうのではないか?

「アル……あの、大丈夫?」

夢は他者と共有するものではない。僕が今ここで言い訳をすれば本当は夢ではないと言うようなものだ、喉を庇ったのだってよくない。

『…………ヘル、抱き締めて貰えないか』

アルは縋るような目をしてそう言った。僕はアルに暗示がかかってはいないことに安堵しつつ、希望通りにアルを抱き締めた。

『いつとも分からない日の夢を思い出した……長い長い夢だった』

『ちょっとー、人目をはばからずイチャつくのやめてくださいよー』

小さな足が背中を蹴っている。

「大人しくしててよベルゼブブ、アルが話してる」

『夢の話なんざ後でいいでしょ? その箱開けてくださいよ、結構興味あるんです』

「……黙れって言ってるんだよ」

『…………はぁ?』

アルに少し待つように伝え、背中に置かれた足を振り払ってベルゼブブに向き直った。

『ヘルシャフト様最近生意気ですよ、餌の自覚が足りませんね。ねぇヘルシャフト様……腕、二本も要りませんよね』

「かもね。ほら、やれよ』

左腕を差し出し、右手をカウンターに落とされた自分の影に沈める。
ベルゼブブは何の疑いもなく僕の左腕に大口を開けて飛び込み──すり抜け、バランスを崩す。その隙に影から抜いた刀を振り、彼女のふくらはぎを貫いた。

『……僕が食べたいなら働け』

『ごもっともです……が、敬意が足りませんよ? いつの間にそんな凶器拾ったんです?』

『もう僕を脅せると思わないで。君は使い魔だろ? 経緯が足りないのは君の方だ』

『…………ヘルシャフト様? 貴方、何か……嫌な雰囲気しますね。天使みたいな……魔物みたいな。貴方、本当に人間ですか?』

『……ねぇベルゼブブ、箱を開けろって言ったよね? もう開けたんだよ、もう使ったんだ。その結果がこれだよ』

ナイから『黒』の名前を取り返すことには成功した。だがそれだけだ、『黒』に名前を返せてはいない。
完全に無駄とは言えないが、理想の前進とも言えない。

『少年はアカシックレコードを手に入れ、変質したという訳ですね。暴きたくて仕方ありませんが……一気に曝露しては私が耐えられません。ベルゼブブ様、下手に突っかかるのは危険かと。それにここは図書館です、お静かに願います』

『……そ、そうそう。ベルゼブブ様、カッカしないで……ヘルシャフト君も、ね?』

アガリアレプトは血は早く落とさなければシミになるだとか言ってベルゼブブを僕から引き離した。それと同時にマルコシアスは僕を後ろから抱き締め、胸を押し付けた。肩甲骨辺りに懐かしさすら覚える弾力を感じる。

『そこ代われ姫さん!』

『……別にいいですけど」

『やった! さ、さぁ……俺にもその巨乳を……』

『やだよ! こういうのは初心な子供にやるから反応が面白いんだ、君みたいなのにやっても生々しくて気持ち悪いんだよ!』

マルコシアスを引き剥がし、ロキを押し付け、アルを連れて隅に移動する。

「……アル、どんな夢見たの?」

『…………貴方と旅をする夢を……もしも、のような世界の夢を』

壁を背に座り、伸ばした足の上にアルを乗せる。遠慮するアルを抱き寄せ、僕にもたれさせる。アルの全体重が僕にかかって、僅かに呼吸が苦しくなる。

『夢の中の貴方はとても勇ましく、誰よりも孤独で、酷く冷たく、残虐だった。私はそんな貴方が好きだった……初めから恋心だけを抱いた。貴方も私を好きだと言ってくれた。一度貴方を捨てた私を許して、執拗に抱いた……』

顔に押し付けられる大きな頭。眼前の大きな口に並んだ牙。今となっては恐怖は無く、ただ愛おしい。

『でも……それは全て嘘だったんだ。私を利用する為に嘘を吐いたんだ。好きだと言って惑わせて、愛してると言って信じさせて、化け物に私を突き出した……!』

「…………そう」

『喰われても、犯されても、何をされても、貴方の為ならと耐えたのに……貴方は私を裏切った。そして、私は……貴方を、貴方に……貴方、は…………夢、だ。夢だ、そう、夢……あれは悪い夢だった』

大きな身体が震えている。それを止めるため、必死に抱き締めて背をさする。数分の間そうしていると荒くなっていた呼吸も整い、震えも治まる。

『夢、だよな。ヘル……』

「…………当たり前だろ。僕はアルが一番大事なんだ、誰よりも何よりも……自分より、この世界より、優先する」

アルの為なら躊躇いなく死を選べるし、世界だって滅ぼせる。
あの時アルに酷い仕打ちをしたのだって、このアルに会う為だった。こちらのアルには影響が無いと思って、自分勝手に心身を削ってアルを裏切った。

「……夢なんて気にしないで」

『ああ、そうだな。ただの夢だ。あんな夢を見るなんて……』

元の時空に戻りたいという自分だけの願いの為に、アルを裏切った。傷付けた。

「夢、だからね。全部……夢」

『…………夢にするには勿体無い経験もあったな』

自分に暗示をかけようと「夢だから」と呟いていると、落ち着いたらしいアルが身体を離し、僕の頬を舐めた。

『夢の中の貴方は気味が悪い程に私だけを求めてくれていた。嘘ではあったが、とても、とても……幸福だった』

「…………落ち着いたらもう嫌だって言うくらいしつこくしてやる。覚悟して」

アルの頭を抱き寄せ、ピンと立った三角の耳に口を寄せ、囁いた。その耳が垂れたことや言葉にならない鳴き声を上げているのが可愛らしくて、僕も正気を取り戻し始めた。

「何日も、何週間も……ずーっと二人で部屋にこもってさ、動けなくなるまで、何も考えられなくなるまで、うぅん、なってもやめてやらない」

『ヘ、ヘル……分かった、分かったから、もうやめて……』

「僕のしつこさ一番分かってるのはアルだと思ってるよ。それで……」

『茹だって死んでしまう! 離せっ……もう、もう嫌だ! ヘルの馬鹿!』

暴れたアルの前足が腹に沈む。嘔吐く僕の腕を振りほどき、アルは本棚の向こうに消えていった。

『速いなー……おい姫さん大丈夫か』

「…………趣味が悪いよ」

『盗み聞きしたって前提で話すなよ。したけど』

「してたんじゃん……この邪神」

ロキの手を借りて立ち上がり、再び壁にもたれかかる。

『誰が邪神だ。で、何。お前らそういう関係?』

「まぁ、そうだね。だからアルには触らないでよ」

『……人間ってそんなに獣姦抵抗無かったっけ?』

「こっちではまだしてないよ! そういうこと平気で言う神経疑う!」

『まだってお前……こっちではってお前…………どこで何やったんだよ』

「言葉の綾だよ! ただの言い間違いだからそれ以上口を開くなぁっ!」

腹に与えられた打撃に近い照れ隠しも忘れてロキに掴みかかる。

『それ以上口を開かないで欲しいのは少年の方です。図書館ではお静かに』

口を押さえられ、その様を嘲笑うロキに苛立ちながらも俯く以外の行動は取れなかった。

『……ストーキングは少年以上の迷惑行為ですので。御自分を省みてから他人を笑ってください』

呆れたと示すような深いため息をつき、アガリアレプトは司書の仕事に戻った。何かと邪魔してしまっていたようだ、悪い事をした。

『ストーキング……? 誰に話してたんだ、あれ』

彼を見ていると反省出来るだけ自分はマシだと思えてくる。勘違いクズ製造機だ、この神性。

『……何の話してたっけ?』

「ロキがストーカーしてるって」

『えぇ? 俺が? 誰に?』

「マルコシアスだろ?」

「ははっ! バカ言うなよ、俺はデートの予定取り付けに来てんの。向こうも俺に会えて喜んでる」

「うわぁ……注意が無駄なタイプのストーカーだ」

厳重注意という名の徒労をしている暇はない。銀の鍵を影の中に収納して、逃げてしまったアルを追おう。
その後は……そうだな、マルコシアスやアガリアレプトと軽く話したら酒色の国に戻って──勤め先を探さなければ。
……帰りたくないな。
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