魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

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第三十三章 神々の全面戦争

お仕事見学

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開かれたまま止められていた扉を抜けるとベルが鳴り、比較的露出度の低い制服に身を包んだ淫魔が僕達を席に通した。

『どーだ、ロキ様のオススメは』

「…………どっちに聞いたの?」

案内を担当した店員とは別の店員が水を持ってくる。透明のコップと深い皿だ。

『ご注文は……って、あれ、ヘルシャフト君?』

「……どうも、セネカさん」

店を外から覗いた時、彼女の姿が見えた。だから無用な警戒なく入れた。

『もう少し慣れてから呼ぶつもりだったんだけどなー……えっと、その仔犬は…………まさか』

セネカは仕事を忘れて席に居着く。

『まさか……狼さん、おめでた……?』

「そんなわけないでしょ」

『だ、だよねー』

「出産の前にお腹膨らんだりするでしょ」

『そうだね……って待ってそういう問題なの?』

ロキはずっと黙っている、仔犬の演技でもしているのだろうか。ずっとこのままなら可愛らしくていいのだけれど。

「アルの子ならもっと可愛いはずですし」

『あはは……じゃあ、その子は?』

「えっと、あの、ほら、にいさまの……小型化……えっと、試作品的な物です」

『よく分かんないけど……ぁ、注文決まった?』

馬鹿で──いや、細かいことを気にしない性格で助かった。拾っただとかは飲食店には合わないだろうと咄嗟に兄の仕業にしてしまった……後で口裏を合わせなければ。

「オススメあります?」

『高いの注文して欲しいな』

「じゃあこのケーキセット二つ」

『ケーキセットの中で一番安いのだね。仔犬ちゃんチョコ大丈夫? 犬用あるけど』

「大丈夫です、この仔は毒キノコ食べても死にません」

案外とペット用の菓子類は高いのだ。変身しているだけでロキには代わりない、大丈夫だろう。

『毒キノコってなんだよ』

「死なないだろ?」

『食わせたことはあるけど食ったことないからなー』

食わせた相手はどうなったのだろうか。神性なのか人間なのかも気になるところだ。

『水飲めねぇ、机乗っけてくれよ』

「行儀悪いなー」

机の端に皿を引き寄せ、仔犬を抱き上げて水を飲ませる。

『……口の周りべっちべちゃになるなコレ』

「下手くそだなぁ」

『慣れてねぇんだよ』

以前にも変身したことがあるかどうかは知らないが、犬になって数分のロキと狼として生まれて数百年のアルとは比べものにならない経験の差がある。しかし、アルは水を飲めば額まで濡らすし物を食べれば顔を染める。

「でもアルよりは上手いよ、才能ある」

『おっマジ? いやーロキ様は何でも上手くやれちゃってねぇーって待て何の才能だよ要らねぇよ』

仔犬の姿とロキとの会話を脳内で分離できるようになってきた。そう、仔犬を可愛がりながら隣に座ったロキと話していると思えば、仔犬を撫でるのに何の違和感もない。

『あんまベタベタ触んなよー、気持ち悪ぃなぁ』

こういう発言がなければ、の話だ。
それなりに楽しい待ち時間の後、チョコケーキとコーヒーのセットが席に届く。

『はぁい、だーりん。砂糖とミルクはどれくらい入れる?』

「あ、メル……えっと、砂糖は溶けなくなってから三杯、ミルクは……二杯でいいよ」

『相変わらず甘党ね』

甘党ではあるが、実際に僕が感じる甘みと比べればメルの方がより甘党だと言えるだろう。コーヒーは香り、砂糖は食感と微かな甘味が目的だ。

『だーりん一人で出歩いて大丈夫なの?』

「平気だよ、そんなに子供扱いしないで」

『だって……だーりん色んな人に狙われてるんでしょ? そうだ、仕事終わるまで待ってて、一緒に帰りましょ』

「いつ終わるの?」

『…………六時間後、だけど……』

「そんなに居座るわけにはいかないよ、一人で大丈夫だから、心配しないで」

以前までは一人でなくとも外に出ることすら危険だった。しかし『黒』から力を奪ってしまった今、僕は一人でどこにでも行ける。この解放感が堪らなく嬉しい、流石は自由意志だと言うべきだろうか。

「……ねぇ、ロキ。『黒』にいつ会えるか分からない?」

僕に力が移ったことで何も変わっていないのなら、『黒』は僕の傍に居るはずだ。

『女王さんか? どこにも気配ねぇな、名前付いてりゃ術で適当に探せるんだけどよ』

「僕になる……よね。『黒』じゃダメかな」

『仮名だからなー、無理だろ』

見えないだけで、話せないだけで、傍に居るのなら──

「……『黒』、僕は……君にもう一度会いたい。名前を返したい。また、実体化して欲しいな」

──こうして話しかけて説得することも可能なはずだ。名前を受け取る気になるまで、一人の時には『黒』に話しかけるようにしよう。
髪が揺れて頬に風を感じたのは、窓が中途半端に開いているから。そう分かっていても笑みが零れた。



店を後にし、人通りの少ない街を歩く。この国といい娯楽の国といい、昼夜逆転した街の昼間は奇妙な雰囲気があって嫌いではない。
青空の元、不健全な街で風を浴びる。酒臭くて甘ったるくて、心地良いとは言えない風だ。それでも部屋にこもって居た時よりは健康になれた気がする。
晴れやかな気分で歩いていると、進行方向の道端で煙草を吸っている男と目が合った。長い髪を後ろで束ねて、前髪を整髪料で後ろに撫で付けて、黒いスーツを着込んで──その赤い眼は鋭く、咄嗟に目を逸らした。
翼は生やしておらず、真っ直ぐな角だけがあった。淫魔ではなくて吸血鬼でもなさそうで……なんて考えていると、視界の端に映っていた革靴がこちらに近付いて来ていた。
僕に用がある訳じゃない、通り過ぎるはずだ。目が合っただけで絡まれるなんてそうそうないだろうし、何かあっても対処出来る力はあるし、ロキも居る。必死に自分を安心させようとしても、鼓動は騒がしい。
革靴が僕の前で止まる、顔を上げようとした瞬間、頬に手が添えられた。

「ひっ……!?」

近付いてきた顔に、射るような鋭い眼に怯え、ロキを盾にする。男はロキこと仔犬の首根っこを掴み、姿勢を戻して顔の前まで持ち上げた。

『どないしはったん? これ』

「へ……?」

聞き覚えのある抑揚に間抜けな声を漏らす。

『狼はん孕んではったん? 気ぃ付けへんかったわぁ』

「えっ、えっと……もしかして、茨木?」

『なんや愛想悪い思ぅたわ』

呆れたようなため息をついて仔犬を投げ渡す茨木。ただの仔犬なら強く抗議しているところだ。

『まぁ、今日は化粧いつもとちゃうし、分からへんくってもしゃーないわなぁ』

「ぁ、うん……何、そのカッコ」

確かによく見れば茨木だ。化粧や服装が違っても、角だとかで気付いてもいいものを。目が悪いのか頭が悪いのか。

『仕事着やねぇ。お客さんの隣座って話して酒飲ませて飲んで、盛り上げて…………女の子と酒飲むだけでええ言うから行ったったんにえらい面倒な仕事なんよこれが』

「ふぅん……? わざわざ男装してるの?」

『へ? あぁ……せやねぇ、似合ぅてる?』

言ってもいいのだろうか、褒め言葉として受け取ってくれるだろうか……正直、男にしか見えない。流石のスレンダーさで男物のスーツを着ていても全く違和感が無い、前髪を上げているからか普段と雰囲気が違う。

「似合ってる……気付かなかったよ、本当に男の人だと思ってた」

『せやろー? ふふ……ええ子ええ子』

わしわしと頭を撫でられ、笑みが零れた。やはり歳上の美女に甘やかされるのはイイ……変な意味ではなく、純粋に心が穏やかになる。

『で……これ何なん? 息子はん?』

「いや、ただの仔犬。メルとセネカさんもだけど、なんでみんなアルの子だと思うの?」

『そら頭領はんが抱いとったらなぁ』

「……アルとは何もしてないよ?」

『ふふ……頭領はんがそう言うんやったら、そうや思わんとなぁ』

全く信じていないようだ。何故そうも種族の壁というものを軽んじるのだろう、これだから魔物は。

「僕には似てないしさぁ……いや、アルにも大して似てないけど」

『…………托卵?』

「浮気って意味かな? あははっ……相手もアルも子供も僕も残らないね、茨木も八つ当たり受けない間に早く逃げなよ?」

『ふふ、怖いわぁ頭領はん』

少しも怖がってはいないどころか面白がっていると一目で分かる笑みを浮かべ、また僕の頭を撫でる。どうせならいつもの淑やかな格好が良かったななんて思いながらその手に甘えた。
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