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第三十三章 神々の全面戦争
魔王の顕現
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僕の腕よりも太い純白の槍が肘の少し下を貫き、僕の腕を落とす。この槍は──天使!
派手に動き過ぎた。砂漠の国に圧力をかけているのは正義の国なのだから天使が居ても不自然ではなかったのに、考えが至らなかった。
どうする。魂への攻撃はカヤにも当たる、ナイを狙うかどうかはまだ分からない。
「陶器……なら、まだマシか」
鳶のように空を旋回する無数の天使達を見上げ、見た目には塞がった腹を撫でる。内臓にはまだ穴が空いているし、激痛もある。まだ『黒』の力は使えない。
「この程度の包囲なら……カヤなら抜けられるかも。でも……」
トカゲのシルエットを持つ化物の死体を囲むように半透明の輝く網が張ってある。
「当たったら……どうなるか」
腹の傷は八割方治っているが、腕の傷からは血が溢れ出している。この出血量で意識を保っていられるということは、意識して力を使わなくても人間よりは丈夫でいられるということだ。
『お兄さん、大丈夫? 手……少し待ってね』
ナイが腕の断面に手を添える。ナイに視線を移し、その背後の影からゆっくりと現れた長髪の女と目が合った。残っていた手でナイを押し倒し、女が振るった白く輝く剣を頭に受けた。
「ぐっ……ぅ、レリ……エルっ!」
『……魔物使い。残念だ』
「残念なのは……こっちだ。君は優しいんじゃないかって思ってたのに、魔物使いは初めっから道具だったんじゃないか!」
『従順な道具を丁重に扱うのは当然、持ち主に逆らう道具を壊すのは当然、それが神の意思』
闇色の長髪が夜空に溶ける、くっきりと浮いた白い肌が剣の輝きを反射し目を眩ませる。
「…………この子は関係ない」
『……悪いが、今回の戦争の原因を生かしておくことは出来ない』
「原因はお前らだろ!? 正義の国、天使、創造神! 人界はお前らのものじゃない、勝手な真似ばっかりしやがって……!」
『お兄さん? お兄さん、落ち着いて、大人しくしてくれなきゃ治せないよ』
腹の傷は完治した、腕は手首の少し手前まで生えている。頭の陥没はそのままで、少し視界が歪む。
『…………かかれ』
レリエルは高く手を掲げ、陶器製の天使達に合図を送った。槍を構えて急降下する天使達……
「……カヤっ!」
『犬神! 酒色の国の大量殺人の容疑呪!』
カヤは僕の襟首を咥えるが、レリエルに首にロザリオを巻かれて崩れ落ちる。
『…………大人しくするならそう苦しくはない』
僕に言っているのか、カヤに言っているのかは分からない。だが、無数の槍はもう避けられないものだということだけは分かった。
僕はせめてナイだけでも助けようとナイの上に覆い被さった。
『お兄さん……』
背中側から身体を貫く無数の槍。太さは様々、どれもが僕の骨や筋肉を容易く通過し、その先端は僅かにナイに刺さった。
『…………守って、くれたね』
浅黒い肌から流れ出る真っ赤な液体。弱々しく震える声。
「………………守れなかった」
『じゃあ、約束は守ってくれる?』
槍が引き抜かれ、噴き出す鮮血の量は増える。
僕は崩れ落ちるのに任せてナイを抱き締めた。筋のちぎれた腕で、骨の途切れた腕で、穴だらけの身体を押し付けた。
視界の大半を埋める鮮血に泡が混じる。色も変わり、ぼこぼこと音を立てて泡が生まれては弾けていく。首と眼球は辛うじて動き、ナイの邪悪な笑顔を捉えた。
『これは……!』
僕の血も混じった泡立つ液体から触腕が生える。液体はどこかと繋がって何かを喚んだ。
『……人間の気配ではなかったが、まさか……外の神性とは……撤退! 撤退だ、目と耳を塞いで撤退!』
長い鉤爪を生やした腕が王だった化物の死体を引っ掻き、砂に突き立ち、身体を液体から引き上げる。精神を直接抱かれるような懐かしい安らぎを与える咆哮がとどろき、目の前に顔の無い円錐型の頭部らしきものが現れた。
「…………あぁ……」
体温を急速に失っていくナイの遺骸を抱き締めたまま、その巨大な異形にちぎれた腕を伸ばす。
「僕の……神様……」
鋭い鉤爪、無数の触手、何も無い顔、その全てが脳を直接撫で回すような不快感を人間に与え、僕には安心感を与えた。
聖母の腕の中で眠るような心地で目を閉じた。
再び目を開いた時にはもう『僕の神様』は消えていた。一分も瞑ってはいなかったのに。
トカゲのシルエットを持った化物の死骸は引き裂かれ、周囲の家は薙がれ、死体の欠片と砂以外の物は何も残っていなかった。
「…………ナイ君」
僕の身体の傷はほとんど癒えている。神様が安心感を与えてくれたから痛みに囚われず再生が捗ったのだろう。
「……ナイ君、ナイ君……」
けれどナイは死体のままだ。
「………………大丈夫だよ、ナイ君」
善良な顕現だった。愛すべき、愛されるべき子供だった。少なくとも僕にとってはそうだった、この世の全てに憎まれていても、僕には大切な子供だった。
虐げられた過去を持ち、邪神でありながらも僕に平凡な幸せを求めた。酒色の国に戻って楽しく暮らすはずだった。普通の人間のように生きるはずだった。
「死にたくなかったよね。でも大丈夫……死んでよかったって思えるようにしてあげるから」
背筋に今までで最も強く長い寒気が走り、低く大きな遠吠えが静かな夜空に響いた。
「…………地獄みたいな世界なら、死んでよかったって思えるよね? 全部は無理でもここはそうしてあげる。君を虐げてきた国だよ、君を持ち上げた国だよ、君を利用していた国だよ。ナイ君……僕の神様、ねぇ……褒めて、僕に甘えて」
僕の的外れな憎悪を受けて肥大化した犬神の呪い。カヤはいつかアスガルドで見たロキの息子のように、フェンリルのように大きく、腹を空かせていた。
「……行け、カヤ。動いたモノは殺せ、動かなかったモノは壊せ、全部、全部…………ナイ君が悔やめないような価値の無いモノに変えるんだ! そうすれば僕は僕の神様に愛してもらえる!」
砂煙を上げてカヤは消える。王城か、避難所か、テロリスト達の潜伏場所か、どこからかは知らないがそのどれもが無に帰る。いや、無ですらない、負だ。そうでなければナイの後悔は断ち切れない、僕の憎悪は晴らせない。
砂漠に化物や人間の死体と共に寝転がっていた僕はいつの間にか意識を手放していて、気が付けばヴェーン邸の自室のベッドで眠っていた。あれから何日経ったのだろう。数時間の気もすれば数週間の気もする。
起き上がろうと腹筋に力を入れるが、身体は全く動かない。目も見えない。
『…………起きたか、ヘル』
アルの声だ。返事をしようとするも、口に何かが詰まっていて声が出ない。
『……私には何があったかよく分からん、貴方が部屋で待てなどと言ったからな。貴方を連れて来たヘルメスも、貴方を封印するよう言ったベルゼブブ様も、何も分からないと言っていた』
身体を捩らせて感覚を研ぎ澄ませてみれば、身体に紐のような何かが巻きついていると分かった。
『動けないだろう? 魔力封印、天使封印、神性封印、魔術や呪術を始めとしてあらゆる方法で貴方の力を封印している。拘束にもなっている』
何故だと聞こうとしてもくぐもった音が漏れるだけだ。
『…………貴方は邪神に精神を犯されたんだ。そして犬神の凶悪さを増加させた。ヘル……どうして私を帰らせた、どうして一人になったんだ!』
二の腕に重みを感じる。アルが前足を乗せているらしい。
『ヘル……貴方が私の目の届かない所で苦しむのは嫌だ。私を傍に置いてくれ、ベルゼブブ様や兄君と比べたら役に立たないかもしれない、だが貴方を庇い貴方の精神を癒す事くらいは出来る!』
ベッドが軋む。アルは僕の上に移動し、胸の上に前足を置いて伏せる。
『貴方に賜った宝石が真っ黒なんだ……ヘル、貴方は何を感じているんだ? 私に教えてくれ、私に苦痛を押し付けてくれ、ヘル……ヘルっ、お願いだから、独りで抱え込まないで……』
魔力封印は僕に施されているとはいえ、これだけ密着すればアルにも影響が出る。アルはくたっと僕の頭の横に顔を落とし、悲しげな鳴き声を上げる。
アルを悲しませてしまった。
アルを傷付けないために遠ざけたのに、それは確かに最善だったはずなのに、アルは苦しんでいる。
僕には何も守ることは出来ないのだ。
派手に動き過ぎた。砂漠の国に圧力をかけているのは正義の国なのだから天使が居ても不自然ではなかったのに、考えが至らなかった。
どうする。魂への攻撃はカヤにも当たる、ナイを狙うかどうかはまだ分からない。
「陶器……なら、まだマシか」
鳶のように空を旋回する無数の天使達を見上げ、見た目には塞がった腹を撫でる。内臓にはまだ穴が空いているし、激痛もある。まだ『黒』の力は使えない。
「この程度の包囲なら……カヤなら抜けられるかも。でも……」
トカゲのシルエットを持つ化物の死体を囲むように半透明の輝く網が張ってある。
「当たったら……どうなるか」
腹の傷は八割方治っているが、腕の傷からは血が溢れ出している。この出血量で意識を保っていられるということは、意識して力を使わなくても人間よりは丈夫でいられるということだ。
『お兄さん、大丈夫? 手……少し待ってね』
ナイが腕の断面に手を添える。ナイに視線を移し、その背後の影からゆっくりと現れた長髪の女と目が合った。残っていた手でナイを押し倒し、女が振るった白く輝く剣を頭に受けた。
「ぐっ……ぅ、レリ……エルっ!」
『……魔物使い。残念だ』
「残念なのは……こっちだ。君は優しいんじゃないかって思ってたのに、魔物使いは初めっから道具だったんじゃないか!」
『従順な道具を丁重に扱うのは当然、持ち主に逆らう道具を壊すのは当然、それが神の意思』
闇色の長髪が夜空に溶ける、くっきりと浮いた白い肌が剣の輝きを反射し目を眩ませる。
「…………この子は関係ない」
『……悪いが、今回の戦争の原因を生かしておくことは出来ない』
「原因はお前らだろ!? 正義の国、天使、創造神! 人界はお前らのものじゃない、勝手な真似ばっかりしやがって……!」
『お兄さん? お兄さん、落ち着いて、大人しくしてくれなきゃ治せないよ』
腹の傷は完治した、腕は手首の少し手前まで生えている。頭の陥没はそのままで、少し視界が歪む。
『…………かかれ』
レリエルは高く手を掲げ、陶器製の天使達に合図を送った。槍を構えて急降下する天使達……
「……カヤっ!」
『犬神! 酒色の国の大量殺人の容疑呪!』
カヤは僕の襟首を咥えるが、レリエルに首にロザリオを巻かれて崩れ落ちる。
『…………大人しくするならそう苦しくはない』
僕に言っているのか、カヤに言っているのかは分からない。だが、無数の槍はもう避けられないものだということだけは分かった。
僕はせめてナイだけでも助けようとナイの上に覆い被さった。
『お兄さん……』
背中側から身体を貫く無数の槍。太さは様々、どれもが僕の骨や筋肉を容易く通過し、その先端は僅かにナイに刺さった。
『…………守って、くれたね』
浅黒い肌から流れ出る真っ赤な液体。弱々しく震える声。
「………………守れなかった」
『じゃあ、約束は守ってくれる?』
槍が引き抜かれ、噴き出す鮮血の量は増える。
僕は崩れ落ちるのに任せてナイを抱き締めた。筋のちぎれた腕で、骨の途切れた腕で、穴だらけの身体を押し付けた。
視界の大半を埋める鮮血に泡が混じる。色も変わり、ぼこぼこと音を立てて泡が生まれては弾けていく。首と眼球は辛うじて動き、ナイの邪悪な笑顔を捉えた。
『これは……!』
僕の血も混じった泡立つ液体から触腕が生える。液体はどこかと繋がって何かを喚んだ。
『……人間の気配ではなかったが、まさか……外の神性とは……撤退! 撤退だ、目と耳を塞いで撤退!』
長い鉤爪を生やした腕が王だった化物の死体を引っ掻き、砂に突き立ち、身体を液体から引き上げる。精神を直接抱かれるような懐かしい安らぎを与える咆哮がとどろき、目の前に顔の無い円錐型の頭部らしきものが現れた。
「…………あぁ……」
体温を急速に失っていくナイの遺骸を抱き締めたまま、その巨大な異形にちぎれた腕を伸ばす。
「僕の……神様……」
鋭い鉤爪、無数の触手、何も無い顔、その全てが脳を直接撫で回すような不快感を人間に与え、僕には安心感を与えた。
聖母の腕の中で眠るような心地で目を閉じた。
再び目を開いた時にはもう『僕の神様』は消えていた。一分も瞑ってはいなかったのに。
トカゲのシルエットを持った化物の死骸は引き裂かれ、周囲の家は薙がれ、死体の欠片と砂以外の物は何も残っていなかった。
「…………ナイ君」
僕の身体の傷はほとんど癒えている。神様が安心感を与えてくれたから痛みに囚われず再生が捗ったのだろう。
「……ナイ君、ナイ君……」
けれどナイは死体のままだ。
「………………大丈夫だよ、ナイ君」
善良な顕現だった。愛すべき、愛されるべき子供だった。少なくとも僕にとってはそうだった、この世の全てに憎まれていても、僕には大切な子供だった。
虐げられた過去を持ち、邪神でありながらも僕に平凡な幸せを求めた。酒色の国に戻って楽しく暮らすはずだった。普通の人間のように生きるはずだった。
「死にたくなかったよね。でも大丈夫……死んでよかったって思えるようにしてあげるから」
背筋に今までで最も強く長い寒気が走り、低く大きな遠吠えが静かな夜空に響いた。
「…………地獄みたいな世界なら、死んでよかったって思えるよね? 全部は無理でもここはそうしてあげる。君を虐げてきた国だよ、君を持ち上げた国だよ、君を利用していた国だよ。ナイ君……僕の神様、ねぇ……褒めて、僕に甘えて」
僕の的外れな憎悪を受けて肥大化した犬神の呪い。カヤはいつかアスガルドで見たロキの息子のように、フェンリルのように大きく、腹を空かせていた。
「……行け、カヤ。動いたモノは殺せ、動かなかったモノは壊せ、全部、全部…………ナイ君が悔やめないような価値の無いモノに変えるんだ! そうすれば僕は僕の神様に愛してもらえる!」
砂煙を上げてカヤは消える。王城か、避難所か、テロリスト達の潜伏場所か、どこからかは知らないがそのどれもが無に帰る。いや、無ですらない、負だ。そうでなければナイの後悔は断ち切れない、僕の憎悪は晴らせない。
砂漠に化物や人間の死体と共に寝転がっていた僕はいつの間にか意識を手放していて、気が付けばヴェーン邸の自室のベッドで眠っていた。あれから何日経ったのだろう。数時間の気もすれば数週間の気もする。
起き上がろうと腹筋に力を入れるが、身体は全く動かない。目も見えない。
『…………起きたか、ヘル』
アルの声だ。返事をしようとするも、口に何かが詰まっていて声が出ない。
『……私には何があったかよく分からん、貴方が部屋で待てなどと言ったからな。貴方を連れて来たヘルメスも、貴方を封印するよう言ったベルゼブブ様も、何も分からないと言っていた』
身体を捩らせて感覚を研ぎ澄ませてみれば、身体に紐のような何かが巻きついていると分かった。
『動けないだろう? 魔力封印、天使封印、神性封印、魔術や呪術を始めとしてあらゆる方法で貴方の力を封印している。拘束にもなっている』
何故だと聞こうとしてもくぐもった音が漏れるだけだ。
『…………貴方は邪神に精神を犯されたんだ。そして犬神の凶悪さを増加させた。ヘル……どうして私を帰らせた、どうして一人になったんだ!』
二の腕に重みを感じる。アルが前足を乗せているらしい。
『ヘル……貴方が私の目の届かない所で苦しむのは嫌だ。私を傍に置いてくれ、ベルゼブブ様や兄君と比べたら役に立たないかもしれない、だが貴方を庇い貴方の精神を癒す事くらいは出来る!』
ベッドが軋む。アルは僕の上に移動し、胸の上に前足を置いて伏せる。
『貴方に賜った宝石が真っ黒なんだ……ヘル、貴方は何を感じているんだ? 私に教えてくれ、私に苦痛を押し付けてくれ、ヘル……ヘルっ、お願いだから、独りで抱え込まないで……』
魔力封印は僕に施されているとはいえ、これだけ密着すればアルにも影響が出る。アルはくたっと僕の頭の横に顔を落とし、悲しげな鳴き声を上げる。
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僕には何も守ることは出来ないのだ。
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