魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

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第三十四章 美麗なる妖狐は壮大な夢を見た

これより先は絶対正義

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玉藻は胴に巻かれた黒蛇を引っ掻きながらも変身が解けてしまわないよう集中し、罵倒しないように気を付けながらアルの真意を探った。
犬というのは盲目的に主人を崇拝するもの、それもこの狼は幻術を始めとしありとあらゆる術への耐性が無い。見破るなんて不可能、玉藻はそう確信していた。

『……何してんのっ……ねぇ、苦しいんだけど、離してよっ……!』

こんなものか? いや苦痛を与えられたなら流石に怒鳴るか? 玉藻はヘルの演じ方に迷っていた。アルは玉藻に見向きもせず大きな欠伸をして、翼を広げて背筋を伸ばした。

『…………ロキ、ではないな。貴様、誰だ』

『な、何言ってるの……僕は、僕だよ、ヘルだよ……』

『背骨を折られたいか?』

ギッ、と骨が軋むのを感じ、玉藻は変身を解いた。今の対応とこれまでの観察から、玉藻はアルが残虐な性格をしていないと分かっていた。反省した振りをしておけば逃がすだろうと甘い考えを持っていた。

『狐、か。二、四……八本か。猫や狐は魔性に変質すると尾が裂けると聞く、貴様もその類だな?』

黄金の毛皮に巻き付く黒い鱗。白い面に近付けられる銀色の面。

『何故ヘルに化けた』

『…………私はそう強い妖ではないからの、強い者の傍に居る必要がある。そう……お前のような』

八本の尾でアルの翼をぼふぼふ叩き、頬に頬を擦り寄せる。

『何と凛々しい狼だろう……私はお前が欲しくなった。だから……つい、お前の主人に化け、お前を騙してしまった』

恋心が暴走してしまったなんて稚拙な物語を作り上げ、玉藻はそれを必死で演じる。

『…………火事は貴様の仕業ではないのか?』

『……違う。私は窓からお前を覗けないかと通っていただけで──、丁度火事になっていたから、これ幸いと……』

『機を見ただけ、と』

玉藻は心の中でほくそ笑みつつ、耳を寝かせて悲しげな表情を作り、頷いた。

『ヘルを何処へやった』

『…………部屋から連れ出して自警団に預けておいた』

『……そうか』

黒蛇の尾の拘束が僅かに緩む。動くことは出来ないが、呼吸を制限されることはない。
アルは玉藻から視線を外し、首飾りの前足でつついて眺めていた。

『何故変身が分かったか、聞いてもよいか?』

『この石は常にヘルの状態を映す』

石の中に巻き起こる炎のような黒は僅かに他色を孕み、荒々しく揺れている。

『……色は兎も角、この荒れ方は貴様が化けていたヘルの落ち着きようと比べておかしく思えた。今、尾で締め付けても気持ち良さそうな顔をしなかったので確信した。塀の外で貴様と会った時から微妙な口調の違いも気になっていたしな』

何日も観察して口調や仕草は完璧に真似たはずだった。これだから犬は……と心の中で悪態をつき、玉藻は褒め言葉を紡いだ。

『ヘルを自警団に預けたのならベルゼブブ様に伝わる筈だ、火事も全てな。此処で待っていれば来るだろう。貴様の処遇はヘルとベルゼブブ様に任せる』

幻術はまだ解けていない。アルはまだここを酒色の国の元アシュ邸だと思っている。玉藻はマンモンが予想より早く帰ってこないようにと祈りながら、じっと隙を伺っていた。
首飾りの石から視線を上げたアルは自分を観察する玉藻に気付く。

『……貴様、名前は?』

『…………華陽』

ヘルが自分のことを伝えている可能性もあるから──と玉藻は別の名を名乗った。

『そうか、美しい名だ』

玉藻の方を見もせずにそう吐き捨て、アルはソファの上に寝転がる。尾の力は少しも緩めず、翼は玉藻を僅かに包み、瞳は瞼の下に隠した。
身動きを取ることが出来ない玉藻はアルに話しかける気にもなれず、尾の力が緩む時を待ちアルと反対側の肘掛けに顎を置き、休息を取った。




少し時間は遡り、酒色の国。カヤに運ばれたヘル達。

「ベルゼブブー! ベルゼブブ! どこ!」

僕はアシュ邸のダイニングらしき広間に運ばれた。カヤから降り、フェルとアザゼルから手を離し、近くに居るはずのベルゼブブを探す。

『ヘルシャフト様? え……ちょっと封印は──』

ベルゼブブは長机の下から出てきた。どうしてそんな所になんて聞いている余裕は僕にはない。

「アルはどこ!?」

『は? 先輩ならヘルシャフト様についてるはずですけど』

「玉藻に攫われたんだよ!」

『たまも……?』

埒が明かない。
僕は自分の焦燥も説明下手も認識出来ず、話を分かってくれないベルゼブブに苛立ちを募らせた。

『……あらあらヘルくん、どうしたのぉ怖い顔して。可愛い顔が台無しよん?』

つん、と額をつつかれる。舌打ちしながら睨むとそこには蝶の仮面を外し髪を下ろしたマンモンの姿があった。前髪のある彼を見るのは過去の映像以来、肉眼で見るのは初めてだ。

「アルが居なくて! 玉藻に攫われたってアスタロトが言ってて、でもベルゼブブ分かってくれなくてぇ!」

『あらぁそうなの、仕方がないわね便所蝿だもの。頭が悪いのよ』

『ヘルシャフト様の説明が酷いんですよ、頭が悪いのはヘルシャフト様の方です』

マンモンは僕をベルゼブブから引き剥がして頭をポンポンと撫で、ベルゼブブはふいっとそっぽを向く。

『……とっても可愛いヘルくんにそっくりな子とか、変な気配の女の子とか、色々気になるけど……今はそんな場合じゃないのよねぇ?』

フェルとグロルを一瞥し、また僕に視線を戻す。彼は話が分かる奴だと確信した。

「アルが危ないんだ、蝿で連絡したんだけど、返事も出来ないくらい弱ってて……きっと僕の時みたいに酷い目に遭ってるんだよ」

『ヘルシャフト様の時って?』

「井戸に落とされたんだよ! 手も足も爪剥がれたし溺れたし……今はそんなこといいんだ、早くアルの居場所教えてよ! 分かるんだろ!?」

ベルゼブブに掴みかかろうとする僕を優しく諌め、マンモンは彼女に早くしろとでも言いたげな目を向ける。

『そう言われましても……先輩に渡した三番機の反応が消えちゃってるんですよね、潰されたか何かしたんですかねー、分かりません』

『最後にどこに居たとかも分からないのぉ?』

『分かりませんね、常に繋がってるわけでもありませんから』

『相っ変わらず約立たずだなぁオイ便所蝿』

突然声を低く荒らげたマンモンにフェルとグロルが驚愕の目を向ける。この豹変は何度見聞きしても慣れない、僕も少し身体が跳ねた。

『はーっ……仕っ方ねぇなぁクソが』

ジャケットを脱ぎ、腕を頭の後ろで組んで簡単な柔軟を終えるとマンモンは椅子に置いてあった鞄を机の上に広げた。

『アスタロトの野郎に聞きゃ分かんだろ。えー、欲しい、欲しい……アスタロトさん出てらっしゃいっとぉ!』

闇色の鞄の内面に翳した手に何か黒いものが吸い付く。マンモンはそれを掴んで引きずり出し、床に投げ捨てた。黒い霧か砂の塊のようだったそれはゆっくりと姿を整え、ロバのような形になった。

『おや……見覚えのある姿ですね』

そのロバは再び霧のようになって形を変え、今度は執事風の男の姿になった。

『そんな格好するから誰か分からないんです。兎馬でウロウロしてなさい』

『…………お手数お掛けしました』

アスタロトはマンモンの鞄で無理矢理呼び出されたことに明らかな不満を募らせつつも丁寧に謝罪をし、本題を尋ねた。

「アスタロト……アルはどこに居るの? 何されてるの?」

アスタロトは額に人差し指を立てて当て、固く目を閉じる。数秒すると目を開き、口も開いた。

『……娯楽の国、マンモン様の御自宅に。攫われてから数時間口に出すのも憚られる酷い拷問を受けておりましたが、今は飽きたのか眠らされております』

スラスラと並べられたアルの状況に僕は自分でも制御し切れないと確信出来る怒りが生まれたのが分かった。

「ベルゼブブ……』

『……アスタロト、弟君と堕天使を任せます。マンモン、貴方の家が使われてるんです、来ますね?』

ベルゼブブは二人の悪魔の返事を聞かず、無数の蝿を呼び出して空間転移を行った。耳障りな音に包まれながら、僕は僕の身体を掠めた蝿が破裂して落ちていく光景をぼんやりと見下ろしていた。
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