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第三十六章 怠惰の悪魔と鬼喰らいの神虫
吊られた家
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木霊漂う木の間を抜けていく。木漏れ日は微かで生き物の鳴き声も僅か、静かな森だ。
『……もぉヤダぁ! どんだけ歩かせるの、誰かおぶって!』
歩き始めてから数十分、ベルフェゴールが喚き始める。
『悪魔さん、我慢しなよ。ボクも足痛いけど頑張ってるよ』
『あんたの頑張りとか知らないしぃ! しょーぉーねん! 何とかして!』
『木霊が反応してうるさいので黙ってもらえます?』
『辛辣ぅ! でも確かに……うるさい……はぁ、契約者、おぶって』
ウェナトリアはため息をついて八本の脚を服の下から出し、ベルフェゴールをおぶった。甘やかすなと言っても彼は困ったように微笑むだけだ。ほくほく笑顔で居眠りを始めたベルフェゴールを怒鳴りたくなったが、目の前を漂う木霊を見て口を閉じた。
『しっかしホンマ遠いわぁー……せや頭領、子供抱かせてぇな、首据わっとる?』
『…………爪長い、ダメ』
『刺したりせぇへんって。気ぃ付けるから、な?』
どうしてそんなに……まぁ、僕が目を離した隙にアルに頼まれても困る。
『………………何かあったらツヅラさんみたいになると思ってよ』
ツヅラは酒呑が背に縛って引き摺っている。当初は普通に背負うつもりだったのだが、どうにも下半身の魚の尾の部分が長く、引き摺ってしまうのだ。鱗が剥がれたのか倒れた草に血が付着している。
『怖いわぁ頭領……ほぉーちっさいのぉ、一口でいけそうやわ』
『……小烏ー、おいでー』
『喰わへん喰わへん』
長く鋭い爪が触れないように気を付けているようだし、抱き方も丁寧、撫で方も優しい、そう危惧することはなさそうだ。
『しっかし頭領に似てへんなぁー……ぉ? 起きたか、おはようさん……えっと……』
『クラール』
『クラール、よろしゅうなぁ』
目を開けてはいるがその瞳は酒呑の方を向かない。だが、抱いているのが僕ではないことはすぐに分かるだろう。その時に嫌がって僕を求めてくれる未来を夢見つつ、大きな手に撫でられるクラールを見つめる。
『…………おとぉた?』
『ほぉー! 喋れるんや! こら可愛いわ』
クラールは太い指に額を撫でられて首を傾げた。
『頭領、舌打ちしなや』
最悪の展開だ。この大きなごつごつとした手のどこをどう間違えれば僕だと思えるのか甚だ疑問だ。
『……わんっ! わぅ、わふ…………あぉぉーん……』
『おっ……と、どないしたん。動きなや、落としてまうて』
『…………おい鬼、嫌がっている。ヘルに返せ』
『はぁ? さっき俺と頭領間違えとったで?』
『音は教えたが意味は教えられていない。持ち上げられる行為か愛撫を受けると「お父さん」と発する。さっきのを訳すと「誰だ」と言った具合で、今のは「下ろせ! 離せ!」だな』
僕の理想の展開だったようだ。頬を緩ませてクラールを受け取る。途端に暴れるのをやめ、指を噛んだ。
『顔えらいことなってんで』
『可愛いだろ……? ふへへへっ』
自分に似ていないアルの子ほど可愛らしいものはこの世に存在しないだろう。
『子供できたら丸なるもんやなぁ』
『より角張ってる思いますけど』
『……せやな!? せやせや、もう刃物みたいやで頭領!』
『うるさいクラールが泣くだろ刺すぞ』
『怖いわぁ頭領……』
『……ごめん言い過ぎた』
無意識の暴言と暴力が増えた気がする。このままでは危険人物街道まっしぐらだ。
『ね、ね、魔物使い君。ボクにも抱かせてよ!』
『おぉ、その胸やったら泣かへんのちゃう?』
『嫌やわぁ酒呑様、目と口が猥褻物。母親アレやねんから乳なんか関係あらへんのとちゃいます?』
『誰の顔が何やて? まぁ、それもそやな。自分も泣かれ』
鬼達は喧嘩を売らなければマトモな会話が出来ないのだろうか。セネカは布面積が非常に少ない水着を精一杯引っ張って肌を隠してからクラールを受け取った。
『わぁ! ふわふわもこもこ。赤ちゃんって毛並み違うんだねぇ』
『アルも結構柔らかいんですけど、やっぱり頼りがいが違うんですよねー』
アルの背を撫でながらアルを挟んでセネカに並ぶ。女性体のセネカにあまり近付くと男性体に変身して大惨事を引き起こしかねない。
『……「下ろせ離せお父さん助けて」と言った具合だな』
『残念でしたねセネカさん!』
『すっごい嬉しそうだね君……』
『クラールぅー、おとーさんでちゅよー、怖かったねーごめんねー』
クラールは僕の胸元に頬を擦り付け、指を咥えさせると吸い始めた。
『……ふむ、「怖かったよお父さん」と貴方に泣きついている。同時に怖いモノから二度も救ってくれた貴方を敬愛しているな』
『…………茨木、クラール抱きたくない?』
『魔物使い君がマッチポンプを覚えた!』
『遠慮するわ。獣臭いし』
『クラールはまだそんなに獣臭くないよ、仔犬に血の匂いが混じった感じだよ』
普通、赤子というのはミルクのいい匂いがするものだ。しかし僕の血を飲みそれを顔にこぼすクラールからは僕の血の匂いがする、不愉快だ。
『やめておけ、ヘル。あまりやると貴方が渡していると分かるぞ』
『クラールの抱っこタイム終わり。今から集会所まではずっと僕が抱くからね』
『魔物使い君……最初に会った時からほんっとに変わったよねぇ……』
変わったつもりはあまりない。だが、まぁ、人間でなくなってしまったし、見た目ももはや別人、変わったと言われても仕方ないだろう。
「もうそろそろ集落に入る。視線や気配を感じるだろうが、気にしないで欲しい。みんな探されるのは嫌いなんだ」
ガサガサと木が揺れて木霊が大量に落ちてくる。気にするなという方が無茶だが、探さないでおくのはクラールを見ていればいいだけなので楽だ。
『……あぅー! ぅー……あぉーん』
『クラール? どうしたの?』
『…………気配を感じ取り不安になっているようだ。もう少し腕に力を入れてやれ』
簡単に壊してしまえる小さなモノを強く抱き締めろなんて無茶を言う。まぁ、人間のままなら思い切り抱き締めても苦痛が限界だろうし、潰す心配はないか。
『……おぉ、上見てみ頭領』
『ん? あぁ……ツリーハウス。他の集落にもあるよ』
探すなと言われたのに家を観察するなんて。しかし気持ちは分かる。他の集落と違って糸で吊られた家というのは興味深い。
「着いたぞ。ここだ、集会所……あまり使ってはいないがね」
『……どやって登るん』
「糸を伸ばすか木を登るか……」
シュピネ族の集落に生えている木は幹がつるんとしていて、枝も下の方にはない。登るにしては難易度の高い木だ。空を飛べる者はともかく鬼達は難しいかと誰に背負わせるか考えていると、酒呑が茨木を投げた。
『おぉ、いけそうやわ』
茨木は集会所の床板にぶつかり、板の端に指を引っ掛けて器用に登った。
『……君はどうするの?』
『幹に爪立てたら登れるやろ』
「出来れば木に傷は付けないで欲しい」
『カルコスー、乗せてあげてー』
ウェナトリアも含めて全員が集会所に入る。全員で寝転がっても十分な広さだ、使っていないと言うだけあって隅には埃が溜まっているけれど、家具などが一つもなく広々としている。
突き指をしたとぼやく茨木を無視し、部屋の隅にツヅラを置く。隣の角にベルフェゴールを置き、ツヅラと対角であり出入り口も近い場所にアルを座らせる。後は自由席だと言って、念の為に刀を持ってツヅラの前に屈んだ。
『…………寝てる……か』
尾鰭を掴んで持ち上げると、地面に擦れて剥がれた鱗が再生していく様子が間近で見られた。ここに辿り着くまで再生と怪我を繰り返していたと思うと同情しなくもない。
『酒呑、穢れがどうとか言ってたけど、今はどう?』
『全然やな。今こいつの肉喰っても不死にはなれへんやろ。それは俺が浄化したからやろうけど……』
『けど?』
酒呑は珍しくも言葉に詰まっている。
『…………なんやろな。覚えのない雰囲気や。妖やない、悪魔にも似てへん、天使らとも違う……なんや変な感じが浄化してからずっとしとる』
『……その雰囲気、近いの思い付く?』
『………………いや、全く』
魔物でもなく神聖なものでもなければ、残りはもう人間くらいしかないけれど、それなら人間だと言うはずだ。
僕は全員に休むよう言って、自分はツヅラを見張ることに決めた。
『……もぉヤダぁ! どんだけ歩かせるの、誰かおぶって!』
歩き始めてから数十分、ベルフェゴールが喚き始める。
『悪魔さん、我慢しなよ。ボクも足痛いけど頑張ってるよ』
『あんたの頑張りとか知らないしぃ! しょーぉーねん! 何とかして!』
『木霊が反応してうるさいので黙ってもらえます?』
『辛辣ぅ! でも確かに……うるさい……はぁ、契約者、おぶって』
ウェナトリアはため息をついて八本の脚を服の下から出し、ベルフェゴールをおぶった。甘やかすなと言っても彼は困ったように微笑むだけだ。ほくほく笑顔で居眠りを始めたベルフェゴールを怒鳴りたくなったが、目の前を漂う木霊を見て口を閉じた。
『しっかしホンマ遠いわぁー……せや頭領、子供抱かせてぇな、首据わっとる?』
『…………爪長い、ダメ』
『刺したりせぇへんって。気ぃ付けるから、な?』
どうしてそんなに……まぁ、僕が目を離した隙にアルに頼まれても困る。
『………………何かあったらツヅラさんみたいになると思ってよ』
ツヅラは酒呑が背に縛って引き摺っている。当初は普通に背負うつもりだったのだが、どうにも下半身の魚の尾の部分が長く、引き摺ってしまうのだ。鱗が剥がれたのか倒れた草に血が付着している。
『怖いわぁ頭領……ほぉーちっさいのぉ、一口でいけそうやわ』
『……小烏ー、おいでー』
『喰わへん喰わへん』
長く鋭い爪が触れないように気を付けているようだし、抱き方も丁寧、撫で方も優しい、そう危惧することはなさそうだ。
『しっかし頭領に似てへんなぁー……ぉ? 起きたか、おはようさん……えっと……』
『クラール』
『クラール、よろしゅうなぁ』
目を開けてはいるがその瞳は酒呑の方を向かない。だが、抱いているのが僕ではないことはすぐに分かるだろう。その時に嫌がって僕を求めてくれる未来を夢見つつ、大きな手に撫でられるクラールを見つめる。
『…………おとぉた?』
『ほぉー! 喋れるんや! こら可愛いわ』
クラールは太い指に額を撫でられて首を傾げた。
『頭領、舌打ちしなや』
最悪の展開だ。この大きなごつごつとした手のどこをどう間違えれば僕だと思えるのか甚だ疑問だ。
『……わんっ! わぅ、わふ…………あぉぉーん……』
『おっ……と、どないしたん。動きなや、落としてまうて』
『…………おい鬼、嫌がっている。ヘルに返せ』
『はぁ? さっき俺と頭領間違えとったで?』
『音は教えたが意味は教えられていない。持ち上げられる行為か愛撫を受けると「お父さん」と発する。さっきのを訳すと「誰だ」と言った具合で、今のは「下ろせ! 離せ!」だな』
僕の理想の展開だったようだ。頬を緩ませてクラールを受け取る。途端に暴れるのをやめ、指を噛んだ。
『顔えらいことなってんで』
『可愛いだろ……? ふへへへっ』
自分に似ていないアルの子ほど可愛らしいものはこの世に存在しないだろう。
『子供できたら丸なるもんやなぁ』
『より角張ってる思いますけど』
『……せやな!? せやせや、もう刃物みたいやで頭領!』
『うるさいクラールが泣くだろ刺すぞ』
『怖いわぁ頭領……』
『……ごめん言い過ぎた』
無意識の暴言と暴力が増えた気がする。このままでは危険人物街道まっしぐらだ。
『ね、ね、魔物使い君。ボクにも抱かせてよ!』
『おぉ、その胸やったら泣かへんのちゃう?』
『嫌やわぁ酒呑様、目と口が猥褻物。母親アレやねんから乳なんか関係あらへんのとちゃいます?』
『誰の顔が何やて? まぁ、それもそやな。自分も泣かれ』
鬼達は喧嘩を売らなければマトモな会話が出来ないのだろうか。セネカは布面積が非常に少ない水着を精一杯引っ張って肌を隠してからクラールを受け取った。
『わぁ! ふわふわもこもこ。赤ちゃんって毛並み違うんだねぇ』
『アルも結構柔らかいんですけど、やっぱり頼りがいが違うんですよねー』
アルの背を撫でながらアルを挟んでセネカに並ぶ。女性体のセネカにあまり近付くと男性体に変身して大惨事を引き起こしかねない。
『……「下ろせ離せお父さん助けて」と言った具合だな』
『残念でしたねセネカさん!』
『すっごい嬉しそうだね君……』
『クラールぅー、おとーさんでちゅよー、怖かったねーごめんねー』
クラールは僕の胸元に頬を擦り付け、指を咥えさせると吸い始めた。
『……ふむ、「怖かったよお父さん」と貴方に泣きついている。同時に怖いモノから二度も救ってくれた貴方を敬愛しているな』
『…………茨木、クラール抱きたくない?』
『魔物使い君がマッチポンプを覚えた!』
『遠慮するわ。獣臭いし』
『クラールはまだそんなに獣臭くないよ、仔犬に血の匂いが混じった感じだよ』
普通、赤子というのはミルクのいい匂いがするものだ。しかし僕の血を飲みそれを顔にこぼすクラールからは僕の血の匂いがする、不愉快だ。
『やめておけ、ヘル。あまりやると貴方が渡していると分かるぞ』
『クラールの抱っこタイム終わり。今から集会所まではずっと僕が抱くからね』
『魔物使い君……最初に会った時からほんっとに変わったよねぇ……』
変わったつもりはあまりない。だが、まぁ、人間でなくなってしまったし、見た目ももはや別人、変わったと言われても仕方ないだろう。
「もうそろそろ集落に入る。視線や気配を感じるだろうが、気にしないで欲しい。みんな探されるのは嫌いなんだ」
ガサガサと木が揺れて木霊が大量に落ちてくる。気にするなという方が無茶だが、探さないでおくのはクラールを見ていればいいだけなので楽だ。
『……あぅー! ぅー……あぉーん』
『クラール? どうしたの?』
『…………気配を感じ取り不安になっているようだ。もう少し腕に力を入れてやれ』
簡単に壊してしまえる小さなモノを強く抱き締めろなんて無茶を言う。まぁ、人間のままなら思い切り抱き締めても苦痛が限界だろうし、潰す心配はないか。
『……おぉ、上見てみ頭領』
『ん? あぁ……ツリーハウス。他の集落にもあるよ』
探すなと言われたのに家を観察するなんて。しかし気持ちは分かる。他の集落と違って糸で吊られた家というのは興味深い。
「着いたぞ。ここだ、集会所……あまり使ってはいないがね」
『……どやって登るん』
「糸を伸ばすか木を登るか……」
シュピネ族の集落に生えている木は幹がつるんとしていて、枝も下の方にはない。登るにしては難易度の高い木だ。空を飛べる者はともかく鬼達は難しいかと誰に背負わせるか考えていると、酒呑が茨木を投げた。
『おぉ、いけそうやわ』
茨木は集会所の床板にぶつかり、板の端に指を引っ掛けて器用に登った。
『……君はどうするの?』
『幹に爪立てたら登れるやろ』
「出来れば木に傷は付けないで欲しい」
『カルコスー、乗せてあげてー』
ウェナトリアも含めて全員が集会所に入る。全員で寝転がっても十分な広さだ、使っていないと言うだけあって隅には埃が溜まっているけれど、家具などが一つもなく広々としている。
突き指をしたとぼやく茨木を無視し、部屋の隅にツヅラを置く。隣の角にベルフェゴールを置き、ツヅラと対角であり出入り口も近い場所にアルを座らせる。後は自由席だと言って、念の為に刀を持ってツヅラの前に屈んだ。
『…………寝てる……か』
尾鰭を掴んで持ち上げると、地面に擦れて剥がれた鱗が再生していく様子が間近で見られた。ここに辿り着くまで再生と怪我を繰り返していたと思うと同情しなくもない。
『酒呑、穢れがどうとか言ってたけど、今はどう?』
『全然やな。今こいつの肉喰っても不死にはなれへんやろ。それは俺が浄化したからやろうけど……』
『けど?』
酒呑は珍しくも言葉に詰まっている。
『…………なんやろな。覚えのない雰囲気や。妖やない、悪魔にも似てへん、天使らとも違う……なんや変な感じが浄化してからずっとしとる』
『……その雰囲気、近いの思い付く?』
『………………いや、全く』
魔物でもなく神聖なものでもなければ、残りはもう人間くらいしかないけれど、それなら人間だと言うはずだ。
僕は全員に休むよう言って、自分はツヅラを見張ることに決めた。
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