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第三十六章 怠惰の悪魔と鬼喰らいの神虫
旧き神官
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じっとツヅラを観察していても彼は眠っているだけで何も変化がない。退屈とクラールに構いたい欲求が顔を出し、僕の集中を途切れさせる。
刀を影に戻し、立ち上がる。それと同時にベルトを誰かに引っ張られて転んだ。
『痛た……クリューソス? 何するのさ』
『様を付けろ下等生物め!』
面倒臭いと思いながらも仕方なく様を付けて言い直す。だがクリューソスは聞いていない、低い唸り声を上げて結界を二重に張っている。球体の結界はクリューソスを中心としてツヅラとベルフェゴール以外の全員を包んでおり、何かあったと察した仲間達はそれぞれに戦闘態勢を取った。
『…………クリューソス様? 何があったの?』
『封印が解けるんだ。俺の結界もすぐに破られる、とっとと封印をやり直せ』
ツヅラの封印のことだろうか。彼は蔦で腕を拘束されている、そしてその蔦には文字が彫られている。この封印を施したのは酒呑だ。
『無茶言いなや、紙なかったらんな大したもん出来へんねんて』
『死にたいのか愚図が!』
「紙が必要なのか? 少し待ってくれ、持ってこよう」
『待て! 結界から出るな!』
どうしろと言うのだ。そうクリューソスに言っても仕方ないのだろう。
『封印が解けて、結界が破られたらどうなるのか。それを説明してよ』
『俺に分かるか!』
予想すら出来ないけれど危険な予感がする? クリューソスにしては珍しい。
『……酒呑、紙って布とかで代用出来ないかな』
『ん? あぁ……いけるんちゃう?』
『じゃ、僕のシャツの袖とか裾とか破って使って。クリューソス様、結界そのままお願い。で、後は……んー、みんないつでも戦えるようにしておいて』
危機の度合いがイマイチ理解出来ないまま対応を進める。クリューソスは牙を剥いて唸るほど警戒しているが、ツヅラは眠ったままだ。袖を奪われて露出した肩を摩り、ぼうっと目の前に張られた結界を見つめていると、その中心にヒビが入った。半透明だった結界のヒビは蜘蛛の巣状に広がっていき、細かなヒビは視界を遮った。
『……ガキ! 今すぐクリューソスを完全に支配しろ!』
『へっ? え、何それ……』
『バカを言うなカルコス! そんな真似されてたまるか!』
『ガキ! 早く! クリューソスは天使モデルなんだ、間近で食らったら狂ってしまう!』
全く訳が分からないが、カルコスの気迫に押されてクリューソスに向けて魔物使いの力を使う。完全に……と言うのはよく分からなかったが、いつもより強く、深く、奥底まで届くようにイメージした。
『……ぅ、わ……キツい、これ』
身体の感覚が二倍になった。クリューソスの五感も、足の曲げ伸ばしも、四枚の翼を畳むのも、命令なしで感覚で行える。自身の指を曲げる時と同じように、一々思考せずクリューソスの身体が動く。
『それでいい。他に創造神を唯一と見なしている者は?』
そんな者この場に居るはずがない。僕の仲間も、ウェナトリアも、創造神や天使達とは敵対している。クリューソスだってそうだろうに……待てよ、ウェナトリアは未だに信仰を引き摺っている。大丈夫か──と彼の方を振り返れば、ちょうど膝を折って座り込んでいた。
『ウェナトリアさんっ!』
『ガキ! そのままクリューソスを支配したまま離すな! 蜘蛛男とアルギュロスは我が見ておく、こいつらなら意識を奪っておけば十分だろう』
カルコスはそう言いながらウェナトリアを殴って壁に叩き付けた。僕の家族に同じことをされてはたまらないのでアルとクラールは僕が命令して気絶させた。
『……一体何だって言うんだよ』
『…………頭領はん何ともないん?』
『茨木、何かあるの?』
『ふぅん……まぁ、けったいな声が頭ん中響いとるわ。気味悪いけど、うちはそこまで。その子はあかんみたいやけど』
茨木が指した先には自分を抱き締めて震えるセネカの姿があった。女性体にも関わらず僕が触れてもそれに恐がる素振りは見せず、爪が皮膚に刺さる程に強く二の腕を掴んでいた。
『セネカさん! どうしたんですか、セネカさん!』
『……魔物使い君』
予想に反して彼女は僕を見て、涙を目に貯めたまま笑った。
『も、ダメだよ。終わりだ……いっぱい、居たんだよ。やばいの、大っきいの……人間なんか、今ある文化なんかっ、大したことじゃないんだ。瞬きの後には、全部消えてるかもしれないっ……真っ暗で、寒くて、冷たくて暗くて寒くて恐くてっ……!』
『何言ってるんですか……?』
『神性が意外と多いのは知ってる。でもっ、ほとんどは山とか川とかの自然神で、精霊みたいなものでっ、こんなの知らなかった! こんなの居るんじゃもうダメなんだよ! ボク、人間はずっと居ると思ってた、だから溶け込もうって思ってた、でもっ、この世界がいつまでもある保証はどこにもなかった!』
泣き叫びながらの言葉は聞き取り辛く、また聞き取れても意味や意図が分からない。パニック状態にあると判断し、彼女の意識も奪ってカルコスの方へ倒した。カルコスは何の抵抗もなく倒れていく身体を受け止め、ゆっくりと床に寝かせた。
『……茨木、その頭の中で響く声がセネカさんをこうしたなら、君や酒呑やカルコスはどうして平気なの?』
『頭領はんが聞こえてへんから平気なんかも知れへんし、聞かん方がええ思うわぁ』
精神汚染の類ではなく、内容を聞くだけでまずいのか? 訳が分からない……だが、ツヅラが原因であることは明白だ。
『……ガキ、俺も平気というわけではないぞ。特性としてテレパスが受信しにくいと言うだけで……微かには聞こえて、影響はある』
『じゃあ……君も寝ておく?』
『…………あぁ、夢も見ないほど、深く頼む……』
無事なのは聞こえていない僕と、聞こえているけれど平気な鬼達だけ。聞こえない僕には何故平気なのかもどうして怯えてしまうのかも分からない。
『これだから……面倒だな~、多神教の連中はさ~? 邪神って概念がぁ……ズレてるんだよね~』
ツヅラはいつの間にか起きていた。刀を引き摺り出し、小烏が影響を受けるかどうか分からないので影に押し戻し、刀だけを彼に向ける。
『もぉ~っと深ぁ~いの欲しいの~?』
『ツヅラ……何をした。今すぐやめろ!』
『…………何その口の利き方。生意気……ふふっ、まぁ、どうでもいいや~』
眠そうな瞳のままながら低い声は一瞬僕を怯えさせた。彼がすぐに笑い出さなければ後ずさっていただろう。
『喜んでタコ食べるような奴らはさ~、やっぱダメだよ~、おおこわいこわい』
『タコって……昨日、食べたけど…………何、あれにまさか何か!』
『あ~ごめんごめん違う違う。ごめんね~? クラーケン……だっけ? あれは無関係……あれを見て怯えないようなのが僕は嫌ぁ~い……ってだけだからさ~』
形はともかく大きさには恐怖心を抱く……待てよ、鬼達は初めから食欲を前面に出していた。
『…………タコが好物だと効かない!?』
『わぁ~バカだぁ~』
『……じゃあなんだよ! っていうかお前がテレパシー送るのやめればいいだけだろ!?』
『わ~逆ギレってやつ~? 最近の子こわぁ~い』
間延びした口調には方言は見受けられない。彼は本当にツヅラなのだろうか。酒呑が浄化して、その後に完全に再生した状態で現れたのだって不自然だ。何かが化けているのではないだろうか。
『止める……止める…………止め方分かんな~い』
『はぁ!?』
『んっふふふ……軽銀箔でも頭に巻けばぁ?』
拘束しているからなのか分からないが、あまり敵対感情は見受けられない。だが、攻撃を加える大義名分が薄っぺらくなってしまってかえって厄介だ。
『ツヅラ、君は僕に敵対する気はないの?』
『え~? 別に~?』
『……そう』
襲ってきていた記憶は無いのか。彼は記憶がよく飛んでしまうと言っていたけれど、これはもはや多重人格と見ていいだろう、口調や性格がここまで変わるなんて記憶が飛ぶだけでは説明がつかない。
『頭領はん、頭領はんは蟻とか蚤とか、敵やと思う?』
『茨木? な、何急に……』
『知らんと踏んだり、特に何も思わんと駆除するやろ? それと一緒や……なぁ?』
『ん~? 君達のことはよく分かんないなぁ。でも、意外と会話出来るみたいで楽しいよ~。面白い面白い』
人間にとっての小さな虫が彼にとっての人間だとでも言いたいのか? 上位存在でもあるまいし、ツヅラがそこまで驕ることなんてありえない。
僕は訳が分からないまま、完成したと渡された札をツヅラの額に押し付けた。
刀を影に戻し、立ち上がる。それと同時にベルトを誰かに引っ張られて転んだ。
『痛た……クリューソス? 何するのさ』
『様を付けろ下等生物め!』
面倒臭いと思いながらも仕方なく様を付けて言い直す。だがクリューソスは聞いていない、低い唸り声を上げて結界を二重に張っている。球体の結界はクリューソスを中心としてツヅラとベルフェゴール以外の全員を包んでおり、何かあったと察した仲間達はそれぞれに戦闘態勢を取った。
『…………クリューソス様? 何があったの?』
『封印が解けるんだ。俺の結界もすぐに破られる、とっとと封印をやり直せ』
ツヅラの封印のことだろうか。彼は蔦で腕を拘束されている、そしてその蔦には文字が彫られている。この封印を施したのは酒呑だ。
『無茶言いなや、紙なかったらんな大したもん出来へんねんて』
『死にたいのか愚図が!』
「紙が必要なのか? 少し待ってくれ、持ってこよう」
『待て! 結界から出るな!』
どうしろと言うのだ。そうクリューソスに言っても仕方ないのだろう。
『封印が解けて、結界が破られたらどうなるのか。それを説明してよ』
『俺に分かるか!』
予想すら出来ないけれど危険な予感がする? クリューソスにしては珍しい。
『……酒呑、紙って布とかで代用出来ないかな』
『ん? あぁ……いけるんちゃう?』
『じゃ、僕のシャツの袖とか裾とか破って使って。クリューソス様、結界そのままお願い。で、後は……んー、みんないつでも戦えるようにしておいて』
危機の度合いがイマイチ理解出来ないまま対応を進める。クリューソスは牙を剥いて唸るほど警戒しているが、ツヅラは眠ったままだ。袖を奪われて露出した肩を摩り、ぼうっと目の前に張られた結界を見つめていると、その中心にヒビが入った。半透明だった結界のヒビは蜘蛛の巣状に広がっていき、細かなヒビは視界を遮った。
『……ガキ! 今すぐクリューソスを完全に支配しろ!』
『へっ? え、何それ……』
『バカを言うなカルコス! そんな真似されてたまるか!』
『ガキ! 早く! クリューソスは天使モデルなんだ、間近で食らったら狂ってしまう!』
全く訳が分からないが、カルコスの気迫に押されてクリューソスに向けて魔物使いの力を使う。完全に……と言うのはよく分からなかったが、いつもより強く、深く、奥底まで届くようにイメージした。
『……ぅ、わ……キツい、これ』
身体の感覚が二倍になった。クリューソスの五感も、足の曲げ伸ばしも、四枚の翼を畳むのも、命令なしで感覚で行える。自身の指を曲げる時と同じように、一々思考せずクリューソスの身体が動く。
『それでいい。他に創造神を唯一と見なしている者は?』
そんな者この場に居るはずがない。僕の仲間も、ウェナトリアも、創造神や天使達とは敵対している。クリューソスだってそうだろうに……待てよ、ウェナトリアは未だに信仰を引き摺っている。大丈夫か──と彼の方を振り返れば、ちょうど膝を折って座り込んでいた。
『ウェナトリアさんっ!』
『ガキ! そのままクリューソスを支配したまま離すな! 蜘蛛男とアルギュロスは我が見ておく、こいつらなら意識を奪っておけば十分だろう』
カルコスはそう言いながらウェナトリアを殴って壁に叩き付けた。僕の家族に同じことをされてはたまらないのでアルとクラールは僕が命令して気絶させた。
『……一体何だって言うんだよ』
『…………頭領はん何ともないん?』
『茨木、何かあるの?』
『ふぅん……まぁ、けったいな声が頭ん中響いとるわ。気味悪いけど、うちはそこまで。その子はあかんみたいやけど』
茨木が指した先には自分を抱き締めて震えるセネカの姿があった。女性体にも関わらず僕が触れてもそれに恐がる素振りは見せず、爪が皮膚に刺さる程に強く二の腕を掴んでいた。
『セネカさん! どうしたんですか、セネカさん!』
『……魔物使い君』
予想に反して彼女は僕を見て、涙を目に貯めたまま笑った。
『も、ダメだよ。終わりだ……いっぱい、居たんだよ。やばいの、大っきいの……人間なんか、今ある文化なんかっ、大したことじゃないんだ。瞬きの後には、全部消えてるかもしれないっ……真っ暗で、寒くて、冷たくて暗くて寒くて恐くてっ……!』
『何言ってるんですか……?』
『神性が意外と多いのは知ってる。でもっ、ほとんどは山とか川とかの自然神で、精霊みたいなものでっ、こんなの知らなかった! こんなの居るんじゃもうダメなんだよ! ボク、人間はずっと居ると思ってた、だから溶け込もうって思ってた、でもっ、この世界がいつまでもある保証はどこにもなかった!』
泣き叫びながらの言葉は聞き取り辛く、また聞き取れても意味や意図が分からない。パニック状態にあると判断し、彼女の意識も奪ってカルコスの方へ倒した。カルコスは何の抵抗もなく倒れていく身体を受け止め、ゆっくりと床に寝かせた。
『……茨木、その頭の中で響く声がセネカさんをこうしたなら、君や酒呑やカルコスはどうして平気なの?』
『頭領はんが聞こえてへんから平気なんかも知れへんし、聞かん方がええ思うわぁ』
精神汚染の類ではなく、内容を聞くだけでまずいのか? 訳が分からない……だが、ツヅラが原因であることは明白だ。
『……ガキ、俺も平気というわけではないぞ。特性としてテレパスが受信しにくいと言うだけで……微かには聞こえて、影響はある』
『じゃあ……君も寝ておく?』
『…………あぁ、夢も見ないほど、深く頼む……』
無事なのは聞こえていない僕と、聞こえているけれど平気な鬼達だけ。聞こえない僕には何故平気なのかもどうして怯えてしまうのかも分からない。
『これだから……面倒だな~、多神教の連中はさ~? 邪神って概念がぁ……ズレてるんだよね~』
ツヅラはいつの間にか起きていた。刀を引き摺り出し、小烏が影響を受けるかどうか分からないので影に押し戻し、刀だけを彼に向ける。
『もぉ~っと深ぁ~いの欲しいの~?』
『ツヅラ……何をした。今すぐやめろ!』
『…………何その口の利き方。生意気……ふふっ、まぁ、どうでもいいや~』
眠そうな瞳のままながら低い声は一瞬僕を怯えさせた。彼がすぐに笑い出さなければ後ずさっていただろう。
『喜んでタコ食べるような奴らはさ~、やっぱダメだよ~、おおこわいこわい』
『タコって……昨日、食べたけど…………何、あれにまさか何か!』
『あ~ごめんごめん違う違う。ごめんね~? クラーケン……だっけ? あれは無関係……あれを見て怯えないようなのが僕は嫌ぁ~い……ってだけだからさ~』
形はともかく大きさには恐怖心を抱く……待てよ、鬼達は初めから食欲を前面に出していた。
『…………タコが好物だと効かない!?』
『わぁ~バカだぁ~』
『……じゃあなんだよ! っていうかお前がテレパシー送るのやめればいいだけだろ!?』
『わ~逆ギレってやつ~? 最近の子こわぁ~い』
間延びした口調には方言は見受けられない。彼は本当にツヅラなのだろうか。酒呑が浄化して、その後に完全に再生した状態で現れたのだって不自然だ。何かが化けているのではないだろうか。
『止める……止める…………止め方分かんな~い』
『はぁ!?』
『んっふふふ……軽銀箔でも頭に巻けばぁ?』
拘束しているからなのか分からないが、あまり敵対感情は見受けられない。だが、攻撃を加える大義名分が薄っぺらくなってしまってかえって厄介だ。
『ツヅラ、君は僕に敵対する気はないの?』
『え~? 別に~?』
『……そう』
襲ってきていた記憶は無いのか。彼は記憶がよく飛んでしまうと言っていたけれど、これはもはや多重人格と見ていいだろう、口調や性格がここまで変わるなんて記憶が飛ぶだけでは説明がつかない。
『頭領はん、頭領はんは蟻とか蚤とか、敵やと思う?』
『茨木? な、何急に……』
『知らんと踏んだり、特に何も思わんと駆除するやろ? それと一緒や……なぁ?』
『ん~? 君達のことはよく分かんないなぁ。でも、意外と会話出来るみたいで楽しいよ~。面白い面白い』
人間にとっての小さな虫が彼にとっての人間だとでも言いたいのか? 上位存在でもあるまいし、ツヅラがそこまで驕ることなんてありえない。
僕は訳が分からないまま、完成したと渡された札をツヅラの額に押し付けた。
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