魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

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第三十八章 乱雑なる国家運営と国家防衛

機織り

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せっかくアルがくれた自信が萎んでしまう。けれど、産まれた時から僕以外の人間をそう知らないクラールはともかく、兄とアルが僕を愛する理由が分からない。魔物使いの力があるから……と言うなら全ての魔物がアルのように僕を愛するだろう、けれど現実は違う。だから分からない。

『機織り体験……随分とタイミングが良いねぇ』

『こういうのよくやってるみたいだよ』

僕が出かけている間に来たらしいマンモンが「こっちの国でも配ってねン」と置いて行ったチラシの中に丁度機織り体験のものがあった。誰も配る気がなさそうなチラシの束を置いて、兄と二人で娯楽の国へ。
太く薄いリボンのような髪紐に認知阻害の魔法陣を仕込んでもらい、力を使わなければという制限付きで自由に動けるようになった。

『……あのさ、聞きたいことあるんだけど、いい?』

講師からの一通りの説明が終わり、初心者とは思えない手つきで機織りを進める兄の背に話しかける。

『ご主人様なんだろ? 聞きたいなら好きに聞きなよ』

様子を見に来た講師の驚く顔に気付かないフリをして、周りの人に聞こえないよう小さな声で呟いた。

『…………どうして僕を愛してるの?』

滞りなく複雑な模様を織っていた手が一瞬止まり、失笑が聞こえ、僕が呟く前の世界に戻る。

『……ねぇどうして? 本当に分かんないんだ、教えてよ、どうして?』

『…………君はどうしてアルちゃんを愛してるの?』

『愛してくれたからだよ。一人になった僕を助けて、守って、愛してくれた。多分普通の人達が家族からもらえるものを全部アルからもらったから、僕はアルを愛してるんだよ』

愛に理由はないなんて言うつもりか? 家族だからなんて言うつもりか? 悪いがそれは封じさせてもらう。

『……魔法を使えないって分かる前はにいさまは僕を愛してたんでしょ? 魔物使いだって分かってからまた愛し始めたんでしょ? でも……それにしてはおかしいよ、こんな扱いされて黙ってるなんてにいさまらしくないよ……』

兄が示す愛情は利己的なものなのに、自分の利益のための演技だったはずなのに、そうでなければならなかったのに、それでは説明出来ないことが多過ぎる。今だけではなく、ずっと、僕の思い込みを否定する出来事ばかりだ。

『君が産まれる前、優秀な子だって聞いて、嬉しかった。早く会いたいって思った。膨らんだお腹に耳を当てたら蹴られて、でも楽しかった。ベビーベッドの中の君を覗いて、言葉を教えて、髪を引っ張られて、夜泣きをあやして、手間をかけて作った食事をひっくり返されて、それを片付けて……僕には苦痛ばかりだったはずなのに何故か嬉しくて楽しくて、迷惑かけられる度に君が愛おしくなったんだ』

兄は理由を話さず、思い出話を始めた。

『…………僕が優秀でない君に興味が無いなら赤ちゃんの頃に手を出してるよ。何年も我慢できる訳がない。泣きわめくうざったいチビなんて他人なら絶対潰してる。でも……君は、何故か、可愛くってね。守らなきゃって』

『……そんなの、答えになってないよ』

『魔法を使えないと分かった時点で殺すはずだったんだ。手間暇かけてたった一人を虐待し続けるより、使い捨ての凡人の方が楽しいからさ』

暗い色と鮮やかな色の対比が気味悪い布が伸びていく。カラカラという音ばかりが耳につく。

『君は可愛かったんだ……泣き顔なんて最高で、その後の笑顔も良かった。虐められたのに僕に懐いてるのがたまらなかったんだ。僕の言いなりなのが良かったんだよ。ねぇ、可愛い可愛い僕のおとーと、可愛いってのは可哀想なんだよ。殴られて、泣いて、殴った奴に縋り付くしかないなんてすっごく可哀想だろ? だからすっごく可愛かったんだ』

産まれる前やそのすぐ後の話をし始めたから、何か感動出来る話でもしてくれるのだと思っていた。僕に兄の愛情を教えてくれるのだと思っていた。納得できると、兄を許せると、家族になれると思っていたのに。

『……今、この場ででも……足の腱切ってやりたいよ。歩けなくなった君は僕に頼らなきゃ帰れない、生意気なこと言ってたくせに急に媚びたりしてさ? きっと可愛いんだろうね』

背骨が氷柱にすり変わってしまったかのような寒気を覚えて、自分を抱き締めて震える。返事をしない僕を不審がった兄は振り返り、僕を見て恍惚とした笑みを浮かべた。

『…………可愛いよ』

機織りの手を止めて僕の頬を撫でて涙を拭い、更に笑みを深くする。

『僕が心根は優しい奴だなんて希望、まだ持ってたんだね。絵本の中の世界みたいなまっさらな愛情が向けられてるって、まだ思ってたんだね。あぁ、僕の弟はなんて可愛いんだろう……! 馬鹿だよ、愚か過ぎるよ、救いようがない! 可愛いっ……可愛いよ、最高!』

立ち上がった兄は僕の顔に爪を立て、頬を掴んで持ち上げようとする。けれどそれは流石に無理だったようで、僕に爪先立ちをさせるのに留めた。

『……こんなふうに希望をぐちゃぐちゃに踏み躙られても、きっとまた同じことをするんだろ? 破れたた希望拾って、繋ぎ合わせて、無駄なのに僕に見せに来て、また踏み躙られて可愛く泣いてくれるんだよね? ふふ……可愛い可愛い僕のおとーと、愛してる……』

ぱっと手を離して僕を転ばせ、何事も無かったかのように機織りを再開する。野次馬達も兄の異質さに気付いたのか何も見なかったフリをして席に戻っていった。

『…………にいさま』

『ん? なぁに、可愛いおとーと』

『……僕にはね、アルが居るから……フェルも居るし、兄さんも、クラールも居るから、にいさまに希望を持ったりなんてもうしないよ。僕はもうにいさまの好きな顔は出来ないけど、僕はにいさまが大好きだから、ずっと無理矢理手元に置くね? 物として大事にするね? にいさまはきっと楽しくないよ』

床に座り込んだまま、兄の膝に頭をもたれさせ、じっと睨み上げる。

『それが僕の復讐だから……覚悟しててね、にいさま』

『…………楽しみに待ってるよ』

鼻歌交じりに機織りの速度が上がる。カラカラと機織りの音と懐かしい歌に眠気を誘われて、希望を踏み躙られた現実逃避に夢に逃げた。
夢の中ではやり直した世界の優しい兄が待っててくれていて、純粋な愛情を僕に向けてくれた。嬉しくて、楽しくて、愛おしくて──あの時と同じに目の前で喰われて、夢だと分かっていながらも泣き叫んだ。

『おーい……おとーとー? 起きて、終わったよ』

枕替わりの膝が揺れて目を覚ます。

『……あれ、泣いてたの?』

『……………………だっこ』

目の前で死んだあの時の全てが目の前に居たから、手を広げた。胸を蹴られると分かっていて、嘲られると分かっていて、それでも虚ろな瞳を見つめて待った。

『……っと、これでいい? よしよし……』

伸びてきた手は僕を虐げることなく抱き上げて、膝の上に乗せると背を撫でた。

『そうそう、変な夢見たって話したよね。あの夢の君もこんな感じだったな、今より少し大きかったけど、ずーっと甘えてきててさ……何もしなかったら今もそうだったのかなってたまに考えてさ、後悔するんだよね……』

軽薄な口調は途中から重苦しくなって、背を撫でていた手も掴むようなものに変わる。

『………………ごめんね。ちゃんと愛せなくて』

ふわりと浮かんだような感覚があって、下ろされたと思えば見知らぬ店内に居た。

『……針と糸、あと綿とかパット、そういうの買って行こっか』

娯楽の国に手芸用品店なんてあったんだな、いや、当然か、『娯楽』なのだから。僕が前に行ったのがたまたま賭博と風俗の街だっただけで、少し外れには趣味の専門店もあるのだ。

『…………にいさま。どうして本当のこと全然教えてくれないの?』

『自分でも分かんないからだよ』

いつも通りの可哀想を可愛いとする兄と、たまに見る悲しみに満ちた優しい兄、どちらが本音なのか分からない。けれど、許せないことには変わりないし、離せないことにも変わりない。だから、もう、何も考えず、当初の復讐予定通り、支配者らしく飼い殺してしまおう。
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