魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

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第三十八章 乱雑なる国家運営と国家防衛

ローブ作り

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呪術紋様は立体的に描かれている。平面の布を曲げて縫って固定して紋様が浮かび上がるように仕上げていく。パットや綿を内側に入れて補強しつつ正確に──その作業は到底僕に行えるようなものではない。
下書きも無しに頭の中だけにある完成図をバラして機織りで紋様を出せる平面を想像し、その通りに織り、出来上がった布を立体に仕上げて完成図通りになるなんて、それが可能な人間は全人類の何パーセントだろう。

『ねぇ、君これからどうするの?』

……ましてや話しながらなんて。

『どう、って』

『魔物集めて拠点固めて、それで見つからないように結界張ったりローブ作らせたり、何がしたいの?』

『何がって……そりゃ僕は天使に狙われるから隠れないといけないし』

『隠れる理由は知ってるよ』

なら何が聞きたいんだ。はっきり言ってくれなければ分からない。

『君はこれから先どうしていくつもりなの? ただ生きてくだけ? 普通に暮らすだけなの?』

『え……?』

『普通に暮らすだけなら見つからないようにしてればいいだけで、悪魔集めたりなんてしなくていいよね?』

戦力を集めることばかりを考えていた。それはベルゼブブが目的のように話していたからで、無意識にそれを引き継いでいたからで、戦いが多いから何の疑問も抱かなかっただけ──認知阻害の魔法がある限り他の国に行かなければ戦いなんて起こらないのに。

『……せ、世界の歪みがどんどん酷くなってるらしいから、それを……』

『具体的には? 歪みって何? どうすれば修正できるの?』

『…………困ってる、魔物とか、人とか……助けたくて』

『どうして? 何か得があるの? さっきの質問答えてないよね、そっち先に答えてよ』

得がなければ動くなとでも言いたいのか。いや、言うだろう、兄はそういう人間だ。

『神力と魔力のバランスがおかしくなるのが歪みで……それは多分ナイ君のせいで、ナイ君をどうにかしないと本当に世界が滅ぶかもしれなくて。歪みが酷くなると農業も漁業もダメになるって……だから、どうにかしないと』

『それは君がしなきゃいけないの?』

『僕は魔物使いだから……』

『君はそれをしたいの?』

『…………したい』

問い詰められるようで居心地は悪いが、この問答はきっと良いことだ。ふわふわと浮かんでいた僕の意志が地面を踏み締める助けになる。

『どうしてしたいの?』

『……クラールは、魚が好きで。ニンジンとかも結構よく食べて。走るのも好きだし、もしかしたら泳ぐのとかも好きかもしれないから、自然は豊かじゃないと。ご飯はフェルの料理だけじゃなくて色んな専門店とかも連れて行きたいし、もしかしたら趣味が出来るかもしれないから、本当に色々試させたいから……だから、世界は豊かで平和じゃないといけない』

『…………娘のため?』

『……アルも、かな。あとフェルも……それに、メルは新しいもの好きだから文明ちゃんと発達しないと。セネカさんも旅行行きたいみたいだし戦争とかはまずいよ。茨木ももっと服欲しいみたいだし、酒呑も色んなところの地酒飲みたいって言ってたし、ヴェーンさんもゆっくり温泉とか行って欲しいし、それにっ……』

『それに?』

『…………戦う必要もなくて、ずっと平和なら……きっと、にいさまもイライラしなくてよくなって、色んな楽しいこと見つけられるんじゃないかなって……』

俯いていた僕の耳にガタンと椅子が動く音が届き、体が勝手に跳ね上がる。立ち上がった兄を恐る恐る見上げると長方形からローブに近い形になった布を押し当てられた。どうやら片方の袖が完成したから確認したいらしい。

『……いい感じ、だと、思うけど』

関節の動きは全く邪魔されない。少し長めで口も大きいから食事の時には捲らなければならなさそうだけれど、それ以外に不満はない。

『そう、じゃあもう片方もこれで』

『うん……』

また椅子が床と音を奏でて、それを最後に静寂が訪れる。耳を澄ませば針が布を貫くという微かなプツッという音が聞こえるけれど、それよりも時計の針の音が嫌に大きく聞こえる。

『……君は本当にいい子だね』

静寂は時を引き伸ばして、十数分が何時間にも感じられた。そんな間延びした時を終わらせたのは兄の呟きだった。声をかけたと言うよりは独り言に近い。

『楽しいこと、か。うん、君以外に目を向けられたら案外面白いのかもしれない。見つけて持って帰って君に教えて一緒にやればもっと楽しいかもね』

会話のようだけれど独り言、そう分かっていたから黙って聞いていた。

『…………殺したって晴らせないくらい憎いはずなのに、僕にそんなこと思ってくれるなんて、君は本当にいい子だよ。僕はもう君の名前も思い出せないのに』

名前……そういえば兄に名前を呼ばれていない。君、もしくは弟だ。

『……ねぇ、僕にはもったいないくらい可愛い可愛い僕のおとーと、悪いけれど一人にしてくれる? 集中したいんだ。それにそろそろクラールちゃんがお腹を空かせるんじゃないかな』

振り返り、今度こそ僕に話しかけている。

『うん……そうだね、そろそろお腹空いたって鳴く頃かも。じゃあ、にいさま……また、後でね』

生返事を聞いて部屋を出る。ヴェーンの工房の一つであるこの部屋は地下にあって、室内は温度調節が出来るけれど通路は寒い。早く上に行ってしまおうと小走りになると、途中の扉が開いてぶつかりそうになった。

「よ、魔物使い。廊下走るなよ」

扉を開けて出てきたのはヴェーンだった、彼も針仕事をしていたようで服に糸くずが付いている。

『ご、ごめん……あれ、ヴェーンさん顔色悪いよ、大丈夫?』

吸血鬼の混血である彼は常に青白い顔をしているけれど、今日は特に酷い。

「最近寝てないからなー、てことで頼むぜ」

ヴェーンが持ってきたのはコップ、それに注射器。

『血? もちろんいいけど直接じゃなくていいの?』

「お前またなんか濃くなってそうだからな、ちびちび飲まなきゃ吐いちまう」

『濃くなった? そうかな……』

魔力濃度が上がったということは強くなったということ、アルとクラールを守る力が増したということ……誇らしくなりながら吸血──献血? を終え、階段を駆け上がる。
扉を開けてもぬけの殻のベッドに飛び込み、素早く起き上がって部屋を出る。

『アルー! クラールー! どこー?』

クラールが起きてアルがどこかへ連れて行ったか、起きたアルがクラールを連れてどこかへ行ったか。行きそうなところはリビングにダイニング、天気がいいから中庭という線もある。ひとまずリビングに向かい、無人を確認してダイニングに。

『……ヘル、おはよう』

『おはよ、アル。起きてたんだね』

『…………耳元で鳴かれてな』

先に起きたのはクラールの方か。クラールはどこかと探してみれば、床に座ったアルが顎を置いている椅子に乗せられていた。お粥のようなものを食べている。

『そろそろかと思って来たんだけど……ご飯もらったんだね、良かった』

『芋混ぜたけど大丈夫だった?』

『フェル、おはよ。多分大丈夫……だよね? アル』

屈んで棚を漁っていたフェルからチョコフレークを受け取り、冷蔵庫を開けて期限ギリギリの牛乳を取り出す。

『大丈夫だと思う。様子がおかしければ兄君でも呼ぶといい』

『治癒かければいいって考え方がもうにいさま』

『分かるー』

『……それは悪口なのか?』

僕とフェルにとって「兄に似ている」ほどの悪口はない。二人で目を合わせて微笑み、少し不機嫌そうに首を傾げるアルの視線を楽しむ。

『お兄ちゃんが天使、鬼、精霊、とかでしょ? で、お姉ちゃんが鳥、蛇、狼……悪魔もある?』

『お、お姉ちゃん……? 私の事か?』

『ぁ、ダメだった? こっそり定着させようと思ってたんだけど……』

『いや、構わんが…………あぁ、悪魔は多分無い。模しているだけで成分は違うからな……』

微笑ましい。もう表情を誤魔化していられない。

『つまり……六種のそれぞれ全く違う種族から遺伝するものがあるんだよ。どれが顕著に出てるかで食べ物の善し悪しやエネルギー吸収とかも変わってくるから、ちゃんと観察しないと』

『今のところ見て分かるのは狼と鬼だな』

『なんか透明感あるから精霊も入れていい?』

『良くない』

他に何か外見に現れているものはないだろうかとクラールを観察する。器に顔を突っ込み、息が出来ているのか心配になる食べ方をしている。食べるのに夢中になって後ろ足が浮いて震えている。観察理由を「可愛らしいから」に変えてしばらく見ていると後ろ足が浮いて逆立ちのようになり、ひっくり返った。
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