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第三十八章 乱雑なる国家運営と国家防衛
トロトロ
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アルがどんなことで恐怖を覚えるのか、それはとても分かりにくい。生まれ直した別世界では拷問を受けた時に怯えていた──あれも詳細は分からなかったけれど、きっと一方的な痛みが怖かったのだ。
今は何を怖がっている? 何に傷付いている? マスティマと戦って痛みはあっただろう。けれど喉笛を食いちぎるような損傷を与えているのなら一方的ではなかった。
今までにも酷い怪我を負う戦いはあったけれど、一方的でない時にアルが怯えたことなんてなかった。
クラールが居たから? 責任の重圧があって、それから解放されて気が抜けた? 僕に思い付く予想の中ではこれが有力だな。
『何があったの? アル、話して。君が嫌なもの、怖いもの、全部全部ぜーんぶ消してあげるから』
『………………ごめんなさい』
『……アル? 何で謝るの?』
『ごめんなさいっ、ヘル……ごめんなさい』
『どうしたの? アル……ねぇやめてよ、謝らないで、アルが何したって言うの、アルが謝ることなんて一つもないだろ?』
むしろ遠ざけて寂しがらせた僕が謝るべきなのに……隣に居られなかったことを謝っているのか? 確かにアルはこのところ戦闘に参加させてもらえないと嘆いていた。
『アル……違うよ? アル、君が弱いんじゃない。僕がやっと強くなって、君を守れるようになったんだよ。あの日アルが僕の前に現れてくれた時からずっと迷惑ばっかりかけたよね、そのお返しがようやくできるんだよ。受け取ってよ、ね?』
前足が僕の胸から腹を引っ掻く。服が破れてしまうからやめさせたいが──どうせ焦げた血塗れの布だ、好きなようにさせよう。
「…………なぁ、魔物使い」
『何、ヴェーンさん。まさか何でアルがこんなに怯えてるか知ってるの? なら教えて、早く』
「……ぁ、いや……その、あのな」
言い淀んでいる? 何故だ。マスティマはただアルの胴を分断させたのではなかったのか?
「俺は、そいつらのこと頑張って守ろうとして……でも弱いから結局何の役にも立たなかった。だから、その、気絶してたから……何があったのかは知らない。でも……言いたくなさそうだってのは何となく分かってさ、あんまり聞いてやるなよ…………ぁ、そうだ、俺のせいだ。俺が弱いから、お前の嫁と娘……守れなかったんだ。俺のせいだぞ、魔物使い」
思い出したくもないけれどいつも通りに振る舞えるほど割り切ることも出来ないことだろう、アルにとって問い詰めることは責め立てていることと同じだ、だから自分を責めろ──ヴェーンはそう言っているのか。随分とイイ男の振る舞いじゃないか。
『…………クラールは無事だし。マスティマは僕の方に来ると思ってたから……遠くに逃げろなんて言った僕の責任だよ』
兄かライアーが傍に居たなら、そう言えばヴェーンは更に落ち込むだろうか。
『……とりあえず、帰ろっか。僕は街の槍とか抜いて回るから、みんなは先に帰ってて』
『あ、だーりん! ワタシもやるわ、それ』
『出来るの?』
メルが手を挙げながら前に出てくる。そろそろ別の呼び方を考えて欲しい。
『ええ、ゼルク!』
『なんすか』
バルコニーには居なかったはずなのに、ゼルクはいつの間にかメルの傍に控えていた。怯えつつも助かると言って、西側を頼んだ。僕は東側を担当する。
集めた槍は全て影に収納、魔性には触れられず動かせない物というだけで単純に便利だし、解析すれば逆──天使に触れられない魔性の武器を実現出来るかもしれない。
そういったことは全てライアーに任せよう。影の中に住んでいる小烏には外で暮らしてもらって、必要無いと判断し次第槍は海中投棄とでもいこう。
槍を回収後、再びの修復魔法によって街は元に戻った。けれど国民には多数の犠牲が出たようだし、祝賀とはいかない。しかし、それは戦ってくれた仲間達に喪に服せと言う理由にはならない、というか言っても止まらない。
『……楽しそうだね、みんな』
酒宴。祝勝会。国王として参加するのは良くないし、参加する気にもならない。何故か? アルが参加していないから。
『ヘル、来ないの? キミが主役みたいなものなのに』
『気分じゃなくて。兄さんこそこういうの嫌いじゃなかったの?』
『……まぁ、酔っ払いのノリに着いていける間は楽しいからね。頃合いを見て寝るよ』
何とも意外なことに兄はライアーの隣に座っている。参加すること自体意外なのに、その上ライアーの隣だなんて一体何を考えているのだろう。
飲酒ペースを掴むためにも宴を廊下から眺める。アル除く獣達と鬼達は酒を水のように飲んでいる、小烏は机の真ん中でツマミをこそこそと食べていた。メルとセネカは酒より食事で、ベルゼブブは更にその気が強くて──ヴェーンとアザゼルも居ないな。アザゼルはどうせグロルに交代して眠ったとかそんなところだろう、ヴェーンも疲れたのだろう……特に気にすることもないな。
『じゃ、おやすみみんな。明日忙しいかもしれないんだから程々にね』
耳に届かないと分かっていながらも忠告を投げて、愛しい妻子が待つ自室に向かう。扉を開けてすぐに涼しさと風に気付く、アルが窓を開けていたのだ。盛り上がったカーテンの端から翼の先端が見えている、屈んで覗けば可愛らしい後ろ足と尾が見える。
『……アル?』
高く、尾を引く鳴き声。どこかへ送られる遠吠え。
その声に反応したクラールも部屋の真ん中で拙い遠吠えを上げている。
『…………何、どうしたの? 今日満月だっけ?』
この世のものとは思えないほどに美しい声に、もはや笑うことしか出来なかった。恐怖にも似た、自嘲によく似た、そんな笑いだ。
カーテンを捲り、アルを背後から抱き締める。返事はなく、遠吠えも止まない。喉に手のひらを添えると震えが伝わって、興奮と興奮することへの罪悪感、そして背徳感による快感を覚える。
『アル……』
誘ってるの? なんて言わないように気を付けて、遠吠えの邪魔にならない程度に腕に力を込めていく。すると右足に尾が絡み付いてきた。
『……っ、アル…………ね、こっち向いて……』
芯が熱を帯びていく。たまらない高揚感に煽られるままアルの肩を引き、頬に手を添え、大きな身体を引っくり返す。
遠吠えをやめてこちらを向いたアルは後ろ足で窓の下のクッションに覆われた壁を蹴って、前足を僕の胸に添えて、僕を押し倒した。柔らかな床に背中を打ち付けて意図せず醜い声が盛れる。
『………………ヘル』
アルも僕と同じ気持ちなのだと確信し、背中を打って肺から追い出された空気を補充することも忘れ、顔の隣に落ちてきた頭を右手で撫で続け、左手で首から下を撫で下ろしていく。
『……抱き締めて貰えないか』
翼の付け根まで辿り着いていた左手を上げて、右手は下げて、両腕をアルの背で交差させる。力を込めていくと頬に頬が擦り寄せられる。
……違う。アルと僕の気持ちは同じではない。アルはもっと重く冷たい心を抱えてしまっている、それを溶かそうとしているのだ。何故かは分からないけれど、アルは深く傷付いている。ヴェーンの言葉を思い出して問い詰めるのはやめて、ただただ抱き締め続けた。
『………………もういい、有難う。重かったろう、済まなかったな』
何十分、一時間以上はそうしていたか。クラールが髪の毛を引っ張って遊んでいてもアルから手を離さず、頭を振ることも声を出すこともなかった自分を褒めたい。
アルは鈍い僕にすら取り繕ったと分かる声を出し、僕の腕から抜け出した。そして、ひたすら僕の髪を抜いて遊んでいるクラールを咥えて運び枕元の籠に入れ、その籠の縁に頭を乗せている。
『…………アル、あの……僕に気を遣わなくていいからね? その、好きなだけ……甘えて、いいし。乗っててもいいし……なんなら、食べてもいいから』
途中まで視線だけを寄越して聞いていたが、食べても──と言った途端にアルは何も言わず洗面所に走った。慌てて追いかけると、アルは洗面台に前足をかけて後ろ足で立ち、蛇口から溢れ出る水を頭から被っていた。
『なっ、何してるの!?』
すぐに水を止めてタオルでアルの頭を包む。するとアルは屈んだ僕の腹に顔を埋め、唸り声を上げ始めた。
『…………アル?』
『ごめんなさいっ、ごめんなさい……ヘル』
また謝っている。けれど、問い詰めるのはアルを責めることになるとヴェーンが言っていた。いつか落ち着いて話せるようになるまで、何も聞かずに慰め続けなければ──
『…………私、は……貴方の子を殺してしまった。トロトロ零れて、崩れて………………喰った。殺した、私……が、殺したんだ』
今は何を怖がっている? 何に傷付いている? マスティマと戦って痛みはあっただろう。けれど喉笛を食いちぎるような損傷を与えているのなら一方的ではなかった。
今までにも酷い怪我を負う戦いはあったけれど、一方的でない時にアルが怯えたことなんてなかった。
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『何があったの? アル、話して。君が嫌なもの、怖いもの、全部全部ぜーんぶ消してあげるから』
『………………ごめんなさい』
『……アル? 何で謝るの?』
『ごめんなさいっ、ヘル……ごめんなさい』
『どうしたの? アル……ねぇやめてよ、謝らないで、アルが何したって言うの、アルが謝ることなんて一つもないだろ?』
むしろ遠ざけて寂しがらせた僕が謝るべきなのに……隣に居られなかったことを謝っているのか? 確かにアルはこのところ戦闘に参加させてもらえないと嘆いていた。
『アル……違うよ? アル、君が弱いんじゃない。僕がやっと強くなって、君を守れるようになったんだよ。あの日アルが僕の前に現れてくれた時からずっと迷惑ばっかりかけたよね、そのお返しがようやくできるんだよ。受け取ってよ、ね?』
前足が僕の胸から腹を引っ掻く。服が破れてしまうからやめさせたいが──どうせ焦げた血塗れの布だ、好きなようにさせよう。
「…………なぁ、魔物使い」
『何、ヴェーンさん。まさか何でアルがこんなに怯えてるか知ってるの? なら教えて、早く』
「……ぁ、いや……その、あのな」
言い淀んでいる? 何故だ。マスティマはただアルの胴を分断させたのではなかったのか?
「俺は、そいつらのこと頑張って守ろうとして……でも弱いから結局何の役にも立たなかった。だから、その、気絶してたから……何があったのかは知らない。でも……言いたくなさそうだってのは何となく分かってさ、あんまり聞いてやるなよ…………ぁ、そうだ、俺のせいだ。俺が弱いから、お前の嫁と娘……守れなかったんだ。俺のせいだぞ、魔物使い」
思い出したくもないけれどいつも通りに振る舞えるほど割り切ることも出来ないことだろう、アルにとって問い詰めることは責め立てていることと同じだ、だから自分を責めろ──ヴェーンはそう言っているのか。随分とイイ男の振る舞いじゃないか。
『…………クラールは無事だし。マスティマは僕の方に来ると思ってたから……遠くに逃げろなんて言った僕の責任だよ』
兄かライアーが傍に居たなら、そう言えばヴェーンは更に落ち込むだろうか。
『……とりあえず、帰ろっか。僕は街の槍とか抜いて回るから、みんなは先に帰ってて』
『あ、だーりん! ワタシもやるわ、それ』
『出来るの?』
メルが手を挙げながら前に出てくる。そろそろ別の呼び方を考えて欲しい。
『ええ、ゼルク!』
『なんすか』
バルコニーには居なかったはずなのに、ゼルクはいつの間にかメルの傍に控えていた。怯えつつも助かると言って、西側を頼んだ。僕は東側を担当する。
集めた槍は全て影に収納、魔性には触れられず動かせない物というだけで単純に便利だし、解析すれば逆──天使に触れられない魔性の武器を実現出来るかもしれない。
そういったことは全てライアーに任せよう。影の中に住んでいる小烏には外で暮らしてもらって、必要無いと判断し次第槍は海中投棄とでもいこう。
槍を回収後、再びの修復魔法によって街は元に戻った。けれど国民には多数の犠牲が出たようだし、祝賀とはいかない。しかし、それは戦ってくれた仲間達に喪に服せと言う理由にはならない、というか言っても止まらない。
『……楽しそうだね、みんな』
酒宴。祝勝会。国王として参加するのは良くないし、参加する気にもならない。何故か? アルが参加していないから。
『ヘル、来ないの? キミが主役みたいなものなのに』
『気分じゃなくて。兄さんこそこういうの嫌いじゃなかったの?』
『……まぁ、酔っ払いのノリに着いていける間は楽しいからね。頃合いを見て寝るよ』
何とも意外なことに兄はライアーの隣に座っている。参加すること自体意外なのに、その上ライアーの隣だなんて一体何を考えているのだろう。
飲酒ペースを掴むためにも宴を廊下から眺める。アル除く獣達と鬼達は酒を水のように飲んでいる、小烏は机の真ん中でツマミをこそこそと食べていた。メルとセネカは酒より食事で、ベルゼブブは更にその気が強くて──ヴェーンとアザゼルも居ないな。アザゼルはどうせグロルに交代して眠ったとかそんなところだろう、ヴェーンも疲れたのだろう……特に気にすることもないな。
『じゃ、おやすみみんな。明日忙しいかもしれないんだから程々にね』
耳に届かないと分かっていながらも忠告を投げて、愛しい妻子が待つ自室に向かう。扉を開けてすぐに涼しさと風に気付く、アルが窓を開けていたのだ。盛り上がったカーテンの端から翼の先端が見えている、屈んで覗けば可愛らしい後ろ足と尾が見える。
『……アル?』
高く、尾を引く鳴き声。どこかへ送られる遠吠え。
その声に反応したクラールも部屋の真ん中で拙い遠吠えを上げている。
『…………何、どうしたの? 今日満月だっけ?』
この世のものとは思えないほどに美しい声に、もはや笑うことしか出来なかった。恐怖にも似た、自嘲によく似た、そんな笑いだ。
カーテンを捲り、アルを背後から抱き締める。返事はなく、遠吠えも止まない。喉に手のひらを添えると震えが伝わって、興奮と興奮することへの罪悪感、そして背徳感による快感を覚える。
『アル……』
誘ってるの? なんて言わないように気を付けて、遠吠えの邪魔にならない程度に腕に力を込めていく。すると右足に尾が絡み付いてきた。
『……っ、アル…………ね、こっち向いて……』
芯が熱を帯びていく。たまらない高揚感に煽られるままアルの肩を引き、頬に手を添え、大きな身体を引っくり返す。
遠吠えをやめてこちらを向いたアルは後ろ足で窓の下のクッションに覆われた壁を蹴って、前足を僕の胸に添えて、僕を押し倒した。柔らかな床に背中を打ち付けて意図せず醜い声が盛れる。
『………………ヘル』
アルも僕と同じ気持ちなのだと確信し、背中を打って肺から追い出された空気を補充することも忘れ、顔の隣に落ちてきた頭を右手で撫で続け、左手で首から下を撫で下ろしていく。
『……抱き締めて貰えないか』
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……違う。アルと僕の気持ちは同じではない。アルはもっと重く冷たい心を抱えてしまっている、それを溶かそうとしているのだ。何故かは分からないけれど、アルは深く傷付いている。ヴェーンの言葉を思い出して問い詰めるのはやめて、ただただ抱き締め続けた。
『………………もういい、有難う。重かったろう、済まなかったな』
何十分、一時間以上はそうしていたか。クラールが髪の毛を引っ張って遊んでいてもアルから手を離さず、頭を振ることも声を出すこともなかった自分を褒めたい。
アルは鈍い僕にすら取り繕ったと分かる声を出し、僕の腕から抜け出した。そして、ひたすら僕の髪を抜いて遊んでいるクラールを咥えて運び枕元の籠に入れ、その籠の縁に頭を乗せている。
『…………アル、あの……僕に気を遣わなくていいからね? その、好きなだけ……甘えて、いいし。乗っててもいいし……なんなら、食べてもいいから』
途中まで視線だけを寄越して聞いていたが、食べても──と言った途端にアルは何も言わず洗面所に走った。慌てて追いかけると、アルは洗面台に前足をかけて後ろ足で立ち、蛇口から溢れ出る水を頭から被っていた。
『なっ、何してるの!?』
すぐに水を止めてタオルでアルの頭を包む。するとアルは屈んだ僕の腹に顔を埋め、唸り声を上げ始めた。
『…………アル?』
『ごめんなさいっ、ごめんなさい……ヘル』
また謝っている。けれど、問い詰めるのはアルを責めることになるとヴェーンが言っていた。いつか落ち着いて話せるようになるまで、何も聞かずに慰め続けなければ──
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