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第三十八章 乱雑なる国家運営と国家防衛
姿も名前も何もないまま
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…………子供を殺した?
何を言っているんだろう、クラールは生きている。さっきだって元気に僕の髪を毟っていた、その少し前はフェルに粥を与えられて完食したと聞いたし、今だって元気にしている。
『…………大丈夫だよ、アル。死んでなんかいない、大丈夫。ほら、行こ?』
きっとマスティマに襲われて気が動転したのだろう。クラールが怪我でもしたのかもしれない。マスティマは兄に封印されていたから、兄がその傷を治したのかもしれない。そんな話は聞いていないけれど、アルが混乱してしまっていたから気遣ったのかもしれない。
『死んだぁっ……殺したんだ、私が…………喰ったんだ……』
『いいから、ほら来てよ、ちゃんと見て、ほー……らっ!』
脱力したアルの身体を引き摺ってベッドまで運び、籠を齧っていたクラールをアルの目の前に抱き上げる。
『……ほら、生きてるでしょ?』
『…………違う』
『違うって何さ、クラールだよ? 僕とアルの子供、可愛い可愛いクラールだよ』
そう言いながら不安が生まれる。本当にクラールは死んでしまったのかもしれない、兄が誤魔化すために形を整えた分身を作ったのかもしれない──と。
『………………二人目が、居たんだ。ほんの数時間前まで、私の……中に』
『……え?』
『…………蹴られて、潰れてしまうまで、確信では無かった。騒ぎが起こる前なんてそんな兆候は無くて、貴方に伝える事も出来なくて』
クラールを籠の中に戻し、軽く頭を撫でてから再びアルの頭を抱き締める。
二人目──二人目? クラールの弟、いや妹? 居たのか。会えるはずだったのか。この手に抱いて育てていけるはずだったのか。
『ごめんなさい……』
『あっ、ぁ……謝ら、ないで、よ……アルのせいじゃ、ない……から』
そうだ、アルの責任ではない。蹴られて潰れたなんて言っていたか? マスティマか? きっとそうだ。アイツが悪い。
いや、僕の責任だ。マスティマを野放しにし、アルだけを遠ざけ、アルを追う天使なんて居ないだろうと油断していた僕の責任だ。結界は焼かれれば破られるから意味はないなんて考えず、アルを兄の傍にでも置いていれば、たとえ同じことになっていてもアルもその子も無事だったかもしれないのに。
『私が……貴方の話を信じなかったから』
『え……あっ、い、いや、違う……違うよ』
『サタン様の側近という肩書きより、自分の眼より、貴方の言葉を信じるべきだった。傍に近寄らせなければ、スカーフに触らせなければ……』
スカーフ……そうだ、アルとクラールに巻かせたスカーフ。マスティマには結界も封印も破れないはずだが、異物と判断されなければ結界は発動しない。つまりそれだけアルが油断していたということだ。絶対に外さないようにと言っていたのに触らせたなんて、どうしてそんなにあの女に気を許して──これ以上の思考はダメだ、アルを責めるな。アルに落ち度なんてある訳ない。
『……蹴られて直ぐに逃げたなら、もしかしたら大丈夫だったのかもしれない。腹を撃たれるような真似しなければ、あの子はあんなにも壊れなくて済んだのかもしれない』
『…………かも、でしょ?』
『私が殺したんだ』
『……マスティマだろ?』
『私だ』
頭を持ち上げようとしたけれど、アルは俯いたまま頭を動かそうとしない。あまりやっては首を痛めてしまう、仕方ないけれどこのまま慰めていよう。
『……ピクリとも動かない薄桃色の柔らかな破片が千切れた私の半身の中にあった。元の形すら分からない、子供なのかさえ知らなければ分からないだろう。そんなにも壊してしまったんだ』
何も言えず、黙って撫で続ける。
『黒い丸が……目玉が、私を見たんだ。きっと、寒い……きっと寂しい、だからっ……もう一度、私の中に……』
右腕をアルの首に巻いたまま、左手でアルの腹を摩った。
『…………そっか』
『……思い出す度に吐きそうになる。けれど、吐いたら……またあの子を外に放り出してしまう』
『……そうだね』
『………………ごめんなさい』
先程洗面所に走ったのはそれだったのか? 吐こうとして、耐えていたのか。僕が無遠慮に「食べていい」なんて言ったから思い出したんだ。
『大丈夫だよ、アル。きっと寂しがってないから。アルは多分間違ってないよ、大丈夫……』
たまにアルに喰い殺されたいなんて思うからだろうか、その子にとってどうかも分からないし大多数の人からすれば間違っているだろうに、最高の葬り方に思えてしまった。
『…………ありがとう、ヘル。けれど、怖い……もう、二度とあんなのは嫌だ。だから、ヘル、私は別の部屋で眠るよ』
『え……ど、どうして?』
『もう……自分の子を殺したくない』
『……なっ、何もしないよ? アルがそんなに傷付いてるのに、そんなことしないよ。一緒に寝よ? 寒いでしょ? クラールも寂しがるよ、僕も寂しいよ』
『……………………ひとりになりたい』
『…………そっ……か、分かった。ならせめてこの部屋使って』
ベッドはヴェーン邸で一番良い物だし、部屋中に敷き詰めたクッションのおかげで怪我もしない、フローリングで冷たい思いをすることもない。
『……いや、此処には居たくない。貴方とクラールの匂いが染み付いている』
『一人になれない?』
『…………あぁ、暫く……少しの間だけだ、構わないな?』
『……この家からは出ないでね?』
『分かっているよ』
する、と僕の腕の中から消えていく銀色。遠ざかって、扉の向こうに見えなくなる愛しい人。
『死にたいなー……』
色んな感情がごちゃ混ぜになって涙も流せず、表情筋も動かないまま、虚空に向かって無意味な声を投げる。
『………………クラール、まだ寝ないの?』
クラールは籠の縁を齧っている。
『……お父さんと遊ぼっか』
そう声をかけるとクラールは分かりやすく喜び、僕の膝の上に飛び乗った。こんなにも可愛い子が、もう一人……こうやって膝の上に、腕の中に、居たはずだった。
『何して遊ぶ?』
悲しみよりも憎しみよりも、無気力感が強く出る。その子が居た証拠は何も無いから、生きていた感覚も死んでしまった感覚も何も無い。姿形も分からず、存在すらあやふやな、名前も考えていない僕の子供に何を思えばいいのだろう。
『はぁー…………あぁ、死にたい。アル……君に、君の中に……』
最近は少しマシになってきたと思っていたけれど、どうやらそれは勘違いだったようだ。僕は相も変わらず最低な人間。傷心のアルに喰われたいだとか、死んでしまった我が子が羨ましいだとか……あぁ、あぁ、どうして僕はまだ生きているのだろう。その子はどんな子かも分からないまま死んでしまったのに。
『…………やり直せたら、いいのにねー』
いつの間にか誰かが買って部屋に投げ入れてくれたらしいロープのおもちゃ。それの引っ張り合いっこが今のお気に入りのクラールは、僕の人差し指と中指で軽く挟んでいるだけのロープを必死に引っ張っている。
微笑ましくなって、可愛らしくて、ぐちゃぐちゃな感情が忘れられると思ったらまた「こんな子がもう一人居たはず」の思考が始まる。
ロープを持っていない方の手を自分の腰の後ろあたりにつくと、ベッドの感触ではなく何かに沈んだ。すぐに手を上げそこを見たが何も無い。
『わぅ! わっふ! かー、た!』
驚いてロープを離してしまったようだ。拙い勝利宣言をするクラールの頭を撫で、ふともう片方の手が何かを握っているのに気付く。
『…………あはっ! あははっ! やった……やったよクラール! 待ってて……すぐ、すぐに妹か弟に合わせてあげるから!』
手の中にあったのは銀色の鍵、鍵と言うには大きいそれは時空を超えるためのもの。
『あっははははははっ! もうっ……もう、もう、誰も死なない!』
クラールが怯えるくらいの高笑い、そして咳き込んだ時、世界は暗転する。
『ご機嫌よう、魔物使い』
頭からヴェールを被った僕の半分程の背丈の人の形をしたモノ。僕は彼を知っている。
『ひっさしぶりぃウムルさん!』
『はい、お久しぶりです。そして初めまして、先程会ったばかりです』
『あははっ! 意味分かんなーい。ね、ね、早く行かせて、今日の昼過ぎ……郊外の屋敷に!』
真上に落ちるような、真下に浮かぶような、そんな奇妙な感覚を味わって視界が黒く染まる。一瞬後か数時間後には僕は心地よい温度の液体と薔薇の香りに包まれていた。
何を言っているんだろう、クラールは生きている。さっきだって元気に僕の髪を毟っていた、その少し前はフェルに粥を与えられて完食したと聞いたし、今だって元気にしている。
『…………大丈夫だよ、アル。死んでなんかいない、大丈夫。ほら、行こ?』
きっとマスティマに襲われて気が動転したのだろう。クラールが怪我でもしたのかもしれない。マスティマは兄に封印されていたから、兄がその傷を治したのかもしれない。そんな話は聞いていないけれど、アルが混乱してしまっていたから気遣ったのかもしれない。
『死んだぁっ……殺したんだ、私が…………喰ったんだ……』
『いいから、ほら来てよ、ちゃんと見て、ほー……らっ!』
脱力したアルの身体を引き摺ってベッドまで運び、籠を齧っていたクラールをアルの目の前に抱き上げる。
『……ほら、生きてるでしょ?』
『…………違う』
『違うって何さ、クラールだよ? 僕とアルの子供、可愛い可愛いクラールだよ』
そう言いながら不安が生まれる。本当にクラールは死んでしまったのかもしれない、兄が誤魔化すために形を整えた分身を作ったのかもしれない──と。
『………………二人目が、居たんだ。ほんの数時間前まで、私の……中に』
『……え?』
『…………蹴られて、潰れてしまうまで、確信では無かった。騒ぎが起こる前なんてそんな兆候は無くて、貴方に伝える事も出来なくて』
クラールを籠の中に戻し、軽く頭を撫でてから再びアルの頭を抱き締める。
二人目──二人目? クラールの弟、いや妹? 居たのか。会えるはずだったのか。この手に抱いて育てていけるはずだったのか。
『ごめんなさい……』
『あっ、ぁ……謝ら、ないで、よ……アルのせいじゃ、ない……から』
そうだ、アルの責任ではない。蹴られて潰れたなんて言っていたか? マスティマか? きっとそうだ。アイツが悪い。
いや、僕の責任だ。マスティマを野放しにし、アルだけを遠ざけ、アルを追う天使なんて居ないだろうと油断していた僕の責任だ。結界は焼かれれば破られるから意味はないなんて考えず、アルを兄の傍にでも置いていれば、たとえ同じことになっていてもアルもその子も無事だったかもしれないのに。
『私が……貴方の話を信じなかったから』
『え……あっ、い、いや、違う……違うよ』
『サタン様の側近という肩書きより、自分の眼より、貴方の言葉を信じるべきだった。傍に近寄らせなければ、スカーフに触らせなければ……』
スカーフ……そうだ、アルとクラールに巻かせたスカーフ。マスティマには結界も封印も破れないはずだが、異物と判断されなければ結界は発動しない。つまりそれだけアルが油断していたということだ。絶対に外さないようにと言っていたのに触らせたなんて、どうしてそんなにあの女に気を許して──これ以上の思考はダメだ、アルを責めるな。アルに落ち度なんてある訳ない。
『……蹴られて直ぐに逃げたなら、もしかしたら大丈夫だったのかもしれない。腹を撃たれるような真似しなければ、あの子はあんなにも壊れなくて済んだのかもしれない』
『…………かも、でしょ?』
『私が殺したんだ』
『……マスティマだろ?』
『私だ』
頭を持ち上げようとしたけれど、アルは俯いたまま頭を動かそうとしない。あまりやっては首を痛めてしまう、仕方ないけれどこのまま慰めていよう。
『……ピクリとも動かない薄桃色の柔らかな破片が千切れた私の半身の中にあった。元の形すら分からない、子供なのかさえ知らなければ分からないだろう。そんなにも壊してしまったんだ』
何も言えず、黙って撫で続ける。
『黒い丸が……目玉が、私を見たんだ。きっと、寒い……きっと寂しい、だからっ……もう一度、私の中に……』
右腕をアルの首に巻いたまま、左手でアルの腹を摩った。
『…………そっか』
『……思い出す度に吐きそうになる。けれど、吐いたら……またあの子を外に放り出してしまう』
『……そうだね』
『………………ごめんなさい』
先程洗面所に走ったのはそれだったのか? 吐こうとして、耐えていたのか。僕が無遠慮に「食べていい」なんて言ったから思い出したんだ。
『大丈夫だよ、アル。きっと寂しがってないから。アルは多分間違ってないよ、大丈夫……』
たまにアルに喰い殺されたいなんて思うからだろうか、その子にとってどうかも分からないし大多数の人からすれば間違っているだろうに、最高の葬り方に思えてしまった。
『…………ありがとう、ヘル。けれど、怖い……もう、二度とあんなのは嫌だ。だから、ヘル、私は別の部屋で眠るよ』
『え……ど、どうして?』
『もう……自分の子を殺したくない』
『……なっ、何もしないよ? アルがそんなに傷付いてるのに、そんなことしないよ。一緒に寝よ? 寒いでしょ? クラールも寂しがるよ、僕も寂しいよ』
『……………………ひとりになりたい』
『…………そっ……か、分かった。ならせめてこの部屋使って』
ベッドはヴェーン邸で一番良い物だし、部屋中に敷き詰めたクッションのおかげで怪我もしない、フローリングで冷たい思いをすることもない。
『……いや、此処には居たくない。貴方とクラールの匂いが染み付いている』
『一人になれない?』
『…………あぁ、暫く……少しの間だけだ、構わないな?』
『……この家からは出ないでね?』
『分かっているよ』
する、と僕の腕の中から消えていく銀色。遠ざかって、扉の向こうに見えなくなる愛しい人。
『死にたいなー……』
色んな感情がごちゃ混ぜになって涙も流せず、表情筋も動かないまま、虚空に向かって無意味な声を投げる。
『………………クラール、まだ寝ないの?』
クラールは籠の縁を齧っている。
『……お父さんと遊ぼっか』
そう声をかけるとクラールは分かりやすく喜び、僕の膝の上に飛び乗った。こんなにも可愛い子が、もう一人……こうやって膝の上に、腕の中に、居たはずだった。
『何して遊ぶ?』
悲しみよりも憎しみよりも、無気力感が強く出る。その子が居た証拠は何も無いから、生きていた感覚も死んでしまった感覚も何も無い。姿形も分からず、存在すらあやふやな、名前も考えていない僕の子供に何を思えばいいのだろう。
『はぁー…………あぁ、死にたい。アル……君に、君の中に……』
最近は少しマシになってきたと思っていたけれど、どうやらそれは勘違いだったようだ。僕は相も変わらず最低な人間。傷心のアルに喰われたいだとか、死んでしまった我が子が羨ましいだとか……あぁ、あぁ、どうして僕はまだ生きているのだろう。その子はどんな子かも分からないまま死んでしまったのに。
『…………やり直せたら、いいのにねー』
いつの間にか誰かが買って部屋に投げ入れてくれたらしいロープのおもちゃ。それの引っ張り合いっこが今のお気に入りのクラールは、僕の人差し指と中指で軽く挟んでいるだけのロープを必死に引っ張っている。
微笑ましくなって、可愛らしくて、ぐちゃぐちゃな感情が忘れられると思ったらまた「こんな子がもう一人居たはず」の思考が始まる。
ロープを持っていない方の手を自分の腰の後ろあたりにつくと、ベッドの感触ではなく何かに沈んだ。すぐに手を上げそこを見たが何も無い。
『わぅ! わっふ! かー、た!』
驚いてロープを離してしまったようだ。拙い勝利宣言をするクラールの頭を撫で、ふともう片方の手が何かを握っているのに気付く。
『…………あはっ! あははっ! やった……やったよクラール! 待ってて……すぐ、すぐに妹か弟に合わせてあげるから!』
手の中にあったのは銀色の鍵、鍵と言うには大きいそれは時空を超えるためのもの。
『あっははははははっ! もうっ……もう、もう、誰も死なない!』
クラールが怯えるくらいの高笑い、そして咳き込んだ時、世界は暗転する。
『ご機嫌よう、魔物使い』
頭からヴェールを被った僕の半分程の背丈の人の形をしたモノ。僕は彼を知っている。
『ひっさしぶりぃウムルさん!』
『はい、お久しぶりです。そして初めまして、先程会ったばかりです』
『あははっ! 意味分かんなーい。ね、ね、早く行かせて、今日の昼過ぎ……郊外の屋敷に!』
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