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第三十九章 君臨する支配者は決定事項に咽ぶ

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本来ならこんな会議に浪費する時間もない。議題が逸れた今のうちに帰ると言ってしまおうか、そんなことすら考えた時、仮面が静かに手を挙げた。長袖と手袋で隠された肌は一切見えない。

「……妖鬼の国であのタコを落としたのも君?」

「は、話せたんですかあなた。なら挨拶の返事くらいしてくださいよ……」

どうやら噂の真意を確かめたいようだ──待て、タコと言ったか? 妖鬼の国と言うならクラーケンのことではない。もしクトゥルフのことを言っているのなら彼は只者ではない。ツヅラに取り憑いていたあの時のクトゥルフを見てタコが第一印象に来ることはまずないし、そもそも一つの街を一日僅かに混乱させた程度の出来事が遠く離れたこの国まで届くとは思えない。

『………………すいません、何のことですか?』

とりあえずとぼけておくか。

「……神降の国付近のルルイエもどきを潰したのも君?」

『…………ルルイエもどき? 知りません』

イミタシオンのことか? 観光都市だったようだしこのニュースは知っていてもおかしくはないが、アレが僕の仕業だと誰が広めたんだ? 海洋魔獣に襲われて街は壊滅、狼……アルを連れた僕を見た者なんて生きていないはずだし、万が一いたとしても僕の仕業だと流布するとは思えない。

「……それ、にゃる君?」

『兄さんですか? 兄さんは僕の兄さん、ライアーと言います』

ライアーを指差す手袋に包まれた人差し指は歪に見える。コブでもあるのだろうか。

『えっ、ちょ、待って君何!? ニャル……!? 何で!』

『兄さん! 落ち着いて!』

『だ、だって……人間のはずなのに、ボクをっ……!』

『兄さんと同じ顔した奴はそこら中に居るんだから!』

こんな人間離れした美顔がそこら中に居ては困るのだけれど、事実居るのだから仕方ない。ニャルだとかナイだとか適当に名乗っているし、仮面の彼はその顕現を知っているのだろう。だから妙にイミタシオンやクトゥルフに関して知っているだけだ、謎が解けた。ライアーに彼は人間に見えているようだし、必要以上の警戒は要らないだろう。むしろナイに関わるなと忠告してやるべきだ。

『……と、とにかく、えっと……会議、しませんか』

ライアーが取り乱したことで静まり返っていた部屋にポツポツと賛成の声が上がる。仮面の彼は腕を組んで背もたれに身体を預け、姿勢を戻した。

「……で、では、現在民間に任せている小型鳥魔獣監視カメラ化の是非を──」

案内人が議題を提示し、スーツの男の意見を一蹴するセツナ。補足するメイラ。その様子は会議らしいもので興味深かったが、ライアーはそっぽを向いたまま動かなくなった仮面の彼が気になって仕方ないようだった。

『……兄さん、兄さん。ちゃんと話聞いてて、僕頭悪いから』

『ぁ、う、うん…………どう見ても人間だよねぇ……』

小さな独り言を最後にライアーは会議に意識を戻した。人間なら少々特殊な力を持っていても対応出来る、ライアーが怯えるようなことではないのだ。

「──では皆様、何か……こう、斬新なアイデアを」

「無茶振りだよなぁ。セツナなんかある?」

「あったら勝手にやってるよ」

セツナは相当暇しているらしく指先のささくれを気にしだした。メイラは枝毛を探している。やる気のない二人を見ていると何故か安堵する。

「はい! あの、魔物使いさん……魔石で与えた特殊能力は遺伝しないとのことでしたが、魔獣によって魔石を埋め込める限界などはあるのでしょうか」

セツナとメイラとは正反対にスーツの男は熱心だが、相変わらず魔獣を生き物として見ていない意見だ。車に弾薬いくら積めますか──ということだろう? 腹が立つ。

『そもそも魔石を埋め込むこと自体僕は反対です。この国は魔獣の扱いが悪いようですし……売った子達返して欲しいくらいですよ、みんな怪我して大した治療も無しで……』

「……え? 魔獣って……治療とか要るんですか?」

『………………はぁ?』

本当に腹が立つ、生き物が怪我をしたら治療するのは当然のことだろう。大怪我を自然治癒に任せるなんて人間が管理する生き物に対しての行為ではない。

『……あなた怪我してもほっとくんですか?』

「魔獣って勝手に治るんじゃないんですか?」

『…………再生能力持ってる魔獣なんてひと握りですよ。持ってても痛いものは痛いんです、あなたみたいな認識の人ばっかりならやっぱり返して欲しいんですけど。お金はもちろん返しますから』

「や、やめてくださいよ……彼は特殊ですって。大半の国民はちゃんと理解してますから」

案内人に宥められて椅子に座り直す。スーツの男は居心地悪そうに身体を縮めた。

「坊や、じじいはのぅ、じじいのような寂しい老人を慰めてくれる魔獣なんか欲しいのぅ」

『セラピー……ってことですか?』

「どっちかって言うと介護じゃないか? 金あるんだから人間雇えよ若造」

少年の見た目をしているがメイラは数百年生きている。不老不死ではないだろう老人に向けて「若造」と言うのはまぁ分かるのだが、違和感は拭えない。

『……そう、ですね。会話が出来る魔獣は大概人喰いですし、世話なら人間、セラピーなら普通の動物の方が向いてます』

「あ、俺乗って飛べる魔獣欲しいな」

『メイラさんは懲りてください、そういうのに前腕食べられたんでしょう? っていうか、ここは僕に魔獣注文する場じゃないでしょ』

案内人は会議の進行役ではなく優れた民間錬金術師の反乱を防ぐための監視なのかもしれない、そんな気がしてきた。
メイラがセツナに叱られて黙ると部屋も静まった。そんな中で手を挙げるのは仮面の男──先程話した時の声で男と判断した彼だ。

『えっと……何ですか?』

そういえば誰も名乗っていないな。不便だ、仮面なんて呼んでは無礼だろうし。

『……銀の鍵持ってるって本当?』

『え……?』

銀の鍵……門を超えるための、時空を飛び越えるための鍵のことか? それしか心当たりはないが、銀の鍵のことなんて僕の仲間でも知らないのに、どうして彼が知っているんだ。

『新支配者、かぁ~……良いあだ名だと思う、よろしくね~? 僕は細々やるから仲良くして欲しいな~』

『…………なんなんですか、あなた』

『あれ~……? 警戒してる~? 要らないよ~、喧嘩売る気はないから。嫌いじゃないけど得意でもないし~、仲良くしようよ』

敵意は無い……? いや、信用出来ない。僕に詳しい者見知らぬ人は大抵敵だ。人間に化けて暮らしている悪魔だとしてもライアーが見抜けないはずはない、それ以上の怪物かそれに協力する人間だ。

『本当に~、仲良くしたいんだよ~。クトゥルフ……仲悪いんだよね~? なら僕と仲良くしてよ~』

『何も分からない人と仲良くなんて出来ませんよ』

『う~ん……僕は、ここではただの魔石研究者……スメラギ。ただの人間……う~ん、ごめん、ここでは無理……』

スメラギ? それが名前か? ただの人間? ここでは──ということはやはりただの人間ではないのか。
スメラギはゆるゆると辺りを見回し、ボロ布を目深に被り直した。仮面のせいで顔なんて少しも見えていないのに。

「えっ……と、会議……続けても?」

「収穫、あるのかい?」

「…………なさそう、ですね。えっと……すいません、ある程度の予算と計画はこっちで考えます。皆様、ご足労いただいて申し訳ありませんが、また追って会議の日程を決めさせていただきます」

今回はこれでお開きか、会議としての収穫はなかったがセツナとメイラが元気だと分かっただけ良いだろう、時間を浪費する価値まではなかったけれど。

「わし、次まで生きとるかのぅ……」

「……こ、今度までに魔獣についてちゃんと調べます……色々失礼しました、魔物使いさん」

老人が杖をついてよろよろと部屋を出て、次いでスーツの男が僕に深々と頭を下げてから出ていく。

「……誰か段差だけ助けてくれない~?」

仮面の男が椅子に乗ったまま移動して扉の前で止まる──いや、車椅子か。

『僕、もう帰りますね。兄さん、行こ。セツナさん、メイラさん、また今度改めて』

二人に手を振り、車椅子を持ち上げて扉の段差を越えさせる。この施設の入口にも高い段差があったしそれを越してからライアーに空間転移を頼もう。
特に会話もなく施設の外に出て、ライアーが魔法陣を地面に描く。

「……魔物使い君魔物使い君」

くい、と袖を引かれ、耳を貸せと言うような仕草をされる。

『…………何ですか?』

「僕、クトゥルフの弟。この身体は信者がくれた」

『…………へっ?』

「ばいば~い」

僕にだけ囁かれた言葉をライアーは拾えなかったようで、僕の手を掴んで転移を行った。白く染まり遠ざかっていく景色の中、ゆるゆると手を振る彼に伸ばした手はヴェーン邸の壁にぶつかった。
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