魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

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第四十一章 叩き折った旗を挙式の礎に

鍵は鋏より強し

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純白のふわふわとした毛皮に覆われた小さな体を撫でる細い指。

「真っ白ね……私と同じ。あの人は白い毛好きなの? なら、どうして灰色なんて小汚いもの選んだの?」

『ゔぅぅ……』

靴紐で口を開かないようにされていながらもクラールは唸る。

「汚い声ね……あら、なぁに、このスカーフ」

ミーアは無表情のままクラールの口に巻いた靴紐を解き、スカーフも奪った。防護魔法は攻撃的な行動でなければ発動しないのだ、そうでなければ風呂の際に一々エアに解除させる手間がかかる。

『わぅっ……!? かえちぇ、かえーちぇえ! そぇ、おとーたぁ!』

「…………お父さんにもらったの?」

『おとーたん、ぇったい、はぅしちゃらめー、いってたのぉ!』

クラールはヘルに「外では絶対に外しちゃダメ」と言われたのだの主張し、返すように言う。

「………………ムカつく」

ミーアはクラールのピンと立った三角の耳を弾いて、赤い角を弾いて、鼻先を弾く。

『わぅっ……わんっ! わぅわぅ! いちゃい、れしょ! いちゃいことしちゃ、ぁめ!』

クラールは突然指で顔を弾かれたことに大して抗議する。

「……クラールちゃん、あなた……全然似てない。あの人に似てない……不細工ね。ねぇ、もっと不細工にしてあげようか」

ミーアは毛皮用の鋏を台所から持ってくるとクラールを小脇に抱えて自室の扉を閉めた。震える手でクラールの右耳を掴み、根元を少し残して切り落とした。

『きゃんっ!?』

「……っ、ふふ……不細工」

切り落とした耳を投げ捨て、状況を理解出来ないながらも逃げようと走るクラールを踏み付ける。

「…………何よ、目障りって。何で、私に刃物向けたのよ。あの雄は私のもんだったのに……何盗ってんのよ!」

『ぎゃんっ! きゃぅ……おとーたぁ……』

「そのお父さんは! 私を! 好きになるべきだったの! そうしたら娘はこんな醜い犬じゃなくて美しい猫混じりの人になってたのよ? こんな、ろくに話せもしない、バカなガキじゃなかった!」

地団駄のようにクラールを踏み付け、痛みに怯んだ小さな身体を掴み上げ、床に叩きつけ、屈んで押さえつける。

「…………どうして私こんなことしてるの?」

右前足を鋏で挟み、皮と肉を裂きながら、ミーアはふと我に返る。
散歩をしていたら偶然ヘルの姿を見つけて、声をかけようと近付いた。以前会った時に「目障り」と言われたこと、刀を向けられたことは覚えていた。しかしアレは自分を危険な戦いの場から退けようとした優しさだったのではないかと、その後ヘルが戦っていたことを知って思い、嬉しくなっていた。
だから何の躊躇もなく近寄っていったのだが、途中でアルが傍に居ることに気付いた。それだけなら少し苛立っただけだっただろう、しかしヘルはクラールを抱いていた。立ち聞きした彼らの雑談から二人が結婚していることを、子供まで居たことを知った。
ミーアは混乱して動けなくなったが、ヘルだけが小屋に入ったのを、アルとクラールが森林公園に向かったのを見て体が勝手に動いた。見つからないように森林の中を姿勢を低くして進み、二人を追った。
野生動物の多い森林公園では猫の獣人もアルの耳と鼻には野生動物として無視された。だから接近を許された。

「……ねぇ、クラールちゃん。お父さん好き?」

幸せそうな母娘を妬んだ。自分の想い人に妻と娘として花を届けるということが許せなかった。

『わぅ……? ちゅきぃ……おとーた、おとーたん! おとーたぁ……たしゅけちぇ』

「そう……私はね、多分そんなに好きじゃない」

見た目が好みなだけだった。簡単に落とせそうな女慣れしていない雰囲気が気に入った。案外と攻略が難しかったから燃えた。自分を守ろうとしてくれたところや芯の強さが好きになった。
ミーアにとってヘルはなんとなく放っておけないお気に入り、ただそれだけだった。ミーアにはアルのような深い愛情も激しい恋心もなかった。しかし、ミーアは人一倍嫉妬深く独占欲が強かった。

「でも……あなたのお父さんは、私の雄なの」

『きゃんっ! わぅっ……いちゃいぃ……おとーたっ、きゃぅっ、ぎゃんっ! きゃうんっ!』

ミーアは閉じた鋏を何度もクラールに向けて突き立てる。白い毛皮と白い手が赤く染まっていく。

「ホントならっ、あんたのお母さんにしてやりたいけどっ、あんな大きな魔獣に喧嘩売ったら殺されちゃうもの……」

こんなにも可愛く美しい猫混じりの獣人が好意を示してやったのに、醜い継ぎ接ぎの魔獣なんかに寝取られた。
そう感じたミーアはヘルに対する愛情ではなくアルに敗北したという悔しさを原動力として、自身の負けの証拠であるクラールに八つ当たりをしていた。

「……ほら、クラールちゃん。ここはあなたのお母さんにもあって、あなたが出てきたところなのよ。分かる? あなたのお母さんのここが悪いの、私からあの人を盗ったのよ」

血まみれの鋏を開き、片方の刃をクラールの中に刺し込む。

「きっとあんたもあんたのお母さんと同じでクソビッチなのよ。平気で人の雄寝取るようになるの。だからそうなる前にこの穴広げてあげる、そうすれば誰とも寝られないものね」

そしてゆっくりと刃を閉じていく。クラールの身体が裂けていく。クラールはもはや虫の息で、断末魔すら上げられず、ぴくぴくと手足を跳ねさせていた。

「ほら……もうガバガバ。手首だって入る……まだ子供のくせに」

ミーアはもう止まれない。アルへの妬みや恨みではなく加虐の悦びに目覚めていた。いや、ずっと前からその気はあった。
次はこの醜く大きく裂けた口を更に裂いてやろうか、そう考えてほぼ閉じた鋏を抜こうとして、異様な寒気を感じて飛び上がった。

『……昏……ァー、ルぅ?』

ベッドに飛び乗ったミーアは今の今まで自分が居た場所にポツンと立っている犬を見つける。半透明で短い茶色の毛の犬だ。ミーアは状況を理解出来ないまま、犬がクラールを咥えて消えていく様を眺めていた。
後に残るのは絨毯の上の血溜まり。鋏も一緒に持っていかれてしまった。ミーアは今の犬が何なのかということより、絨毯の汚れが取れるかどうかに頭を悩ませていた。



焦るアルを抱き締めてカヤを出した後の寒気を誤魔化す。

『どうしようっ、ヘル……どうすればいい? スカーフは巻いてあるから大丈夫だとは思うが、もし攫われていたとしたら、知能と手先の器用さを持つものだったら、外されてしまうかも……』

『落ち着いて、すぐカヤが連れて帰ってくれるから』

森林の中に入って見失ったのなら攫われた可能性は低い。連れて逃げたのならアルが気付くだろうし、人間の子供でもないのに身代金を要求出来るとは思わないだろうし、クラールを食おうとした野生動物ならスカーフで防げる。
僕も焦燥と心配の中にいたが、どこか落ち着いていた。

『……ほら、帰ってきた。おかえりカヤ、クラールは?』

寒気を感じ、半透明の犬を出迎える。広げた手の中に赤く染まった毛皮が落とされる。

『…………カヤ? 何これ』

隣でアルの絶叫が響いた。
カヤは僕に重なるようにして消えて、僕の質問には答えてくれなかった。鋏が刺さった白い毛皮はぴくぴくと動き、可愛らしい声を出した。

『おとー……た?』

『……………………クラール?』

四本の足に、尾。赤い角。確かにクラールだ。でも、クラールは目は潰れていないし、片耳が切れていたりしていなかった。

『おとー、たぁ、いちゃい……よ……』

『ヘルっ、ヘル、早く私のスカーフを解いて……零! このスカーフ……尾に巻いてあるスカーフを解け!』

クラールらしいズタボロの身体の横にアルの顔がくる。

『あぁ……クラールっ、どうしてこんな……酷い。一体誰が……』

零によって外されたアルの尾のスカーフがクラールの上に被せられる。その直前にアルが口で鋏を抜き取った。僕はその鋏を受け取る。見覚えは当然ない。

『……変態の仕業ちゃうん』

『…………穢されたと言いたいのか、貴様』

『鋏……刺さってたとこ考えたら、そら…………仔犬に手ぇ出すようなん近くにおる思いたないけど』

『確かに鋏は膣を裂くように刺さっていたが……』

数十秒待ったがスカーフの下は動かない。捲ってみれば無傷のクラールが居たが、目を見開いたままピクリともしない。

『嘘……間に合わんかったん?』

「そんな……零が手間取ったから……?」

『違う…………私が……目を離したからだ』

そっと頬擦りをしてみると薄らと体温が返ってきたが、鼓動と呼吸はなかった。

『………………ヨグソトースっ! 今すぐ門を……』

立ち上がったそこは小屋の中ではなかった。

『ご機嫌よう』

上も下もない空間、ヴェールを被った僕の半分ほどの背丈の人型が目の前に居た。

『到達者であり獲得者であるあなたに発声の必要はありません。願いなさい。どの時間をどのようにしたいのか。アカシックレコードのどのページを差し替えたいのか……もちろん、あなたから破棄されたページも保存はしますが、あなたの世界には存在しないことになります』

ヴェールを被った人型は僕の後ろに回って僕の背を押した。落ちて、落ちて、落ちて──薔薇の香りを抜け、遡った。
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