魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

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第四十一章 叩き折った旗を挙式の礎に

誘拐犯と被害児は真白

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時は少し遡り、ヘル達が神降の国にやって来た頃。

獣人特区は国土の端、森林公園の隣にある。公園の柵の外側にベニヤ板が立てられ獣人特区が作られているのだ。零は獣人ではないため、家は特区の端、入り口の真横だ。獣人特区には王族と一部の政府関係者だけが入ることができ、この入り口で持ち物検査が行われる。なお、獣人は特区から出ることは出来ない。

『……本当に大丈夫?』

ヘルは家族三人で零とツヅラと話すつもりだったが、アルは近くの森林公園でクラールを遊ばせたいと言った。

『平気だ。クラールにはもっと自然に近い場所を走らせたい、庭ばかりでは退屈だろうしな』

『うーん……まぁ、スカーフあるし……マスティマとかも居ないし……』

明確な脅威を消した直後で、仲違いしていた者達もみんな戻ってきて、ヘルは油断していた。先日スカーフの防護魔法を試した時、ベルゼブブの蹴りをも防いだのが一番の原因だった。

『…………何かあったら吠えること、十分ごとに顔見せること』

『ヘル……走り回らせたいんだ。十分は短過ぎる』

『………………十一分』

『三十分は必要だ』

アルの尾にじゃれるクラールを横目に、夫婦は睨み合う。

『十二分!』

『二十五分!』

『十三分!』

『二十分!』

『十四分!』

『十五分!』

ヘルは一分刻みで、アルは五分刻みで譲歩する。最終的に十五分で決着し、ヘルは仏頂面を笑顔に変えて二人を見送り、二人が見えなくなると仏頂面に戻った。

『…………十五分とか長過ぎる』

『心配症やねぇ』

「大丈夫だって、神降の国は平和だよ?」

『……すいません、後九分くらいしたら……えっと…………外の空気を吸います』

ヘルはそう言って神父達との相談を始めた。



一方、森林公園では大小の狼が走り回っていた。

『わぅっ! おかーたん! おかーたっ、こっちー!』

蛇行して走る我が子を眺めて、小走りで追いかけながらアルは笑みを零す。
森林公園には人気がなかった、それもそうだ、平日の昼前の公園なのだから。だからこそアルはクラールを遊ばせたかった。

『……クラール! 待て!』

湖に落ちそうになったクラールの首を咥えて持ち上げ、安堵の息を吐く。

『わぅ……? わんっ、おかーたん、わんわん!』

水辺から離そうとクラールを咥えたまま移動するアル、母に咥えられている安心感と揺れの楽しさでクラールはご機嫌だ、自分が湖に落ちる寸前だったことなど知らないままで。

『……この辺りならいいか。クラール、走っていいぞ』

草原と森林の境界付近にクラールを降ろし、また走り回るクラールを追いかけようと構えていたアルはエノコログサに興味を惹かれて立ち止まったクラールを見て失笑した。

『…………その草がそんなに面白いか? ふふ……』

犬にしては器用、猫にしては不器用、そんな中途半端な前足で草を掴もうとしたり、噛んで引っ張ったり。アルはそんな我が子の様子を眺めて楽しんでいた、そして、ヘルがこれを見ていたらどんな反応をしていただろうと誰も居ない隣を見上げた。

『……クラール、こっちには花が咲いているぞ』

木の根元に咲いた鮮やかな花を教えると、クラールはふらふらとそちらに向かう。花びらの形も色も分からない、しかしその香りは分かった。

『わぅ! わふっ……ぅ?』

甘い香りにかぶりつき、その薄さと柔らかさ、仄かに口内に広がる甘さに目を丸くする。

『こらこら……花は食べる物では無い。見て愛でる物だ』

『わぅー……』

おやつに丁度良いのに、と不満を滲ませる。

『毒がある物もあるからな。まぁ、この花は食べても大丈夫だろう。食べたければ食べてもいいよ』

『わぅ!』

茎の方には全く興味をやらず、花びらを舌の上で溶かす。そうやって遊んでいたクラールだが、ふと思い立ってアルの元に戻った。

『どうした、クラール』

『はなー、ねぇ、おとーた、あげたゃ、よぉこぶー?』

『……花をヘルに……お父さんに渡したいのか?』

『あまい、かゃねぇ、おとーたん、ちゅきー……かも』

クラールは父親が超がつくほどの甘党だと思っていた。砂糖の消費量から言えば確かにそうなのだが、ヘルは舌が鈍いために調味料が増えるのであって、彼が感じている度合いで他者と比べるとそうでもないのだ。花びらの微かな甘みなど感じ取れる訳もない。

『確かにヘルは甘党だが…………いや、良い考えだ。お父さんはきっと喜ぶよ』

アルはヘルの舌が鈍いのを知っていた、だから花を食べても何も感じないと考えた。しかし真意はどうあれ娘から花を送られたらヘルはきっと大喜びするに違いない、そうも考えた。

『はなー、あちゅめゅ!』

『あぁ、待て待て、咀嚼した物をやる気か? 抜くか手折るかするんだ。いいか、見ていろ、こうやって茎を噛んでだな……』

アルは口で花を摘む方法をクラールに教えようとしたが、彼女の大きな口は花弁まで潰してしまった。

『む……上手くいかんな』

クラールの口の大きさなら大丈夫だろうとクラールに茎の下の方を噛むように支持する。クラールは言われた通りに花を摘んだ。

『わぅ!』

『あぁ、採れたな。よしよし……いい子だ。よく出来ました。では、その要領で……そうだな、四、五本持って行ってやれ』

『わぅわぅ!』

クラールは褒められて更に機嫌を良くし、ちぎれんばかりに尾を振り回す。アルはそんな娘の顔を舐めて、愛しさと共に負けてはいられないと対抗心を燃やす。花を上手く摘めなかったのが悔しかったのだ。

『もう少し大きな花は…………あった』

アルは離れた場所にある木が花をつけているのを見つけた。木の枝ごとなら大きな口でも折って持って行けるだろう。

『……緑? いや、茶色…………いや、赤か』

狼の瞳と蛇の瞳を使って花の美しさを測る。ヘルが何色が好きなのかは分からないが、赤い花が美しいとされるのは知っている。木の葉と大して変わらない色なのに何故花になると美しいとされるのかは分からないけれど。

『クラール、あっちに……』

アルはクラールを誘おうとして、一生懸命に花を摘んでいる姿を見て、やめた。大した距離ではないし、周囲に人は居ない。アルはクラールに何も伝えず、赤い花をつけた木に向かった。
助走をつけて飛び、円を描いて高度を上げる。体当たりするように木に着地──いや、木の枝に身体を引っ掛けた。

『……思ったより脆いな』

バキバキと枝を折りながらも太い枝の上に乗り、花を探す。飛んだ時に、空を旋回していた時に、そして今に、クラールから目を離していることに気付かないまま。



母親が離れたとは思っていないクラールは何本も花を摘んでいる。四、五本とは聞いたがいくつ摘んだかは数えていないし、何より花を摘むのが楽しくなっていた。

「…………クラールちゃん、クラールちゃん、こっち……こっちに綺麗であまぁい花が……」

『わぅ?』

クラールは声の方に……森林の中に進んでいく。声の主は茂みに姿勢を低くして隠れており、クラールが盲目でなくとも見つけられない。

「こっち、こっちよ……こっち」

可愛らしい猫撫で声とチリチリと鳴る鈴に誘われ、どんどんと奥へ進んでいく。アルが木に引っかかった頃にはもうクラールの姿はアルの位置からは見えなくなっていた。

『わぅ……はなー、ろこぉー?』

茂みの前、無邪気に尋ねたクラールの目前に爛々と輝く青と黄の瞳がある。クラールを捉えて瞳孔を狭め、頭の上で揺れる三角の耳まで裂けるような笑みを浮かべた。

「ここ、よっ……! クラールちゃん!」

細い少女の腕が茂みから伸び、クラールの口を掴む。

『ぅ……!? んっ、うぅっ!』

「暴れないでクラールちゃん……私、あなたのお父さんの知り合いなのよ?」

『…………んぅ?』

クラールは暴れるのをやめて首を傾げる。少女はその隙にクラールの口に靴紐を巻き付けてしまった。

「知り合いなの……うぅん、私があの人のお嫁さんになるはずだったのよ? それをあなたのお母さんが……あの雌犬が盗んだのよ。ガキまでこしらえて……あの醜い雌犬がっ……!」

臍が出る丈のシャツを脱いで、そのシャツでクラールを包む。流石にクラールもおかしいと感じて暴れ出すが、端を結んで袋のようになったシャツからは逃げられない。
上半身の下着を晒した少女は落ち着きなく周囲を見回し、脱いだ靴とクラールを抱えて森林の奥、特区と隔てるベニヤ板を軽々と飛び越えた。三メートルはある仕切りも猫の獣人の前には何の意味もない。

「クラールちゃん、私はミーアっていうの。可愛い名前でしょ? 顔と同じで。名前も見た目も可愛くないあなたのお母さんとは大違い」

猫の獣人の少女は……ミーアは特区に入ると物陰を伝って自宅に帰った。



アルは登った木で最も大きく美しい花を枝ごと手に入れ、ほくほく顔で飛び降りた。そしてクラールの姿が見えないことに気付く。しかしアルは焦らなかった。森林の中に花があったのは知っていたからだ、クラールが集めた花の横に自らが取ってきた木の枝を置き、木々の隙間を見渡す。

『クラール! そろそろ戻って来い!』

返事はない。

『……クラール? クラール、何処だー!』

アルはまだ焦ってはいなかった。茂みから飛び出して来ると思っていた。だからしばらく声を張り上げ続けたが、クラールは一向に飛び出して来なかった。

『…………クラール! クラールっ! 何処だ!? 早く出て来い、隠れ鬼は嫌いだ! クラール!』

ようやく焦り始めたアルは森林の中に入り、クラールを探す。遠吠えて呼ぶ。

『クラール……? そんな……』

はぐれた。アルはそう確信し、それ以上探すことなく零の家に向かった。
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