魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

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第四十二章 悪趣味に遅れた顕在計画

狼の味方でいたいから

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血を流してもなお誇り高く咆哮を上げ、ロキが背を向けて逃げなければならないような神性と対峙するフェンリル。
彼に背を向けてロキの背を負う──なんて、できるかよ。

『植物、支配っ……!』

異界の草木を操るのはまた勝手が違う。似通ってはいるが違う。しかし蔓を伸ばしてフェンリルの右目を狙った槍の速度を落とす程度は可能だ。オーディンが投げた槍に蔓が巻きついて僅かに速度が落ちたなら、フェンリルは回避行動を取れる。

『フェンリル! 無事? 加勢するよ、どこか痛いとこない?』

槍が掠った頬の傷は浅い、しかし痛みはあるはずだ。僕を視界に捉えたフェンリルは不愉快そうに唸り、僕に威嚇した。

『……きみは、異界の者だね』

『えっ……と、オーディンさん? 引いてもらえませんか、フェンリルが何かしたんですか?』

『逃亡の手助け、だね。それでなくても悪狼だ、遅かれ早かれこうなっていた』

僕の背後で威嚇を続ける雄狼として完璧とも言える見目と誇り高さを持つフェンリル。これ以上彼を傷付けることは僕の美的感覚が許さない。
再び槍が投擲される。今度は先程よりも速く、フェンリルに回避行動を取らせる時間がない。迷う暇もない、このままでは眉間に突き刺さる。僕は痛覚を消すことを意識し、向かってくる切っ先の前で両手両足を広げた。

『……っ、狼を、傷付ける武器を……返すわけ、ないだろ』

深々と突き刺さった槍を身体を丸めて捕まえ、僕の身体から抜けてオーディンの元へ戻ろうとする力に抗う。

『フェンリル! 今のうちにロキと逃げて、ここは僕が止めるから!』

オーディンの手に光が集まる。神力の凝縮体か何かだろう。僕は戸惑うような素振りを見せたフェンリルに向かって「逃げろ」と怒鳴った。短く吠えてフェンリルは走り出す、ロキが逃げた方ではなく、オーディンの方へと。

『フェンリル!? ちょっ……ぇ、あっ……嘘……』

振り向いたフェンリルの口から赤い液体が滝のように落ちている。上を向いて喉をごくんと動かすとフェンリルは雲にも届く大口を開けて勝利の咆哮を上げた。

『オーディン……さん? 嘘……だって、ここの……主神じゃ……』

もう何が起こっているのか分からない。異常気象もロキの行動も、神々が争う理由も──いや、ナイが諸悪の根源ということだけはいつも明白だ。

『……わっ! な、何……? フェンリル……』

僕の前に回り込んだフェンリルが槍の持ち手を咥え、引っ張る。

『あ、ぬ、抜くの手伝ってくれるの……?』

翼を広げて踏ん張り、背骨に引っかかっていた返しの部分が外れると、槍は僕の腹に風穴を空けて地面に落ちていった。フェンリルは槍を目で追ったがすぐに僕に視線を戻し、山を削り取れそうなほど大きな舌を出した。

『……っ、ぅ……なに……するのさ』

身体の前面をひと舐めされ、浅い池に顔から落ちたような濡れ方をする。フェンリルの舐めは一度では終わらず、傷が再生する頃には僕は頭のてっぺんから爪先までぐしょ濡れになっていた。再生を終えると舐めるのをやめたのから考えるに、傷を心配してくれていたのだろう。

『フェンリル……ありがとう、おかげで早く治ったよ』

むしろ舌によって傷が抉れて治りが遅くなっていた気もするけれど、どうでもいい。可愛い、カッコイイ、綺麗、美しい……僕の頭に浮かぶ言葉はどれも陳腐でフェンリルの素晴らしさが表現出来ない。

『ふふ……信用してくれた?』

額に乗ると目を閉じて甲高い甘えた声を出した。庇ったことで信用されたか、いや、戦友とでも思ってもらえたか?

『大きくて強くて格好良いね、フェンリルは』

針の先でつつかれているような気分かもしれないけれど、どうにか僕の気持ちを分かって欲しくて彼の額の毛の中に手を突っ込み、撫で回す──生え際はどこだ?

『……おい』

『わぁっ、ぁ、あぁ、ロキ……』

息子を見捨てて逃げたことを責めようか、ほら勝てただろうとふんぞり返ってみるか、考えているとロキに腕を掴まれた。

『ありがとう。フェンリルはオーディンに絶対勝てるものだと思っていたから……危なかったな、キミが居なけりゃ負けてたかもしんにゃい』

『…………ロキ?』

そんな素直に「ありがとう」なんて言う奴だったか? 妙に口調が大人しくはないか? キミ、だなんて……言っていたか?

『お前、まさかっ……!』

『でも次はフェンリルが死ぬ番だから、オマエは邪魔』

ロキの姿が消えたと思えば地面に居た、オーディンが持っていた槍を拾っている。首を傾げるフェンリルの上で嫌な予感がした僕は彼の上から飛び降りたが、間に合わない。

『……グングニル、悪狼の四肢をぶった切れ』

槍はフェンリルに向かって投げられる。まさか実の父親が自分に攻撃してくるとは思わなかったのだろう、驚きもあったのかフェンリルは全く動けなかった。僕が着地する頃にはもうフェンリルの四肢は半分の長さになってしまっていた。

『ロキ、いや……ナイ!』

紫のパーカーのフードの下にノイズが走る。一瞬、彼の顔が黒く塗り潰されたように見えなくなったが、顔を上げた時にはもうロキの顔に戻っていた。

『後は……えっと、ヘイムダルと相打ちか』

僕を存在しないように扱うロキに──いや、ナイに殺意を覚える。無視されたなんて子供っぽい理由ではない、甲高いイヌ科の悲鳴が、ちぎれ飛んだ足が、痛そうに悲しそうに唸る声が、顔が、血に濡れた毛皮が、ルシフェルに嬲られるアルを思い出させたからだ。

『鬼化、鹿角黒化、足高蜘蛛十刀流複写…………魔物使い、ヘルシャフト・ルーラーの名において宣言する、お前を殺す!』

鬼の角と天使の翼を生やし、女神の角を手に変えて、雨雲を呼び雨水の刀を十本生み出す。
ロキとして振る舞うナイの足元から鋭く尖った木を生やし、避けたところを狙う蔦を伸ばす。そこを更に避けたなら雨水の刀を振り回し、触れれば腐食する黒い手を無数に伸ばす。

『ははっ、ははははっ! イイ感じに異形化進んでるねぇ! それじゃ人間には見えないぜ、お、ひ、め、さ、ま!』

『なんでお前がそれを知ってるんだよ!』

姫とはロキが一時期ふざけて呼んでいただけのあだ名だ、ナイが知るはずはない。

『そりゃ、名付けたのオレだもん』

ロキしか知りえない情報を知っているということは、同化が進んでいるということ。危険だ。

『当たらない! ちくしょうっ…………そうだ、自由意志を司るモノ、タブリスの名において宣言する、僕は僕以外からの知覚を拒否する』

『はぁ……? ぁ、やべっ』

僕はもちろん僕が生み出した雨水の刀と頭から生やした無数の黒い腕も誰の目にも映らなくなる、それどころか僕が立てた物音や僕の匂いすら拾えないだろう。

『これなら当たる……!』

ナイの手足を黒い腕で掴み、胸の真ん中に十本の刀を突き立てる。そして十方向に切り裂き、ロキの姿を完全に破壊する。

『…………おお、こわ』

耳元で嘲るようなロキの声──いや、ナイの声、違う今の声はロキ──いや違う、僕が今戦っていたのはナイだ。まずい、僕の認識まで崩れてきた、相当同化が進んでいると見て間違いないだろう。

『はぁい、仕切り直し』

目くらましなのか閃光が網膜を焼く。僕は黒い腕を迎撃用に構えつつ、目が治るのを待って周囲を見渡した。
僕は見覚えのない洞穴の中に居た。
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