とある大学生の遅過ぎた初恋

ムーン

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現人神? いや、人間

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他の大学では盛んらしい学生運動も俺の通う大学では影も形もない。創始者が変わり者だと言われた男だからだろうか、この学校では荒々しい思想は感じられない。
 
「しゅーぅやっ、ちょっとした良い報せがあるぞ」

何事もない平和な学びの日々、その息抜きとして定期的に懇親会が開かれる。仲の良い寮生達が集まって酒を飲むだけだが、そんな単純なことでも十分な息抜きになるのだ。そして今日はその懇親会の日。

「何だよ、場所の変更でもあったか?」

「な、ん、と……若神子が参加するらしい!」

小さな声で紡がれた言葉はにわかには信じ難い。若神子の儚げな美しさはもはや人間とは思えない、懇親会なんて俗なものに混ざったら穢れて消えてしまいそうだ。

「そんな馬鹿な……あの若神子が低俗な会に参加するわけないだろう」

「いやいやこれが本当なんだ、懇親会の話をしてたら向こうから参加したいと言ってきたんだと! いやぁ俺もその場に居たかった」

「……酒なんか飲むのか? 霞しか口に入れないと思うぞ」

「ま、目的は親睦を深めることだからな、飲まなくたって問題ない。それとな、お前は若神子を神聖視し過ぎだぞ」

問題ないことがあるものか。親睦を深めるという大義名分の元で酒を飲むのが目的だというのに。



いつも懇親会を開いている部屋に集まり、円を描いて床に座る。持ち寄ったツマミや酒を円の中に並べ、主催者による開始の合図を待つ。

「…………やっぱり居ないじゃないか」

若神子の姿はどこにもない。栄治に文句を言ってやろうとも思ったが、栄治は他の友人と話している。別に若神子に会いたかったわけでもないのだから黙っておこう。
俺には栄治以外の友人は居ない、栄治は誰とでも仲良くなるから俺と特別仲が良い訳でもない。いつも通り疎外感を覚えながらどのツマミを一番に頂こうかと眺めていると、扉が叩かれた。

「はいはい……お、来たか!」

主催者が扉を開けると頭のてっぺんから爪先まで真っ白のカミサマが入ってきた──いや、若神子だ。家紋入りの白い色無地を着ている。学内で見る彼は西洋服を着ているから新鮮だ。

「お、秋夜、若神子来たってよ」

西洋服よりも首筋が目立って見えるのは距離の問題だろうか。いつもは表情も分からない遠くから見るばかりなのに、今は数歩近付けば触れられる距離に居る。

「……おい、秋夜?」

こう言うのも何だが、嫋やかだ。普段は西洋諸国に追いつくだとか負けないだとか、今後は西洋を相手にしなければなんて考えながら学んでいるが、言わせてもらおう。
被服に関しては西洋よりも我が国の方が人間の魅力を引き出せていると。

「お、おい、また固まってるのか?」

ボタンを外したり、筒状の布から腕や頭を抜いて脱ぐ必要がある西洋服と違い、我が国の服は脱がしやすい。若神子を見てみろ、帯をほどかなくてもえりを掴んで左右に引っ張れば鎖骨も胸も露出する。

「しゅーぅーやっ!」

「はっ……あ、な、なんだ、栄治」

まずい、また考え事に集中して外界を遮断してしまっていた。しかも俺は何を考えていた? 若神子を脱がす? 何を馬鹿なことを! そんなことをすれば俺は翌日には近所の川に浮かんでしまう。

「栄治よくそんなのの面倒見てられるよな」

「ちゃんと授業は受けられているのか? 心ここに在らず君」

他の懇親会参加者に笑われてしまった上、珍妙な蔑称まで付けられた。しかも若神子の前で……屈辱だ。

「……っと、若神子様が立ちっぱなしだ。これはとんだ無礼を……どうか打首だけはご勘弁を!」

俺の相手はもう不要だと踏んだ栄治は扉の前に突っ立っていた若神子の元へ行く。まさか栄治は若神子とも仲良くなれるのだろうか。

「ふふ……じゃあ、縛り首?」

上品に微笑んだ若神子は栄治の冗談に乗って小首を傾げた。浮世離れした彼だが参加者達の笑いを取り、何度も参加している俺よりも早く馴染んでしまった。

「あぁ若神子様どうかお赦しを……」

「それじゃあ、僕の席を教えてくれるかい?」

「席、席な……それなら、えーっと、ちょいと詰めて」

栄治は一人分の隙間が出来るよう参加者に指示し、その隙間は栄治の隣に出来た。やはりと言うべきか、栄治も若神子と繋がりを持っておきたいのだろう。若神子の家柄を考えれば当然だ。

「俺と秋夜の間はどうでしょう、若神子様」

「ありがとう。ところで……それ、いつまで続けるの?」

「ははっ、いやぁ思ったよりも冗談に乗っかってくれて楽しくなった。ほら座れよ若神子、ぁーあー正座じゃない胡座だ胡座」

若神子が隣に座った。胡座は慣れていない様子だ。とんっと触れた膝に体温が伝わり、若神子が白磁の人形などではないと実感した。

「ありがとう、栄治君」

栄治に礼を言った若神子が俺の方に顔を向ける。まず両隣と挨拶を……というのは当然の発想だ。どうして俺の鼓動はこんなに騒がしいんだ。

「えっと……君はいつも栄治君と一緒に居るよね、よく外界を遮断してしまっているのを見るよ。それと、よく僕の方を見ているように思うのは……僕の思い違いだろうか、自意識過剰かな」

あぁ、近い、近過ぎる。何なんだこの肌は、真っ白でキメ細やかで、間近で見る今もシミやシワや吹き出物の一つも見つからない。どうして髪が白いんだ、何なんだその細い毛髪は、そのくせ多くてふわりとしていて──!

「でも、すまない。君の名前は知らなくて……え?」

白い髪はもふんっ……と俺の手を乗せた。実家の犬より柔らかい毛をしている。

「あ、あの……? 何、かな?」

もふもふもふもふ……気持ちいい、ずっと撫でていたい。

「なっ……! 何やってんだ秋夜!」

栄治に手首を掴まれてようやく正気に戻った。俺は今、若神子の髪を触っていた。犬や猫にするように毛並みを楽しんでいた。

「秋夜……秋夜秋夜秋夜ぁっ! 謝れ! 早く! 頭下げろ!」

手首が離されたと思えば髪を掴まれ、額を床に擦り付けさせられる。

「すいまっせん若神子様っ! こいつ普段はまともなんですけどたまに心をどこかへやってしまって! その間はもう……なんか、ほら、悪い霊でも憑くんです!」

すぐに謝罪の言葉を述べたが栄治の声にかき消されてしまった。

「い、いいよいいよ……そんなに謝らないで」

栄治の手が頭から離れて顔を上げると困ったような若神子の顔があった。

「えっと……そんなふうに特別扱いされると少し寂しいよ。無遠慮に触れてくれる方が嬉しい。別に父様に知らせたりしないから、若神子家だということを気にしないで。僕のことは君達と同じ普通の学生だと思って欲しいよ」

参加者は互いに顔を合わせ、困って俯いた。参加者の心の声はきっと「そんなこと言われても……」だ。若神子もそれを分かっているのか表情が暗い。
お忍びで庶民の子と遊びたがる名家の子の物語はよく耳にする。この大学に居るのはそんな名家の者ばかりだが、若神子は格が違う。媚びを売りたいと思っていても近寄り難い。

「…………ご、め……ん。楽しい懇親会を、邪魔したみたいだ。失礼するよ」

若神子は辛そうな声を絞り出し、部屋を出ていった。
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