ストーカー気質な青年の恋は実るのか

ムーン

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昼食

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カメラの回収後、僕達は昨晩の約束通り喫茶店に向かった。茹だるような暑さは衰えを見せず、それどころか「本番はこれからだ」と言わんばかりに陽炎を生んでいた。
熱した鉄板のようになったアスファルトの上に転がり暴れ回るセミ、日陰に丸まり肉球を舐める野良猫、外に居る全ての生き物が暑さに負けていた。

「いらっしゃいませ」

鈴の音ともに僕達は別世界へと入る。先程までの暑さが嘘のような涼しい空間だ。初めて彼を見たあの窓辺の席に腰掛け、座り心地が良さそうだと思っていたソファの想像以上の上等さに感嘆した。

「ココアとアイスコーヒー、オムライス二つ」

彼に注文を任せ、それらが運ばれてくると同時に、店主は盆に乗せていた硬貨を僕の前に置いた。

「この間の忘れ物です」

「ぁ、すっ、すいません……あの時は……急いでて」

「いえ、いえ……ごゆっくり」

彼から聞いてはいたが本当にお釣りが返ってくるなんて……店主は相当記憶力が良いらしい。ぼやけた色の硬貨を陽光に晒し、何の気なしに製造年を読んでから財布に滑らせた。

「いただきます」

「いっ、いただきまーす……」

彼は僕の無意味な行動を黙って待っていて、僕と同じに食べ始める。彼もほとんど無意識であろう気遣いに心が温まるのを感じ、向かいに座った彼を眺める。
革手袋をはめたままながら器用にスプーンでオムライスを一口サイズに分けて掬い、その美しい口に運ぶ。彼の唇が上下に分かれる度に、白い歯や赤い舌が微かに覗く度に、喉仏が動く度に、僕の身体の熱は増す。

その薄桃色の唇を僕に触れさせて欲しい。その真っ赤な舌で僕の口内を愛撫して欲しい。その立派な喉仏を動かして僕の唾液を飲んで欲しい。
少しでも身体を冷やそうとアイスコーヒーを飲んで、騒がしい鼓動を落ち着かせようと胸の中心を擦る。彼の食事の様子を見るのは危険だ、まだ慣れていない。

目を逸らした先は彼の左手だ。皿の傍に置かれ、時折に皿を掴んだりカップを持ち上げたりしている。
革手袋を付けたまま愛撫されたらどんな気持ちだろう。腹を撫でられたら、乳首を摘まれたら、性器を握られたら、中を掻き回されたら……僕はどんな感触を味わうのだろう。僕の体液に汚れた黒い革手袋を想像するだけで、僕の性器は勃ち始める。

「……どうですか? 涼斗さん、ここのオムライス」

「えっ、ぁ、あ……すっごく美味しいです」

彼を目の前にしては味はほとんど分からない。今度一人で来るべきだろうか。

「ですよね。俺のお気に入りなんです。もしこれがメニューからなくなったり、この店が閉まったりとか考えると……」

結構ネガティブな人なんだなと思い、想像だけで落ち込む彼の顔を見ようと視線を上げる。しかし、彼の表情は僕の予想とは違っていた。
微かに口角を上げて、頬をほんのりと桃色に染め、眉尻を下げて目を細めて──どこか恍惚とした微笑みだ。
その艶やかさに中途半端に勃っていた僕の性器は痛いくらいに膨らんで、下腹が疼き始める。全身が彼が欲しいと喚き立てる。

「考える……だけで、嫌ですね。ふふ……」

本当にそう思っているのだろうか。どちらかというとその日を待ち遠しく思っていそうに見える。だが、お気に入りの店が閉まる日を待ち遠しく思う理由が僕には思い付かず、僕の表情の読み取りが甘いだけだろうと自分を納得させる。

「……ごちそうさまでした。すいません、ちょっとトっ……お手洗い行ってきますね」

鞄を抱えて勃起を隠し、トイレに走る。鍵を閉めたのを確認してすぐにジーンズと下着を下ろし、鞄を漁る。
彼の食事を見て欲情するのは分かっていた。だから、ちゃんと発散できるように玩具を持ってきた。

「……んっ、ぅっ……あっ……」

ディルドは持ち歩くには大きいし、何より万が一にでも鞄の中を見られた時の言い訳が思い付かない。持ってきたのは小さなローターだ。知っている人が見れば目を逸らすことは間違いないが、多分彼は知らない。あの子供っぽさや警戒心の薄さ、どこか抜けているところからそう判断した。おそらく彼はこれを見てもストラップか何かだと思うだろう。

「ひぅっ……」

人差し指と中指でローターを穴に入れ、手っ取り早い絶頂のために前立腺に押し付ける。ローターをその位置から動かさないためにその手は動かさず、もう片方の手でスイッチを入れた。

「んっ……!? んんっ……ぅんっ、んんんっ!」

唇を噛み、必死に声を抑える。普通の自慰行為で漏れる吐息や彼への呼びかけならまだしも、この快感による嬌声は僕が出せる声の最大で、トイレの外まで聞こえてしまうだろう。
振動を最大に設定し、リモコンから手を離す。その手は次に性器を扱く。精液は確実に放出しておかなければ、純粋でいられる時間が短くなる気がするのだ。まぁ……前と後ろ同時に攻められたいという願望を適当に理由付けただけだ。

「……っ!  ふぅっ……ぅ…………はぁっ……はあっ……」

中と足の痙攣が止まらないうちにローターを引き抜き、スイッチを切る。痙攣が治まり呼吸と鼓動が整ったら手の汚れを落とし、ローターをビニール袋に包んで鞄の底に突っ込む。良い香りのウェットティッシュで手を拭って臭いを誤魔化し、服を整え顔の朱が引くのを待ち、何事もなかったかのように席に戻る。

「おかえりなさい、涼斗さん」

「た、ただいま戻りました、凪さん……」

微笑まれて胸がときめく。毎日言って欲しい……そしておかえりのキスが欲しい。時にはそのまま玄関で──

「いつもなら何十分か居座るんですけど……今日は鍵の取り替えするので、そろそろ帰りましょうか」

「あ……はい、勝手に変えていいんですか? 大家さんとかに話しないといけないんじゃ……」

「涼斗さん、許可っていうのはやってから取るものなんですよ」

絶対に違う。その確信はあったが、僕は彼に逆らえない。どうしてダメなのかをきょとんと首を傾げる彼に説明するなんて不可能だ。

「勝手なことしたら怒られますよね……追い出されちゃったりして、ふふっ……」

「……まぁ、ストーカーに狙われてすぐに変えなきゃって言ったらそんなに怒らないと思いますよ」

「………………そうですね」

彼は目に見えて落ち込み、もう行こうと立ち上がる。よく分からない……追い出されたいのか? いや、そんなことになっても困るだけだ、喜ぶ部分は見当たらない。

「あ、俺が全部出しますよ」

「え……? だ、大丈夫ですよ、自分で出せます」

「いや、ほら、昨晩と今朝と作ってもらったじゃないですか、あれのお礼です」

「で、でも……」

「気になるならまた何か作ってくださいよ。涼斗さんの料理、すごく好みなんです」

カレーは彼の好み通りに作ったから当然だし、トーストとハムとレタスは味付けなんてしていない。好みと言われるのは嬉しいけれど、それが本音かどうかつい疑ってしまう。

「……分かりました。じゃあ、好きな物教えてくださいね」

ここで遠慮を続けても喫茶店内の視線を集めるだけだ。彼の言う通り料理で返すにしても、金銭のトラブルを嫌って金を渡すにしても、今は引くべきだ。

「まずカレーですよね、あとオムライス、ハンバーグとか大好きです、後は──」

暑い熱い夏という現実に戻される鈴の音を越え、灼熱の街を歩く。彼の小学生男児のような好みを脳にメモしながら、その可愛らしさに笑みを零す。
美術館に飾られていそうなその見た目での俗っぽい発言は人によっては幻滅の対象かもしれない。けれど僕にとっては人間らしさが見える気がしてとても愛おしく大切な部分だ。

「……あ、鍵屋さん来てますね」

アパートの前に停まった車、104の部屋の前に立った男、それらは僕に昨日の出来事を思い出させ、気分を萎ませた。
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