ストーカー気質な青年の恋は実るのか

ムーン

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どん、と背中に衝撃が走る。呼吸が僅かに乱れ、落下したという恐怖で手足が動かなくなる。だが、僕を包む白く柔らかいものを認識して、だんだんと自分に何が起こったのか理解した。僕を覗き込む黒いスーツの男達を見つけると自嘲の笑いさえ零れた。

「なんだよっ…………それ」

青年が僕を一度止めたのは、僕を抱き締めたのは、このマットを用意する時間を稼ぐためか。それはまぁ正しい対応だとしても、突き飛ばして僕に死の疑似体験をさせたのは趣味か何かか? 何が楽しいんだ。
死ぬ勇気はなくて、簡単なことで死ぬ気が失せて、今また死にたくなっている。僕は一体何なんだろう。

「………………涼斗さんっ!」

マットに寝転がったまま陽光を遮るため腕で目を隠し、肩を震わせて泣いていると彼の声が聞こえた。もう騙されたくなくて目を隠したまま無視していると頬に革手袋の感触が与えられた。

「……凪さん?」

腕をどかすとマットに乗って僕の顔を覗き込む青い瞳と目が合った。

「…………よかった」

そう呟いて微笑み、僕の頭を撫でた。

「あなたの部屋の呼び鈴を鳴らしていたら、風から電話があって──」

彼によると青年は男達にアパートを見張らせていたらしい。
僕が彼に気に入られるかどうかは青年にとっても重要だし、資金を渡したり助言したり、決行を促したのは青年なのだから、まぁ見張りを置いた理由は分からなくもない。
公園で一夜を過ごした僕を警戒していたようで、すぐに青年が僕を追ってきたりマットを用意したり出来たのも、全て見張りの成果なのだと。

「凪さんっ……僕、僕っ……」

謝らなければ。許さないと言われても、嫌いだと言われても、口汚く罵られたとしても──彼を穢した罪を自らの口から告白しなければ。

「……ごめんなさっ……んっ、ぅ?」

黒い革手袋に包まれた彼の手が僕の口を塞ぐ。謝罪すらも許してもらえないのか?
彼はゆっくりと僕の頭をマットに押し付け、もう片方の手をシャツの中に滑らせた。

「はぁ……疲れたー、階段ダッシュきっつ……って何してんの兄貴…………お前まさかここでする気じゃないだろうな!」

「風ぇ……知ってるだろ?」

革の感触が腹を這い回る。状況が理解出来ないでいると彼は僕の上に跨った。

「自殺未遂の子供とそのままマットの上で青姦……ま、滅多にない状況だな」

「だろ……? ここは活気が少ないとはいえ雑居ビル、人は多いし、表通りもすぐそこだ。誰か来るかもしれない。そもそも弟とその部下達に見られながらって……控えめに言って最高だよね! 分かるだろ風ぇ! 君も二回目からなら混ざっても──」

「…………おいお前らこのド変態とっとと押さえろ!」

青年の命を受けた黒いスーツの男達は彼を僕から引き剥がし、駐車場に停めてあった見覚えのある高級車に押し込めた。

「……大丈夫か?」

「………………凪さん、僕のこと……抱こうとした?」

「本っ当に変態だよな……嫌いだー……すっごい嫌い……」

「凪さん、僕のこと気に入ってくれたの?」

彼に触れられた口元と腹に手を添える。

「……好きに、なってくれたの?」

顔を気に入ったら──と聞いて恋は永遠に実らないのだと確信した。自分の心身の醜さと罪深さに絶望して、その全てを彼に知られたことに絶望して、死のうとまで思ったのに……

「…………僕でも、良かったの?」

僕の身体だけでなく顔も声も気に入ってくれていたの?

「……なぁ、マット片付けるからいい加減どけよ」

「…………ごめんなさい」

マットから降りて青年の隣に並ぶ。青年は僕の腕を掴み、僕を彼が押し込まれた高級車の前に連れて行った。後部座席のドアが開き、軽く背中を押される。恐る恐る革張りの座席に腰を下ろし、彼の隣に座る。
まだ謝っていない。僕でもいいのかもしれない。僕を好きになってくれたのかもしれない。状況を把握出来ず、彼の気持ちも分からず、ただ困惑する。青年が助手席に座ると車は発進した、運転手は黒いスーツを着た男だ。

「…………あの、凪さん」

ぼうっと車窓を流れる景色を眺めていた彼は僕に視線を移し、優しく微笑んだ。
状況が理解出来なくても、彼の気持ちが理解出来なくても、とにかく謝るのが最優先事項だ。

「……ごめんなさいっ! 僕、あなたを一目見た時からずっと好きで! 家ついて行ってしかもその隣に引っ越しまでして! カメラ仕掛けてっ……合鍵作って…………昨日なんて睡眠薬盛って縛って襲って……本当にごめんなさい、許されないって分かってます、それでも謝らせてください…………ごめんなさい。好きだったんです、それだけなんです、ごめんなさい……」

頭を下げ、落ちる涙で車を汚さないようにと必死に目を擦る。

「…………涼斗さん、ダメですよ。そんなに目を擦ったら傷が付いちゃいます、せっかく綺麗な目をしてるのに……」

南国の海のような、宝石のような瞳をしたあなたに言われたって、僕はその言葉を信じることは出来ない。

「ほら……見せてください、髪で隠したりしないで」

頭を上げさせられ、手を下げさせられ、髪をかき上げられる。額に触れる革手袋の感触と明るく広がった視界の真ん中の彼の美顔、その二つが僕の顔を熱くする。
襲ったことを後悔して謝っても、自殺未遂まで起こしても、僕の恋心は萎むことはない。

「…………引っ越しまで俺が理由って本当ですか?」

か細い声で返事をすると彼は艶っぽい笑みを浮かべる。

「行きつけの店の新顔だからって声かけたりしませんよ、ちょっと話した仲の隣人の部屋に泊まったりしませんよ、ねぇ涼斗さん……俺も信用してなかった俺の勘は大当たりでした」

「…………勘?」

「その目……俺を見る目が変だって思ってたんです。妙に熱っぽくて、嫌にねちっこくて、大人しそうな人なのに激情型みたいな目をしてる…………まぁ、目を見ただけでその人の何が分かるって感じですけど……」

彼はチラと助手席に座った青年を見る、舌打ちを返されて僕に視線を戻して笑う。

「でも、当たってました。声をかけてよかった。あなたはやっぱり頭のおかしな人でした」

「………………おかしい、ですよね。やっぱり」

「はい……最高です。最高の異常者でした。隣に引っ越して、カメラ仕掛けて……仲良く振る舞って薬盛って襲った? 最高ですよ涼斗さんっ…………あぁ、もう……勃ってきた……ねぇ、口でするか脱ぐかしてくださいよ、いいでしょ? 俺のこと好きなんですよね? だったらやってくれますよね?」

翠が差した宝石のような青い瞳に僕だけが映り、彼の甘い声がさらに甘ったるく熱を孕み僕だけに向けられる。
僕は彼が僕だけに意識を向けていることが嬉しくて、彼に求められたことが嬉しくて、頷いた。

「おいやめろ車でするな! もうちょっとで家着くからそこでやれ!」

「…………一回車の中でしてみたかったんだよ。しかもこんな高級車……めちゃくちゃに汚して査定下げたいなぁ。君の嫌がる顔も見れてるし、涼斗さんとも出来るし、長年の夢は叶うし一石二鳥どころじゃないよ」

「正体現しやがって鬼畜変態がっ……!」

「涼斗さん……ほらぁ、早く……してくださいよ、涼斗さん……」

彼はもう青年のことなど目にも耳にも届いていない様子で僕の頬や耳を撫で、首筋にキスをしてくれていた。それに今すぐ応えたかったけれど、座席を汚したり傷を付けたりした時の弁償のことを考えて、彼をそっと押し返した。

「…………涼斗さん?」

「帰ってから部屋でしましょう? ほら、車内は狭いですし……弟さんも居ますし、ね?」

「だからいいんじゃないですか」

「だ、だめ…………ぁ……」

「着いたぞ降りろ変態共!」

後部座席のドアが開き、首根っこを掴まれて引っ張り出される。

「ご、ごめんなさい…………けど、あなたに変態って言われたくない……」

「うるさい俺には面倒な性癖はない」

青年は見境がないと聞いた、むしろ「無い」ことが問題だ。
見慣れたボロアパート、103号室の前。彼は自室に帰る気はないらしく、僕が鍵を開けるのを待っていた。
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