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第一章 蛇と狼の幸福について考えてみる
家族ほど苦しい関係はない
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静かな馬車内、いや、狼車と言うべきかな。まぁ馬車でいいか……馬車内の気まずい空気に耐えられなくなった頃、アンがポツリと呟いた。
『…………私、ずっと一人だったんです。あの狼達がようやくできた仲間で、家族で……だからやっぱり手懐けていると言うのは少し違います』
仲間であり家族である相手に「しっかりやれ」とか言うのか。イヌ科の上下関係は厳しいらしいし、不自然に思うのは僕が人間だからだろうか。
「……僕も、孤独だなって思うこと、よくあります」
身の上話は嫌いだが、異世界なら構わないかな。もし失敗したらやり直せばいい。現実世界で何も吐き出せない分こういう時に発散しておかないとどうにかなってしまう。
「母が……勝手な人で、僕を着せ替え人形くらいに思っていて」
僕は女の子なのに、勇二なんて名付けられて男として育てられた。母の思い込みはそう強くはなく、たまに僕が息子ではなく娘だと思い出しては僕に暴力を振るった。
「そんな母が死んで…………父の虐待が酷くなって」
強姦されている話は流石に出来ない。
現実世界でも男だったなら、この体のようにカッコいい青年に育ったとしたら、母は喜んでくれただろう。父は……僕か男でも母に似ていたら犯すのかな、分からないし考えたって仕方ない。
「……ジャック?」
体温のない鎧に肩を抱かれて、プログラムされた慰めだと分かっていても僕は嬉しくなってしまった。
「ありがとう、ジャック……」
『……ジャックさんがユウさんを保護した、とか……そういうことですか?』
「あぁ、その一言で完結だ、話すには値しない」
それからしばらく静寂が続いた。いや、続いたのは沈黙だ、車輪が地面を削り小石を跳ね上げる音はうるさいくらい響いている。
『…………私の母は身勝手で醜い女でした。私には何人か姉が居るのですが……その姉達も、私も、父も、全てを捨てて家を出ていきました。父は母を深く愛していて、酷く落ち込んで……それでも私と姉達を愛し、育ててくれました』
俯いたアンは自身の膝の上にぽたぽたと涙を落とし、目を擦り、嗚咽を漏らしながら続けた。
『でもっ……私は母そっくりで、成長すればするほど父は母を思い出して……』
アンも父親に母代わりを……女としての役を強いられていたのか?
『どんどん精神を病んでしまって……父の部下が父を隔離してしまい、私は父に会えなくなってしまいました』
「…………アンさんはお父さんに酷いことされなかったの?」
『父は心身共に酷い状態にありましたが、私含め子供の前では元気に振る舞っていました。今思えば弱みを見せてもらうべきでした、そうしていれば父は……今でも』
流石にそこまで僕と似た境遇ではなかったか。
……アンは僕よりマシなんじゃないか? 母は出ていっただけだろ? 無関心だったんだろ? 過干渉と暴力と侮蔑の中に置かれたりしなかったんだろ? 父はまともだったんだろ? 少し精神が脆かっただけで父親らしく振る舞っていたんだろ?
……僕よりマシじゃないか、そんなに泣くなよ。
『父はよく歌を歌ってくれました、ギターを引っ掻いて……私、母に似たくなくて、父に似たくて、歌手になったんです。でも私不器用で、楽器は全然』
「…………そう。一人だったってどういうこと? お父さんは一応お父さんらしくしてたんでしょ?」
『ええ、でも……姉達ばかり構われて。私は放っておかれて。父を隔離した父の部下は私のせいで父が心を壊したと……私の、せいで……私が生まれていなければ、父は……! 私なんていなければ!』
アンはとうとう泣き出してしまった。慰めなければならない、でも、手も口も動かない。
放っておかれたなら暴力を振るわれるより余程マシじゃないか。放っておかれているのに愛を実感できたならいいじゃないか。
自分でも最低だと理解しているのに「辛いって言っても僕よりマシだろ」という感情が心を支配する。
「……お姉さん達は何してるの?」
『…………知りません、あんな薄情なビッチ共なんて』
父に構われなかった嫉妬か? 僕は一人っ子だから分からないけれど、兄弟格差というのは辛いものなのだろうか。
……いや、僕には兄が居たはずなんだ。産まれる前に死んでしまったそうだけど。それによって母が病んでしまったそうだけど。
顔も知らない兄なんて居ないのと同じだ、むしろ僕の人生を不幸にした一因でもある。流石に恨んではいないけれど、存在を忘れるほどに興味がない。
「…………ジャック? 何? そういうの、今はアンさんにするべきじゃないの?」
ジャックに頭を撫でられた。硬く冷たい手はとても優しいが、金属板で作られた指の隙間に髪が挟まれて痛い。
『……ジャックさんは生前のこととか覚えてらっしゃいますか?』
「俺はずっとゴーストだ」
『えっと……死んだ生き物の霊魂ではなく、精霊などのように魔力が人格を得て霊体のみで活動している……とか、ですか?』
「さぁな」
やはり幽霊という言い訳は無理があったと思う。他にいい言い訳は思い付かないけれど。
「……あれ? 止まった?」
『おかしいですね、こんなに早く疲れることはないと思うんですが……』
アンの後を追って外に出ると空は赤々と色付いていた。昼と夜の狭間か……あまり好きじゃないな。
空を見るのをやめて狼達に目線を下げると、彼らは姿勢を低く落として唸っていた。
『…………私、ずっと一人だったんです。あの狼達がようやくできた仲間で、家族で……だからやっぱり手懐けていると言うのは少し違います』
仲間であり家族である相手に「しっかりやれ」とか言うのか。イヌ科の上下関係は厳しいらしいし、不自然に思うのは僕が人間だからだろうか。
「……僕も、孤独だなって思うこと、よくあります」
身の上話は嫌いだが、異世界なら構わないかな。もし失敗したらやり直せばいい。現実世界で何も吐き出せない分こういう時に発散しておかないとどうにかなってしまう。
「母が……勝手な人で、僕を着せ替え人形くらいに思っていて」
僕は女の子なのに、勇二なんて名付けられて男として育てられた。母の思い込みはそう強くはなく、たまに僕が息子ではなく娘だと思い出しては僕に暴力を振るった。
「そんな母が死んで…………父の虐待が酷くなって」
強姦されている話は流石に出来ない。
現実世界でも男だったなら、この体のようにカッコいい青年に育ったとしたら、母は喜んでくれただろう。父は……僕か男でも母に似ていたら犯すのかな、分からないし考えたって仕方ない。
「……ジャック?」
体温のない鎧に肩を抱かれて、プログラムされた慰めだと分かっていても僕は嬉しくなってしまった。
「ありがとう、ジャック……」
『……ジャックさんがユウさんを保護した、とか……そういうことですか?』
「あぁ、その一言で完結だ、話すには値しない」
それからしばらく静寂が続いた。いや、続いたのは沈黙だ、車輪が地面を削り小石を跳ね上げる音はうるさいくらい響いている。
『…………私の母は身勝手で醜い女でした。私には何人か姉が居るのですが……その姉達も、私も、父も、全てを捨てて家を出ていきました。父は母を深く愛していて、酷く落ち込んで……それでも私と姉達を愛し、育ててくれました』
俯いたアンは自身の膝の上にぽたぽたと涙を落とし、目を擦り、嗚咽を漏らしながら続けた。
『でもっ……私は母そっくりで、成長すればするほど父は母を思い出して……』
アンも父親に母代わりを……女としての役を強いられていたのか?
『どんどん精神を病んでしまって……父の部下が父を隔離してしまい、私は父に会えなくなってしまいました』
「…………アンさんはお父さんに酷いことされなかったの?」
『父は心身共に酷い状態にありましたが、私含め子供の前では元気に振る舞っていました。今思えば弱みを見せてもらうべきでした、そうしていれば父は……今でも』
流石にそこまで僕と似た境遇ではなかったか。
……アンは僕よりマシなんじゃないか? 母は出ていっただけだろ? 無関心だったんだろ? 過干渉と暴力と侮蔑の中に置かれたりしなかったんだろ? 父はまともだったんだろ? 少し精神が脆かっただけで父親らしく振る舞っていたんだろ?
……僕よりマシじゃないか、そんなに泣くなよ。
『父はよく歌を歌ってくれました、ギターを引っ掻いて……私、母に似たくなくて、父に似たくて、歌手になったんです。でも私不器用で、楽器は全然』
「…………そう。一人だったってどういうこと? お父さんは一応お父さんらしくしてたんでしょ?」
『ええ、でも……姉達ばかり構われて。私は放っておかれて。父を隔離した父の部下は私のせいで父が心を壊したと……私の、せいで……私が生まれていなければ、父は……! 私なんていなければ!』
アンはとうとう泣き出してしまった。慰めなければならない、でも、手も口も動かない。
放っておかれたなら暴力を振るわれるより余程マシじゃないか。放っておかれているのに愛を実感できたならいいじゃないか。
自分でも最低だと理解しているのに「辛いって言っても僕よりマシだろ」という感情が心を支配する。
「……お姉さん達は何してるの?」
『…………知りません、あんな薄情なビッチ共なんて』
父に構われなかった嫉妬か? 僕は一人っ子だから分からないけれど、兄弟格差というのは辛いものなのだろうか。
……いや、僕には兄が居たはずなんだ。産まれる前に死んでしまったそうだけど。それによって母が病んでしまったそうだけど。
顔も知らない兄なんて居ないのと同じだ、むしろ僕の人生を不幸にした一因でもある。流石に恨んではいないけれど、存在を忘れるほどに興味がない。
「…………ジャック? 何? そういうの、今はアンさんにするべきじゃないの?」
ジャックに頭を撫でられた。硬く冷たい手はとても優しいが、金属板で作られた指の隙間に髪が挟まれて痛い。
『……ジャックさんは生前のこととか覚えてらっしゃいますか?』
「俺はずっとゴーストだ」
『えっと……死んだ生き物の霊魂ではなく、精霊などのように魔力が人格を得て霊体のみで活動している……とか、ですか?』
「さぁな」
やはり幽霊という言い訳は無理があったと思う。他にいい言い訳は思い付かないけれど。
「……あれ? 止まった?」
『おかしいですね、こんなに早く疲れることはないと思うんですが……』
アンの後を追って外に出ると空は赤々と色付いていた。昼と夜の狭間か……あまり好きじゃないな。
空を見るのをやめて狼達に目線を下げると、彼らは姿勢を低く落として唸っていた。
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