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第三章 羊を愛し蜂蜜を飲み文明を忌避すること

羊を勝手に狩らないこと

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前々回までは楽しかった異世界も、今は憂鬱だ。いつまた熊に食われるような痛みを味わうか分からない。

「ユウ……? あぁ、戻ったんだな、おかえり」

どれだけ憂鬱でも「おかえり」と言われる嬉しさはあって、僕は自然と笑顔を作っていた。
新しい雇い主と合流し、馬車に乗る……と言っても乗るのは御者の位置。退屈な数時間を過ごし、ようやく護衛の一人が馬車の扉を開けた。

「なぁ、腹減ったんだけど何か持ってねぇ?」

乱暴な口調の少女は前回羊を殺して神を名乗る少年の姿の化け物に襲われた。

「干し肉あるよ」

「おぉ! え、くれんの? さんきゅー! また今度なんかお礼するわ」

これで馬車は止まらないし彼女も羊も死なない、化け物にも会わずに済んだ。

「なるほど……力づくで止めるしかないと思っていたが、上手くやったな、ユウ。だがもう俺達の金は尽きたぞ」

「分かってる。上手く進めるためにもお金は要るって分かったし、しっかり稼がなきゃね」

夜が開ける頃には遊牧民の移動式住居が散見される高原に到着した。その中でも旅行者向けの店の入口の横にセーブポイントがあったので、セーブ。

「よし、これで安心」

今突然死んだとしても、何時間も馬車に揺られて腰を痛めなくていい。伸びをしていると干し肉をあげた少女に話しかけられた。

「なぁお前、金に困ってるだろ? あの人まだ仕事くれるみたいだから一緒にやろうぜ」

「どんな仕事?」

「えーと、何かまた山岳地帯の方行って、俺達は雇い主の部下が仕事してる間護衛するだけ」

「蜂蜜取るとか?」

熊に襲われてもジャックが居るなら平気だ、精神面の無事は保証されないけれど。

「いや、何か測量とか言ってたぜ」

「ふーん……ジャック、どうする?」

「行こう。特に断る理由はない」

僕達は再び馬車に揺られ、二時間程度で目的地に到着した。

「ここ、ですか? ここで何をすれば?」

「お前らはここで立ってるだけでいい、熊とか来たら追っ払ってくれ」

雇い主はそう言って一服を初め、部下達を洞穴の奥に向かわせた。洞穴の中こそ魔物の巣穴かもしれないのに、どうして僕達を行かせないのだろう。

「お前、本当に測量に来たのか?」

「そりゃすぐに分かるさ」

「え……? 何、それ、どういう意味……」

雇い主の怪しい笑顔に嫌な予感が膨らむ。問い詰めようとしたその瞬間、洞穴の奥から絶叫が響き、部下達が戻ってきた──だが、一人足りない。

「よしお前ら採れたな!? 乗せろ! 早く!」

麻袋を抱えた部下達は馬車に乗り込む。雇い主は僕を洞穴の入り口に蹴り飛ばし、馬車に飛び乗り、ロバの臀を鞭で打って走らせた。

「えっ!? ちょっ、ちょっと待って!」

少女が馬車を追いかけ、ジャックが僕に走り寄る。しかしジャックは僕を踏み台にした何者かの蹴りを受け、吹っ飛び、木に背中をぶつけて動かなくなった。鎧は歪に凹んで手足は取れかけ、その隙間からコードが見えている。

「多いな~……も~……めんどくさ~い」

ジャックを蹴り飛ばした子供の素足が僕の顔の前に浮かび、髪を掴まれて上体を起こさせられた。

「ぼ、僕何もしてない……!」

「この大陸では違法採掘は死罪なの、じゃあね~」

「違うっ、僕じゃなっ……ぁぐっ!?」

コンっと軽く頭を小突かれる。それだけで僕の頭蓋骨は僕に骨が砕ける音を聞かせた。爪で頭皮を裂かれ、割られた頭蓋骨ごと剥がされ、おそらく脳が露出する。

「ゃ、あぁっ、ゃあぁあああっ!? あぁ、あっ、ぁ……?」

少年が仮面をズラして僕の脳に口付け、啜る。意外なことに脳自体に痛みはなかった。ただ、脳をじゅるじゅると吸われると不思議な感覚が身体中を走り回って酷く不快だった。手足が勝手に跳ね回ったり奇妙な怪物が見えたり、感情も目まぐるしく変わって自分が泣きながら笑っていると認識した直後、セーブポイントに戻った。

「…………脳みそ吸われた」

「……すまない、ユウ。俺はお前を守れず死んでしまった」

「あ、やっぱアレ死んでたんだ」

何となく頭皮を掻き毟り、大切にしてもらえている錯覚がして嬉しいのだがいい加減鬱陶しくなってきたジャックの謝罪と反省の言葉を聞き流す。

「なぁお前、金に困ってるだろ?」

少女がやってくる。今度はハッキリ断らなければ。

「仕事ならしないよ、もうこっちでするの決めたから」

「いやいやいやこれがコスパいいんだって、聞けよ」

少女自身は干し肉の恩返しのつもりで紹介しているのかもしれないが、僕にしてみれば恩知らずだ。
僕はお前のためにロードしたんだぞ、干し肉はお前の空腹じゃなく命も救ったんだぞ、そう言いたい。

「……あのさ、こういうこと言いたくないんだけど、あの人やばいよ。多分犯罪者」

「えっ……マジで?」

「君もやめておいた方がいいよ」

「うーん……どうしようかな、確かに金払い良すぎるしなぁ。よし、決めた。お前ら見つけた仕事俺もやる!」

見つけたというのは嘘だ、どう誤魔化そう。

「あぁごめん、もう定員なんだ」

適当なことを言って共に行動しようとする少女を追い払い、本当に仕事を見つけるため、買い物ついでに店主に聞くことにした。

「このお金で買える分の食べ物ください」

「あのなぁあんちゃん、これっぽっちじゃパン一切れもやれねぇよ。ったくこんな早い時間に叩き起しといて冷やかしたぁ困るなぁ」

買い物ついでに……は無理そうだ。

「……じゃあ、どこか仕事募集してるところ教えてください。お金入ったらここでご飯買いますから」

店主は深いため息をついた後、レタスらしき野菜とトマトっぽい野菜とチーズらしき物が挟まったサンドイッチを箱に詰めて渡してくれた。

「お代は要らねぇ、ちゃんと食いな細っこいあんちゃん。仕事募集してるとこなんかねぇよ、いいか、この大陸はこの大陸だけで完結してるんだ。でも閉鎖する訳にはいかないから旅行だの輸出輸入だのやらせてるがな、ヨソモンが金稼ぐ場所じゃねぇんだ」

「…………ありがとうございました」

金がなければ何もできない。樹液を採集できたらよかったが、高原を見渡しても魔樹は一本しか見当たらない。アレはおそらく魔王が守る魔樹だろう、高原のド真ん中に一本だけ生えているなんて不自然だ。

「サンドイッチくれた。美味しい……あれ? なんかこのチーズ知ってるのと違う……」

レタスらしき野菜とトマトっぽい野菜は多分本当にレタスとトマトなのだろう、異世界だからと言って奇妙奇天烈な野菜が育ってはいないらしい。

「羊ばかりだし、羊乳のチーズなのかもな」

たった今も僕の隣を羊が歩いていった。

「羊ってチーズ作れるの?」

「哺乳類なら何の動物でも作れると思うぞ、乳さえあればいいんだからな」

「ふーん……ちょっと味と匂い違うけど、美味しいからいいや」

現実世界では父に顔を殴られるため口内が傷だらけで何を食っても痛いが、異世界では何を食っても痛くない。こちらの世界でグルメに目覚めるかもしれないな。

「……よし、お腹いっぱいになったしどうにか生活費を稼いで寝床も見つけよう。ジャック、あと何時間?」

「四十四時間だ」

もう十六時間も過ごしたのか。移動時間が長いと損だな、長い移動時間をかけたのに失敗だったりするともっと損だ、慎重に選択しなければ。

「何かお金稼ぐ方法あるかなぁ……せめて寝床だけでも……」

ジャックは何も思い付かないと首を振る。僕はその首の動きでアンにもらった石のことを思い出し、今度こそ出てくれと祈りつつ石を振った。

『ユウさん? 連絡くれて嬉しいです、前はごめんなさい。今は時間たっぷりありますよ、たくさんお喋りできますね』

夜が明けて数時間、早朝の今はアンは眠っているかと思ったが、眠そうな声ですらない。そういえば時差とかあったな、どっちがどうズレているのかは知らないけど。とりあえず事情を説明しよう。

「──ってわけで、お金なくなっちゃって。アンさんは牧羊の大陸で稼ぐ方法知りませんか?」

『えぇと……一つ考えがあります。開けたところに行ってください』

移動式住居はそんなに詰めて建てられていない、どこに立っても開けた場所だ。

『そうしたらこの伝声の石を服の中に隠して、腕を広げて、口を開けてゆっくりパクパクさせてください』

なんてバカっぽい真似をさせるんだ。そう言いたくなったがアンの真剣な声色に負け、軽く腕を広げて口を小さく動かした。すると首に下げ服の中に隠した石から澄み切った歌声が響き始めた。

「……なるほど。ユウ、歌に合わせて口を動かせ」

歌詞も分からないのに無茶を言う。
石越しのアンの歌声を聞いて移動式住居から住民が顔を出し、僕の周りに集まり始める。少しずつ硬貨が投げられるようになり、ジャックが鞄の空のポケットを開けて住居達の前を歩くと札がねじ込まれた。
僕はアンがどれほど素晴らしい歌手なのかを改めて認識し、投げ銭に高揚し、口パクに精を出した。
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