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一章 幽世へ
一話 異界へ行ける者
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俺の嫁になるのなら、連れて行ってやろう――。
青銀色の髪に海のような紺色の瞳をした美しい人は、美桜にそう言った。
「嫁?」
彼は、驚いた美桜の耳元で、
「昔から、異界へ行ける人間は、人ではない者に嫁ぐ者だけだと決まっているのだよ」
内緒話をするように、囁いた。
***
ニャーン、と猫の声が聞こえ、庭で洗濯物を干していた月ヶ瀬美桜は振り返った。塀の上に黒猫がいて、緑色の瞳で美桜を見つめている。時折、この家にやってくる猫だった。
「猫ちゃん。今日も遊びに来てくれたの?」
美桜は洗濯ものをカゴに入れると、塀に近づいた。両手を伸ばすと、黒猫がその中に飛び込んでくる。親愛の情を表すかのように美桜の腕に絡まった尻尾は、不思議なことに、二股に分かれている。
「ふわふわ。君を抱いていると、幸せな気持ちになる」
美桜は黒猫の頭に頬を寄せた。猫は嫌がるでもなく、ゴロゴロと喉を鳴らしている。
不意に、がらりと窓が引き開けられる音がして、
「美桜、ちょっと」
愛想のない声が飛んできた。ハッとして振り返ると、リビングでテレビを見ていたはずの叔母の千雅が立っており、腕を組んだ威圧的な態度で美桜を見ていた。元々の顔の造作は悪くないものの、いつも不機嫌な表情を浮かべている千雅は、四十代半ばにしては老けた印象だ。
「まだ洗濯物を干していたの? あんたはいつもグズねえ」
呆れた様子の千雅に、
「あっ……ごめんなさい、叔母様」
美桜は、慌てて謝った。そして、同時に「しまった」と思う。千雅が、怪訝な表情で美桜を見たからだ。
「……美桜、何を抱いているの?」
「えっ……」
不穏な気配を察したのか、美桜の腕の中から黒猫が飛び降りた。両手を下ろし、美桜は、
「何も抱いていないです」
と首を振った。
「あんたって本当、変な子! 何もない場所に向かって、ぶつぶつ話しかけたり、突然、暴れ出したりするんだもの。あんたの両親が死んでから、気がおかしくなったのかもしれないけど、いつになったら治るわけ?」
千雅は侮蔑するようなまなざしで美桜を見た後、「ああ、そうそう」と話題を変えた。手に持っていたスマホを差し出し、
「真莉愛が忘れて行ったの。届けてやって。きっと困っていると思うから」
近づいた美桜の手に握らせた。
「どこへ届けたらいいのですか?」
真莉愛は美桜の一歳年下のいとこだ。学生ながら芸能事務所に所属し、ファッション誌や企業のモデルなどをしている。確か、今日も仕事のはずだ。
「いつものスタジオで撮影だと言っていたから、行けばいるでしょう。場所はここ」
千雅のスマホで地図を差し出され、美桜は一生懸命記憶をすると、
「はい」
と頷いた。
「さっさと行って来て」
千雅が、ピシャンと窓を閉めた。美桜は、足元で心配そうに美桜を見つめている黒猫に気がつき、
「私は大丈夫。いつものことだから」
と、声をかけ、頭を撫でた。ナーと、慰めるように猫が鳴く。
この黒猫は、美桜以外の人間には姿が見えないらしい。美桜は子供の頃から、そういった不可思議なものが見える目を持っていた。彼らが何なのかは分からないものの、美桜は、妖怪や霊の類いとして捉えている。誰にも理解されないことは分かっているので、人前では普通に振る舞っているものの、この黒猫はよく遊びに来てくれる馴染みの妖怪だったので油断をしていた。
(気がおかしい子か……)
他人からは、そう見えるのだろう。
(お父さんとお母さんは私のこと、理解してくれていたんだけどな……。お父さん、お母さん……会いたいよ……)
美桜の両親は、美桜が十歳の時に交通事故に遭い、亡くなっている。その後、美桜は母親の弟である叔父と叔母に引き取られた。けれど、二人は一人娘の真莉愛を溺愛しており、奇妙な行動を取る姪の美桜を疎んじた。学校には行かせてもらえたが、美桜はこの家では召使いも同然で、家事の一切を任されていた。
子供の頃は苦手だった掃除も洗濯も料理も慣れた。養ってもらっているのだ。それぐらいしても当然だ。
少しの間、両親を思い出し落ち込んでいたが、もういない人を思っても仕方がない。美桜は気を取り直すと、真莉愛のスマホをエプロンのポケットに入れ、手早く洗濯物を干し終えた。
青銀色の髪に海のような紺色の瞳をした美しい人は、美桜にそう言った。
「嫁?」
彼は、驚いた美桜の耳元で、
「昔から、異界へ行ける人間は、人ではない者に嫁ぐ者だけだと決まっているのだよ」
内緒話をするように、囁いた。
***
ニャーン、と猫の声が聞こえ、庭で洗濯物を干していた月ヶ瀬美桜は振り返った。塀の上に黒猫がいて、緑色の瞳で美桜を見つめている。時折、この家にやってくる猫だった。
「猫ちゃん。今日も遊びに来てくれたの?」
美桜は洗濯ものをカゴに入れると、塀に近づいた。両手を伸ばすと、黒猫がその中に飛び込んでくる。親愛の情を表すかのように美桜の腕に絡まった尻尾は、不思議なことに、二股に分かれている。
「ふわふわ。君を抱いていると、幸せな気持ちになる」
美桜は黒猫の頭に頬を寄せた。猫は嫌がるでもなく、ゴロゴロと喉を鳴らしている。
不意に、がらりと窓が引き開けられる音がして、
「美桜、ちょっと」
愛想のない声が飛んできた。ハッとして振り返ると、リビングでテレビを見ていたはずの叔母の千雅が立っており、腕を組んだ威圧的な態度で美桜を見ていた。元々の顔の造作は悪くないものの、いつも不機嫌な表情を浮かべている千雅は、四十代半ばにしては老けた印象だ。
「まだ洗濯物を干していたの? あんたはいつもグズねえ」
呆れた様子の千雅に、
「あっ……ごめんなさい、叔母様」
美桜は、慌てて謝った。そして、同時に「しまった」と思う。千雅が、怪訝な表情で美桜を見たからだ。
「……美桜、何を抱いているの?」
「えっ……」
不穏な気配を察したのか、美桜の腕の中から黒猫が飛び降りた。両手を下ろし、美桜は、
「何も抱いていないです」
と首を振った。
「あんたって本当、変な子! 何もない場所に向かって、ぶつぶつ話しかけたり、突然、暴れ出したりするんだもの。あんたの両親が死んでから、気がおかしくなったのかもしれないけど、いつになったら治るわけ?」
千雅は侮蔑するようなまなざしで美桜を見た後、「ああ、そうそう」と話題を変えた。手に持っていたスマホを差し出し、
「真莉愛が忘れて行ったの。届けてやって。きっと困っていると思うから」
近づいた美桜の手に握らせた。
「どこへ届けたらいいのですか?」
真莉愛は美桜の一歳年下のいとこだ。学生ながら芸能事務所に所属し、ファッション誌や企業のモデルなどをしている。確か、今日も仕事のはずだ。
「いつものスタジオで撮影だと言っていたから、行けばいるでしょう。場所はここ」
千雅のスマホで地図を差し出され、美桜は一生懸命記憶をすると、
「はい」
と頷いた。
「さっさと行って来て」
千雅が、ピシャンと窓を閉めた。美桜は、足元で心配そうに美桜を見つめている黒猫に気がつき、
「私は大丈夫。いつものことだから」
と、声をかけ、頭を撫でた。ナーと、慰めるように猫が鳴く。
この黒猫は、美桜以外の人間には姿が見えないらしい。美桜は子供の頃から、そういった不可思議なものが見える目を持っていた。彼らが何なのかは分からないものの、美桜は、妖怪や霊の類いとして捉えている。誰にも理解されないことは分かっているので、人前では普通に振る舞っているものの、この黒猫はよく遊びに来てくれる馴染みの妖怪だったので油断をしていた。
(気がおかしい子か……)
他人からは、そう見えるのだろう。
(お父さんとお母さんは私のこと、理解してくれていたんだけどな……。お父さん、お母さん……会いたいよ……)
美桜の両親は、美桜が十歳の時に交通事故に遭い、亡くなっている。その後、美桜は母親の弟である叔父と叔母に引き取られた。けれど、二人は一人娘の真莉愛を溺愛しており、奇妙な行動を取る姪の美桜を疎んじた。学校には行かせてもらえたが、美桜はこの家では召使いも同然で、家事の一切を任されていた。
子供の頃は苦手だった掃除も洗濯も料理も慣れた。養ってもらっているのだ。それぐらいしても当然だ。
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