怨みつらみの愉快日録

夏風邪

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第一章

第34話 失くしたもの

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「……は?」


 霊力と呪力の境界はなんとも曖昧だ。

 一般的に、霊的存在を視たり感じたりする力を『霊力』、呪術を扱う際に使う力を『呪力』とされている。
 結局のところそれらを纏めて『霊能力』とも言えるのだが。

 これは”霊が視える人”と”術者”を区別するために分類したに過ぎず、元を辿ればひとつの力、同じ霊能力なのだ。


 しかし、だからと言って視える人間全てが呪術を扱えるかといえばそれはまた別の話だ。

 元は同じ力といえど、視える人間と術師の間には確かに隔絶された違いがある。

 その違いが何によって生じるのかは未だに解明されていない。
 現状では、超常現象だから、というアホみたいな理由で納得せざるを得ない。

 つまり世の中には、何も視えないただの一般人、視えるし感じるけど呪術は使えない『霊力』を持った人間、視えるし呪術も使える『霊力』と『呪力』を持った人間、の三つに分類できる。

 当然三つ目に分類された人間に該当するのが術師だ。

 割合としては言うまでもなくただの一般人が圧倒的に多い。
 そして次に霊力だけを持った視える人間が少数おり、霊力と呪力の両方を持つ人間はそれよりもさらに僅かな数となる。


 こんなご時世だ。
 他人を呪おうとする欲望に塗れた人間や霊被害はこの世に腐るほど蔓延っている。

 しかし悲しいかな、それを対処する術師の数が全く足りていないのが現状だ。 

 呪術業界はどんな時代も常に人手不足問題を抱えており、実は大忙しの職業と言える。
 そのため、術師を統括している術師会は極力全ての術師を組織に引き入れ、もっと効率よく仕事を回したいというのが本音だろう。

 だから度々フリーの術師を集めるような動きを見せ、術師の量と質、その両面からの向上を狙っているのだ。


 さて、少し話が逸れたが、以上の概念から今回千景が神との関わりにおいて代償として差し出したのは『呪力』ということになる。

 今まで通り霊的存在の姿は視えるし気配も感じる。
 もちろん声も聞こえる。
 けれどもそれらを祓ったり調伏ちょうぶくしたりすることができなくなってしまった。

 それに伴い、誰かを呪うことも、呪いを解くこともできなくなった。

 つまり今の千景は体内に呪力が全く無く、呪術が使えない。
 霊と遭遇したとしても逃げるしかない、ただ視えるだけの人間になってしまったというわけだ。

「山神に手を貸した時に一度呪力も霊力も空っぽになったから、最初はただ回復が遅いだけだと思ってたんだよ。でもいつまで経っても戻んないし、かと言って霊が視えなくなったわけでもない。そこでやっと気づいたね。ああ、呪力をごっそり持っていかれたんだって」

 その日のうちに薄々感じてはいたが、翌日になっても欠片も回復していなかったことから千景は全てを悟った。


 あのとき、目下の千景の呪力量では代償として差し出すべき呪力量に足りていなかった。
 だから”前借り”という形でその時点から先、時間と共に回復するはずの未来分の呪力を取られた。

 どれ程先の分まで奪われたのかは知らないが、その時が来るまで千景の体に呪力が廻ることはないのだ。
 

 あれから一週間ほど経つが、未だに呪力が戻る気配はない。

 幸いにも今のところ手に負えない厄介ごとには遭遇していない。
 何かあったとしても朱殷と銀がある程度片付けてくれるので大きな問題もない。

 しかしこの生活がいつまで続くのかと考えれば、溜め息のひとつも吐きたくなるというものだ。

「なるほど……大体の事情はわかったわ。それで、まさか一生呪力が戻らないなんてこともあるのかしら?」

「いや、それはたぶんない。根拠はないけどいつかは絶対戻る気がする。でもそれが果たしていつなのか。明日か明後日か、一ヶ月後か、はたまた数年後なのか……」

 この厄介な代償からいつ解放されるのかはわからない。
 それでもずっと力を失ったままにはならないという確信はあった。

 山神が言うところの『生命に著しく関わるものでない』を信じるのであれば、いずれは呪力が戻ることだろう。
 何しろ千景が呪力を失い呪術が使えなくなった場合、将来的に命を落とす可能性が格段に跳ね上がるのだから。

「あーあ、やんなっちゃうよねもう。まあしばらくは術師休業してただの人間を楽しむつもりだけど」

「とりあえずこんな状況下でもあなたが意外とピンピンしていて安心したわ」

 確かに呪力喪失が発覚した時は「…………まじかよ……」と心からの嘆きがそのまま口を衝いたが、失くなってしまったものは仕方ない。

 どこからか無駄に湧いてきたポジティブシンキングにより、とりあえず悲観の負のループには至らずに済んだのだ。

「でもこれからどうするのよ。術師としての仕事ができないのなら金銭面的にも困るんじゃなくて?」

「ふふ、大丈夫だよ。店の方はずっと続けるつもりだし、そもそもそこまで貧乏じゃないからね。当面はどうにかなると思うけど。あ、でも学費払わないと。仕入れなきゃなんない呪具もあるし………出費もそこそこ多そうだなあ」

「いつも思うけれどなんで大学行ってんのよ。辞めちゃえばいいじゃない」

「いやいや四年間はちゃんと通うよ。大学だって結構楽しいんだからね。ま、卒業はできないだろうけどさ」

「ふうん」

 煙草を咥えながら相槌を打つ鼎からは、だったら尚更行く意味ないじゃない、と声なき指摘が聞こえてきそうだ。

 しかしこればかりは千景の気の持ちようの問題なので、他人ひとに理解してもらうのはなかなか難しそうだ。

「あなたがいいならそれでいいわよ。何か困ったことがあったら来なさい。食事くらいは出してあげるから」

「鼎ちゃん大好き」
 
 普段から一人前の大人ぶっている千景だが、こういう時こそ周りには頼りになる本当の大人がたくさんいるのだと実感する。
 彼らからすれば千景なんてまだまだ手の掛かる子供扱いなのだろう。


 千景はカップに残った珈琲を飲み干し、今度こそ立ち上がった。

「じゃあ解析の方よろしくね。珈琲ごちそうさま」

「終わったらまた連絡するわ」

「りょーかい」

 何がとは言わないがほっこり満たされた千景は、帰り道で変なものに遭遇しないようフラグ建設にならない程度に祈りながら相模宅を後にした。
 

 
 ◇ ◇ ◇

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