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第二章
第67話 廃校舎の怪〈八〉
しおりを挟む何事もなかったかのように廊下に戻れば、意識のあった三人は心底ほっとしたように息を吐いていた。
千景と煉弥を心配していたのもあるだろうけれど、それ以上に真っ暗な廊下に残されていたことが不安だったようだ。
離れていたのは十数分ほど。
それでも彼らにはかなりの心細さが募っていたらしい。
意識を失っていた日々野部長と相澤も間もなく目を覚ました。
いろいろ混乱していたようだが、意識ある組総出で「肝試し中にビビりすぎて気絶した」と説明すれば、疑う余地はなかったようだ。
ひとまず皆を連れて外に出る。
廃校舎を満たしていた瘴気も、死霊を引き寄せていた怨念も、すべてはあの少女たちが原因だった。
その根源を成仏させたいま、ここはいたって無害な廃校舎となった。
こういう場所を好む死霊は今後も棲みつくが、今回のように瘴気で満たされることはないだろう。
後で知ったことだが、少女たちと理科教師の間には個人的な関係があったようだ。
理科教師が複数の人間に手を出すようなクズ男だという話はさておき、少女たちが男に愛情を抱いていたのは本当だった。
頭蓋骨を持っていた少女の『大好きだった』という言葉は本当だった。
その”大好きだった男”に裏切られるような形で命を奪われてしまったために、あのような制御しきれない怨念が生まれてしまったのだろう。
愛情は怨みと表裏一体の劇物だ。
取り扱いを間違えればまったく違う感情に塗り替えられてしまう。
それはひどく悲しいことで、けれども人間が人間らしくあるためには大切なものでもある。
もし、本当に死後の世界があるのなら。
少女たちには裏返ることのない愛情に触れて欲しいと願う。
「…うーん、なんか途中で気を失って記憶はないけど……とりあえず皆の者、お疲れ!! 実に楽しい肝試しだったな!」
「うっす!!」
「……うん…」
「……そうね…」
「……っすね…」
温度差の激しいオカルトサークルの面々についつい苦笑する。
後者三人に至っては、激しい精神疲労により満身創痍気味だ。
千景もそれなりに疲れた自覚はあるが、やはり慣れと経験値の差はこういうところで大きく出るらしい。
「よし、無事にオカルトミッションもクリアしたことだし、今日はこれで解散としようか」
「ええ~、このあと一人で帰るの怖いよぉ。未生ちゃん一緒に帰ろ~」
「ええ。是非とも」
「臣! 俺もっ…」
「はいはい。怖いから一緒に帰ろうな。部長は一人で平気ですか?」
「……ハハ、途中まで一緒させてもらえるとありがたい」
「はいはい」
なんとも微笑ましいやりとりを繰り広げるサークルメンバーとは廃校舎を出たところで別れた。
万が一のためにと、別れ際にこっそり清め祓いをしておいたので彼らの身は安全だ。もちろん呪術を施したのは煉弥だが。
時刻はとっくに午後十時を回っていた。
あまり長居したつもりはなかったのだが、ぎゃあぎゃあと騒ぎながら肝試しをしているうちに時間は過ぎていた。
「………疲れた」
しみじみと漏れ出た溜め息は満天の星空に消えていく。
ふと隣を見上げてみれば、こちらも溜め息が似合いそうな顔をした煉弥があくびを噛み殺していた。
どうやら疲れたのも溜め息を吐きたいのも同じらしい。
「はは、疲れた?」
「疲れた」
「悪かったね。付き合わせちゃって」
「別にいい」
煉弥を連れてきたのは保険のつもりだったが。
こうして終わってみれば本当に連れてきてよかった。
実を言うと一番最初に理科室の扉を開けた時。
全員漏らさず悪霊の霊障を受けてしまっていた。
あの場で深入りせずに無難にやり過ごすこともできはした。
しかしそうすれば、いずれは少女たちの怨念に魘される日々を送る羽目になっていただろう。
そうなったとしても千景と煉弥はどうということはないが、サークルの面々にはきっとつらい日々となる。
だからあの場では悪霊を祓うほか選択肢はなかった。
今日会ったばかりの人間であったとしても、目の前で見捨てようと思わないくらいには情はあった。
「……ほんと、お前連れてきてよかった」
「蛇と狐がいればどうとでもなっただろう」
「こいつらが扱うのは呪術であって呪術でない。成仏を促すことはできないんだよ。ね」
ピン、と朱殷の鼻先をつつけば不機嫌そうな赤眼と目があう。
今日はずっと喋らず動かず何もせずを貫いていた朱殷。
それでも千景がビクッと身を震わせるたびに細長い体に器用に力を込めていたのを知っている。
慰めのつもりか、ただの気まぐれか。
どちらにせよこの白蛇のわかりづらい優しさが愛おしかった。
とはいえ、この白蛇ほど優しさなんて言葉が微塵も似合わない生物もそうそういはしないけれど。
ちなみに今日何気に働いてくれた銀は、現在千景の腕に抱えられたまますぴすぴと船を漕いでいる。
やはりふわふわ毛玉は正義だと改めて実感させられた。
溜め息と一緒に意識的に体から力を抜けば、きゅるりと腹の虫が鳴った。
そういえば今日はまだ夕食をとっていなかった。
肝試し騒動で忘れかけていたが、普通に空腹だ。
「ねえ、お腹空いたんだけど。煉はご飯食べた?」
「その前にお前に呼び出された。帰っても何もねえぞ」
「じゃあ今日は外だね。疲れた体が糖分を欲してる」
「俺は普通に飯が食いたい」
「ファミレスでいい? ふふ、お前そういうところ似合わなさそう」
「知るか。どこでもいい」
「てかこんな時間だけどまだやってんのかね」
閉まっていたらどこかファストフード店にでも入ろう。そして糖分を摂ろう。
そう心に決めた。
(…そういえばあいつ、視えてるくせになんのアクションも起こしてこなかったなぁ。……まあいっか)
些細な疑問は空腹の裏に押しやって。
ひとまず直近の欲求を満たすべく街に向かって夜道を歩いた。
後日、その人物から「痛い目にあわせたい奴がいる」と相談を持ちかけられたのは、それから一週間後のことだった。
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