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第二章
第三十三夜 . 太客
◇ ◇ ◇
例えばホストクラブだったりキャバクラだったり。あるいは風俗店だったり。
そこに程度の差はあれど、”自分を売る”ことで金を稼いでいる人は多い。その中でもとりわけ人気を誇るランカーたちは、必ずと言っていいほど”太客”というものを持っている。
文字通り”自分を売る”ことを生業としている『黒吉原』でも同じことだ。
ランキング上位に名を連ねる者たちは、多かれ少なかれ、定期的に訪れては一夜の逢瀬に大金を落としていく客を抱えている。
そしてそれは俺も例外ではなく。
今日ふらりとやって来た、いま目の前にいるこの男こそが、俺の一番の太客なのである。
とくとくと男が持つ猪口に酒を注ぐ。
なみなみと満たされた液体はひと煽りで体内に収められ、再び空となったそれが差し出される。
すでに相当量のアルコールを入れているというのに、男に酔いが回る気配がまるでないのはいつものことだ。
「なるほどな。それでこの間の座敷にお前がいなかったわけだ」
「文句なら楼主にどうぞ」
「本当に言っていいのか? 後悔するのはお前だろうに」
「………やっぱりなしで」
「ククッ、冗談だ」
くつくつと低く笑った男は、悠然と組んでいた胡座の上に頬杖をつく。
もう片方の手はこちらへ伸ばされ、俺の横髪をさらりと耳にかけた。そのまま輪郭をたどり、顎下を撫でてから離れていった。
相変わらずこの男は俺を猫か何かと勘違いしているらしい。
いやまあ、『黒吉原』ではネコって認識で間違いねぇけども。
「やはり酌を受けるならお前に限るな」
「この前も別のネコたちを代わりにつかせたはずだけど」
「俺が誰でも可愛がるような軽い男に見えるか?」
「遊び人が何をぬけぬけと」
俺が悪態を吐こうとも、男はただ愉快そうに笑う。
楼主やタチ最上位陣に負けず劣らずの美貌を誇るこの男。名は九条という。
シャツのボタンは上まで留め、きっちりネクタイを締め、禁欲的にダークスーツを着こなす姿には一分の隙もない。
だが間違っても会社員だとか芸能人だとか勘違いしてはいけない。そんなキレイな存在とは程遠いのだから。
男の正体は、関東を中心に広く勢力を持つ、国内でも指折りの反社会的組織〈条龍会〉の人間である。しかも結構な立ち位置の。
どの程度の立場にあるのか本人の口から明言されたわけではないが、その言動や風格、たまに入る〈条龍会〉の座敷での立ち居振る舞いから見ても、ただの下っ端構成員などではないことが窺える。
外見はクソ楼主と同じく若々しく見えるが、果たしてそれが実年齢と合致しているのかさえも疑わしいところだ。
とにかく、普通に生きていれば決して関わることのなかった、正真正銘裏の社会を生きる人間なのである。
先ほどのような軽口など、簡単には叩けないような。
「───何か考えているな」
「……ッ、」
ほんの数瞬だったはずだが、どうやら少々意識を飛ばしすぎていたようだ。
横から伸びてきた手に顎を掬われ、近いところで男と視線が絡む。そこに荒々しさなどまるでなくとも、否応なしに体が強張る。
「何をそう怯えている? 今更怖がるな。そんな付き合いでもないだろう」
一言一言、ゆっくりと。
言い聞かせるように低く言葉が紡がれる。
……怖がるなだって?
馬鹿を言うな。俺はいつだってあんたが怖い。
もともとヤクザとはまるで無縁の世界を生きていたんだ。『黒吉原』に来てからそれなりに経験を積みはしたが、そう容易く恐怖心まで拭えるものではないだろう。
「……今までだって、俺が怖がるような付き合いしかしてこなかったと思うけど?」
「随分な言い様だな」
「あんたを怒らせて良いことなんて何もないんだよ」
「安心しろ。今のところ怒る気もなければ条件を変える気もない。まあ、お前次第だがな」
ほら、そうやって。
言葉の節々に脅迫を含ませるのだ。
くつくつと笑いながらこぼすその言動が本気なのか、はたまたただの言葉遊びなのか、俺には分からない。
ただ、俺にとってこの男は、楼主と同じくらい優先しなければならない相手。
客として俺の元に遊びに来るが、ただの客とは明らかに一線を画す存在。
「ああ、そうだ」
どんなに嫌でも拒絶したくても、ただの”他人”ではいられない。
「この間、お前の両親に会ったぞ」
どんな理不尽があろうとも。
どうしたって俺はこの男に逆らえない。
「引き続き返済は息子にさせるように、とのことだ」
………いったい俺は、あのクズの塊みたいな親を何度殺してやろうと思ったことか。
俺の人生の一番の不運があいつらが楼主に借金をつくったことだとしたら、二番目の不運は性懲りも無くこのヤクザにも金を借りていたことだろう。
よりにもよってこんな極悪野郎どもに借りなくてもいいものを。
そのせいで、俺の命はクソ楼主と、もう半分はこの男に握られる羽目になったのだから。
ギリ、と歯噛みする俺を咎めるように、九条が唇を押し当ててくる。そのまま舌先がねじ込まれ、同時に少し冷たい液体も流れ込んできた。
鼻から抜けるアルコールの匂い。喉を焼き、体内へ落ちていく酒にくらりと脳が揺れる。
口内を荒らすその舌を今すぐ噛みちぎってやりたくても、甘んじて受け入れるしかない。
やがて満足げに唇を離した九条は、俺の顎を固定したままこつりと額を合わせてきた。
至近距離で交わるその瞳はギラギラと俺を捉えていて。
「俺の気が変わらないよう、せいぜい励むことだ」
じんじん痺れる脳が言葉の意を理解する前に離れていった九条は、荒く息を乱す俺を愉快げに眺め、猪口に残っていた酒を一度に煽った。
「また来る。───毒蜘蛛野郎によろしくな」
男のいなくなった空間でゆっくりと息を整える。
せめてもの救いは、忙しい九条がそう頻繁には来ないことと、毎回性交を求められるわけではないということだった。
◇ ◇ ◇
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