僕だった俺。

羽川明

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 二日目  「変わり始めた明日」

その五

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           *

「あぁ、あったあった。あれよあれ、あのバス停から乗るの」
 しばらく人気のない住宅街を歩いていると、やがて少女がバス停を見つけ、俺の方に笑顔で振り返った。
 その表情からは、一片の陰りも、恐怖も、まるで感じられなかった。
 間違いない。コイツは、心の底から笑っている。
 そしておそらく、この状況を誰よりも楽しんでいる。


 バスの中はさほど込んでおらず、俺たちは座席に座ることができた。
 少女はやや遠慮ぎみに、俺から少し距離を置いて座った。しかし、腕を伸ばせば余裕で届くような距離だった。
 よくよく考えてみれば、あの時の彼女はどこかわざとらしくかった。しかし、一応の距離を開けて座っているし、彼女の家も、特に変わった様子はなかった。ではなぜ、彼女はこの状況を楽しんでいるのだろう。いわゆる〝変人〟か。いや、きっと違う。
安易に決めつけるのは失礼だ。
 俺もよく、そんな風に言われるから。
「テメェ、ぶつかっておいて謝りもしねぇとか、なめとんのか?」
 目の前で、歯切れの悪い不協和音がした。不愉快だ。
 そう言えばさっきから、妙に静かだな。
さっきまであんなにうるさかった女子たちは、もう降りたのだろうか。
 いつの間にか閉じていた目を開く。
 ずっと閉じていたせいで少しぼんやりとしているが、あの女子高生たちはまだ、バスを降りていなかった。彼女らは俯いて、居心地悪そうにスマホをいじっていた。ずっとスマホにばかり視線を落とし、全く顔を上げようとしない。見回せば他の乗客たちも同様だった。
 それも指で忙しなく画面をスライドさせ、あまり意味が合うように思えない。ちらちらとどこかの様子をうかがったかと思えば、またすぐに視線を落とす。
そして彼らがスマホを持つその手は、かすかに震えていた。
まるで何かに脅えるように。
 何だ? ふと隣を見ると、少女、橋本も、スマホこそ持っていなかったがやはり視線を落とし、俯いていた。
そして時折ときおり、こちらをすがるような目で見つめてくる。
 俺が疑問を浮かべているのを察したのか、橋本が俺に前を向くよう目で合図してきた。
 視線を辿ると、その先にはあまりに不愉快なので見ないようにしていた人間不協和音がいた。そいつは、無意味に髪を金に染め、鼻に重そうなリングを通していた。
 まるで牛だ。さすがは不協和音の代名詞。姿を見るだけで不快だ。
 さっきは一瞬しか見ていなかったので気付かなかったが、俺の目の前で不協和音の化身のような奴が気弱そうなサラリーマンに難癖をつけていた。
俺はようやく気がついた。
 乗客たちが視線を落としているのは、この二人に関わりたくないからだ。
つまり彼らは逃げているのだ。目の前の現実から。
 助ければ自分も襲われるから、関わりたくないから、自分は動かない。
 大丈夫、どうせ誰かが助けてくれる、そう、思い込んで。
 いもしない誰かに頼って、自分は関係ないからと、知らないふりをして。

 ――――でも、そうゆう僕は、誰かになれるのだろうか。
 彼を助けられるのだろうか。いや、何を言っているんだ。僕はもう、死ぬんだから、今の僕なら、何だって出来るはずじゃないか。今までだって……
 ――――そう言えば、誰かを助けたことなんて、今まで一度もないような気がする。
 彼女だって、結局は巻き込んだだけだし。
 今、目の前のサラリーマンを助けたら、僕は変われるかもしれない。

 でも僕は、動けなかった。体が震えて、足が竦んで、声を出すことすらできない。
僕の目の前では今も、罪のない男の人が、不良に絡まれている。
僕の目の前で、不良が、金を寄こせと脅してる。それでも僕は、動けない。
僕は変わったはずなのに、何でもできる、はずなのに。怖くなんかないはずなのに。僕の体は酷く震えて、まるで言う事を聞かない。
 僕はただの、アルジャーノンだったのだろうか。
 僕も、あの白い鼠のように、一時は天才になった主人公のように、やがて元よりも弱くなってしまうのか。僕はもう、変われないのだろうか。強くなれないのだろうか。
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