パラレヌ・ワールド

羽川明

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四章 「五光年先の遊園地」

その三

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「――――見えてきました、アレです、アレ!」
 交通量の多い住宅街の一角で、魚々乃女さんは横断歩道の向こうを指さしてはしゃいでいる。どうしてか、さっきからやたらとテンションが高く、ずっとこんな調子だ。
「大貫(おおぬき)ぃーーー! 友達を連れてきましたわよぉーーー!!」
 歩道の向かいに立つ初老の男性に、やっぱりハイテンションで手を振る魚々乃女さん。黒いスーツに紺の蝶ネクタイをした白髪の男性は、にっこりと笑ってそれに答える。黒ぶちの丸いメガネが優しげな印象を放っていた。
「ひょっとして執事かナニカ?」
「まっ、まさか。あれは、…………そう、ご近所の、大貫さんですわ」
 苦しい言いわけだった。
「ホントかよ」
「えへへっ、いいですね、いいですねっ!」
 万美さんは今日もご機嫌だ。

           *

「改めまして。執じ――――オッホン!! ……ご近所の、大貫(おおぬき)と申します。この度は、ご足労(そくろう)いただき、ありがとうございます」
 口調が完全に執事だった。
「イマ執事って言おうとしなかった?」
「気のせいかと。それより、ささ、中へお入りください」
「あぁ、どうも……」
 恐縮しながらも、まっさきに入っていく樹理さん。トモカさんはまだ納得のいかない顔で唸りながらも玄関に上がった。万美さんもその後に続く。
「それにしても――――」
「いかがなさいましたか?」
「いえ、なんというか。普通の家だなぁーって」
 そう。意外なことに、魚々乃女さんの家はごくごく普通の一軒家だった。
 あの喋り方や普段の態度からして、完全に上流階級のお嬢様が住む大豪邸を想像していたので、どうにも違和感があった。トモカさんが腑に落ちない様子だったのも同じような理由かもしれない。
 横向きにすれば車がとめられる庭に、横に広い二階建ての一軒家。二世帯住宅と言われれば、十分納得できる広さだった。
「はい。真九理(みくり)お嬢様からの強い要望がありましたので、この別荘は庶民的なつくりに……」
「別荘?」
 思わず聞き返すと、斜め後ろから魚々乃女さんの無言の圧力が伝わってきた。
「――――オッホン!! いえ、失礼、なんでもございません。ささ、どうぞ中へ」
「は、はぁ……」
 なんとなく、種がわかった。多分ここは、魚々乃女さん専用のお屋敷なんだろう。いつかできた友達を家に呼ぶときに、庶民感を取りつくろうための。
「――――大貫、五人分のベッドとディナーを大至急用意してくださいまし」
「かしこまりました」
 背後で飛び交う会話は聞かなかったことにして、僕は玄関に上がり靴を脱いだ。
 扉の少ない一本道の廊下は、まっすぐリビングへと続いていた。
「カズマさん、大貫はお隣さん、ですからね?」
「……そうですか」
 追いついてきた魚々乃女さんに念を押されつつ、僕はリビングへとつながるすりガラスの扉まで歩いた。さっきに行ったはずのトモカさんたちも、なぜかそこで待機していた。
「どうしたんです?」
「いや、ナントナク入りずらくて」
「中にどなたかいらっしゃるみたいなんですよ」
 確かに、ニュース番組特有の冷淡なナレーションが聞こえてくる。誰かが見ているのかもしれない。
「大貫がテレビなんて、珍しいですわね」
 一向に誰も入ろうとしないので、見かねた魚々乃女さんが先頭に立ち、率先してドアノブを回した。すると目の前のソファに、青いストレートの髪に、水色の瞳をした男の子がふんぞりかえっていた。
「あれ? 姉(ねえ)ちゃん……」
 口調がどこか上の空だ。僕らを見て驚いているようだった。
「ギョギョッ! まっ、マサキ、今日は家で大人しくしていなさいって言ったでしょう!?」
「えー、家だと母さんがうるさいし」
「ならゲームセンターでもなんでも行けばいいじゃありませんか!」
「金ないし」
「……くっ、今回だけですよ?」
「やったー!!」
 交渉の末、魚々乃女さんの財布から一万円札を二枚抜き取ると、弟さんはうれしそうに走り去って行った。
「とほほ、今月のお小遣いが……」
「二万も渡しちゃったんですか?」
「へ? だって、ゲームセンターは何をやるにも最低千円はいるのでしょう?」
 魚々乃女さんは、至極(しごく)大真面目な顔をしていた。
「へぇー!? そっ、そんなにするんですか!?」
 同じく本気で驚いているらしい万美さん。
「…………いえ、高くても、一回五百円くらいかと」
「え?」
 魚々乃女さんの顔が凍りつく。
「まぁ、普通そんくらいだよな」
「……それは、本当ですの?」
「ソじゃない? ワタシもたまに行くけど」
 固まったまま、青ざめる魚々乃女さん。
「ゲームセンターとか、行ったことないんですか?」
「はい……」
 怒る気力もないらしく、魚々乃女さんは口から魂が抜けたかのように、膝から崩れ落ちた。
「はは、ははは…… 私(わたくし)は、今の今まで、弟に騙されていたんですの?」

 ――――なんというか、哀(あわ)れだった。
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