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【1st】 Dream of seeing @ center of restart
Dream of seeing @ center of restar
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(1)
ゆらゆらとゆらぐ、やみのなか。
あわのよう。
ああ、はっきりしないわ。
しゃぼんだまのようにしーんがうかびあがる。
「あなた、また別れたの?」
「……そうみたいね」
「そうみたいって……またふられたのね」
「理由はいつもと同じよ」
「言い寄られて、仕方なくつきあってちゃそりゃそうでしょう。これで何人目だっけ、えーっと、6?」
ああ──。
これは…………二十歳の頃だわ…………多分。
「今回のが7人目ね──もう数えないわ。それなりに愛着もって接していたつもりなのだけれど。えっと──。“俺と一緒に居てそんなに楽しくない? もうムリしないでくれ。ごめんな、俺のわがままに付き合ってもらって。だけどもう、いいから。別れよう。一緒に楽しもうって思えない二人なら、付き合ってても仕方ないよ”──だったかしら」
昨日?──時間の感覚が無いわ──6年も“頑張った”8人目と終わったわ。
正直、彼が悪いとは欠片も思っていない。私に問題があるのは、今までの理由からわかる、私は何も変わっていなかった。彼は実に忍耐強かったとさえ、思う。馬鹿みたいに無理をする私、それに気付きながら無理をする彼。長い時間、彼は傷つき、私も多分傷ついた。どちらがどれだけ傷ついたか、なんて馬鹿馬鹿しい。そう考えたら、彼の理由もあながちデタラメじゃなかったのではないかと思えた──一緒に居てもお互いの為にならない──そうね、きっとそうね。別れを切り出させて、ごめんなさい。──嫌な女。陰口を叩かれて当然ね。
──……なんで私、こんな夢を見ているのかしら。昔の事、思い出したってしようの無い。もう恋──始まっても、いなかった──は終わっていて、反省して取り戻しに行くなんていう状況じゃない。そんな気力も想いも、無いわ。
「まぁ、未来希がそう言われちゃうのもわかるけどね。女同士なら諦めつくというか付き合い方があるけど、男にはキッツイのかもねー。だってあなたの笑顔は? 基本的に高いし?」
「高いってどういう意味かしら。楽しんではいるのよ? 私だって。多分」
その友人は笑った。
「だって、多分じゃねー。未来希ってモテるくせにソレだからね、嫌味な娘ねー」
「あなたははっきり言ってくれるからいいわ。影でこそこそする連中は鬱陶しくて……。それに、モテるって言われても困るわ。こんなのただの地獄よ。告白されるまでの一方的な恋、告白せずに諦められるまでの一方的な恋。そこから始まる誤解と泥沼。こんなのに一体どれだけつき合わされたらいいの。“お付き合い”をしてみたら“お前の人間性がわからない”だなんて一体どこを好きになったと──。ああ、ごめんなさい? 愚痴なんてくだらない──」
相手の片想いがいつも始まり。間断なく。
私は何も望んじゃいないのに、なのに、同性の非難の目はやまない。
同性から言われる『憧れていました!』──そう、過去形、そして続く『でも』。
知らないわよ、貴女達の思い人の視線を、気持ちを私が奪おうが。私はいつも、何もしていない。こんなにも冷たくしているじゃない。蹴飛ばしても駄目ってなに。
誰も知りもしない私を想うなんてやめて、本当に迷惑だわ──。
誰にも、心を預けられない自分、愛をモテナイ自分。鉄の女、あながち比喩じゃないかもしれない。ひんやりと冷たく、硬くて形を変える事も出来ない。きっと端は尖っていて、刃のようなんだわ。男だろうが女だろうが、どんな風にでも近付く人を傷つけて、不幸にするだけなんだわ。
だから、もう、いいわ。もう身に染みた、充分よ。
もう、恋に付き合ったりしない──。
もう、馴れ合いもいらないわ。
友人は言う。
「泣いていいんだから、泣いちゃいなさいよ」
「泣かないわよ」
なんで私が。
──誰の為に泣くのよ……涙が、勿体無いわ──
その時々、楽しいとは、思っているのよ。多分。
振り返ると、楽しかったという事を封印してしまう、取り立てるような事じゃなかったと記憶する。
だって、声が聞こえるわ。
──自分から楽しんではいけない──
きっちりとブレーキを落とし込んでくるわ。
──嗜み好む事など不要だ、楽しもうとしてはいけない──
とても重たい、楔のように。
──また、気分次第で大罪を犯すつもりなのか──
目をそむける事なんて出来ないかのように。全身を縛る。
──お前が楽しもうだなんて、思うなっ!!──
誰の声かわからない。
多分、自分のもののような気がする。
こんな根暗な性格は、自分が一番、好きになれそうにない──なんて、お笑いね。
生きていくのに大した問題ではないわ。そんな事に気付かない程、甘くもないし、馬鹿でもないわ。笑えるわ。自分を好きになれない、だなんて。あんまりにも子供じみているわ。本当に笑えてくる。大丈夫よ、自分の好きな部分も沢山あるもの。
──些細な事を日々忘れておくのなんて、難しい事ではないわ。
──だから──
『……置いて、いかないで……』
──ひとりでいける──
『ミラノ……こっちよ……』
──ひとりで──
『ミラノ!』
────
『私と、ともに!』
確かな白い輝き。
黒色を切り裂く。
闇の中でまどろむ意識。
引き寄せられる。
捕らえられる。
大きく、包み込まれる。
開かれる視界、白い世界の中心。
覗き込んでくるのはキラキラした深い蒼の瞳。
涙を浮かべ、大輪が開くような笑顔──パールフェリカ。
目を覚ます、と言っても、持ち上げた手は頑丈な生地で出来たぬいぐるみの丸い手だった。
ならば耳もあるのか、そう思ってちょっと意識すると、右耳がペシンペシンと軽く床を叩く。左耳は動かない。左手で引き寄せると、綿がペッタンコになっていた。
いつの間に……。
ただネジネジになっていただけのはずが、もはやペタンコで少しでも風が強い所に行けばピラピラと流されてしまいそうな程だ。
“うさぎのぬいぐるみ”は、上半身を腰で折り曲げて自分の力で起こしている、そんな状態だ。それを真正面から両膝立てて見下ろすパールフェリカ。その後ろにエステリオが居るのだが、彼女は目を見開いて瞬かせている。どうやら現状に驚きつつ、把握しきれていない様子。
うさぎの体でミラノがよいしょと立ち上がると、パールフェリカが膝立ちのままギュワッと抱きついてきた。
「ミラノォ!!」
それこそ、綿の体にとっては死活問題だ、左耳のようにペラペラになると動けないなら。
「パール、離してくれる? 体まで綿が固まってしまいそうだわ」
「あ……うん……ごめんね?」
パールフェリカはにへにへと笑いながら離れた。そしてその深く蒼い目で“うさぎのぬいぐるみ”の赤い目を見る。
「……パール? ……元気になったようですね?」
「えっと……? うん! 平気だよ!」
よくわかっていないながらパールフェリカは元気よく頷いた。先ほどまでのトランス状態の時の、またその前までのミラノを見失って落ち込みきったパールフェリカはもう、どこにもいない。
「ところで、ここはどこです?」
「サルア・ウェティス」
パールフェリカの返事にタイミングを合わせたかのように、焦土の向こう、海上で“使い”とフェニックスのブレスが激突、爆裂し激しい光をばら撒いた。その光は、“うさぎのぬいぐるみ”の横っ面にも流れてきた。顔の半分に濃く影が落ちる。
「…………」
“うさぎのぬいぐるみ”が、無表情のまま押し黙る。
「あれ? 聞こえた? サルア・ウェティスだよ? ……あ、そっか! 王都の北の方にある砦だよ?」
パールフェリカはどうやらミラノが聞き取れなかった、あるいはサルア・ウェティスが何なのかわからないのかと思って、説明をしてくれている。親切なパールフェリカから“うさぎのぬいぐるみ”は顔をそむけ、海上に向けた。そして、視界に居たネフィリムの隣までひょこひょこ歩み寄った。
「……今、お忙しいですか?」
「忙しいが、君が再召喚された事にも私は興味が尽きない」
左手は真っ直ぐ下に、右手は腰に当てて支え、ネフィリムはフェニックスとティアマト、“使い”を見据えている。
「──私の最後に見たものは、貴方がまだこことは異なる、城で、空に“炎帝”と共にあって、ワイバーンを追い払っていた所です。
あれから、どれほど時間がたっています?」
「それから翌々日だね」
“うさぎのぬいぐるみ”は首を傾げた。
「…………そうですか」
「……ミラノ……!」
後方からのパールフェリカのやや鼻声がかった声に、“うさぎのぬいぐるみ”は顔を向ける事は無かった。ただ、ドドーン、ドーンと視線の先の光線を、その無表情に受けて立っている。
「…………」
返事をしない“うさぎのぬいぐるみ”に、パールフェリカはネフィリムと反対側の隣に回りこんだ。
「…………ミラノォ……どうしよう?? みんなが…………みんなが…………!!」
パールフェリカとしては、ミラノを無事再召喚出来た事で周囲の事への意識が復活し、砦下で戦うガミカ兵、そして眼前で戦うティアマトに騎乗するシュナヴィッツ。そして、ここでフェニックスを操り、既に力の多くを失ってしまっているネフィリムの事が心配でたまらなく、胸が締め付けられる思いだったのだ。それは、パールフェリカの声を聞けば、すべて読み取れる。
「……………………」
「ミラノォ、お願いよぅ、なんとかしてぇー!!」
いつの間に製造されたのか、大量の涙を撒き散らしてパールフェリカは“うさぎのぬいぐるみ”に抱きついた。
“うさぎのぬいぐるみ”のミラノは慌ててぬいぐるみの手で受け止めてやる。パールフェリカはうさぎの胸に顔を埋めてえぐえぐと泣く。ミラノはただ、胸元の生地がびっしょりと濡れていく様子を見る。例の如く現実から逃げ出そうとするミラノの脳裏には、某青色の猫型ロボットと冴えない眼鏡の少年の日常風景がいつもの音楽と共に再生されていた。
それでも、やれやれと妄想をシャットアウトし、首だけをぎぎっとネフィリムに向ける。
「……………………人知を超えてるんですが? あれ」
もちろん、一山ありそうな巨大な海竜を指している。
“うさぎのぬいぐるみ”の無表情っぷりと淡々としたその声に、ネフィリムは言う。
「………………だねぇ。何せ、神様の召喚獣だから」
絶望的な、もう打つ手など無いに等しい状況で、追い詰められていた。にも関わらず、ネフィリムの声は不思議と笑みを含んでいたのだった。
(2)
抱きついているパールフェリカをそのままにして、“うさぎのぬいぐるみ”の赤い目はずっと高いところにあるネフィリムの顔を見上げる。
「あれに関する情報はありますか?」
ネフィリムは相変わらず、赤やら白やらの光を撒き散らす戦線を見つめたまま、答える。
「──召喚獣リヴァイアサン。一々誰も確認しないが、“神”が海の上に召喚した巨竜ならば、それしかいない。創世の時代、海の生物を最初に支配したのはあれだ。死後、神の召喚獣となった。過去一度だけ、召喚されている。それが、私達の勝てる見込みが無いという理由なんだが」
「勝てる見込みが無い、ですか?」
「地上の生物全てをドラゴン種が食い散らかそうとしていた。パワーバランスが違いすぎた。強すぎたんだね、竜種は。そのドラゴン種を地上から消す為、天罰を下す為、“神”はリヴァイアサンを召喚、見事地上全てのドラゴンは死滅した、と。その時殺されたドラゴンにはもちろん、あのティアマトも含まれていた──勝てそうにないだろう?」
ミラノは自分の居た世界での“リヴァイアサン”というものを思い出している。超が付くほど有名な幻獣だ。海で起こる天変地異はすべてこれのせいとさえ言われた巨大な竜、その一泳ぎで海が割れ渦を巻いたとか。冷酷で獰猛、硬質な鱗でよろわれ、武器や砲撃は効かず、遭遇したら逃げるしかないもの、という伝説だ。
「なるほど、そうですか」
ワイバーン来襲の時よりも事態は酷いのだなと、ミラノは感じた。
ネフィリムは相変わらずクールなミラノのリアクションに、現状は破滅的だがつい、笑う。無表情の声がなんともシュールなのだ。
「私の“炎帝”は、見てわかる通りあそこで、最大サイズで頑張っているが、特性上、大味な技ばかりでね。あそこまで硬い鱗でよろわれていると手の打ちようがなくなる。一定以下のレベルのモンスター、あるいは召喚獣・霊駆除には向いているが、被害も拡散してしまうんだ。その点ティアマトは、様々な状況に対応が可能でね、今もあれの攻撃だけが頼みだ」
それこそ、樹を含めた巨城エストルクと同等の、都庁サイズの巨大な火の鳥が、海を焦がさんばかりに舞っている。口や羽から熱光線や熱風、火炎を吐き出して、空を埋め尽くさんばかりの罠と弾幕を張り巡らす。全て、ティアマトの援護である。
反対側の空。フェニックスの1/4程の大きさではあるが──十分巨大怪獣ばりの──全身が鏡のように白銀に輝くティアマトが舞っている。ティアマトの吐き出すブレスは巨大で、本体の5倍以上に拡がる、種類も吹雪、氷、雷、火、爆炎、毒針と実に多彩。それらの力の源となるのは、召喚士だ。乗っているであろうシュナヴィッツの姿など米粒ほども見えないが。汗水流して戦っているのだろう。
現状、召喚獣でまともに空を飛び、“使い”リヴァイアサンの攻撃をかわしながら戦えているのは、この2者のみ。あとは地上に降りたモンスターを相手にしている。
「ネフィリムさんは、“炎帝”に乗らないのですか?」
「あんまり乗らないな、危ないから」
そう言って左右の体重を入れ替えて、今度は右手を下に、左手を腰に当てた。
「細かい戦い方が必要なら、この間の、エストルク上空で森や城を焼かないように上下以外に移動しないで戦う、とか条件が細かいようなら、乗って直接“炎帝”に伝えるんだが。基本的に大体お任せだね」
フェニックスに乗らなかったからこそ、先ほどの“使い”の特大火炎ブレスも、その身を盾とさせ、自滅させながら防ぐ事も出来たのだ。
「そういうものなのですか。他の召喚獣もですか?」
「人それぞれというところだね。シュナはただ、自分の体を動かすのも好きだから乗るみたいだが」
「なるほど」
会話をしていると、恨みがましい目でパールフェリカがこちらを見上げていた。一応気付いてはいたが、スルーをしていた。いい加減ミラノはそちらを見やる。
「パール」
名を呼ばれると、スイッチを押されたようにパールフェリカはがしっと“うさぎのぬいぐるみ”にしがみ付いて動き始める。
「ミラノォ、お願いよぅ、なんとかしてー」
泣く。泣くのだが──。
泣きながらぶつぶつと呪文を唱え、“うさぎのぬいぐるみ”の足元に白い魔法陣が浮かび上がり──。
「…………だから、“人”にしてもらっても、あんな大怪獣相手に一体…………」
その姿がはっきりと現れるまでの間に、ミラノはぼそりと呟いたのだった。
──そこには、腕を組み、右手の指はこめかみに当てたミラノが、ぴしっとグレーのスーツを着こなしてスラリと立っていた。足元には“うさぎのぬいぐるみ”が転がる。何故か、飛んで無くなってしまったはずの髪留めが復活している。
パールフェリカはえぐえぐと涙をこぼしている。けが人は続々と運ばれており、大地の焦土っぷりは激しさを増している。遠くから見ていて、いずれここも戦場になるのではないかと危惧させる。それはわかるのだが。
「……それに、なんとか……て──」
この沈黙にはネフェリムもシュールだと言って笑う事はなかった。確かに抵抗はしているが、リヴァイアサンに直接何か出来る事などない。結果としてプロフェイブからの援軍を待っているような状況だが、間に合わないだろうし、着いたとしても彼らは地上のモンスター位しか相手に出来ないだろう。そんな結果が見えているのだから、わざわざ力を借りたくなどない。
ネフィリムは1時間もしない内に、総撤退命令を、下すつもりだ。
「──ネフェリムさん」
腰にしがみつくパールフェリカをそのままに、そこから上をネフィリムにミラノは向けた。
「なんだい?」
ネフィリムは返事はするが、戦線から目を外すことはない。“炎帝”との繋がり、命令を行う為だ。ネフィリムはこちらを見ないがそのままミラノは問う。疑問形だが、声は淡々としている。
「なぜ、そんなに余裕に構えているのですか?」
「え? そう見えるのかい?」
「見えます」
「まぁ、撤退だろうなとは思っているし、国土を捨てさえすればきっと逃げられる。プロフェイブやらもっと大きな国々が連合組んで立ち向かえば、何十年何百年もかければこれもなんとか出来るだろう。出来なくても、大国が動かなくてはならない状況で、ガミカとしては最悪さっさと国として滅んでしまえば特に気にする所ではなくなるだろう──と、そう、考えている。現状私達は逃げるしか出来ない、私は撤退命令を出すのを見計らっている。もしかしたらそれで、余裕に構えているように見えるのかな?」
「そういう事ですか」
ミラノは実に冷徹な目をする。それは、ネフィリムの言の為だ。ネフィリムは“滅ぶ”事も視野に入れている、それを受け入れるからこその目である。パールフェリカがちゃんと話を聞いていたなら悲鳴ものだ。
「方針は固まっている、不安はない、だから余裕だと」
ミラノの言葉にネフィリムは嬉しそうににっこりと微笑んだ。
「そうだね」
「パールは、何とかしたくて、でもどうしたらいいかわからないから、不安で泣くのね」
ミラノはそう言ってしがみついている亜麻色の髪を撫でた。名を呼ばれて、顔を上げるパールフェリカ。
「だって……みんなが……ネフィにいさまは逃げることをずっと考えていたの??」
どうやら部分的には聞こえていたらしい。
「そうなる。避け得ない」
純粋に涙し、一人一人を思うパールフェリカの心は大切なものだと思いながらも、将来国が存続したならば王となるべき人物はそう断じた。
「で、ミラノはどうしてそんなに余裕に構えているんだい?」
“うさぎのぬいぐるみ”の時とも変わらず、淡々として、きりっと立つミラノに笑みの混じる声でネフィリムは問う。
「余裕に構えているように、見えますか?」
ミラノがそう問い返すとネフィリムはぷっと笑った。
「そのようにしか見えない」
「そうですか」
ミラノはそれだけ言った。
そして、パールフェリカを体から離した。
シャキンとモデル立ちのミラノは首まで流してある前髪を揺らして焦土、海、“使い”を、見渡す。
ミラノの足元に黒い魔法陣がぶわっと拡がる。
大きさは直径3歩分。
その瞬間、パールフェリカがガクリと膝をついた。ミラノがその召喚能力を使うという事は、パールフェリカの召喚士の力を引き抜いているという事なのだ。後ろで見ていたエステリオが慌ててパールフェリカを抱えた。
戦線から視線を一瞬逸らし、そちらを見たネフェリムは逃げると決めているので、その上でミラノが何をするのかと、不謹慎だと感じながらもちょっとウキウキとしている。召喚獣マニアの彼としては、召喚獣ミラノが召喚能力でどのような事をするのか、興味津々なのだ。
そして、ミラノは顎を上げる──やれるかしら。
──出来なかったら出来なかった時ね。
眼鏡を外し胸ポケットへ。目を細め空を、リヴァイアサンを睨んだ。そのまま口を開く。
「私の世界では、逃げるしか道がありませんでした。リヴァイアサンの相手は。現状、私達は逃げても仕方が無い、相手があれではどこに逃げても待つのは死のみ。そういう状況認識で間違いありませんか?」
「間違いないね」
「──わかりました」
淡々として言うミラノ。
ふと、ネフィリムが笑った。
「なんですか?」
「あー、いや……今更だな、と」
「……?」
「──私の最大の敗因は、シュナよりも気付くのが遅かったという点だろうな、と思って」
そう言ってネフィリムは体ごと向きを変え、穏やかな笑みを浮かべてミラノの瞳を見つめた。気付いてミラノも顔をそちらへ向けた。
その視線を受け止めた後、ミラノは一度瞬いてすぐ、ぎゅうっと眉根に皺を寄せた。そして、視線を逸らすように再びリヴァイアサンを見た。
「──……ちゃんと“敗北”して下さいね? あなたの弟だけでも……これから大変なのだから……言葉通じるかしら……」
言いながらいい加減疲れて──発言内容は明らかに“振る予定”である──溜息をこぼしたミラノは珍しく愚痴る。
「…………私には何もないのに」
ネフィリムは一度目を細めて微笑って、再び視線を戦線へ戻した。
「それを決めるのは、君じゃない。もし、生き延びれたら──」
「必ず、生き延びます。だから、何も聞く必要はありません。以上です。よろしいですか?」
ネフィリムをチラリと見るミラノのそれは絶壁の上から見下ろすような冷たい視線なのだが、ネフィリムは一層嬉しそうに、くくっと微笑った。
「ああ。わかった。そういう事にしておく」
(3)
ミラノの頭の中にはあるキーワードが浮かんでいる。
──出来るかしら……やってみれるかしら。
そういう事が出来るのかどうか、やら、そうする為のポイントのマーキングやら、よくわからないなりに脳内で想像の翼を広げる。結局、意識によってコントロールされるならば、一番重要なのはそこなのだろうと、ミラノはあまり深く考えていない。
が、ミラノの足元の魔法陣がグルグルと左回りに、あるいは右回りに回る。加速したり緩めたり。ミラノの視点によって広げられるイメージの展開具合によって変化する。文様が浮き上がり、加わり、複雑になっていく。
ミラノは景色を脳の中に100%スキャニングし、そこにやろうとする事を200%以上の描画で、仕上がりを描く。その細部まで丁寧に、そして最後までの映像をシミュレートする。少しの曇りや曖昧さも許さず、広げる。そうしないと、出来る気がしなかったのだ。それで出来るかは、やってみなければわかりはしないのだが。その想像を一瞬であの海へ写しこむのは並々の精神力では出来ないような気がした。そう思いながら、何はともあれやってみたらいいだろうと、ミラノは適度に肩の力を抜いている。
──それでも、今のままだとちょっと面倒ね。
ミラノはネフィリムを見た。
「ネフィリムさん、海上と砂浜、全員退避させてもらっていいですか? 巻き添えとか、全然予測つきませんから」
「──え?」
「フェニックスから、各召喚獣に伝えさせるとか、出来ないですか?」
「……やった事ないな。私も行けばできるんじゃないかな、試した事もないが」
「ではお願いします」
ミラノの言葉に、ネフィリムは腰に当てていた左手をついと空に掲げる。すぐにフェニックスが戻ってくる。ネフィリムの、ミラノとは反対側に大型トラック級の大きさで着地する。小さくなりながら降りてきたのだ。ネフィリムは、フェニックスの腹の前、その炎の中へ入る前に、ミラノを振り返った。
「どうするつもりかな?」
ミラノは、リヴァイアサンをただ見つめたまま答える。
「──迷惑な来訪者には、お帰りいただきます」
平然と、玄関先にでも立っているかのような、態度で言った。
視界全てに対して意識を飛ばす。
リヴァイアサンを含め、上空に巨大な漆黒の魔法陣が生まれる。
ミラノは知らぬところだが、それこそ“人知を超えた”大きさである。一山あるリヴァアサンの頭上、その大きさをすっぽり飲み込める程の大きさである。──人が作れる魔法陣の大きさは、せいぜい直径で3メートル程度だ。
雲間から微かに届いていた紅い夕日すら、その黒の魔法陣で遮られ、辺りは闇に包まれる。
フェニックスの咆哮、伝達が走る。ティアマト以外の召喚獣は各々の召喚主の命令を2番目以降におしやって、既に大きく退避している。
フェニックスは追いすがるモンスターに熱光線を吹きかけつつ、ティアマトに近付き、ネフィリムが直接シュナヴィッツに声をかける。ガミカの兵が全て大きく退いた時。
海上のリヴァイアサンは魔法陣から逃れようとする。が、既に高速で回転する魔法陣から伸びる闇の触手のようなものに、巨躯を絡め取られている。
だが、それは暗黒に包まれた焦土では誰の目にもはっきり見えなかった。
ただ一人、ミラノだけは、リヴァイアサンの濃紺の瞳をとらえている。
この暗さで何でちゃんと見えるのかしら──そういう疑問を、とりあえず横に置いておく事はミラノにとって可能だ。
砦の屋上。
足元の魔法陣と、リヴァイアサンの頭上の魔法陣の動きがリンクしている。
ミラノは高速で回転する魔法陣の風で揺れるスカートを、気に留める余裕が無い。左手を胸に抱き寄せ、その手の甲に右手の肘を置き、右手は口元。その親指を緩く噛んで、下から睨み上げるようにリヴァイアサンの瞳を見つめる。
闇の触手は、その巨大な体をも次第に繭のように包み込んでいく。全てを包み込む前に、低い低い、リヴァイアサンの長い咆哮が海面を、大地を揺らして響き渡る。
ミラノが目を細め、それを眺める。口元だけで小さく呟く。優しい声音で。
──還りなさい──
全員がはっと気付いた瞬間、リヴァイアサンの頭上の巨大な魔法陣が回転を止めた。どすんとリヴァイアサンを飲み込んで、海面に落ちた。
魔法陣が落ち込んだ跡は、何もない。
海水も、地面も、砂ごと、魔法陣が通り抜けたその軌跡は、ごっそり無になる──巨大なリヴァイアサンの姿も、無い。
ばしゃんと、しかし量が量なので、轟音となって辺りを包み込み、海水が天上にせりあがる。闇の天井となっていた魔法陣が海中に落ちた事で、横から夕日が差し込む。もう地平線ギリギリの、レーザー光線のような、ささやかな夕日。
無となった、消え去った海水の所へ別の場所から海水が流れ込む。誰もが、ガミカ兵も、モンスターすらも見守る中、海面がおさまるまで動く事は無かった。その間に、リヴァイアサンが召喚された頃から発生した雷雲すら、いずこかへと消え去っていた。
黄昏の時間に。
空は晴れて、焦土には静けさが戻ってきた。
人々を再び動かし始めたのはフェニックスで、モンスターへ攻撃を開始した。それにティアマトも続く。呆気に取られたままのモンスター達は、完全に士気を失っており、一斉に撤退をしていく。
既に、夕日は完全に落ちた。
ミラノが、くらりとして倒れそうになるのを、パールフェリカが支えた。
「パール、平気なの?」
「うん、今は……なんでミラノがふらふらなの?」
召喚獣の能力は全て、“召喚士の力”を代償とする、それが常識である。
「え……ミラノ、何したの?…………私の力、使った?」
「使ったと思うけれど。正直あまりわからないわ。あなたにあまり負担がかかっていなかったのなら、それに越した事はないけれど」
ただし、召喚獣が“実体化された体の内側に込められた召喚士の力”を使い尽くそうとした時、疲労という形で現れる。リヴァイアサンが巨大なブレスを吐き出した後、息が上がっていた時のように。その後、召喚士から力の補充があれば、元に戻る。
腰で体を屈めるミラノを、パールフェリカが横から支えていた。
砦には、松明が掲げられており、モンスターの撤退にあわせてその数が増えている。
砦上空に、鳥と竜の影が見えた。
その影が地上へ付く前。
「パール、うさぎに戻して?」
「え? なんで? せっかくミラノ格好良いのに。自慢させてよー!」
これがどうやらパールフェリカの本音のようだ。
「………………いい大人が支えてもらっている所を、あまり人に見られたくないわ。ぬいぐるみなら、パールに抱っこしてもらえるでしょう?」
抱っこしてもらえるというキーワードに、頼られていると感じたのかパールフェリカは表情を輝かせ、「うん!」と返事をした。
だが、そう言ってミラノを“うさぎのぬいぐるみ”にした瞬間、パールフェリカの顔色がぐわっと紫になった。
「あ……ミラノ……きた……いまきた…………」
その変わり様に“うさぎのぬいぐるみ”でもぎょっとした、つい後ろに下がってしまった。パールフェリカは一人でぱたりと地に伏した。
「パ、パール。平気よ、私がちゃんと連れて帰ってあげるから。安心して、休みなさい」
“うさぎのぬいぐるみ”になった途端、ミラノは元気になっていた。ぬいぐるみの膝と腰を曲げて、地面に顔を付けるパールフェリカにミラノは言った。
「う……うん」
パールフェリカはそう言ってニヘっと笑って、ふいーっと気を失った。“うさぎのぬいぐるみ”は立ち上がり、パールフェリカを抱え、両手に掲げた。
暗雲晴れ、鮮やかな濃紺の、夜空と星星が、きらきらと輝く。
その下で、赤い瞳の真っ白な“うさぎのぬいぐるみ”が、パールフェリカを掲げていた。
エステリオが手をかしたものかどうか悩んでいる間に、ティアマトとフェニックスが体を小さくしながら砦の屋上に近付き、そこから鎧をがしゃがしゃと鳴らしてシュナヴィッツとネフィリムが降りてきた。
“うさぎのぬいぐるみ”は降りてきた二人に近付き、両手を万歳の形で伸ばしたまま、その上に乗っけたパールフェリカをぐいと押しやった。
「パール、気絶してしまいました」
「そ、そのようだね、物凄い顔色だ………」
あちらからも近寄って来てくれて、パールフェリカの顔色を見るなり二人とも大いに顔をしかめた。シュナヴィッツは絶句している。
「──エステリオ、急いで城へパールを連れて帰ってくれ。トエド医師を呼べ…………召喚術の、疲労だろうが」
その後、戦線に散らばっていたのであろうアルフォリスやブレゼノ、他にもミラノが見たこと無いガミカ兵が集まり、ネフィリムとシュナヴィッツはあれよあれよと言う間に囲まれてしまう。その中央から二人の指示を飛ばす声が漏れ聞こえた。
「ミラノ様」
エステリオの声に振り向けば、彼女は赤《レッド》ヒポグリフの準備を終えていた。ミラノはエステリオにパールフェリカを委ねた。また、足の綿が縮んでしまったので、軽く飛び上がった。
「おねがいします」
「はい」
こんなに暗くて城まで飛んで帰れるものなのだろうかと疑問に思いながらも、預けた。飛ぶのはただの獣ではなく、召喚獣なので、理屈がわからない。口を挟む事ではないのだろう。いずれ図書院で本を読ませてもらうなり誰かに聞いて調べよう、ミラノはそう考えた。
夜空には丸い月が浮かび上がっていて、黄色の柔らかな灯りを地上に注いでいた。
指示を受けたガミカ兵があらかた散った後、頭の後ろから松明の明りをちらちらと受けながら、する事も無く黒い海を見ていたミラノに、シュナヴィッツが近付いて来た。ネフィリムはまだ兵らに囲まれている。
「それで、あれは何をしたんだ?」
海を見ていると言っても、潮騒に耳を傾けている程度だ。見えやしない。うさぎは海へ顔を向けたまま答える。
「前にあなたのティアマトを還したように、還ってもらっただけ。なんだか……」
一応それなりにできなかったらどうしようなどの葛藤はありはしたのだ、面には出さないが。
巨大な“召喚士の術である返還術”でリヴァイアサンをどこかに還してしまったのだ。
“神”の召喚獣を、無理矢理、返還した。
意味がわからないと首を左右に振るシュナヴィッツをよそに、“うさぎのぬいぐるみ”は彼を振り仰いだ。もちろん、無表情で。
「やれば、出来るものね」
シュナヴィッツと“うさぎのぬいぐるみ”の声に実は耳を傾けていた砦屋上に残っていた全員が、動きを止め、ただただポカーンとする。
結果が良ければそれでいい、ミラノはそう思うのだった。
なんとか撃退出来た事については皆ほっとしているようだし、あちこちでは肩を叩きあい、喜んでいる姿も見かけた。
それらを思い出している“うさぎのぬいぐるみ”の顔は無表情だ。
──やってみなければ、ならなかったのだから。
月明かりが影を落とす。
“うさぎのぬいぐるみ”は満月を見上げる。
「────かえらなければ、ならないのだから……」
小さく、小さく呟いた声は涼やかな風に流れて消える。
そして、ぽてりと、“うさぎのぬいぐるみ”は地に伏し、動かなくなった。
隣に居たシュナヴィッツが気付いた。
「ミラノ……?」
動く気配の無いそれを、回収した。
その頃になって、プロフェイブからの援軍が到着したのだった。
──山下未来希の通帳の残高が無くなるまで、あと82日──
生活維持の為に戻らなくてはならない日まで、あと42日──
ゆらゆらとゆらぐ、やみのなか。
あわのよう。
ああ、はっきりしないわ。
しゃぼんだまのようにしーんがうかびあがる。
「あなた、また別れたの?」
「……そうみたいね」
「そうみたいって……またふられたのね」
「理由はいつもと同じよ」
「言い寄られて、仕方なくつきあってちゃそりゃそうでしょう。これで何人目だっけ、えーっと、6?」
ああ──。
これは…………二十歳の頃だわ…………多分。
「今回のが7人目ね──もう数えないわ。それなりに愛着もって接していたつもりなのだけれど。えっと──。“俺と一緒に居てそんなに楽しくない? もうムリしないでくれ。ごめんな、俺のわがままに付き合ってもらって。だけどもう、いいから。別れよう。一緒に楽しもうって思えない二人なら、付き合ってても仕方ないよ”──だったかしら」
昨日?──時間の感覚が無いわ──6年も“頑張った”8人目と終わったわ。
正直、彼が悪いとは欠片も思っていない。私に問題があるのは、今までの理由からわかる、私は何も変わっていなかった。彼は実に忍耐強かったとさえ、思う。馬鹿みたいに無理をする私、それに気付きながら無理をする彼。長い時間、彼は傷つき、私も多分傷ついた。どちらがどれだけ傷ついたか、なんて馬鹿馬鹿しい。そう考えたら、彼の理由もあながちデタラメじゃなかったのではないかと思えた──一緒に居てもお互いの為にならない──そうね、きっとそうね。別れを切り出させて、ごめんなさい。──嫌な女。陰口を叩かれて当然ね。
──……なんで私、こんな夢を見ているのかしら。昔の事、思い出したってしようの無い。もう恋──始まっても、いなかった──は終わっていて、反省して取り戻しに行くなんていう状況じゃない。そんな気力も想いも、無いわ。
「まぁ、未来希がそう言われちゃうのもわかるけどね。女同士なら諦めつくというか付き合い方があるけど、男にはキッツイのかもねー。だってあなたの笑顔は? 基本的に高いし?」
「高いってどういう意味かしら。楽しんではいるのよ? 私だって。多分」
その友人は笑った。
「だって、多分じゃねー。未来希ってモテるくせにソレだからね、嫌味な娘ねー」
「あなたははっきり言ってくれるからいいわ。影でこそこそする連中は鬱陶しくて……。それに、モテるって言われても困るわ。こんなのただの地獄よ。告白されるまでの一方的な恋、告白せずに諦められるまでの一方的な恋。そこから始まる誤解と泥沼。こんなのに一体どれだけつき合わされたらいいの。“お付き合い”をしてみたら“お前の人間性がわからない”だなんて一体どこを好きになったと──。ああ、ごめんなさい? 愚痴なんてくだらない──」
相手の片想いがいつも始まり。間断なく。
私は何も望んじゃいないのに、なのに、同性の非難の目はやまない。
同性から言われる『憧れていました!』──そう、過去形、そして続く『でも』。
知らないわよ、貴女達の思い人の視線を、気持ちを私が奪おうが。私はいつも、何もしていない。こんなにも冷たくしているじゃない。蹴飛ばしても駄目ってなに。
誰も知りもしない私を想うなんてやめて、本当に迷惑だわ──。
誰にも、心を預けられない自分、愛をモテナイ自分。鉄の女、あながち比喩じゃないかもしれない。ひんやりと冷たく、硬くて形を変える事も出来ない。きっと端は尖っていて、刃のようなんだわ。男だろうが女だろうが、どんな風にでも近付く人を傷つけて、不幸にするだけなんだわ。
だから、もう、いいわ。もう身に染みた、充分よ。
もう、恋に付き合ったりしない──。
もう、馴れ合いもいらないわ。
友人は言う。
「泣いていいんだから、泣いちゃいなさいよ」
「泣かないわよ」
なんで私が。
──誰の為に泣くのよ……涙が、勿体無いわ──
その時々、楽しいとは、思っているのよ。多分。
振り返ると、楽しかったという事を封印してしまう、取り立てるような事じゃなかったと記憶する。
だって、声が聞こえるわ。
──自分から楽しんではいけない──
きっちりとブレーキを落とし込んでくるわ。
──嗜み好む事など不要だ、楽しもうとしてはいけない──
とても重たい、楔のように。
──また、気分次第で大罪を犯すつもりなのか──
目をそむける事なんて出来ないかのように。全身を縛る。
──お前が楽しもうだなんて、思うなっ!!──
誰の声かわからない。
多分、自分のもののような気がする。
こんな根暗な性格は、自分が一番、好きになれそうにない──なんて、お笑いね。
生きていくのに大した問題ではないわ。そんな事に気付かない程、甘くもないし、馬鹿でもないわ。笑えるわ。自分を好きになれない、だなんて。あんまりにも子供じみているわ。本当に笑えてくる。大丈夫よ、自分の好きな部分も沢山あるもの。
──些細な事を日々忘れておくのなんて、難しい事ではないわ。
──だから──
『……置いて、いかないで……』
──ひとりでいける──
『ミラノ……こっちよ……』
──ひとりで──
『ミラノ!』
────
『私と、ともに!』
確かな白い輝き。
黒色を切り裂く。
闇の中でまどろむ意識。
引き寄せられる。
捕らえられる。
大きく、包み込まれる。
開かれる視界、白い世界の中心。
覗き込んでくるのはキラキラした深い蒼の瞳。
涙を浮かべ、大輪が開くような笑顔──パールフェリカ。
目を覚ます、と言っても、持ち上げた手は頑丈な生地で出来たぬいぐるみの丸い手だった。
ならば耳もあるのか、そう思ってちょっと意識すると、右耳がペシンペシンと軽く床を叩く。左耳は動かない。左手で引き寄せると、綿がペッタンコになっていた。
いつの間に……。
ただネジネジになっていただけのはずが、もはやペタンコで少しでも風が強い所に行けばピラピラと流されてしまいそうな程だ。
“うさぎのぬいぐるみ”は、上半身を腰で折り曲げて自分の力で起こしている、そんな状態だ。それを真正面から両膝立てて見下ろすパールフェリカ。その後ろにエステリオが居るのだが、彼女は目を見開いて瞬かせている。どうやら現状に驚きつつ、把握しきれていない様子。
うさぎの体でミラノがよいしょと立ち上がると、パールフェリカが膝立ちのままギュワッと抱きついてきた。
「ミラノォ!!」
それこそ、綿の体にとっては死活問題だ、左耳のようにペラペラになると動けないなら。
「パール、離してくれる? 体まで綿が固まってしまいそうだわ」
「あ……うん……ごめんね?」
パールフェリカはにへにへと笑いながら離れた。そしてその深く蒼い目で“うさぎのぬいぐるみ”の赤い目を見る。
「……パール? ……元気になったようですね?」
「えっと……? うん! 平気だよ!」
よくわかっていないながらパールフェリカは元気よく頷いた。先ほどまでのトランス状態の時の、またその前までのミラノを見失って落ち込みきったパールフェリカはもう、どこにもいない。
「ところで、ここはどこです?」
「サルア・ウェティス」
パールフェリカの返事にタイミングを合わせたかのように、焦土の向こう、海上で“使い”とフェニックスのブレスが激突、爆裂し激しい光をばら撒いた。その光は、“うさぎのぬいぐるみ”の横っ面にも流れてきた。顔の半分に濃く影が落ちる。
「…………」
“うさぎのぬいぐるみ”が、無表情のまま押し黙る。
「あれ? 聞こえた? サルア・ウェティスだよ? ……あ、そっか! 王都の北の方にある砦だよ?」
パールフェリカはどうやらミラノが聞き取れなかった、あるいはサルア・ウェティスが何なのかわからないのかと思って、説明をしてくれている。親切なパールフェリカから“うさぎのぬいぐるみ”は顔をそむけ、海上に向けた。そして、視界に居たネフィリムの隣までひょこひょこ歩み寄った。
「……今、お忙しいですか?」
「忙しいが、君が再召喚された事にも私は興味が尽きない」
左手は真っ直ぐ下に、右手は腰に当てて支え、ネフィリムはフェニックスとティアマト、“使い”を見据えている。
「──私の最後に見たものは、貴方がまだこことは異なる、城で、空に“炎帝”と共にあって、ワイバーンを追い払っていた所です。
あれから、どれほど時間がたっています?」
「それから翌々日だね」
“うさぎのぬいぐるみ”は首を傾げた。
「…………そうですか」
「……ミラノ……!」
後方からのパールフェリカのやや鼻声がかった声に、“うさぎのぬいぐるみ”は顔を向ける事は無かった。ただ、ドドーン、ドーンと視線の先の光線を、その無表情に受けて立っている。
「…………」
返事をしない“うさぎのぬいぐるみ”に、パールフェリカはネフィリムと反対側の隣に回りこんだ。
「…………ミラノォ……どうしよう?? みんなが…………みんなが…………!!」
パールフェリカとしては、ミラノを無事再召喚出来た事で周囲の事への意識が復活し、砦下で戦うガミカ兵、そして眼前で戦うティアマトに騎乗するシュナヴィッツ。そして、ここでフェニックスを操り、既に力の多くを失ってしまっているネフィリムの事が心配でたまらなく、胸が締め付けられる思いだったのだ。それは、パールフェリカの声を聞けば、すべて読み取れる。
「……………………」
「ミラノォ、お願いよぅ、なんとかしてぇー!!」
いつの間に製造されたのか、大量の涙を撒き散らしてパールフェリカは“うさぎのぬいぐるみ”に抱きついた。
“うさぎのぬいぐるみ”のミラノは慌ててぬいぐるみの手で受け止めてやる。パールフェリカはうさぎの胸に顔を埋めてえぐえぐと泣く。ミラノはただ、胸元の生地がびっしょりと濡れていく様子を見る。例の如く現実から逃げ出そうとするミラノの脳裏には、某青色の猫型ロボットと冴えない眼鏡の少年の日常風景がいつもの音楽と共に再生されていた。
それでも、やれやれと妄想をシャットアウトし、首だけをぎぎっとネフィリムに向ける。
「……………………人知を超えてるんですが? あれ」
もちろん、一山ありそうな巨大な海竜を指している。
“うさぎのぬいぐるみ”の無表情っぷりと淡々としたその声に、ネフィリムは言う。
「………………だねぇ。何せ、神様の召喚獣だから」
絶望的な、もう打つ手など無いに等しい状況で、追い詰められていた。にも関わらず、ネフィリムの声は不思議と笑みを含んでいたのだった。
(2)
抱きついているパールフェリカをそのままにして、“うさぎのぬいぐるみ”の赤い目はずっと高いところにあるネフィリムの顔を見上げる。
「あれに関する情報はありますか?」
ネフィリムは相変わらず、赤やら白やらの光を撒き散らす戦線を見つめたまま、答える。
「──召喚獣リヴァイアサン。一々誰も確認しないが、“神”が海の上に召喚した巨竜ならば、それしかいない。創世の時代、海の生物を最初に支配したのはあれだ。死後、神の召喚獣となった。過去一度だけ、召喚されている。それが、私達の勝てる見込みが無いという理由なんだが」
「勝てる見込みが無い、ですか?」
「地上の生物全てをドラゴン種が食い散らかそうとしていた。パワーバランスが違いすぎた。強すぎたんだね、竜種は。そのドラゴン種を地上から消す為、天罰を下す為、“神”はリヴァイアサンを召喚、見事地上全てのドラゴンは死滅した、と。その時殺されたドラゴンにはもちろん、あのティアマトも含まれていた──勝てそうにないだろう?」
ミラノは自分の居た世界での“リヴァイアサン”というものを思い出している。超が付くほど有名な幻獣だ。海で起こる天変地異はすべてこれのせいとさえ言われた巨大な竜、その一泳ぎで海が割れ渦を巻いたとか。冷酷で獰猛、硬質な鱗でよろわれ、武器や砲撃は効かず、遭遇したら逃げるしかないもの、という伝説だ。
「なるほど、そうですか」
ワイバーン来襲の時よりも事態は酷いのだなと、ミラノは感じた。
ネフィリムは相変わらずクールなミラノのリアクションに、現状は破滅的だがつい、笑う。無表情の声がなんともシュールなのだ。
「私の“炎帝”は、見てわかる通りあそこで、最大サイズで頑張っているが、特性上、大味な技ばかりでね。あそこまで硬い鱗でよろわれていると手の打ちようがなくなる。一定以下のレベルのモンスター、あるいは召喚獣・霊駆除には向いているが、被害も拡散してしまうんだ。その点ティアマトは、様々な状況に対応が可能でね、今もあれの攻撃だけが頼みだ」
それこそ、樹を含めた巨城エストルクと同等の、都庁サイズの巨大な火の鳥が、海を焦がさんばかりに舞っている。口や羽から熱光線や熱風、火炎を吐き出して、空を埋め尽くさんばかりの罠と弾幕を張り巡らす。全て、ティアマトの援護である。
反対側の空。フェニックスの1/4程の大きさではあるが──十分巨大怪獣ばりの──全身が鏡のように白銀に輝くティアマトが舞っている。ティアマトの吐き出すブレスは巨大で、本体の5倍以上に拡がる、種類も吹雪、氷、雷、火、爆炎、毒針と実に多彩。それらの力の源となるのは、召喚士だ。乗っているであろうシュナヴィッツの姿など米粒ほども見えないが。汗水流して戦っているのだろう。
現状、召喚獣でまともに空を飛び、“使い”リヴァイアサンの攻撃をかわしながら戦えているのは、この2者のみ。あとは地上に降りたモンスターを相手にしている。
「ネフィリムさんは、“炎帝”に乗らないのですか?」
「あんまり乗らないな、危ないから」
そう言って左右の体重を入れ替えて、今度は右手を下に、左手を腰に当てた。
「細かい戦い方が必要なら、この間の、エストルク上空で森や城を焼かないように上下以外に移動しないで戦う、とか条件が細かいようなら、乗って直接“炎帝”に伝えるんだが。基本的に大体お任せだね」
フェニックスに乗らなかったからこそ、先ほどの“使い”の特大火炎ブレスも、その身を盾とさせ、自滅させながら防ぐ事も出来たのだ。
「そういうものなのですか。他の召喚獣もですか?」
「人それぞれというところだね。シュナはただ、自分の体を動かすのも好きだから乗るみたいだが」
「なるほど」
会話をしていると、恨みがましい目でパールフェリカがこちらを見上げていた。一応気付いてはいたが、スルーをしていた。いい加減ミラノはそちらを見やる。
「パール」
名を呼ばれると、スイッチを押されたようにパールフェリカはがしっと“うさぎのぬいぐるみ”にしがみ付いて動き始める。
「ミラノォ、お願いよぅ、なんとかしてー」
泣く。泣くのだが──。
泣きながらぶつぶつと呪文を唱え、“うさぎのぬいぐるみ”の足元に白い魔法陣が浮かび上がり──。
「…………だから、“人”にしてもらっても、あんな大怪獣相手に一体…………」
その姿がはっきりと現れるまでの間に、ミラノはぼそりと呟いたのだった。
──そこには、腕を組み、右手の指はこめかみに当てたミラノが、ぴしっとグレーのスーツを着こなしてスラリと立っていた。足元には“うさぎのぬいぐるみ”が転がる。何故か、飛んで無くなってしまったはずの髪留めが復活している。
パールフェリカはえぐえぐと涙をこぼしている。けが人は続々と運ばれており、大地の焦土っぷりは激しさを増している。遠くから見ていて、いずれここも戦場になるのではないかと危惧させる。それはわかるのだが。
「……それに、なんとか……て──」
この沈黙にはネフェリムもシュールだと言って笑う事はなかった。確かに抵抗はしているが、リヴァイアサンに直接何か出来る事などない。結果としてプロフェイブからの援軍を待っているような状況だが、間に合わないだろうし、着いたとしても彼らは地上のモンスター位しか相手に出来ないだろう。そんな結果が見えているのだから、わざわざ力を借りたくなどない。
ネフィリムは1時間もしない内に、総撤退命令を、下すつもりだ。
「──ネフェリムさん」
腰にしがみつくパールフェリカをそのままに、そこから上をネフィリムにミラノは向けた。
「なんだい?」
ネフィリムは返事はするが、戦線から目を外すことはない。“炎帝”との繋がり、命令を行う為だ。ネフィリムはこちらを見ないがそのままミラノは問う。疑問形だが、声は淡々としている。
「なぜ、そんなに余裕に構えているのですか?」
「え? そう見えるのかい?」
「見えます」
「まぁ、撤退だろうなとは思っているし、国土を捨てさえすればきっと逃げられる。プロフェイブやらもっと大きな国々が連合組んで立ち向かえば、何十年何百年もかければこれもなんとか出来るだろう。出来なくても、大国が動かなくてはならない状況で、ガミカとしては最悪さっさと国として滅んでしまえば特に気にする所ではなくなるだろう──と、そう、考えている。現状私達は逃げるしか出来ない、私は撤退命令を出すのを見計らっている。もしかしたらそれで、余裕に構えているように見えるのかな?」
「そういう事ですか」
ミラノは実に冷徹な目をする。それは、ネフィリムの言の為だ。ネフィリムは“滅ぶ”事も視野に入れている、それを受け入れるからこその目である。パールフェリカがちゃんと話を聞いていたなら悲鳴ものだ。
「方針は固まっている、不安はない、だから余裕だと」
ミラノの言葉にネフィリムは嬉しそうににっこりと微笑んだ。
「そうだね」
「パールは、何とかしたくて、でもどうしたらいいかわからないから、不安で泣くのね」
ミラノはそう言ってしがみついている亜麻色の髪を撫でた。名を呼ばれて、顔を上げるパールフェリカ。
「だって……みんなが……ネフィにいさまは逃げることをずっと考えていたの??」
どうやら部分的には聞こえていたらしい。
「そうなる。避け得ない」
純粋に涙し、一人一人を思うパールフェリカの心は大切なものだと思いながらも、将来国が存続したならば王となるべき人物はそう断じた。
「で、ミラノはどうしてそんなに余裕に構えているんだい?」
“うさぎのぬいぐるみ”の時とも変わらず、淡々として、きりっと立つミラノに笑みの混じる声でネフィリムは問う。
「余裕に構えているように、見えますか?」
ミラノがそう問い返すとネフィリムはぷっと笑った。
「そのようにしか見えない」
「そうですか」
ミラノはそれだけ言った。
そして、パールフェリカを体から離した。
シャキンとモデル立ちのミラノは首まで流してある前髪を揺らして焦土、海、“使い”を、見渡す。
ミラノの足元に黒い魔法陣がぶわっと拡がる。
大きさは直径3歩分。
その瞬間、パールフェリカがガクリと膝をついた。ミラノがその召喚能力を使うという事は、パールフェリカの召喚士の力を引き抜いているという事なのだ。後ろで見ていたエステリオが慌ててパールフェリカを抱えた。
戦線から視線を一瞬逸らし、そちらを見たネフェリムは逃げると決めているので、その上でミラノが何をするのかと、不謹慎だと感じながらもちょっとウキウキとしている。召喚獣マニアの彼としては、召喚獣ミラノが召喚能力でどのような事をするのか、興味津々なのだ。
そして、ミラノは顎を上げる──やれるかしら。
──出来なかったら出来なかった時ね。
眼鏡を外し胸ポケットへ。目を細め空を、リヴァイアサンを睨んだ。そのまま口を開く。
「私の世界では、逃げるしか道がありませんでした。リヴァイアサンの相手は。現状、私達は逃げても仕方が無い、相手があれではどこに逃げても待つのは死のみ。そういう状況認識で間違いありませんか?」
「間違いないね」
「──わかりました」
淡々として言うミラノ。
ふと、ネフィリムが笑った。
「なんですか?」
「あー、いや……今更だな、と」
「……?」
「──私の最大の敗因は、シュナよりも気付くのが遅かったという点だろうな、と思って」
そう言ってネフィリムは体ごと向きを変え、穏やかな笑みを浮かべてミラノの瞳を見つめた。気付いてミラノも顔をそちらへ向けた。
その視線を受け止めた後、ミラノは一度瞬いてすぐ、ぎゅうっと眉根に皺を寄せた。そして、視線を逸らすように再びリヴァイアサンを見た。
「──……ちゃんと“敗北”して下さいね? あなたの弟だけでも……これから大変なのだから……言葉通じるかしら……」
言いながらいい加減疲れて──発言内容は明らかに“振る予定”である──溜息をこぼしたミラノは珍しく愚痴る。
「…………私には何もないのに」
ネフィリムは一度目を細めて微笑って、再び視線を戦線へ戻した。
「それを決めるのは、君じゃない。もし、生き延びれたら──」
「必ず、生き延びます。だから、何も聞く必要はありません。以上です。よろしいですか?」
ネフィリムをチラリと見るミラノのそれは絶壁の上から見下ろすような冷たい視線なのだが、ネフィリムは一層嬉しそうに、くくっと微笑った。
「ああ。わかった。そういう事にしておく」
(3)
ミラノの頭の中にはあるキーワードが浮かんでいる。
──出来るかしら……やってみれるかしら。
そういう事が出来るのかどうか、やら、そうする為のポイントのマーキングやら、よくわからないなりに脳内で想像の翼を広げる。結局、意識によってコントロールされるならば、一番重要なのはそこなのだろうと、ミラノはあまり深く考えていない。
が、ミラノの足元の魔法陣がグルグルと左回りに、あるいは右回りに回る。加速したり緩めたり。ミラノの視点によって広げられるイメージの展開具合によって変化する。文様が浮き上がり、加わり、複雑になっていく。
ミラノは景色を脳の中に100%スキャニングし、そこにやろうとする事を200%以上の描画で、仕上がりを描く。その細部まで丁寧に、そして最後までの映像をシミュレートする。少しの曇りや曖昧さも許さず、広げる。そうしないと、出来る気がしなかったのだ。それで出来るかは、やってみなければわかりはしないのだが。その想像を一瞬であの海へ写しこむのは並々の精神力では出来ないような気がした。そう思いながら、何はともあれやってみたらいいだろうと、ミラノは適度に肩の力を抜いている。
──それでも、今のままだとちょっと面倒ね。
ミラノはネフィリムを見た。
「ネフィリムさん、海上と砂浜、全員退避させてもらっていいですか? 巻き添えとか、全然予測つきませんから」
「──え?」
「フェニックスから、各召喚獣に伝えさせるとか、出来ないですか?」
「……やった事ないな。私も行けばできるんじゃないかな、試した事もないが」
「ではお願いします」
ミラノの言葉に、ネフィリムは腰に当てていた左手をついと空に掲げる。すぐにフェニックスが戻ってくる。ネフィリムの、ミラノとは反対側に大型トラック級の大きさで着地する。小さくなりながら降りてきたのだ。ネフィリムは、フェニックスの腹の前、その炎の中へ入る前に、ミラノを振り返った。
「どうするつもりかな?」
ミラノは、リヴァイアサンをただ見つめたまま答える。
「──迷惑な来訪者には、お帰りいただきます」
平然と、玄関先にでも立っているかのような、態度で言った。
視界全てに対して意識を飛ばす。
リヴァイアサンを含め、上空に巨大な漆黒の魔法陣が生まれる。
ミラノは知らぬところだが、それこそ“人知を超えた”大きさである。一山あるリヴァアサンの頭上、その大きさをすっぽり飲み込める程の大きさである。──人が作れる魔法陣の大きさは、せいぜい直径で3メートル程度だ。
雲間から微かに届いていた紅い夕日すら、その黒の魔法陣で遮られ、辺りは闇に包まれる。
フェニックスの咆哮、伝達が走る。ティアマト以外の召喚獣は各々の召喚主の命令を2番目以降におしやって、既に大きく退避している。
フェニックスは追いすがるモンスターに熱光線を吹きかけつつ、ティアマトに近付き、ネフィリムが直接シュナヴィッツに声をかける。ガミカの兵が全て大きく退いた時。
海上のリヴァイアサンは魔法陣から逃れようとする。が、既に高速で回転する魔法陣から伸びる闇の触手のようなものに、巨躯を絡め取られている。
だが、それは暗黒に包まれた焦土では誰の目にもはっきり見えなかった。
ただ一人、ミラノだけは、リヴァイアサンの濃紺の瞳をとらえている。
この暗さで何でちゃんと見えるのかしら──そういう疑問を、とりあえず横に置いておく事はミラノにとって可能だ。
砦の屋上。
足元の魔法陣と、リヴァイアサンの頭上の魔法陣の動きがリンクしている。
ミラノは高速で回転する魔法陣の風で揺れるスカートを、気に留める余裕が無い。左手を胸に抱き寄せ、その手の甲に右手の肘を置き、右手は口元。その親指を緩く噛んで、下から睨み上げるようにリヴァイアサンの瞳を見つめる。
闇の触手は、その巨大な体をも次第に繭のように包み込んでいく。全てを包み込む前に、低い低い、リヴァイアサンの長い咆哮が海面を、大地を揺らして響き渡る。
ミラノが目を細め、それを眺める。口元だけで小さく呟く。優しい声音で。
──還りなさい──
全員がはっと気付いた瞬間、リヴァイアサンの頭上の巨大な魔法陣が回転を止めた。どすんとリヴァイアサンを飲み込んで、海面に落ちた。
魔法陣が落ち込んだ跡は、何もない。
海水も、地面も、砂ごと、魔法陣が通り抜けたその軌跡は、ごっそり無になる──巨大なリヴァイアサンの姿も、無い。
ばしゃんと、しかし量が量なので、轟音となって辺りを包み込み、海水が天上にせりあがる。闇の天井となっていた魔法陣が海中に落ちた事で、横から夕日が差し込む。もう地平線ギリギリの、レーザー光線のような、ささやかな夕日。
無となった、消え去った海水の所へ別の場所から海水が流れ込む。誰もが、ガミカ兵も、モンスターすらも見守る中、海面がおさまるまで動く事は無かった。その間に、リヴァイアサンが召喚された頃から発生した雷雲すら、いずこかへと消え去っていた。
黄昏の時間に。
空は晴れて、焦土には静けさが戻ってきた。
人々を再び動かし始めたのはフェニックスで、モンスターへ攻撃を開始した。それにティアマトも続く。呆気に取られたままのモンスター達は、完全に士気を失っており、一斉に撤退をしていく。
既に、夕日は完全に落ちた。
ミラノが、くらりとして倒れそうになるのを、パールフェリカが支えた。
「パール、平気なの?」
「うん、今は……なんでミラノがふらふらなの?」
召喚獣の能力は全て、“召喚士の力”を代償とする、それが常識である。
「え……ミラノ、何したの?…………私の力、使った?」
「使ったと思うけれど。正直あまりわからないわ。あなたにあまり負担がかかっていなかったのなら、それに越した事はないけれど」
ただし、召喚獣が“実体化された体の内側に込められた召喚士の力”を使い尽くそうとした時、疲労という形で現れる。リヴァイアサンが巨大なブレスを吐き出した後、息が上がっていた時のように。その後、召喚士から力の補充があれば、元に戻る。
腰で体を屈めるミラノを、パールフェリカが横から支えていた。
砦には、松明が掲げられており、モンスターの撤退にあわせてその数が増えている。
砦上空に、鳥と竜の影が見えた。
その影が地上へ付く前。
「パール、うさぎに戻して?」
「え? なんで? せっかくミラノ格好良いのに。自慢させてよー!」
これがどうやらパールフェリカの本音のようだ。
「………………いい大人が支えてもらっている所を、あまり人に見られたくないわ。ぬいぐるみなら、パールに抱っこしてもらえるでしょう?」
抱っこしてもらえるというキーワードに、頼られていると感じたのかパールフェリカは表情を輝かせ、「うん!」と返事をした。
だが、そう言ってミラノを“うさぎのぬいぐるみ”にした瞬間、パールフェリカの顔色がぐわっと紫になった。
「あ……ミラノ……きた……いまきた…………」
その変わり様に“うさぎのぬいぐるみ”でもぎょっとした、つい後ろに下がってしまった。パールフェリカは一人でぱたりと地に伏した。
「パ、パール。平気よ、私がちゃんと連れて帰ってあげるから。安心して、休みなさい」
“うさぎのぬいぐるみ”になった途端、ミラノは元気になっていた。ぬいぐるみの膝と腰を曲げて、地面に顔を付けるパールフェリカにミラノは言った。
「う……うん」
パールフェリカはそう言ってニヘっと笑って、ふいーっと気を失った。“うさぎのぬいぐるみ”は立ち上がり、パールフェリカを抱え、両手に掲げた。
暗雲晴れ、鮮やかな濃紺の、夜空と星星が、きらきらと輝く。
その下で、赤い瞳の真っ白な“うさぎのぬいぐるみ”が、パールフェリカを掲げていた。
エステリオが手をかしたものかどうか悩んでいる間に、ティアマトとフェニックスが体を小さくしながら砦の屋上に近付き、そこから鎧をがしゃがしゃと鳴らしてシュナヴィッツとネフィリムが降りてきた。
“うさぎのぬいぐるみ”は降りてきた二人に近付き、両手を万歳の形で伸ばしたまま、その上に乗っけたパールフェリカをぐいと押しやった。
「パール、気絶してしまいました」
「そ、そのようだね、物凄い顔色だ………」
あちらからも近寄って来てくれて、パールフェリカの顔色を見るなり二人とも大いに顔をしかめた。シュナヴィッツは絶句している。
「──エステリオ、急いで城へパールを連れて帰ってくれ。トエド医師を呼べ…………召喚術の、疲労だろうが」
その後、戦線に散らばっていたのであろうアルフォリスやブレゼノ、他にもミラノが見たこと無いガミカ兵が集まり、ネフィリムとシュナヴィッツはあれよあれよと言う間に囲まれてしまう。その中央から二人の指示を飛ばす声が漏れ聞こえた。
「ミラノ様」
エステリオの声に振り向けば、彼女は赤《レッド》ヒポグリフの準備を終えていた。ミラノはエステリオにパールフェリカを委ねた。また、足の綿が縮んでしまったので、軽く飛び上がった。
「おねがいします」
「はい」
こんなに暗くて城まで飛んで帰れるものなのだろうかと疑問に思いながらも、預けた。飛ぶのはただの獣ではなく、召喚獣なので、理屈がわからない。口を挟む事ではないのだろう。いずれ図書院で本を読ませてもらうなり誰かに聞いて調べよう、ミラノはそう考えた。
夜空には丸い月が浮かび上がっていて、黄色の柔らかな灯りを地上に注いでいた。
指示を受けたガミカ兵があらかた散った後、頭の後ろから松明の明りをちらちらと受けながら、する事も無く黒い海を見ていたミラノに、シュナヴィッツが近付いて来た。ネフィリムはまだ兵らに囲まれている。
「それで、あれは何をしたんだ?」
海を見ていると言っても、潮騒に耳を傾けている程度だ。見えやしない。うさぎは海へ顔を向けたまま答える。
「前にあなたのティアマトを還したように、還ってもらっただけ。なんだか……」
一応それなりにできなかったらどうしようなどの葛藤はありはしたのだ、面には出さないが。
巨大な“召喚士の術である返還術”でリヴァイアサンをどこかに還してしまったのだ。
“神”の召喚獣を、無理矢理、返還した。
意味がわからないと首を左右に振るシュナヴィッツをよそに、“うさぎのぬいぐるみ”は彼を振り仰いだ。もちろん、無表情で。
「やれば、出来るものね」
シュナヴィッツと“うさぎのぬいぐるみ”の声に実は耳を傾けていた砦屋上に残っていた全員が、動きを止め、ただただポカーンとする。
結果が良ければそれでいい、ミラノはそう思うのだった。
なんとか撃退出来た事については皆ほっとしているようだし、あちこちでは肩を叩きあい、喜んでいる姿も見かけた。
それらを思い出している“うさぎのぬいぐるみ”の顔は無表情だ。
──やってみなければ、ならなかったのだから。
月明かりが影を落とす。
“うさぎのぬいぐるみ”は満月を見上げる。
「────かえらなければ、ならないのだから……」
小さく、小さく呟いた声は涼やかな風に流れて消える。
そして、ぽてりと、“うさぎのぬいぐるみ”は地に伏し、動かなくなった。
隣に居たシュナヴィッツが気付いた。
「ミラノ……?」
動く気配の無いそれを、回収した。
その頃になって、プロフェイブからの援軍が到着したのだった。
──山下未来希の通帳の残高が無くなるまで、あと82日──
生活維持の為に戻らなくてはならない日まで、あと42日──
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誤字・脱字・文章修正 随時行います。
短編タグが長編に変更になることがございます。
*タイトルの「神々の寵愛者」→「神々の愛し子」に変更しました。
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