召喚士の嗜み【本編完結】

江村朋恵

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【3rd】BECOME HAPPY!

召喚獣ジズ

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(1)
 王都の周囲を埋める木々は、延々と広がっていて毛足の長い絨毯のよう。それが、生ぬるい風で大きく波打った。ざわざわと、緑に黒い影を落とし込みながら、揺れる。
 濃い雲は、赤い夕日を遮りながら広がっていく。
 次第に辺りは、赤黒い闇に包まれる。
 昼間は、“七大天使”によって護られた王都を『神に守護されし国』と連呼していた人々も、『いつそのご不興を買ったのか!?』と不安に飲み込まれている。王都内の人々は、警備隊の騎士や兵士らに追い立てられ、避難を続けている。
 王都に比較的近い南東の砦“ポルラドール”と南の砦“リー・ミューン”へ昼を過ぎた頃からドロドロと移動を続けている。一方で“光盾”などに所属しているような冒険者達は、傭兵部隊として王城前広場へ集結している。
 魔法陣は、広がる闇の中、一層輝いて辺りに白く光をばら撒く。アルティノルドの魔法陣は、その幅を広げながら、人々の不安を煽る低い音をたてる。
 人々の耳に、声のように聞こえた重低音。
 1,2度だけだが、言葉のように聞こえたと、誰もが言う。だが皆、声のように聞こえた回数が少なかった事から気のせいだと結論付けて、避難を急ぐ。
 確かな言葉として内容まで聞き取れたのは、力のある召喚士達のみ。
 さらに、いつまでもいつまでも、声をはっきりと聞き取り続けたのは、ただ1人──。
 パールフェリカは、ミラノの腕に自分の腕を絡めつつ、両手で耳を塞いでいる。強く。
 それでも、声は聞こえてくる。
「……パール?」
 不機嫌に顔をしかめているパールフェリカにミラノが声をかけるも、当然ながら届かない。ミラノにも魔法陣の回転音は、既に声と認識出来ない程度だ。
 パールフェリカは唇を噛む。

 ──……ダレニモ……ワタサナイ……──

 ミラノとパールフェリカは、3階バルコニーに出てきている。パールフェリカの誕生式典でステージとなった場所だ。3階と言っても、王城自体が山の頂上にある為、城下町全体を見下ろせる。
 近く、ややゴテゴテした鎧に身を包んだラナマルカ王が兜を左脇に抱え、ドンと仁王立ちで城下町と空の魔法陣に、臨んでいる。
 立派な鎧を装備して並び立つ歴々の顔と名前など、ミラノが知るわけも無い。だが、王の傍にある事と、堂々とした立ち姿に、皆この国の重鎮なのだろうなという事位は、推測出来た。
 ガミカ国の本陣である。
 ここからは王城前広場がよく見渡せる。次々と、飛翔系召喚獣が飛び立つ。その背には召喚士が騎乗している。
 薄暗いこの世界を照らすのは、“黒い何か”を生み出しつつある白く輝く魔法陣。

 ──……ワタシ……ダケノ……──

 パールフェリカは両耳を押さえ、体を内側に引き寄せる。目を瞑ったままミラノに寄りかかり、額を寄せた。
 目を細めてそれを見下ろすミラノは、パールフェリカの猫のように柔らかな亜麻色の髪をそっと撫で、肩を抱き寄せた。
 ミラノの腕の中で、パールフェリカは半分涙声で呟く。
「……なんで……誰にも聞こえてないの…………?」


 パールフェリカが顔を背ける魔法陣から、王都上空に、どろどろとその姿を現し始める。
 アルティノルドの召喚する“獣”。
 まず、脚が現れる。
 前方へ三又に分かれた指と、そこから黒光する爪。その爪1本だけで、巨木2,3本を軽く踏み潰す。後方へ伸びた指にもまた黒い爪が伸びている。皮膚は枯れかけた樹木の皮のようにささくれ立っていて、濃い茶色をしている。
 じわじわと下へ現れる両足が地面に付くと、魔法陣は空高く浮かび上がる。その度、獣の姿が顕になっていく。
 脚の膝は人の構造と異なり、後ろへ折れている。鳥のそれだ。前方の腿へ向けて厚みが増す。
 本来なら尾羽がある場所に、脚のささくれをずっと大きくした、刃のようなトゲトゲの鱗を持つ尻尾が、足3倍の太さで伸びていて、どすんと、地面を打った。同時に、数十数百本の木々がめきめきと音をたて薙ぎ倒される。木の葉が舞い上がり、散っていく。森に棲む獣達は、人間達よりもずっと先にどこか他所へ逃げていて、飛び立つ野鳥の類も獣もない。
 やがて、神の獣の全身が、暗闇の中、顕になる。
 全身が濃い茶色でところどころ黒い染みが広がっている。
 足先から腹辺りまでが鱗のようで、そこから頭へ向けてじわじわと羽毛が表皮を埋め始める。
 肩へ向けて大きく、腕は長く、翼と一体化している。翼の色も闇色に近い。それが大きく開かれると、王都は完全に暗闇に包まれる。もし前方に伸ばされたならば、王都は簡単に抱き込まれた事だろう。それほどに、巨大な姿をしている。
 顔の真ん中から、赤茶色の嘴が下へ曲がりながら大きく伸びている。うっすらと開かれたそれの間から、細かい歯がびっしりと見えた。赤茶けた鶏冠もある、それは体を動かしても揺らがない。硬さがあるのが見てわかった。
 細長くつりあがった大きな目。黄色く濁った瞳が、ぐるりと王都を見回した。
 “七大天使”が白く神々しくさえあるのに対して、この召喚獣は、暗く狂気の色が見える。


「相変わらずデカイな」
 その獣が身じろぎして巨大な翼を動かすだけで、人など吹き飛ばされてしまいそうだ。暴風も、瞬きするが如くお手の物だろう。
 サルア・ウェティスでリヴァイアサンを見て、“神の召喚獣”を体感済みのスティラードが、ネフィリムの横にようやっと辿り着いた。
 聖火の祭壇がある屋上から“神”アルティノルドの召喚した獣を睨みすえ、ネフィリムが呟く。
「鳥……。神の召喚獣“ジズ”か」
「“ジズ”って──本気で戦う気ですか、ネフィリム殿下」
「スティラードか。シュナの護衛はどうした」
「どうしたじゃありませんよ。あんなのと王都で戦って、勝てる見込みなんてねーでしょって言ってんですよ。俺からしたら殿下の方がどうしたって言いたいんですがね」
「仕方が無いだろう」
 そう言って、火の無い聖火台にもたれかかり、神の獣ジズを見つめるエルトアニティ王子にちらりと目線をやった。エルトアニティの横には、キリトアーノ王子が居る。危険があれば、エルトアニティの召喚獣“雷帝”ワキンヤンであっさり逃げるつもりだろう。
 スティラードもそちらを見た後、すぐにネフィリムの方を向く。
「この際、そっちの問題は後にすべきでしょう? 誰だってその判断が出来るはずだ、王都ですよ? ヤバイのは」
 再びジズを睨むネフィリムの横で、スティラードはプロフェイブの王子らには聞こえない程度の声で言う。10年近く、ネフィリムの傍で付きっ切りの護衛を勤めた事のあるスティラードは、互いに信頼がある分はっきりと述べる。
「姫様はともかく、あのネーちゃんは隠しようもあるでしょう、何で諦めないんですか。あなたらしくもない」
 物事が見えているかとスティラードは問うのだが、ネフィリムは軽い溜め息で応えた。
「パールには、彼女が必要だ。ずっとあの“人”の姿で傍に置きたいと考えているのは、見ていてわかる。それがパールの幸せになるのならば、私は力を尽くす。ただそれだけだ。他に、何か言いたい事は?」
 蒼の瞳は、冷ややかとさえ呼べる眼差し。それを受けてスティラードはぐっと唸る。付き合いも長く、身分の違いがあっても気軽に冗談のやり取りだってする間柄だからこそ、その本気は容易く伝わった。
 スティラードは視線を下げるしかない。
「──シュナのところへ行け」
 言葉無く敬礼し、スティラードは立ち去った。


 “神”アルティノルドの召喚獣ジズは、木々を蹴倒し、足を踏ん張り、その嘴を真上へ向ける。
 くぉおおおっと嘴を上下へ裂けんばかりに開き、高く鳴いた。それだけで、山々の木々が揺れる。
 嘴の間からは真っ赤な舌が伸びて、振動している様が見えた。
 形が大きい分、音量も人の耳には痛い程だ。
 ジズは翼を広げ、雲に背中を埋めるように飛び上がる。羽ばたきで黒い雲さえ払う。払われた雲間から、赤い夕日が差し込む。赤黒い世界。空には見たことも無いような大きさで舞う、禍々しい面構の怪鳥。
 おどろおどろしい印象を人々に与えるその威容に、誰もが“神の怒り”を覚えた。



(2)
 現れた召喚獣“ジズ”は、鋭い視線を走らせている。
 視線の先は、同じく空の上に展開するガミカ軍の召喚騎兵と、冒険者らによる傭兵の飛翔系召喚獣らだ。両方をあわせても、飛翔する召喚騎兵は150に満たない。
 相手がワイバーンの時は、敵500で数負け。サルア・ウェティスでリヴァイアサンと相対した時は、“モンスターの大地”モルラシアから乗り込んで来た地上のモンスター軍団も居た。昼間の召喚モンスターは地上と空を合わせて2000体を数え、また数で圧倒的に負けていた。
 そして今回、“神”の召喚獣が、こちらの心臓たる王都に乗り込んで来た。毎度酷いが、今回は……──絶体絶命。
 そんな事は、口が裂けても言えない。仕方が無いので、シュナヴィッツは独り言ちる。
「足元を気にしながら、どう戦えと…………!」
「……全くです」
 最大サイズで召喚したティアマトに騎乗していて距離もあったはずなのだが、どうやら隣にやって来た者の耳にも届いてしまったようだ。
 10階建ての建物サイズの白銀竜ティアマトの横に、厚みのある鷲の翼を羽ばたかせる召喚獣がついた。これは、ティアマトの半分程の大きさだ。
 上半身、翼の付け根となる腰辺りまでの背中が鷲で、前足と腹、後ろ足が獅子のそれである。全身がどこかふかふかとした印象を与える。鷲の頭にある目は丸く、赤い瞳は鋭さよりもどこか愛らしさがある。だが、その尖った嘴や、長く伸びた獅子の爪の鋭さは遠目で見ても凶悪だ。何よりその獅子の腹が筋肉隆々で、力強さを感じさせた。世界に数体と居ないとされ、現時点で召喚出来る者はスティラードのみ……グリフォンである。
 シュナヴィッツに相槌を打ったのは、全身鎧に身を包んだスティラード。ネフィリムに返す言葉無く、ここへやって来て合流した。
 そうして、スティラードはシュナヴィッツに聞こえない声で呟く。
「あの方は、民を皆殺しになさるおつもりか」
 太刀打ち出来ないと王に進言すべきとスティラードは考えている。
 が、そうしたところで王都を捨てるか否かという決断をせねばならない。そも、“神の召喚獣”リヴァイアサンが昔召喚された折には、ドラゴン種が絶滅させられた。そこには、神の意思があったとされている。神が、人を滅すると決めたのならば、逃げ場などあろうか。王都を捨てる意味が、あろうか。
 スティラードの横に、赤《レッド》ヒポグリフが並ぶ。グリフォンとほとんど同じ大きさだ。その背には、ネフィリムの護衛騎士アルフォリスが居る。
 シュナヴィッツの隣、スティラードとは反対側にティアマトより一回り程小さい、獅子の体に蝙蝠のような羽を持ち、蠍の尾を持つマンティコアが並ぶ。騎乗するのはシュナヴィッツの護衛騎士であるブレゼノ。誰もが重装備で、召喚獣の腹には長槍やジャベリンがぶら下げられている。
 錚々たる面々が揃った。
 ──だが。
 シュナヴィッツは下唇を食む。
 先日リヴァイアサンと対峙したからこそ、思う。こんな武器では勝負にならない。歯牙にもかけられはしない。
 小さな小さな“人間《ひと》”が、いかに“召喚獣”を操ろうと、勝てる相手ではないのだ。“神の召喚獣”というものは。
 そこへ、火の粉が降って来た。視界が一気に明るくなる。
 見上げれば、巨城エストルク級の、燃え盛る鳥、“炎帝”フェニックスがゆるやかに炎の翼をはためかせていた。
 最大サイズで召喚されたフェニックスが、大空を舞う。
 アルティノルドの召喚獣“ジズ”はリヴァイアサンよりは小さいものの、巨大である事に違いは無い。フェニックスの1.5倍はある。1.5と言うと数字自体は小さいが、倍にする元があまりに巨大なのだ。破壊力で大きく水を空けられる。互角に戦うなど、遠い。
 そのフェニックスの横に、ごうっと風が巻き起こる。
 木々の葉を巻き上げる竜巻が発生したのだ。
 フェニックスと同じ大きさで、稲光が駆け抜けた。
 生まれた風と稲妻を飲み込みながら、じわりじわりと、現れる。
 嘴よりも前へ突き出た尖った鶏冠が、角のようだ。そこからばちばちと小さな雷光が爆ぜている。大きな目は濃く黒く縁取られている。顔形は鳥というよりも爬虫類を思わせる。全身黄色とオレンジの羽毛に包まれた怪鳥。
「──“雷帝”……! エルトアニティ王子の手を借りるのか……」
 呻くようにシュナヴィッツが呟く。
 “炎帝”が全身から炎を振りまくように、“雷帝”ワキンヤンは、頭上の角を中心に、雷を纏っている。このワキンヤンもまた世界唯一の召喚獣である。召喚主は大国プロフェイブ第一位王位継承者たるエルトアニティだ。
 “炎帝”と“雷帝”という、人間が召喚する事のできる幻獣の内、五指に入る破壊力を持つものが2体も居たならば、例え昼間の2000体に及ぶ召喚モンスターも屠る事が可能だったろう。辺りに及ぶ被害は、計り知れないだろうが。
 今、相手は“神の召喚獣”。
 空を制し、全ての“鳥”の守護者とも言われるジズだ。
 ジズの持つ“鳥”に対する支配を、火鳥と雷鳥が取り払えるのか。
 シュナヴィッツは一旦後ろへ下がるよう150の飛翔召喚獣に指示を出す。
 “炎帝”にも“雷帝”にも騎乗する者が居ない事は、確認済みだ。
 巨城エストルクの屋上から、ネフィリムとエルトアニティが両召喚獣に、ジズに立ち向かえと指示を出したのだろう。召喚士の乗らない召喚獣の動きは、他の召喚士らと連携を取れない。味方すら、攻撃しかねない。
 “炎帝”とティアマトは、召喚主同士が近しい事もあり、どちらも双方の動きをよく見るが、慣れない召喚獣同士が指示無しに戦線をうまく立ち回れるという事はまず無い。なまじ“雷帝”は“炎帝”に並ぶのではないかと囁かれる程強力な召喚獣なのだ、両者に巻き込まれては目も当てられない。
 “炎帝”と“雷帝”を除いて、王都上空まで飛翔召喚獣は後退する。
 ジズの居る場所から王都まではやや距離がある。
 森の上空でジズが羽ばたく。真下の木々は薙ぎ倒されんばかりに風圧で押しやられる。前進するジズを遮るように、“炎帝”と“雷帝”がすいと、距離を詰めていく。


 ミラノは、3階バルコニーからそれを見ている。
 遠目にはなるが、それでも空がその3体の巨大な召喚獣に埋められてしまった。
 奥にいる焦げ茶の“神の召喚獣”とかいうもの。
 それよりは手前、左手側にフェニックス、右手側に初めて見る、雷鳴轟かせる鳥。さしずめサンダーバード。
 この距離だから、その巨大な鳥達の動きも見えるのだが……。
 ──空が、狭い。
 ジズが、その巨大な翼を左右に開く。
 羽ばたきと同時、その羽が、ここからでは数える事は出来ないが、十数枚数十枚ではない、数百枚はあろうか──ナイフのように“炎帝”“雷帝”へ飛び出す。その羽一枚一枚もまた巨大だ。
 “炎帝”は口から吐き出す大量の火炎で、“雷帝”はその鋭い眼光から雷を発して、それぞれの前方で打ち落とす。
 “炎帝”は熱光線を縦横無尽に走らせ“ジズ”の体を焼きにかかり、“雷帝”は雷と生み出す竜巻でその翼を揺さぶる。
 攻撃の度、赤黒く薄暗かった空が、目も背けたくなるほどの光に飲まれる。最後に“炎帝”“雷帝”そろって一斉に熱光線と雷光をジズめがけて放つ。一際眩く空が輝く。
 だが、リヴァイアサンの時と同じく、ジズは傷を付けられても見る間に修復していく。“神”アルティノルドの力に満ちたこの世界で、完全に撃ち滅ぼす事など、出来ない。アルティノルドの創造の力が、あまりにも強すぎるのだ。ダメージを与えるそばから再度、欠けた部分が創造されていく。
 ミラノは、静かに見つめる
 この世界がアルティノルドの力に満ちて、“神の召喚獣”を倒す事が出来ないという理屈など、知らない。だが、随時異常なスピードで回復する敵を相手取って戦う意味の無さなら、わかる。
 こういう場合、回復するエネルギー源を先に倒すか、その流れを止めるかになる──過去にいくつもプレイしてきたゲーム類では大概そうだ。
 だが、どうしたものかと、ミラノは考え沈む。
 召喚術は、ネフィリムの言葉によって封じられた。
 だが、どう見たって、分は悪すぎる。
 ──幸いここにエルトアニティ王子は居ない、バレなければ……。
 戦場に目を移す事が出来ないのか、3体の怪鳥のぶつかりあう火線や雷鳴、羽ばたきの轟音、木々の薙ぎ倒される破壊音が嫌なのか、耳を塞いだままのパールフェリカの肩に、ミラノはそっと触れた。パールフェリカはずっと変わらず、ミラノの胸と肩の間に顔を埋めたままだったから。
 手が触れると、パールフェリカは耳を塞いだまま顔を上げ、ミラノを見上げた。目が真っ赤だ。
「パール」
 ミラノが口を動かすと、パールフェリカは両手をそっと耳から外した。
「……パール、ちょっと試したい事があるのだけど。平気?」
 パールフェリカが大きく頷いた。
「……お、お願い……! ミラ──」
 言葉の途中で、空が真っ白に染まる。閃光が駆け抜けて、眩しさで視界は白色に染まり視力が奪われる。
 目を閉じて耐えたのは2,3秒だったが、何があったのかと3体の召喚獣が居た辺りを見上げる。
 “雷帝”ワキンヤンは空高く飛翔している。
 一方、“神の召喚獣”ジズの正面で、大きく翼を広げた形のままのフェニックスが、うっすらと消えていく所だった。
 ジズが何か攻撃をして、フェニックスがその身を盾にして王都を、背後に居るシュナヴィッツらを護ったのだ。
 そちらを見て、言葉を失う。
 ラナマルカ王はバルコニーの手すりをがつんと殴った。
「陛下……」
 傍に居た騎士が声をかけるが、ラナマルカ王の苦渋の表情はより濃くなる。ラナマルカ王の召喚獣は、空を飛べない。我が子にかかる負担を代ってやれない事が、ラナマルカを苛んでいる。
 それを見ていたパールフェリカは、ゆっくりとミラノに視線を戻す。ミラノもまたパールフェリカを見下ろした。
 パールフェリカは既に、ぽろぽろと涙をこぼしている。溢れて止まらないようだ。
「……お、お願い……! ……お願い……ミラノ……」
 絡まる喉の間を縫って、引きつった声でミラノにすがる。
「──にいさまを助けて! ……私達を、助けて!!」
 ミラノは目を細めて、パールフェリカの頭を撫でた。誘われるように、パールフェリカは再びミラノの胸に顔を埋めて、泣きそぼった頬を摺り寄せた。
 そして、ミラノは空を見つめる。
「……こういう事が…………出来るかしら」
 そう呟いた時、すぐ上空、再びフェニックスが舞い飛ぶ姿が見えた。
 ミラノはぎゅっと眉間に皺を寄せた。離れていくフェニックスの頭の上、ネフィリムの姿がある。騎乗している。
「出来ないと、困るわね……」
 ミラノは試してみようと考えていた事を、頭の中で一気に組み上げて、視界にシミュレートし、展開する。前も、そんな雰囲気で出来るかどうかわからない事を試した。
「間に合って…………!」
 焦燥が誤りを呼ばぬよう、手間を増やさぬよう、ミラノは平静さを保ちながら、空を睨む。



(3)
 前方では既に、ジズとワキンヤンが甲高い咆哮を上げながら、羽を散らしつ交差している。
 ジズの白色の巨大な光線の軌跡。大地を見やればわかる。木々を含め、あらゆるものを溶かしている。残った部分、消えた去った後の断面は、蝋のように溶けた痕がある。
 ガミカの森の一部がごっそりはげた。一部と言うが、巨城エストルクの敷地面積に匹敵する森が、消えた。
 兄のフェニックスが身を挺して押し留めていなければ、自分達も、王都も、跡形無く溶けて消えていただろう。
「……シュナヴィッツ殿下。あれは“人間”が近寄って良い“もの”ではありません。下がりましょう……!」
 スティラードの声が届く。
 シュナヴィッツは、頷かざるを得ない。ここに残っても、無駄死にだ。あの白い光線は、射程距離は短いが、範囲が広すぎる。近付いている所で撃たれては、簡単には逃げられない。エルトアニティ王子の無人の召喚獣ワキンヤンは逃れたようだが、あれは元々、風と雷光を操る“疾風迅雷”の化身。速さだけなら、あのサイズ故、どの召喚獣をも上回るだろう。
 フェニックスの到着を待って、シュナヴィッツは空の全軍を王城まで下がるよう指示を飛ばす。
 そして、飛び去る“炎帝”の後姿を何気なく見送って、気付く。
「兄上! 死ぬ気か!?」
 思いと言葉は同時。シュナヴィッツの声に、右手側に居たネフィリムの護衛騎士であるアルフォリスが反応し、赤《レッド》ヒポグリフを駆り、“炎帝”を追った。
 すぐにティアマトを前進させようとするも、先にグリフォンが回り込んだ。
「シュナヴィッツ殿下はお待ちください! 俺が止めてきます!! いいですか、ちゃんとさがってくださいよ!?」
 グリフォンの上からスティラードが叫んだ。彼はすぐにティアマトの左隣に居たマンティコア上のブレゼノに「必ずお護り申し上げろ!」と声を投げ、グリフォンの首を翻し、アルフォリスを、“炎帝”を追った。


 ミラノは、フェニックスと、ヒポグリフ、グリフォンを視界にとらえる。
 広いはずの大空のキャンバスは、黒く塗りつぶされ、焦げ茶の巨大な怪鳥がその大半を占める。
 その手前を、黄色のワキンヤンが駆け抜ける。ワキンヤンが避ける度、森が、王都の端々が崩れていく。その轟音が響く度、ミラノが腕に抱えるパールフェリカはびくりと身を震わせた。
 ミラノは右手を緩く空へ、手の平を上に指す。自分の意識をそちらに。
 さらに腕を伸ばして、細い人差し指でマーキングしていく。
 ジズはその嘴を開いて赤黒い火炎や、目から火線を飛ばす。
 それらを避けて、隙のあるジズの体にワキンヤンが電撃を広範囲で落とす。その度ジズはどくんどくんと脈打って、ダメージを受けている。羽毛が焼け焦げ、表皮がくぼむのだが、すぐに回復していく。
 ワキンヤンの逆サイドをとるのはフェニックス。確実に、熱光線や火炎を吐き出し、ワキンヤンと同じ箇所を攻撃してダメージを深めている。重ねた攻撃で空飛ぶジズの足が膝辺りで千切れた。赤黒い血を撒き散らしながら、切り離された足は地面にドスンと落ちた。フェニックスがワキンヤンに攻撃を合わせてている。先程までは出来ていなかった連携だ。
 フェニックスは翻して空高く上昇する。彼の居た場所にジズの羽が何百枚と飛び、森に容赦なく突き刺さり、落ちていたジズの足にも突き立つ。
 フェニックスの傍へ近付こうとしていたはずのヒポグリフとグリフォンは、やはりじわじわと後退し、シュナヴィッツらと合流するしかない。
 対ジズに関しては、フェニックスとワキンヤン以外、近付きようが無いらしい。ジズの攻撃範囲が広すぎるのだ。
 縦横無尽にワキンヤンが飛び回り、ジズの視線を奪い、その合間をフェニックスが飛び、一点攻撃を繰り返す。
 だが、それでも。
 落ちたジズの足は消え、本体に新しいものがにょきにょきと丸く生えはじめている。
 一度大破しているフェニックスを再召喚して操るネフィリムの体力は、そんなにもたない。それは召喚士の誰もが、胸が痛くなるほど危惧している。
 ──そんな事は、知らない。
 ミラノは、視界の中のジズとフェニックスの間の一点に右手を伸ばし、きゅっと掴んだ。


 ジズの体の中心から輝きが駆け抜け、翼が白く光る。
 再び、先程フェニックスが盾となり遮った光線が、来る。
 暗い色味だったジズに光がこんこんと注がれるように集まり、白く輝く。急速に力を溜め込む。
 そして、羽ばたきにあわせ、ジズの体表面から白色の巨大な光線が、フェニックスを、ワキンヤンを、王都を飲み込まんと放たれる。
 眩しさに目を細めながら、ネフィリムの正面に、カッと光が満ちた。
 対抗すべくネフィリムはフェニクスに火炎を出すよう命じるが、あまりに小さい。
 その先。
 別の、七色の、握りこぶし程の光が見えた。
 点だった光は瞬時に大きく広がり、光線よりも大きな魔法陣の形をとる。魔法陣は、1枚ではなく、2枚ある。
 ズレるように急速に回転しながら同時に、一枚がこちらへ、フェニックスをすり抜けながら空へ向けてぐるりと曲がる。
 地面に対して垂直の魔法陣がジズの巨大な光線を飲み込み、地面と水平上空にある魔法陣の上から、その攻撃は空へ向け、放たれた。
 真っ白の巨大な光の柱が、突然現れた魔法陣に飲まれ、もう一枚の魔法陣から飛び出した。光は空へ。黒雲を突き破る。
「──なんだ……!? これは」
 ネフィリムは眩しさに耐えながら上擦った声を上げる。
 空を埋める巨大な2枚の魔法陣はプリズムに輝きながら、ゆっくりと、ゆっくりと回転をする。
 ミラノの魔法陣なら黒のはずだ。ならばこの召喚術は誰のものだ。いや、これは召喚術と呼ぶべきか。
 2枚の魔法陣で、1枚が飲み込み、2枚目が別の場所で放出する。
 召喚術として言い表すならば、まず1枚目で返還、次に2枚目で召喚をしている。
 逆だろう。召喚術は、召喚をして返還をする流れ。その逆を、しかも“光線”というターゲットを動かしている。しかも、あまりに巨大。あり得ない。
 “召喚術”の理屈が通じない。
 ──誰が、何をした!?


 握っていた右手を開いて、その先に見えるのは光り輝く虹色の魔法陣。
 それがジズの攻撃を全て飲み込んだ。上空に向けて、かの攻撃は噴出し続けている。上へ逃げていたワキンヤンは、慌ててさがっていたが、片翼の一部が溶けている。ちょっとしたミスだ。遠方の空間把握はなかなか、慣れていないもので難しい。ご愛嬌という事で許して欲しいと、深くも考えずミラノは心の片隅で思う。
 魔法陣は、色という色を飲み込む。そう、周囲の赤黒い闇さえ。暗雲は、その魔法陣の光に押され、厚みを失っていく。
 2枚の光り輝く魔法陣に、赤暗かった辺りは昼と変わらぬ明るさになっている。既に、日の暮れる時間だという事を誰もが忘れるほどに。
 ミラノは王城3階バルコニーからそれらを見上げている。
 左腕でパールフェリカを抱える。彼女の膝から力が失われていくからだ。
「──バレなければ、良いのでしょう?」
 ミラノはプリズムの魔法陣を生み出していた。
 相変わらず“出来たらいいな、出来てね、必ずやるのよ”といったノリでトライしている。
 ミラノにとって、2種類目の色の魔法陣。
 魔法陣の色は、その存在の“霊”の色と言われ、2種類もつ事は本来無い。
 2種類存在する場合には、理由がある。
 何らかの原因があって“霊”が変質している時。
 レイムラースが人間に“憑依”して変質していた時には憑依対象の人間の魔法陣の色と混ざった青紫。本来の堕天使としての“霊”の色は黒。その2種類だ。天使は召喚術を使えないが、“憑依”していた状態だったので、“人間”だけが使える召喚術を行使する事が出来た。
 ミラノはと言えば、違う色の魔法陣ならば、黒でないならばエルトアニティにもバレないだろうという思考で、やってみた、のだ。
 だがミラノが選んだ、彼女らしからぬ派手な虹色に光り輝く魔法陣は、誰も見た事が無い色だった。近い色と言えば、リヴァイアサンが召喚された時の“神”の魔法陣だが、あれは白に朝陽が当たって七色に見えた、程度である。これほどはっきりと複数の色を発しながら輝く魔法陣は他に無い。そもそも魔法陣は半透明で向こうが透けてみえるもの。なのに、このプリズムの魔法陣は輝きも色も強く、黒の魔法陣の時と同様、半透明には程遠い。いや、それ以上に、あのように巨大な魔法陣が実現している事が、信じ難い。
 3階バルコニーに居るガミカの重鎮達でさえ、ざわざわと声を上げる。一体誰の、何の魔法陣だ、と。
 ミラノはそれを適当に聞き流す。どうでも良いのだ。
 それよりもと、ミラノはまだ空を睨みすえている。
 敵、神の召喚獣ジズは、健在なのだ。
 怒り猛ったジズが、フェニックスに突撃をかましている。
 ジズは巨大だ。避けきれなかったフェニックスの体が大きく揺れた。
「──見つけた」
 ミラノは再び手を伸ばす。
 空に、ひっそりと小さな魔法陣が生まれ、落ちていく人を捕らえ、飲み込んだ。



 ──それらを見つめるのは、堕天使レイムラース。
「その魔法陣……“不完全な”逆召喚……なるほど」
 ぐったりとして、完全に気を失ったパールフェリカを抱きとめるミラノ。
 それも、レイムラースは見下ろしていた。
「見つけたぞ。 だが、今日は見逃してやろう──“神”を召還する為、今しばらく休むといい」
 巨城エストルク遥か上空から、6枚の黒い翼を打ち、レイムラースは飛び去った。
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